上 下
10 / 41
第四章・浪士組、京へ

第10話 尽忠報国、浪士組

しおりを挟む

 文久三年(1863年)の年が明けた。
 時代は相変わらず「攘夷」一色である。
 とりわけ前年夏に攘夷を実行した(外国人を斬った)生麦事件が火に油を注ぐかたちとなり、攘夷の勢いは今まさに最盛期を迎えようとしていた。
 京都では相変わらず佐幕派を狙った“天誅”と称する暗殺事件が横行しており、江戸でも昨年十二月には「廃帝をくわだてた」と噂された国学者はなわ次郎が暗殺され、開国派の横井小楠しょうなんも自藩の肥後勤王党員によって襲撃された。そして品川御殿山のイギリス公使館が長州藩の高杉たち御楯組みたてぐみによって焼き討ちされた。
 このように京都と江戸では、攘夷の炎が盛んに燃えあがっていたのである。

 この尊王攘夷の勢いに幕府が抗せるはずもなかった。昨年の十一月、幕府は江戸城で勅使の三条実美さねとみ姉小路あねがこうじ公知きんともに対して「破約はやく攘夷じょうい」を約束した。
 破約攘夷とは「諸外国と結んだ通商条約を一旦破棄して締結交渉をやり直す」ということである。しかしこのような一方的な主張を諸外国が認めるはずもなく、諸外国が戦争を仕かけてくる恐れもある。破約攘夷の約束は幕府にとって、まさに苦渋の決断であった。かつては老中の安藤信正のぶまさが尊王攘夷に押し切られないよう懸命に踏みとどまっていたものだが、もはや何の歯止めも無くなってしまったのだった。

 そしてこの文久三年の三月、将軍徳川家茂が上洛して、孝明天皇の目の前で攘夷を誓うことになったのである。ちなみに、このように天皇の勅命によって攘夷を推し進めることを「奉勅ほうちょく攘夷じょうい」とも言う。



 この将軍上洛を利用して「回天」の偉業を成し遂げようと、あの清河八郎が密謀を引っさげて、この頃江戸へ戻って来ていた。

 清河は人を斬ってお尋ね者になって以降、北は東北、南は九州へと諸国を巡り歩いた。その間、同じ尊王攘夷の志士たちと各地で知り合い、同志となった。
 そして清河は彼らとはかって京都で挙兵する計画を立てた。昨年、薩摩の島津久光が約一千の兵を率いて上洛した際(ちなみにこの数ヶ月後、生麦で“異人斬り”をやったのもこの軍勢である)それに呼応して京都で挙兵しようと企てたのである。
 ところが当の久光には挙兵する気など微塵みじんもなく、むしろ逆にその挙兵計画を断念させるよう部下に命じ、伏見の寺田屋に集まっていた自藩の尊王攘夷派を粛正した。この「寺田屋事件」によって京都での挙兵計画は消滅し、清河の同志だった田中河内介かわちのすけは薩摩藩によって謀殺された。ただし清河は、たまたまその事件の前に一味から離脱していたため、難を逃れた。

 だが清河はこの失敗にくじけることなく、そのあと江戸へ戻って親友の山岡鉄太郎と共同して「浪士組ろうしぐみ」の創設を幕府に献策した。昨年暮れのことである。

 清河自身はまだお尋ね者の身だったので幕臣である山岡を通じて幕府に献策したところ、意外にもこの浪士組の案が受けいれられた。そして年明けから浪士の募集に取りかかることになり、その頃には清河の罪も赦免しゃめんされ、この浪士組の監督者として抜擢ばってきされた。

 この清河が発案した浪士組とは一体いかなるものか?

 前述のように、このころ攘夷の熱が最高潮に達しており、ちまたにはその勢いに乗じて乱暴なふるまいをする浪士たちがあふれていた。幕府としては、そういった浪士たちの扱いに苦慮していた。
 そこで清河は提案した。
「いっそ浪士たちをひとまとめに集めて、幕府が雇って管理すれば良い。そして彼らを使って同じ浪士たちを取り締まる。もしくは海防用の兵力とする。またあるいは、将軍上洛の際の警護にてれば良い」
 清河の提案は、概略、こんなところだった。

 浪士を集めるにあたって山岡鉄太郎が付けた条件は
尽忠じんちゅう報国ほうこくの志があり、公正無二、身体強健、気力壮厳であれば身分、年齢を問わず」
 といったものだった。



 かくて、幕府による浪士の募集が始まった。そして山岡はさっそく千葉道場へやって来た。言うまでもなく山岡は、清河と同じくかつて千葉道場に通っていた人間である。

「吉田君」
 山岡は、打ち込み稽古の最中だった寅之助に声をかけ、手元に呼び寄せた。
「相変わらず元気でやっているようだな、吉田君」
「これは山岡先生。ご無沙汰しております」
「根岸先生も、変わらずご健勝けんしょうかな?」
「だと思いますけど。いつも『幕府による攘夷実行はまだか、まだか』とせっついてますから。もし幕府が立てば、いつでも甲山かぶとやまから飛んで来るんじゃないですか」
「それは良かった。実は清河さんが浪士組を結成するよう幕閣に献策していたのだが、それがこのたび採用されることになった。今度の上様の上洛に備えてのものだ」
「浪士組!?」
 そして山岡は寅之助に書状を渡した。
「これは清河さんが書いた根岸先生宛の書状だ。我々は根岸先生が一門を率いて参加してくれることを心から望んでいる。もちろん、君の参加もだ。お手数だが、この書状を根岸先生へ届けてくれたまえ」
「……承知いたしました」
 と冷静に答えつつも、寅之助の胸中は激しく興奮していた。
(とうとう来たか!俺が武士として世に出る機会がやっと来たか!)
 寅之助はその書状をふところに抱いて、喜び勇んで甲山へ向かった。



 甲山の根岸邸に着くと寅之助は、むかし子どもの頃に稽古していた道場(振武所しんぶしょ)に足を運んでみた。そこでは今、村の子どもたちが元気に稽古をしていた。
 かつては自分もここでこの子どもたちのように稽古をしていたものだが、今、自分はようやく浪士組に参加して武士への第一歩を踏み出そうとしている。そう思うと感慨深いものがあった。
 そう、物思いにふけっていた寅之助に声をかけてくる男がいた。
「おや?寅之助じゃないか。久しぶりだな」
 その男は清水五一ごいちという男だった。清水卯三郎の弟である。ということは、すなわち卯三郎と同じく寅之助の親戚であり、友山の甥でもある。年齢は寅之助より七歳年上だった。今は実家の家業を手伝うかたわら、たまに根岸家の振武所に足を運んで剣術の修行に励んでいた。
「あっ、五一さん、お久しぶりです。お元気そうで何より。それはそうと、友山先生はいつもの座敷におられますか?」
「ああ、おられるよ。ところで、何かあったのか?嬉しそうな顔をして」
「実は……」
 と寅之助は五一に浪士組のことを語った。すると五一も目の色を変えた。そして「すぐに友山先生のところへ行って話を聞こう」と言って、二人して友山のいる座敷へ向かった。

 友山は、寅之助から受け取った書状に目を通すと、目をつむって沈思ちんし黙考もっこうした。
 我慢できず、五一が口を開いた。
「先生。どうされるおつもりなんですか?」
「お前たちはどう思うか?」
「それはやはり、参加すべきでしょう。先生が参加されるのなら、私も喜んでお供いたします」
 と五一が答えた。
 五一はもう、いい歳である。家業を継ぐあてのない五一としては、とにかくこの浪士組に参加して武士への足がかりとしたい。年齢が高い分、その思いは寅之助以上に切実だった。
「寅之助はどう思う?」
 と友山が問いかけた。

 寅之助としても気持ちは五一と同じである。けれども寅之助は尊王攘夷の志士でもあり、五一ほど単純ではない。この清河の案に問題があることをすでに薄々感じていた。
「一つ問題があります。この浪士組は幕府の支配下におかれますので、尊攘派、特に長州の勢力とぶつかってしまうということです。長州の方々と親しい先生がこの浪士組に参加すると、後々長州とあつれきを生じてしまうかも知れません」

「さあ、そこだ」
 と友山が答えた。
「しかしそれは清河とて同じこと。なぜ幕府に批判的な清河がこのような策に出たのか?ワシが考えるにおそらく清河は……。まあ、今はその詮索せんさくはよそう。清河の真意はともかく、ワシはこの浪士組に参加しようと思う」

 この友山の決心を聞いて、二人の顔はほころんだ。

 そして友山は二人に決意のほどを述べた。
「先の事は分からん。実際この目で京の様子を見て、先の事はそれから判断すれば良い。とにかく、今は起つことだ。ワシは集められるだけの手勢を率いて、この浪士組に参加する」

 このあと友山は振武所の門人、さらにかつて甲源こうげん一刀流を習った際に通った道場の門人などを勧誘して、総計三十名の剣士を集めた。むろん、この中には寅之助と五一も含まれている。
 また、清河の親友である池田徳太郎とくたろうが、同じく知友である根岸友山の邸宅を足がかりにして北武蔵を含む北関東一帯で募集したところ、全体で三百名を超す浪士が集まることになった。

 ちなみに幕府が想定していた人数はおよそ五十名で、一人当たりの給金は五十両の予定だった。



 それらの浪士たちが二月四日、小石川伝通院でんづういん処静院しょじょういんに隣接する大信寮だいしんりょうに参集した。そしてここで、それぞれの幹部たちの役職を決め、各組の編成がおこなわれることになった。組の編成は一番組から七番組まであり、それぞれの組に一隊十人の隊が三つあったので、一組に大体三十人を配置するかたちになった。

 寅之助や五一が所属する一番組はほぼ丸々根岸友山の門下生三十名で、これは「根岸隊」と呼ばれた。
 その根岸隊のうち、江戸在住の寅之助以外の隊員はこの数日前、北武蔵から江戸へ出て来ていた。そしてこの日、寅之助も合流してこの大信寮に集まった。

「それにしても、何ともがらの悪そうな連中ばかり集まったもんだねえ、五一さん」
「こういった手合いのほうが実際の修羅場では役に立つのさ。それに寅之助。お前だって周りから見れば“柄の悪い剣客”として見られていると思うぜ」
「ハハハ。よしとくれよ、五一さん。俺はそこまで柄は悪くないでしょ」
 寅之助と五一はこんな風に浪士たちを品評し合った。まったく柄の悪い浪士ばかり集まったもので、中には祐天ゆうてん仙之助せんのすけという博徒ばくとが、子分を引き連れて加わっていたりもした。

 中でも人相の悪い連中が集中しているのが三番組で、その人相の悪い一団の中から例外的に温和な表情をした、やや色白の男が一人抜け出てきて寅之助のところまでやってきた。
「君は確か、吉田寅之助君ではないか?」
「……?」
「ほら、私だよ。山南やまなみ敬助けいすけだよ。憶えてないか?」
「ああっ!山南さんですか。お懐かしい!」
 のちの新選組総長、山南敬助である。彼はその昔、千葉道場で修業していたことがあり、寅之助もその頃、山南の面識を得ていた。
「まさか吉田君も浪士組に参加していたとはね。そういえば、真田範之助はんのすけ君は参加していないのかね?」
「真田さんはあいにく武者修行の旅に出ていて、今回は参加できませんでした」
「そうか。真田君や君と千葉道場で修業していた頃が懐かしいよ」
「ところで山南さんは今回、どちらの道場の一員として参加されたのですか?」
「実は市谷いちがや試衛館しえいかんという……」
 と山南が話しかけたところで、別の男が話に割って入ってきた。その男、人相は悪いが、顔の作り自体はなかなかの二枚目である。
「山南さんの知り合いですか?」
「ああ、土方ひじかた君。こちらは千葉道場の吉田君といって私の昔なじみだ」
「ほーう。千葉道場ね。それはまた名門中の名門だ。それで、この浪士組でも堂々と一番組におさまってるってわけだ。確かに、こんなカワイイ顔したお坊ちゃんには、それがお似合いかもしれねえな」
「何ですか?あなたは」
 と寅之助が問いただすと、土方はさらにたたみかけるように言った。
「実際にケンカをすれば俺がお前のようなお坊ちゃんに負けるわけがねえ。それなのに俺は三番組で、お前が一番組にいるのが気に入らねえって言ってるのよ!」
「無礼な!」
 寅之助は怒り心頭しんとうに発して、思わず刀のつかに手をかけた。
 山南はとっさに二人の間に割って入って、二人を分けようとした。

 ところがそのすぐ近くにいた一人の青年が、さらに土方をけしかけた。その男は寅之助と同じくらいの年齢と思われ、色黒でヒラメのような顔をしていた。そしてやはり、人相は悪い。
「山南さん。無粋なことはやめて、土方さんとその男に勝負させてあげましょうよ。北辰一刀流が真剣でどれぐらい使えるのか、ボクも見てみたいな」
「沖田君。こんなくだらないことで、浪士組の内輪もめを煽るのはやめてくれ」

 やがてこの騒動の周りに人が集まりはじめ、だんだん騒ぎが大きくなった。
 そして一人の巨漢が、大きな鉄扇てっせんを振り回しながら寅之助たちの間に割って入り、ケンカを止めた。人相の悪さではこの男が極めつけといったところである。「泣く子も黙る」とは、この男の人相を指して言うべきものであろう。
「邪魔だ、邪魔だ、小僧ども。くだらねえケンカなんかさっさとやめちまえ!」
 このケンカを止めた男は芹沢せりざわかもである。この男に言われたのでは、土方としても引き下がらざるを得ない。
 それにしても自分の名前に「鴨」などと付けるというのは一体どういう神経なのであろうか。むろん親が付けた名前ではなく、ちょうじてから自分で付けた名前だが、鶴とか鷹ならともかく、なぜ鴨なのか?鴨だとなんだか、罠にハメられるか、獲物として殺されそうで縁起が悪い、と普通は連想するだろう。

 寅之助のもとから土方が離れていったのと入れ替わるようにして、今度はこの芹沢鴨が寅之助にからんできた。
「だけど実は俺も気に入らねえと思ってたんだ。なんであのジジイが一番組で、俺たちが三番組なんだ。おい小僧。お前、あのジジイに『俺と代われ』と言ってこい」

 寅之助は「またか」と思った。
(どうしてこの浪士組には、こうもロクでもない連中ばかりが集まったんだ!)
 と叫びたい気持ちだった。そして芹沢に苦言を述べた。
「どうしてあなたたちは自分のことばかり考えるんですか。あなたのその鉄扇に書いてあるように、我々は尽忠報国のために集まったのではないのですか?」
 芹沢は手に持っていた瓢箪ひょうたん酒をガブガブとあおって、それから寅之助に言った。
「おい小僧。だったらお前、今すぐ横浜へ行け。そんでもって、一人で斬り込んで斬り死にしてこい」
「……」
「まったく、青臭い顔をした小僧が偉そうに。お前の顔は、いくさをしたことも、人を斬ったこともない顔だ。俺は、そのどちらもやった。だから、ここでお前を斬り殺すのは朝飯前だ。殺されたくなかったら、さっさとジジイのところへ行って『俺と代われ』と言ってこい」
 寅之助は意を決して言った。
「お断りします。私も『千葉道場に、その人あり』と言われた吉田寅之助です。夷狄いてきではなくて、同じ日本人のあなたを斬るのは不本意ですが、そこまでおっしゃるのなら相手になりましょう。ただし、私もただでは斬られませんよ」
 そして、寅之助は刀の柄に手をかけた。

 芹沢は、瓢箪酒を投げ捨てて刀を抜こうとした。その刹那せつな、一人の男が芹沢を止めた。
「おやめください。芹沢先生」
 あごの大きい、そしてこれもやはり、とんでもなく恐ろしい人相をした男だった。まるで鬼瓦を生き写しにしたような顔だ。
 近藤勇である。
「まもなく大信寮で幹部たちの会議が始まります。芹沢先生もそろそろ中へお入りください」

 芹沢は寅之助をにらみつけて
「小僧、命拾いしたな。この近藤勇君に感謝するんだな」
 と言い残して、近藤と一緒に建物の中へ入っていった。

(近藤勇……)
 確かに寅之助は近藤によって危機を救われたが、あの瞬間、近藤が発していた殺気も、芹沢の殺気に劣らぬほど凄まじいものがあった、と寅之助は感じていた。
 寅之助は黙って近藤の後ろ姿を見送った。



 このあと、こういった浪士たちの暴れぶりを見た浪士組頭取の松平上総介かずさのすけは、高位の身分であるだけにこのような下賤げせん無頼漢ぶらいかんたちと接するのを嫌い、そのうえ想定の人数を超える浪士たちが集まって資金不足になったこともあって、突然職を辞任した。

 結局、松平上総介の補佐役だった鵜殿うどの鳩翁きゅうおうがその後釜あとがまいた。
 そして清河は監督者的な立場ではあるものの特別な役職には就かず、陰から浪士組を指揮することになった。
 浪士組は総勢235名と決定。出発はこの四日後である。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる
歴史・時代
新選組隊士・斎藤一の生涯を、自分なりにもぐもぐ咀嚼して書きたかったお話。 ※史実を基にしたフィクションです。実在の人物、団体、事件とは関わりありません。 ※敢えて時代考証を無視しているところが多数あります。 ※歴史小説、ではなく、オリジナルキャラを交えた歴史キャラ文芸小説です。  筆者の商業デビュー前に自サイトで連載していた同人作です。  色々思うところはありますが、今読み返しても普通に自分が好きだな、と思ったのでちまちま移行・連載していきます。  現在は1週間ごとくらいで更新していけたらと思っています(毎週土曜18:50更新)  めちゃくちゃ長い大河小説です。 ※カクヨム・小説家になろうでも連載しています。 ▼参考文献(敬称略/順不同) 『新選組展2022 図録』京都府京都文化博物館・福島県立博物館 『新撰組顛末記』著・永倉新八(新人物往来社) 『新人物往来社編 新選組史料集コンパクト版』(新人物往来社) 『定本 新撰組史録』著・平尾道雄(新人物往来社) 『新選組流山顛末記』著・松下英治(新人物往来社) 『新選組戦場日記 永倉新八「浪士文久報国記事」を読む』著・木村幸比古(PHP研究所) 『新選組日記 永倉新八日記・島田魁日記を読む』著・木村幸比古(PHP研究所) 『新選組全史 天誅VS.志士狩りの幕末』著・木村幸比古(講談社) 『会津戦争全史』著・星亮一(講談社) 『会津落城 戊辰戦争最大の悲劇』著・星亮一(中央公論新社) 『新選組全隊士徹底ガイド』著・前田政記(河出書房新社) 『新選組 敗者の歴史はどう歪められたのか』著・大野敏明(実業之日本社) 『孝明天皇と「一会桑」』著・家近良樹(文藝春秋) 『新訂 会津歴史年表』会津史学会 『幕末維新新選組』新選社 『週刊 真説歴史の道 2010年12/7号 土方歳三 蝦夷共和国への道』小学館 『週刊 真説歴史の道 2010年12/14号 松平容保 会津戦争と下北移封』小学館 『新選組組長 斎藤一』著・菊地明(PHP研究所) 『新選組副長助勤 斎藤一』著・赤間倭子(学習研究社) 『燃えよ剣』著・司馬遼太郎(新潮社) 『壬生義士伝』著・浅田次郎(文藝春秋)

新選組外伝 永倉新八剣術日録

橘りゅうせい
歴史・時代
Web小説で本格時代小説を……。 新選組が結成されるはるか前、永倉、土方、斎藤は、すでに出会っていた。幕末を駆け抜けた男たちの青春が交差する。 永倉新八の前半生の詳細は、ほとんどわかっていない。自身による短い記述のほかは、なにひとつソースが存在しないからだ。その空白部分を、史実をちりばめながら、嘘八百のエンターテイメントで再構成するのがこの物語のテーマである。 歴史の空白部分に、架空の事件を織り交ぜつつ、要所は史実で固めた新しいタイプの時代小説。目指すは『鬼平犯科帳』のような、直球ど真ん中のエンターテイメント時代小説だ。 登場人物、時代背景、事件は、なるべく史実に則して、その他大勢の登場人物にも、なるべく実在の人物を配している。架空の人物についても、時代背景から逸脱しないよう心がけた……つもりだ。 また、一般的には、ないがしろにされ、あまつさえ侮蔑の対象とされている清河八郎、根岸友山といった人物を、きちんと描いてゆけたら。と、考えている。 時代考証、武術考証、地誌については、とくに注意をはらい、府中、立川、日野、八王子、五日市などの郷土資料館、図書館に通いつめ学芸員さんや司書さんには、大変お世話になった。村絵図など、貴重な史料を見せていただいたことに感謝する。八王子の郷土資料館で写させていただいた当時の絵図は、舞台設定の基本資料として、活用させていただいている。 また、なるべく実際に現地に足を運び、登場人物と同じ道を歩いてみた。日野や甲州道中などは数十回通っているが、間違っていることもあるかもしれない……。 もちろん、女子高生がタイムスリップしたり、現代剣道のチャンプが幕末の志士より強かったり、気がついたら転生してたりしないし、新選組隊士のなかに女の子が紛れこんでいるのに誰も気がつかない……などという、ファンタスティックな出来事も起こらない(それを否定するわけでは決してない。どんな物語があってもよいのだ)。 この物語に出てくるのは、我々と同じように、悩み苦しみもがき、それでも自分の信じる未来に、真剣に向き合う男たちである。 以前、エブリスタではじめた話だが、8割方書きあげたところで放置しているうちに、パスワードを失念。ログインできなくなり、そのまま放置するのは惜しいので、現在サルベージしながら(酷い文章に辟易しつつ)推敲作業ならびに、大幅な加筆修正ををすすめている。 なお現在カクヨムでも更新中。

平隊士の日々

china01
歴史・時代
新選組に本当に居た平隊士、松崎静馬が書いただろうな日記で 事実と思われる内容で平隊士の日常を描いています また、多くの平隊士も登場します ただし、局長や副長はほんの少し、井上組長が多いかな

落花流水、掬うは散華―歴史に名を残さなかった新選組隊士は、未来から来た少女だった―

ゆーちゃ
ライト文芸
京都旅行中にタイムスリップしてしまった春。 そこで出会ったのは壬生浪士組、のちの新選組だった。 不思議な力のおかげで命拾いはしたものの、行く当てもなければ所持品もない。 あげく剣術経験もないのに隊士にされ、男装して彼らと生活をともにすることに。 現代にいた頃は全く興味もなかったはずが、実際に目にした新選組を、隊士たちを、その歴史から救いたいと思うようになる。 が、春の新選組に関する知識はあまりにも少なく、極端に片寄っていた。 そして、それらを口にすることは―― それでも。 泣いて笑って時に葛藤しながら、己の誠を信じ激動の幕末を新選組とともに生きていく。  * * * * * タイトルは硬いですが、本文は緩いです。 事件等は出来る限り年表に沿い、史実・通説を元に進めていくつもりですが、ストーリー展開上あえて弱い説を採用していたり、勉強不足、都合のよい解釈等をしている場合があります。 どうぞ、フィクションとしてお楽しみ下さい。 この作品は、小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。 「落花流水、掬うは散華 ―閑話集―」も、よろしくお願い致します。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/807996983/195613464 本編では描ききれなかった何でもない日常を、ほのぼの増し増しで書き綴っています。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

浅葱色の桜 ―堀川通花屋町下ル

初音
歴史・時代
新選組内外の諜報活動を行う諸士調役兼監察。その頭をつとめるのは、隊内唯一の女隊士だった。 義弟の近藤勇らと上洛して早2年。主人公・さくらの活躍はまだまだ続く……! 『浅葱色の桜』https://www.alphapolis.co.jp/novel/32482980/787215527 の続編となりますが、前作を読んでいなくても大丈夫な作りにはしています。前作未読の方もぜひ。 ※時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦組みを推奨しています。行間を詰めてありますので横組みだと読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。 ※あくまでフィクションです。実際の人物、事件には関係ありません。

湖水のかなた

優木悠
歴史・時代
6/7完結しました。 新選組を脱走した川井信十郎。傷ついた彼は、心を失った少女おゆいに助けられる。そして始まる彼と彼女の逃避行。 信十郎を追う藤堂平助。襲い来る刺客たち。 ふたりの道ゆきの果てに、安息は訪れるのか。 琵琶湖岸を舞台に繰り広げられる、男と幼女の逃亡劇。

幕末任侠伝 甲斐の黒駒勝蔵

海野 次朗
歴史・時代
三作目です。今回は甲州・山梨県のお話です。 前の二作『伊藤とサトウ』と『北武の寅』では幕末外交の物語を書きましたが、今回は趣向を変えて幕末の博徒たちの物語を書きました。 主人公は甲州を代表する幕末博徒「黒駒の勝蔵」です。 むろん勝蔵のライバル「清水の次郎長」も出ます。序盤には江川英龍や坂本龍馬も登場。 そして後半には新選組の伊東甲子太郎が作った御陵衛士、さらに相楽総三たち赤報隊も登場します。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます) 参考史料は主要なものだけ、ここにあげておきます。それ以外の細かな参考資料は最終回のあと、巻末に掲載する予定です。 『黒駒勝蔵』(新人物往来社、加川英一)、『博徒の幕末維新』(ちくま新書、高橋敏)、『清水次郎長 幕末維新と博徒の世界』(岩波新書、高橋敏)、『清水次郎長と明治維新』(新人物往来社、田口英爾)、『万延水滸伝』(毎日新聞社、今川徳三)、『新・日本侠客100選』(秋田書店、今川徳三)、『江戸やくざ研究』(雄山閣、田村栄太郎)、『江川坦庵』(吉川弘文館、仲田正之)、『新選組高台寺党』(新人物往来社、市居浩一)、『偽勅使事件』(青弓社、藤野順)、『相楽総三とその同志』(講談社文庫、長谷川伸)、『江戸時代 人づくり風土記 19巻 山梨』(農山漁村文化協会)、『明治維新草莽運動史』(勁草書房、高木俊輔)、『結城昌治作品集』より『斬に処す』(朝日新聞社、結城昌治)、『子母沢寛全集』より『駿河遊侠伝』『富岳二景』(講談社、子母沢寛)など。

処理中です...