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第四章・浪士組、京へ
第10話 尽忠報国、浪士組
しおりを挟む文久三年(1863年)の年が明けた。
時代は相変わらず「攘夷」一色である。
とりわけ前年夏に攘夷を実行した(外国人を斬った)生麦事件が火に油を注ぐかたちとなり、攘夷の勢いは今まさに最盛期を迎えようとしていた。
京都では相変わらず佐幕派を狙った“天誅”と称する暗殺事件が横行しており、江戸でも昨年十二月には「廃帝を企てた」と噂された国学者塙次郎が暗殺され、開国派の横井小楠も自藩の肥後勤王党員によって襲撃された。そして品川御殿山のイギリス公使館が長州藩の高杉たち御楯組によって焼き討ちされた。
このように京都と江戸では、攘夷の炎が盛んに燃えあがっていたのである。
この尊王攘夷の勢いに幕府が抗せるはずもなかった。昨年の十一月、幕府は江戸城で勅使の三条実美、姉小路公知に対して「破約攘夷」を約束した。
破約攘夷とは「諸外国と結んだ通商条約を一旦破棄して締結交渉をやり直す」ということである。しかしこのような一方的な主張を諸外国が認めるはずもなく、諸外国が戦争を仕かけてくる恐れもある。破約攘夷の約束は幕府にとって、まさに苦渋の決断であった。かつては老中の安藤信正が尊王攘夷に押し切られないよう懸命に踏みとどまっていたものだが、もはや何の歯止めも無くなってしまったのだった。
そしてこの文久三年の三月、将軍徳川家茂が上洛して、孝明天皇の目の前で攘夷を誓うことになったのである。ちなみに、このように天皇の勅命によって攘夷を推し進めることを「奉勅攘夷」とも言う。
この将軍上洛を利用して「回天」の偉業を成し遂げようと、あの清河八郎が密謀を引っさげて、この頃江戸へ戻って来ていた。
清河は人を斬ってお尋ね者になって以降、北は東北、南は九州へと諸国を巡り歩いた。その間、同じ尊王攘夷の志士たちと各地で知り合い、同志となった。
そして清河は彼らと謀って京都で挙兵する計画を立てた。昨年、薩摩の島津久光が約一千の兵を率いて上洛した際(ちなみにこの数ヶ月後、生麦で“異人斬り”をやったのもこの軍勢である)それに呼応して京都で挙兵しようと企てたのである。
ところが当の久光には挙兵する気など微塵もなく、むしろ逆にその挙兵計画を断念させるよう部下に命じ、伏見の寺田屋に集まっていた自藩の尊王攘夷派を粛正した。この「寺田屋事件」によって京都での挙兵計画は消滅し、清河の同志だった田中河内介は薩摩藩によって謀殺された。ただし清河は、たまたまその事件の前に一味から離脱していたため、難を逃れた。
だが清河はこの失敗にくじけることなく、そのあと江戸へ戻って親友の山岡鉄太郎と共同して「浪士組」の創設を幕府に献策した。昨年暮れのことである。
清河自身はまだお尋ね者の身だったので幕臣である山岡を通じて幕府に献策したところ、意外にもこの浪士組の案が受けいれられた。そして年明けから浪士の募集に取りかかることになり、その頃には清河の罪も赦免され、この浪士組の監督者として抜擢された。
この清河が発案した浪士組とは一体いかなるものか?
前述のように、このころ攘夷の熱が最高潮に達しており、巷にはその勢いに乗じて乱暴なふるまいをする浪士たちがあふれていた。幕府としては、そういった浪士たちの扱いに苦慮していた。
そこで清河は提案した。
「いっそ浪士たちをひとまとめに集めて、幕府が雇って管理すれば良い。そして彼らを使って同じ浪士たちを取り締まる。もしくは海防用の兵力とする。またあるいは、将軍上洛の際の警護に充てれば良い」
清河の提案は、概略、こんなところだった。
浪士を集めるにあたって山岡鉄太郎が付けた条件は
「尽忠報国の志があり、公正無二、身体強健、気力壮厳であれば身分、年齢を問わず」
といったものだった。
かくて、幕府による浪士の募集が始まった。そして山岡はさっそく千葉道場へやって来た。言うまでもなく山岡は、清河と同じくかつて千葉道場に通っていた人間である。
「吉田君」
山岡は、打ち込み稽古の最中だった寅之助に声をかけ、手元に呼び寄せた。
「相変わらず元気でやっているようだな、吉田君」
「これは山岡先生。ご無沙汰しております」
「根岸先生も、変わらずご健勝かな?」
「だと思いますけど。いつも『幕府による攘夷実行はまだか、まだか』とせっついてますから。もし幕府が立てば、いつでも甲山から飛んで来るんじゃないですか」
「それは良かった。実は清河さんが浪士組を結成するよう幕閣に献策していたのだが、それがこのたび採用されることになった。今度の上様の上洛に備えてのものだ」
「浪士組!?」
そして山岡は寅之助に書状を渡した。
「これは清河さんが書いた根岸先生宛の書状だ。我々は根岸先生が一門を率いて参加してくれることを心から望んでいる。もちろん、君の参加もだ。お手数だが、この書状を根岸先生へ届けてくれたまえ」
「……承知いたしました」
と冷静に答えつつも、寅之助の胸中は激しく興奮していた。
(とうとう来たか!俺が武士として世に出る機会がやっと来たか!)
寅之助はその書状を懐に抱いて、喜び勇んで甲山へ向かった。
甲山の根岸邸に着くと寅之助は、むかし子どもの頃に稽古していた道場(振武所)に足を運んでみた。そこでは今、村の子どもたちが元気に稽古をしていた。
かつては自分もここでこの子どもたちのように稽古をしていたものだが、今、自分はようやく浪士組に参加して武士への第一歩を踏み出そうとしている。そう思うと感慨深いものがあった。
そう、物思いにふけっていた寅之助に声をかけてくる男がいた。
「おや?寅之助じゃないか。久しぶりだな」
その男は清水五一という男だった。清水卯三郎の弟である。ということは、すなわち卯三郎と同じく寅之助の親戚であり、友山の甥でもある。年齢は寅之助より七歳年上だった。今は実家の家業を手伝うかたわら、たまに根岸家の振武所に足を運んで剣術の修行に励んでいた。
「あっ、五一さん、お久しぶりです。お元気そうで何より。それはそうと、友山先生はいつもの座敷におられますか?」
「ああ、おられるよ。ところで、何かあったのか?嬉しそうな顔をして」
「実は……」
と寅之助は五一に浪士組のことを語った。すると五一も目の色を変えた。そして「すぐに友山先生のところへ行って話を聞こう」と言って、二人して友山のいる座敷へ向かった。
友山は、寅之助から受け取った書状に目を通すと、目をつむって沈思黙考した。
我慢できず、五一が口を開いた。
「先生。どうされるおつもりなんですか?」
「お前たちはどう思うか?」
「それはやはり、参加すべきでしょう。先生が参加されるのなら、私も喜んでお供いたします」
と五一が答えた。
五一はもう、いい歳である。家業を継ぐあてのない五一としては、とにかくこの浪士組に参加して武士への足がかりとしたい。年齢が高い分、その思いは寅之助以上に切実だった。
「寅之助はどう思う?」
と友山が問いかけた。
寅之助としても気持ちは五一と同じである。けれども寅之助は尊王攘夷の志士でもあり、五一ほど単純ではない。この清河の案に問題があることをすでに薄々感じていた。
「一つ問題があります。この浪士組は幕府の支配下におかれますので、尊攘派、特に長州の勢力とぶつかってしまうということです。長州の方々と親しい先生がこの浪士組に参加すると、後々長州とあつれきを生じてしまうかも知れません」
「さあ、そこだ」
と友山が答えた。
「しかしそれは清河とて同じこと。なぜ幕府に批判的な清河がこのような策に出たのか?ワシが考えるにおそらく清河は……。まあ、今はその詮索はよそう。清河の真意はともかく、ワシはこの浪士組に参加しようと思う」
この友山の決心を聞いて、二人の顔はほころんだ。
そして友山は二人に決意のほどを述べた。
「先の事は分からん。実際この目で京の様子を見て、先の事はそれから判断すれば良い。とにかく、今は起つことだ。ワシは集められるだけの手勢を率いて、この浪士組に参加する」
このあと友山は振武所の門人、さらにかつて甲源一刀流を習った際に通った道場の門人などを勧誘して、総計三十名の剣士を集めた。むろん、この中には寅之助と五一も含まれている。
また、清河の親友である池田徳太郎が、同じく知友である根岸友山の邸宅を足がかりにして北武蔵を含む北関東一帯で募集したところ、全体で三百名を超す浪士が集まることになった。
ちなみに幕府が想定していた人数はおよそ五十名で、一人当たりの給金は五十両の予定だった。
それらの浪士たちが二月四日、小石川伝通院の処静院に隣接する大信寮に参集した。そしてここで、それぞれの幹部たちの役職を決め、各組の編成がおこなわれることになった。組の編成は一番組から七番組まであり、それぞれの組に一隊十人の隊が三つあったので、一組に大体三十人を配置するかたちになった。
寅之助や五一が所属する一番組はほぼ丸々根岸友山の門下生三十名で、これは「根岸隊」と呼ばれた。
その根岸隊のうち、江戸在住の寅之助以外の隊員はこの数日前、北武蔵から江戸へ出て来ていた。そしてこの日、寅之助も合流してこの大信寮に集まった。
「それにしても、何とも柄の悪そうな連中ばかり集まったもんだねえ、五一さん」
「こういった手合いのほうが実際の修羅場では役に立つのさ。それに寅之助。お前だって周りから見れば“柄の悪い剣客”として見られていると思うぜ」
「ハハハ。よしとくれよ、五一さん。俺はそこまで柄は悪くないでしょ」
寅之助と五一はこんな風に浪士たちを品評し合った。まったく柄の悪い浪士ばかり集まったもので、中には祐天仙之助という博徒が、子分を引き連れて加わっていたりもした。
中でも人相の悪い連中が集中しているのが三番組で、その人相の悪い一団の中から例外的に温和な表情をした、やや色白の男が一人抜け出てきて寅之助のところまでやってきた。
「君は確か、吉田寅之助君ではないか?」
「……?」
「ほら、私だよ。山南敬助だよ。憶えてないか?」
「ああっ!山南さんですか。お懐かしい!」
のちの新選組総長、山南敬助である。彼はその昔、千葉道場で修業していたことがあり、寅之助もその頃、山南の面識を得ていた。
「まさか吉田君も浪士組に参加していたとはね。そういえば、真田範之助君は参加していないのかね?」
「真田さんはあいにく武者修行の旅に出ていて、今回は参加できませんでした」
「そうか。真田君や君と千葉道場で修業していた頃が懐かしいよ」
「ところで山南さんは今回、どちらの道場の一員として参加されたのですか?」
「実は市谷の試衛館という……」
と山南が話しかけたところで、別の男が話に割って入ってきた。その男、人相は悪いが、顔の作り自体はなかなかの二枚目である。
「山南さんの知り合いですか?」
「ああ、土方君。こちらは千葉道場の吉田君といって私の昔なじみだ」
「ほーう。千葉道場ね。それはまた名門中の名門だ。それで、この浪士組でも堂々と一番組におさまってるってわけだ。確かに、こんなカワイイ顔したお坊ちゃんには、それがお似合いかもしれねえな」
「何ですか?あなたは」
と寅之助が問いただすと、土方はさらにたたみかけるように言った。
「実際にケンカをすれば俺がお前のようなお坊ちゃんに負けるわけがねえ。それなのに俺は三番組で、お前が一番組にいるのが気に入らねえって言ってるのよ!」
「無礼な!」
寅之助は怒り心頭に発して、思わず刀の柄に手をかけた。
山南はとっさに二人の間に割って入って、二人を分けようとした。
ところがそのすぐ近くにいた一人の青年が、さらに土方をけしかけた。その男は寅之助と同じくらいの年齢と思われ、色黒でヒラメのような顔をしていた。そしてやはり、人相は悪い。
「山南さん。無粋なことはやめて、土方さんとその男に勝負させてあげましょうよ。北辰一刀流が真剣でどれぐらい使えるのか、ボクも見てみたいな」
「沖田君。こんなくだらないことで、浪士組の内輪もめを煽るのはやめてくれ」
やがてこの騒動の周りに人が集まりはじめ、だんだん騒ぎが大きくなった。
そして一人の巨漢が、大きな鉄扇を振り回しながら寅之助たちの間に割って入り、ケンカを止めた。人相の悪さではこの男が極めつけといったところである。「泣く子も黙る」とは、この男の人相を指して言うべきものであろう。
「邪魔だ、邪魔だ、小僧ども。くだらねえケンカなんかさっさとやめちまえ!」
このケンカを止めた男は芹沢鴨である。この男に言われたのでは、土方としても引き下がらざるを得ない。
それにしても自分の名前に「鴨」などと付けるというのは一体どういう神経なのであろうか。むろん親が付けた名前ではなく、長じてから自分で付けた名前だが、鶴とか鷹ならともかく、なぜ鴨なのか?鴨だとなんだか、罠にハメられるか、獲物として殺されそうで縁起が悪い、と普通は連想するだろう。
寅之助のもとから土方が離れていったのと入れ替わるようにして、今度はこの芹沢鴨が寅之助にからんできた。
「だけど実は俺も気に入らねえと思ってたんだ。なんであのジジイが一番組で、俺たちが三番組なんだ。おい小僧。お前、あのジジイに『俺と代われ』と言ってこい」
寅之助は「またか」と思った。
(どうしてこの浪士組には、こうもロクでもない連中ばかりが集まったんだ!)
と叫びたい気持ちだった。そして芹沢に苦言を述べた。
「どうしてあなたたちは自分のことばかり考えるんですか。あなたのその鉄扇に書いてあるように、我々は尽忠報国のために集まったのではないのですか?」
芹沢は手に持っていた瓢箪酒をガブガブとあおって、それから寅之助に言った。
「おい小僧。だったらお前、今すぐ横浜へ行け。そんでもって、一人で斬り込んで斬り死にしてこい」
「……」
「まったく、青臭い顔をした小僧が偉そうに。お前の顔は、戦をしたことも、人を斬ったこともない顔だ。俺は、そのどちらもやった。だから、ここでお前を斬り殺すのは朝飯前だ。殺されたくなかったら、さっさとジジイのところへ行って『俺と代われ』と言ってこい」
寅之助は意を決して言った。
「お断りします。私も『千葉道場に、その人あり』と言われた吉田寅之助です。夷狄ではなくて、同じ日本人のあなたを斬るのは不本意ですが、そこまでおっしゃるのなら相手になりましょう。ただし、私もただでは斬られませんよ」
そして、寅之助は刀の柄に手をかけた。
芹沢は、瓢箪酒を投げ捨てて刀を抜こうとした。その刹那、一人の男が芹沢を止めた。
「おやめください。芹沢先生」
あごの大きい、そしてこれもやはり、とんでもなく恐ろしい人相をした男だった。まるで鬼瓦を生き写しにしたような顔だ。
近藤勇である。
「まもなく大信寮で幹部たちの会議が始まります。芹沢先生もそろそろ中へお入りください」
芹沢は寅之助をにらみつけて
「小僧、命拾いしたな。この近藤勇君に感謝するんだな」
と言い残して、近藤と一緒に建物の中へ入っていった。
(近藤勇……)
確かに寅之助は近藤によって危機を救われたが、あの瞬間、近藤が発していた殺気も、芹沢の殺気に劣らぬほど凄まじいものがあった、と寅之助は感じていた。
寅之助は黙って近藤の後ろ姿を見送った。
このあと、こういった浪士たちの暴れぶりを見た浪士組頭取の松平上総介は、高位の身分であるだけにこのような下賤な無頼漢たちと接するのを嫌い、そのうえ想定の人数を超える浪士たちが集まって資金不足になったこともあって、突然職を辞任した。
結局、松平上総介の補佐役だった鵜殿鳩翁がその後釜に就いた。
そして清河は監督者的な立場ではあるものの特別な役職には就かず、陰から浪士組を指揮することになった。
浪士組は総勢235名と決定。出発はこの四日後である。
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