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第九章・激動する時勢

第26話 四ヶ国艦隊、大坂湾に襲来

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 ヨーロッパで五代、松木、モンブランが暗躍していた頃、大坂湾に英仏などの軍艦九隻が現れた。慶応元年(1865年)九月十六日のことである。

 イギリス、フランス、オランダ、アメリカ、これら四ヶ国の代表が軍艦に乗って大坂湾へやって来たので、この艦隊は「四ヶ国艦隊」と呼ばれることがある。
 ただし軍艦の内訳はイギリス五隻、フランス三隻、オランダ一隻なので本当のところは「三ヶ国艦隊」であって、その実質を言えば「英仏艦隊」と呼ぶべき艦隊である。アメリカは南北戦争の後始末に忙殺されて日本に構っている余裕などなく、この当時、日本近海に一隻の軍艦も無かった。そのためアメリカ公使はイギリスの軍艦に便乗してこれに参加したのである。

 彼らの目的は「条約勅許ちょっきょ」を得ることだった。
 さらに「早期の兵庫開港」を幕府に強要することだった。
 これを主導したのはイギリス公使のパークスである。

 パークスと言うと「尊大で居丈高いたけだかなイギリス人」というイメージが強いが、事実、この時の彼の手法はまさにそのイメージ通り、強圧的なものだった。強力な艦隊を背景にして、幕府と朝廷を脅すために大坂湾へ乗り込んで来たのである。
 オールコックに代わって新しい駐日公使となった彼は、清国に駐在していた頃と同じように「武力を背景に、押せるところまで押す」という強引な手法で日本に迫ってきたのだった。

 その一方でフランスのロッシュ公使は幕府の擁護者である。
 その彼が、幕府に対してこのように威嚇いかく的な行動を行なうというのは一見奇異きいに見えるかも知れない。が、朝廷から条約勅許を得ること自体は幕府にとって悪いことではないので、パークスを牽制けんせいするためにも、彼は敢えてこの計画に参加したのだった。

 ところで「条約勅許ちょっきょ」とは何ぞや?という疑問に対し、簡潔に答えておきたい。
 この物語の序盤で「井伊直弼なおすけが無勅許で各国と通商条約を締結した」という話をしたことがある。この「無勅許で行なった条約締結」が尊王攘夷派から批判を浴びることになり、さらに井伊自身の暴政もあって、彼は桜田門で首をねられた。

 要するに、いわゆる「安政五ヶ国条約」には朝廷の許し(=勅許)が無かった訳である。
 かつて朝廷が幕府に対して「横浜鎖港さこう」を命令したのも、朝廷は通商条約の締結を認めていなかったからである。誤解を恐れず言ってしまえば、この朝幕間の紛争、それはとりもなおさず「幕末の混乱そのもの」とも言えるであろうが、すべては「井伊直弼が作った」と言っても過言ではない。

 とはいえ、この状況は日本と貿易をやりに来た外国人にとっては迷惑極まりない話であった。
「内政の混乱に外国人を巻き込むな」
 と彼らは言いたかったであろう(もっとも日本人からすれば「外国人が来たから日本は混乱したんだ」と言いたかったであろうが)。

「じゃあ、朝廷に条約勅許を出させれば良いじゃないか。日本人の手で出来ないのなら、我々が直接京都へ行って勅許を取ってきてやろうじゃないか」
 という考えのもとで、今回パークスたちは大坂湾へ乗り込んできたのであった。
 そのついでに、1868年1月1日まで(慶応三年十二月まで)延期されている「兵庫開港」も、それを早期に開港するのであれば下関戦争の賠償金300万ドルのうち、その三分の二を免除するという特約をつけて、朝廷に条約勅許と兵庫開港の勅許を出させるよう幕府に迫ったのだった。

 ただし、ここで言う「我々が直接京都へ行って勅許を取ってきてやろう」というのは、「我々は戦争も辞さない覚悟で、京都へ攻めのぼる」という意味でパークスは述べているのである。



 このように外国の軍艦が大挙して大坂湾へやって来るのは初めてのことだった。
 過去にもこういった手段を考えた外国公使がいない訳ではなかったが、そのつど
「京都に近い大坂湾へ外国艦隊がやって来れば朝廷や尊王攘夷派が激怒して、ますます混乱に拍車がかかることになるので、それだけは絶対に止めて欲しい」
 と幕閣が外国公使に陳情して、なんとか押しとどめていた。

 けれども今回新しく赴任ふにんしてきたパークスは、幕府の都合などいちいち忖度そんたくする男ではない。自分がやると決めたら何が何でもやる男である。
 四ヶ国艦隊は開港予定地である兵庫港に停泊し、兵庫の調査をしつつ、大坂の幕閣との交渉を開始した。

 果たして関西の日本人は大騒ぎとなった。

 寅之助と篤太夫とくだゆうは偵察のため、その兵庫へやって来た。
 兵庫の港には外国人たちが上陸して兵庫の町を見て回り、中には数キロ東北にある神戸村まで足を運ぶ者もいた。
 篤太夫は、兵庫港に停泊している巨大な外国軍艦を見つめながらボヤいた。
「ここには一橋家の蔵米があるので私は最近、よく仕事でここへ足を運んでいたのですが、ここに外国の軍艦がやって来るとは思わなかった。まさか、いずれ貿易をやろうとしているこの港を攻撃することはないだろうが……。それにしても、こうして近くで見ると確かに巨大な軍艦だ。これ程とは思わなかった」
「いよいよ我々が攘夷を決行する時が来ましたな、篤太夫さん」
「さあ、それはどうでしょうか。君公くんこう(慶喜)も幕閣も、外国人を打ち払う気持ちがそれほど強いようには見えませんね」
「でも、イギリスなどは『京へ攻めのぼる』とか、ほざいているんでしょう?そうなればいくさは避けられないじゃないですか」
「それはこれからの交渉次第でしょう。おそらく今回は我が君公がおおいに手腕を発揮されるはずです」
「いっそ、問答無用で打ち払ってしまえば良いじゃないですか」
「無茶言わんでください。私は以前、薩摩の折田おりたという人物に付いて摂海せっかい(大坂湾)の砲台防備について学んだことがありますが、とても外国軍艦を打ち払うほどの防備はありません」
「でも、このすぐ近くの和田岬に石造りの立派な砲台があるじゃないですか」
「ああ、あれですか。勝安房守あわのかみ(海舟)が作ったとかいう。噂によるとあれは、実際に弾を発射すると室内に砲煙が充満して、使い物にならないらしいですよ」
「……とにかく、私はこの日のためにいくさの訓練を受けてきたのです。せっかく大坂に数万の幕府軍がいるんだから、敵が上陸してきたら一気に粉砕してやりましょう!」



 このあと二人は大坂に来た。
 外国との戦争を恐れるあまり荷物を抱えて逃げ出す者がわずかに見られるものの、二年前、江戸が生麦賠償金問題で臨戦態勢に入った時と比べれば、大坂の町はそれほど混乱してはいなかった。
 と言うかそもそも、大坂の民衆は何が起きているのか、理解できなかったのだ。
 幕府としても、無用の混乱を避けるために外国艦隊が何のために大坂へやって来たのか、情報を開示しなかった。

 大坂の町には四ヵ月前から数万の幕府軍が滞在していた。
 そのせいで物の需要が高まって物価が上がり、大坂の民衆はそれだけでも辟易へきえきとしていたのに、この年は将軍が大坂城に来ているということで夏の天神祭も中止となっていた。
「幕府軍は長州へ攻めに行くんじゃなかったのか?それとも、この外国艦隊と戦うために大坂へ来たのか?」
 大坂の民衆は何が起こっているのか訳が分からず、ただただ戸惑うばかりだった。

 そんな大坂の町中を甲冑かっちゅう姿の会津藩士たちが走り回っていた。彼らは天保山てんぽうざん砲台に向かって走っていた。
 大坂は元々武士が少なく、こういった物騒な状況に慣れておらず、大坂の町民たちは化け物でも見るかのような視線を会津藩士たちに送っていた。

 外国艦隊の襲来を聞いて、尊王攘夷に燃える会津藩士たちは
夷狄いてきを一歩たりとも上陸させてはならん!」
 と、いきり立って京都から大坂へ下って来たのだった。

 寅之助と篤太夫は、その天保山砲台の様子を見に来た。
 この日たまたまイギリス公使館員の数名が偵察のため、兵庫から船でやって来て天保山で上陸し、そのあと再び川船に乗って安治川あじがわを大坂城の方へ遡行そこうして行った。

 寅之助たちは天保山で会津藩士の部隊と出会った。そこには旧知の広沢富次郎とみじろうもいた。
 ところが寅之助は、広沢の隣りに見覚えのある顔を見つけた。
(あれは!新選組の近藤勇!)
 寅之助は、かつて自分の命を狙ったこともある近藤を見て、緊張しない訳にはいかなかった。

 寅之助と篤太夫が来訪したことに気がついた広沢が、声をかけてきた。
「これはこれは、一橋家の渋沢さんと吉田さん。あなた方も敵情視察に来られたのですか?」
 これに篤太夫が答えた。
「まあ、そんなところです。どうですか?何か敵に動きはありましたか?」
「先ほどイギリス人と思われる連中が数人、ここから上陸して、少し先へ行ったところでまた川に下りて、船で川を上っていきました。そのうち一人は背の高い若者で、流暢りゅうちょうな日本語を話す通訳でした。まあ偵察か何かでしょう。軍艦のほうは別に動きはありません」

 その会話の途中で近藤勇も話に加わってきた。
「神聖なる日本の領土を我が物顔で歩き回るとは、まったくもってけしからん。ご下命あらばいつでも叩き斬ってやるものを……。おや?」
 と、ここで近藤が寅之助と目が合った。
「一橋家のご家臣で……あなたは吉田さんとおっしゃったか、ひょっとして……」
 寅之助は覚悟を決めて近藤に正体を明かした。
「ご無沙汰しております、近藤先生。浪士組の時にご一緒した吉田寅之助です」
「おお、あの時、根岸友山先生と一緒にいた……。ふむ、なるほど……。よくも君が一橋家に入れたものだ」
「ご懸念けねんは無用です。今は長州と何の関わりもございません」
「まあ、とりあえずそういうことにしておくか」
「あの時、新徳寺しんとくじでの会合で、清河さんは江戸で攘夷をやり、京に残った人々は『大坂に外国船が来たら戦う』と言っていた事を憶えております」
「そう言えば、そんなことも言ったかな。どのみち将軍家による攘夷実行は、私にとって年来の宿願だ」
「ついにその時が来たわけですね、近藤先生」
「その通りだ」
(この近藤勇と意気投合する日が来ようとは……。まったく皮肉なものだ……)

 しかし広沢は幕閣の不穏な噂を耳にしていた。
「しかしご老中の阿部豊後守ぶんごのかみ殿はイギリスに譲歩して、勅許を得ぬまま兵庫開港に向けて動き出しているとも聞く。なんとも朝廷に対しておそれ多いことだ。それだけは絶対に我が殿が反対なさるだろうが……」

 ちなみに、このように尊王攘夷にこだわる会津藩士たちを見ると、読者の中には不思議に思われる方がいるかも知れない。
「会津藩は幕府に忠誠を尽くした藩なのだから、尊王よりも佐幕でしょ?それに佐幕なのだから幕府が開国を望めば、会津藩も開国を望むはずでしょ?」
 といった具合に。
 尊王・佐幕、攘夷・開国を単純な図式で見れば、このように勘違いしてしまう人がいてもおかしくはない。

 しかしながら幕末というのは、そこまで単純に図式化することはできない。
 この物語でずっと見てきたように、この時代、程度の差こそあれ、ほとんどの人が「攘夷が正しい」と思っていた。
 特にこの時期は、東の天狗党が潰れ、西の長州藩が潰れかかっていたため、攘夷の火はほとんど風前の灯火ともしびのようになっており、ロウソクの火が消える寸前に一瞬勢いを取り戻すのと同様に、このとき激しく燃え盛っていた。

 幕末の攘夷の発信源は孝明天皇だった。
 その孝明天皇から松平容保かたもりは絶対的に信頼されていた。かたや容保の尊王心のあつさも比類なきものである。
 藩祖の保科ほしな正之まさゆきが神道家の山崎闇斎あんさいに学問を学んだ、という影響もあったにせよ、何よりも東北人としての純朴さが、盲目的なまでの尊王攘夷に昇華しょうかしたと見るべきだろう。尊王攘夷というと長州の代名詞のように言われがちだが、長州人は良くも悪くも怜悧れいりで抜け目がない。それゆえ、長州の尊王攘夷は会津のような一途いちずさがない。だからこそ、後に両者の運命も大きく別れることになるのだが。

 ともかくも、四ヶ国艦隊の大坂湾襲来を受けて、最も意気盛んに攘夷を唱えていたのは会津藩だった。
 そしてその配下の近藤勇も「将軍家による攘夷の実行」を強く望んでいた。
 むろん、寅之助も攘夷を望んでいた。



 さて、広沢が懸念していた通り、老中の阿部正外まさと豊後守ぶんごのかみ)は交渉の席でパークスから強く迫られたこともあって
「兵庫の開港を認める。しかし朝廷から勅許を引き出すことはしない」
 という方針を固めた。
 阿部がこのような判断をしたのは、確かにパークスから強く迫られ、回答期日も短く設定された、という事情もあったのだが、それ以外に「幕府内の権力闘争」という要因もあった。

 要するに、幕府権力の強化を優先する老中の阿部と、朝廷との協調関係を優先する一会桑いちかいそう(慶喜、容保、定敬さだあき)の対立ということである。

 阿部の考え方としては、こうである。
「そもそも朝廷が無茶な攘夷を唱えてきたから今のような混乱状態となったのだ。最初から幕府の言う通り開国政策を進めていれば何の問題もなかったのだ。元々外交は幕府の専権事項なのだから、朝廷から条約や開港の勅許を得る必要など無い。これからは幕府が思う通りに外交を行なえば良いのだ」

 天狗党を潰し、いまや長州をも踏み潰そうとしている幕府は、ここまで自信を回復させていたのだった。

 しかしながら朝廷が、そして一会桑が、このような幕府の専断を認めるはずがなかった。
 まず、会津の容保が阿部の考えに異議を唱え、もし幕府がそのような専断をするのであれば京都守護職を辞任する、と申し出た。
 そして慶喜が京都から大坂へ飛んで来て、阿部の考えを外国公使に伝達するのを止めさせた。
 そのうえ朝廷からは、阿部と、さらに同僚の老中である松前まつまえ崇広たかひろ伊豆守いずのかみ)を厳罰に処し、老中を罷免ひめんすると通告してきた。
 老中が朝廷の命令で辞めさせられるというのは前代未聞の出来事だった。

 これを受けて、幕権強化を図る阿部を擁護すべき立場にある将軍家茂いえもちは、朝廷に辞表を提出した。
 そして「江戸へ帰る」と言い残して大坂を出発し、伏見へ向かった。「朝廷が老中を罷免する」という越権行為に対し、将軍が抗議の意志を示したのである。

 そこで慶喜は将軍の江戸帰還を阻止すべく、伏見へ飛んだ。
 そして将軍や幕閣と面会して、将軍の辞職、江戸帰還を撤回させた。
 一方、慶喜が派遣した使者によってパークスから十日間の回答期限の延長が認められ、慶喜は時間的な猶予ゆうよを獲得した。
 その間に、慶喜は朝廷から条約勅許を引き出すために、御所で訴え続けることになった。

 まったくもって慶喜は、幕府のため、そして朝廷のため、縦横じゅうおう無尽むじんに飛び回っていた。
 なにしろ慶喜は禁裏きんり御守衛ごしゅえい総督そうとくである上に「摂海せっかい防禦ぼうぎょ指揮しき」の職に就いている。
 摂海せっかいすなわち大坂湾を防御する責任が慶喜にはあったのである。



 そのころ寅之助は一橋邸内でいくさの準備をしていた。大徳寺で訓練していた松吉などの農兵たちも同様に邸内に詰めていた。
 すでにパークスへの回答期限まであと数日と迫っており、パークスは「回答期限が過ぎれば自由行動を取る」すなわち「京都へ攻めのぼる」と公言しているのである。
 京都へ攻めて来れば、寅之助たち一橋家の部隊も京都を守るために外国軍隊と戦うことになる。「いよいよ攘夷を実行できる」と、寅之助は腕をして戦争の準備をしていた。

 寅之助は武器庫のすぐそばに座って、松吉と一緒に鉄砲の手入れをしていた。
 松吉は緊張していた。
「まさか入隊してこんなに早く実戦に出るとは思っていませんでした……。やはり外人は鬼のような化け物なのでしょうか……?」
「なに、奴らも同じ人間だ。鉄砲で撃たれれば血も出るし、怪我もする。今度のいくさで手柄を立てれば我々も正式な武士になれる。相手は夷狄いてきだ。遠慮なく戦ができるというものじゃないか」
「そうですね。そのために訓練してきたんですからね……」
「ところで松吉。お前はあの後も、例のお汁粉屋に通ってるんだろう?一体お汁粉と娘とどっちが目的なんだ?」
 松吉は、緊張した表情が途端にゆるんで笑顔になった。
「決まってるじゃないですか、両方ですよ。このあいだ吉田先生が助けたあの娘はおさちという娘なんです。彼女は先生にも会いたがってますよ。今度お顔を出されたらいかがですか?」
「やめておくよ。甘いものは好きじゃないしな。とにかく、夷狄と戦うのはあの娘を守るためでもあるんだ。そう思えば、鬼の夷狄も怖くはないだろう?」
「そう言われてみればそうですね。私も尊王攘夷の志士として見事、夷狄を撃滅してみせます」

 こうして二人が話していると、脇で話を聞いていた幕臣の男が寅之助に話しかけてきた。
「西洋の軍隊のことを何も知らない奴は気楽なもんだな。お前たちは本当に、我々が西洋人に勝てると思っているのか?」
 この一橋家には幕府から派遣されている幕府軍の小隊がわずかばかりあった。この男は、その小隊に所属している男だった。

「それはどういう意味ですか?我々が外国の軍に勝てないとでも言うんですか?幕府軍は大坂に数万人もいるんでしょ?」
「数でいくさに勝てるんなら、清国がイギリスにあれほどボロ負けするわけがないだろ」
「しかし薩摩や長州でさえ、イギリス相手にそこそこ戦ったじゃないですか。数万もいる幕府軍が負けるわけにはいかないでしょう」
「その数万の幕府軍は長州を叩くために来てるんだ。四ヶ国と戦って消耗してしまっては、長州を叩くことができなくなるじゃないか」
「バカな!同じ日本人同士で戦うぐらいなら、夷狄と戦ったほうが良いに決まってるじゃないか!夷狄は京へ攻めのぼって来るのだ。我々が京を守る意志をハッキリと示せば、すべての日本人が我々幕府の味方をするはずだ。そうなれば、長州だって幕府に反抗するのをやめるだろう」

「……なるほど、随分と勇ましいお説だが、おそらく君のご主君はそれほど勇ましくはないだろうよ。幕臣は一橋公を嫌っている者が多い。この前、朝廷と一緒になって二人のご老中を罷免ひめんし、公方様くぼうさまを苦境に立たせたと多くの幕臣が恨んでいるからだ。だけど私は、そうは思わない。一橋公は外国とのいくさを避け、幕府と朝廷のためを思って懸命に働いている。戦をして、女子供を戦火に巻き込もうとしている君の希望は、おそらくかなうまいよ」

「誰が好き好んで女子供を戦火に巻き込むものか。攻めて来るのは夷狄である西洋人なのだ。女子供を戦火に巻き込むのは奴らだ。鹿児島での砲撃を見れば分かるだろう。今、奴らに痛い目を見せておかないと、奴らは必ず将来、我が国の女子供をもっと激しい戦火に巻き込むことになるだろう」
 男は特に反論もせず、そのまま去って行った。



 ところが寅之助の期待に反して、と言うべきか、寅之助の主君である慶喜はこの時、御所(小御所こごしょ)で大活躍をしていた。
 慶喜は朝廷から条約勅許を引き出すため、みいる公家たちに熱弁をふるっていたのである。
「四ヶ国の軍隊と無謀に戦っても打ち破るのは難しく、かりに一時いっときは勝利を得たとしても、そのあと万国の兵が日本へ押し寄せてくることでしょう。万民が塗炭とたんの苦しみを受けることは何としてでも避けねばなりません。横浜、長崎、箱館はこだての勅許さえ下されればいくさは避けられるのです」

 しかし慶喜がどれほど熱弁をふるおうとも、薩摩藩の妨害などもあって朝廷はなかなか条約勅許を下そうとはしなかった。
 それに対し慶喜は、在京諸藩の代表者三十余名を御所に呼んで条約勅許に賛成する意見を述べさせた。反対したのは薩摩藩と備前藩だけだった。
 これで勢いを得た慶喜は
「ここまで申し上げても勅許を頂けないのであれば、拙者はこの場で切腹いたします。我が一命は惜しむところにあらず。されど、そのあと我が家臣が何をしでかすか分かりませんぞ。そのお覚悟があれば存分になされよ」
 と最後の手段を使って、とうとう朝廷から条約勅許を獲得するのに成功した。
 会議を始めてから二十四時間以上が過ぎており、慶喜は徹夜の会議を制して勝利したのだった。

 兵庫開港の問題は先送りになったものの、パークスたち四ヶ国の代表は条約勅許の獲得にとりあえずは満足し、十月九日、大坂湾から退去していった。

 慶喜の大活躍によって、大坂湾から外国艦隊を退去させたのである。
 慶喜は摂海防禦指揮の責任を見事に果たしたのだった。


 ちなみにこの事件の陰で、幕府や慶喜に対して様々な陰謀をしかけていた薩摩の大久保一蔵は、慶喜の大活躍を見て
「一橋は譎詐けっさ(人をいつわりあざむくこと)無限」
 と評価している。しかしまあ、大久保という稀代きだいの陰謀家から「譎詐けっさ無限」と評価されるのは、慶喜にとっては良い迷惑だったであろう。「お前に言われたくないわ」と。

 余談ながら、この四ヶ国艦隊の大坂湾襲来については二つの「陰謀説」が唱えられている。
 一つは「幕府を苦しめるために薩摩がイギリス(パークス)と仕組んだ陰謀」という説。
 もう一つは「朝廷へ圧力を加えるために老中の阿部が外国人と仕組んだ陰謀」という説。
 どちらの説にもそれなりの根拠はあるので一概に否定することはできないが、筆者の個人的な考えでは「パークスがやりたいと思ったから勝手にやっただけの事なのではなかろうか?」と思う。

 ともかくも、東の天狗党が消え、西の長州も消滅寸前、そのうえ条約勅許が下りた今となっては“攘夷”はほとんど消滅したも同然だった。
 なにしろ攘夷の発信源であった朝廷が、そして孝明天皇が外国との条約を承認したのである。
 世の中のほとんどの人間が「もう攘夷は終わった」と思った。



 一橋邸内では寅之助と篤太夫が今回の事件について語り合っていた。
「篤太夫さん。一体、攘夷とは何だったんでしょうね。清河さんや真田さん、それに天狗党の人たちの死は、まったくの無駄死にだったのでしょうか……?」
「今の私にはそれに答えるすべがありません。もちろん、彼らの死が無駄死にだとは思いたくない。だが、我がご主君が活躍されたことで民が戦火から救われたのも事実です。これを喜ばずして何としますか」
「確かにその通りですが……。これで長州の征伐が終われば攘夷も完全に消え去り、幕府も安泰という訳ですか……」
「今回の件で多少先送りになりましたが、いずれ十数万の征長軍が長州へ攻め込みます。そうなれば、おそらく長州は完全に粉砕されるでしょう」
「我が君公のためには、それが最善の結果ではありましょうが……」
「今回の件でも幕府や老中はまったくの役立たずでした。我がご主君こそが幕府を、いや日本を正しい道へと導くことができるのです。幕府のためではなく、我がご主君のためと思えば、長州征伐がどういう結果となるにせよ、我々は一途いちずにご奉公すれば良いのです。ただ、今回の件でも薩摩が陰でいろいろと動いていたようですから、幕府がこれで安泰となったかどうか、まだまだ予断を許さない状況でしょう」

(薩摩か……。そういえば、五代さんや松木さんは今頃どうしているだろう……?)

 その五代と松木がこの頃、ヨーロッパで健次郎と会っていようとは、寅之助には想像すら出来なかった。
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初音
歴史・時代
新選組内外の諜報活動を行う諸士調役兼監察。その頭をつとめるのは、隊内唯一の女隊士だった。 義弟の近藤勇らと上洛して早2年。主人公・さくらの活躍はまだまだ続く……! 『浅葱色の桜』https://www.alphapolis.co.jp/novel/32482980/787215527 の続編となりますが、前作を読んでいなくても大丈夫な作りにはしています。前作未読の方もぜひ。 ※時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦組みを推奨しています。行間を詰めてありますので横組みだと読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。 ※あくまでフィクションです。実際の人物、事件には関係ありません。

湖水のかなた

優木悠
歴史・時代
6/7完結しました。 新選組を脱走した川井信十郎。傷ついた彼は、心を失った少女おゆいに助けられる。そして始まる彼と彼女の逃避行。 信十郎を追う藤堂平助。襲い来る刺客たち。 ふたりの道ゆきの果てに、安息は訪れるのか。 琵琶湖岸を舞台に繰り広げられる、男と幼女の逃亡劇。

幕末任侠伝 甲斐の黒駒勝蔵

海野 次朗
歴史・時代
三作目です。今回は甲州・山梨県のお話です。 前の二作『伊藤とサトウ』と『北武の寅』では幕末外交の物語を書きましたが、今回は趣向を変えて幕末の博徒たちの物語を書きました。 主人公は甲州を代表する幕末博徒「黒駒の勝蔵」です。 むろん勝蔵のライバル「清水の次郎長」も出ます。序盤には江川英龍や坂本龍馬も登場。 そして後半には新選組の伊東甲子太郎が作った御陵衛士、さらに相楽総三たち赤報隊も登場します。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます) 参考史料は主要なものだけ、ここにあげておきます。それ以外の細かな参考資料は最終回のあと、巻末に掲載する予定です。 『黒駒勝蔵』(新人物往来社、加川英一)、『博徒の幕末維新』(ちくま新書、高橋敏)、『清水次郎長 幕末維新と博徒の世界』(岩波新書、高橋敏)、『清水次郎長と明治維新』(新人物往来社、田口英爾)、『万延水滸伝』(毎日新聞社、今川徳三)、『新・日本侠客100選』(秋田書店、今川徳三)、『江戸やくざ研究』(雄山閣、田村栄太郎)、『江川坦庵』(吉川弘文館、仲田正之)、『新選組高台寺党』(新人物往来社、市居浩一)、『偽勅使事件』(青弓社、藤野順)、『相楽総三とその同志』(講談社文庫、長谷川伸)、『江戸時代 人づくり風土記 19巻 山梨』(農山漁村文化協会)、『明治維新草莽運動史』(勁草書房、高木俊輔)、『結城昌治作品集』より『斬に処す』(朝日新聞社、結城昌治)、『子母沢寛全集』より『駿河遊侠伝』『富岳二景』(講談社、子母沢寛)など。

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