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第一章・少年剣士、寅之助
第2話 剣術対決。寅之助と渋沢栄一
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前回述べたように熊谷のシンボルといえば現在はともかく、当時としては熊谷直実をおいて他にない。
その熊谷直実の生誕地であり、かつ終焉の地となったのが熊谷寺である。
熊谷寺は熊谷宿の中心部にあり、二つの本陣(大名などが泊まる立派な宿)もだいたい熊谷寺の近くにある。現在その門前には熊谷を代表する百貨店、八木橋がある。
その熊谷寺と同じくらい由緒正しく、この地方一帯の総鎮守であるのが熊谷寺の少し東に鎮座する高城神社である。
余談ながら先の大戦で、熊谷市街は終戦前日の八月十四日に空襲で焼かれた。
歴史にIFは無い。それゆえ「あと一日ずれてさえいれば」と不運を嘆くのは、亡くした子どもの歳を数えるようなものだが、そういった未練を抱いてしまうのは人情として当たり前のことであろう。不幸中の幸いというべきか、熊谷寺と高城神社の主な遺構はこの空襲の戦災からは免れた。
寺門静軒と清水卯三郎が高城神社を訪れたこの日、境内では神前奉納の剣術大会が催されていた。
といっても、参加しているのは多少剣術をかじっている近在の百姓町民ばかりである。このような野試合に武士がわざわざ参加することはない。試合の作法もこの地方独特の荒削りなもので、一般的な武士の道場での作法が通用しない。しかも武士は勝って当たり前なので、もし百姓町民に負ければ大恥をかくことになる。だから武士はこんな野試合には普通参加したがらないのである。
ちなみに実戦面を考慮して言えば、実際の戦争はだいたい土の上でおこなわれるものであり、道場のように板敷きの戦場などはあり得ない。板敷きの道場で微妙な間合いを読み合う武士の剣術は、実戦に即しているかどうかという点では大いに疑問があり、この当時「道場剣術」として揶揄されることもあったようである。しかしまあ、ぶっちゃけた話をしてしまうと、この時代の戦争では敵に損害をあたえるのは99%鉄砲・大砲などの飛び道具だったので、そもそも剣術など戦場ではほとんど役に立たず、結果的に言えば、もっぱら肉体と精神を鍛えるための訓練、ただその目的のためにおこなわれていたに過ぎなかったのである。
卯三郎が人だかりに近づくと、境内の中心部で剣術の試合をやっているのが見えた。
「おや、ちょうど寅之助が試合をしているようです」
「どっちがそのガキなのだ?」
「あの赤い胴を付けているのが寅之助です」
そこでは二人の剣士が土の上で試合をしており、それをとりまくようにして人々が試合を眺めていた。
試合をしている空間では、赤い胴を付けた小柄な剣士が、立派な体格をした大人の剣士に対してちょこまかと動き回って激しく技をくり出していた。
その技の中には足を狙ってくり出される攻撃もあった。いわゆる「すね斬り」という技である。
これが当たっても一本にはならないが防具を付けていないすねを打たれれば、打たれたほうはたまったものではない。おそらく悶絶して試合続行不可能となろう。結局のところ負けと同じである。
寅之助は子どもであるだけに、すね斬りを使うことに迷いがなかった。まだ無垢で、妙な道義心が芽生えていなかったために躊躇なくこれを使った。そしてこの地域における試合の取り決めとしても、すね斬りを禁止していなかったのである。
この当時、柳剛流というすね斬りを得意とした流派が現在の埼玉県のあたりを中心にして関東に広がっていた。流祖の岡田総右衛門は現在の埼玉県幸手市にあたる地域の出身で、江戸で伊庭軍兵衛から心形刀流を学び、そのあと独自に実戦的な武術を練り上げて柳剛流を創始した。
少年寅之助は熊谷宿近在の道場と、遠縁である根岸友山の道場で剣術を習っていた。その際、この柳剛流を会得した剣士からすね斬りを習い、それから独自に工夫を加えてこれを得意技としたのである。寅之助は将来剣術家になることを志しており、小さい頃から道場で修業を重ねてきた。実際すね斬りを使わなくても並みの大人に負けない技量を備えていたが、この絶妙なすね斬りが彼の実力を倍増させていた。
このとき寅之助と対戦していた剣士は普段あまりすね斬りを経験していなかった。そのため、いつすね斬りが来るかと警戒するあまり引け腰になり、受け身の姿勢になった。
「相手がすね斬りを使うんだから、こっちもすね斬りを使って反撃すれば良いじゃないか」
と思うむきもあるかもしれない。しかし普段稽古でやってないことをいきなり実戦でやろうとしても上手くいく訳がない。ぎこちなくなって逆にスキをあたえてしまうのがオチだろう。しかも、いくらかでも道義心を備えてしまった大人としては、どうしても一瞬心に迷いが生じてしまう。寅之助のように躊躇なくすね斬りを使うことは不可能なのである。
結局、この剣士は守勢に立たされているうちに寅之助から面を打たれて負けてしまった。
人ごみの中から試合を見ていた静軒が卯三郎につぶやいた。
「ワシは剣術のことはよく分からんが、なんだか変な剣術を使うガキだな」
「伯父上(根岸友山)の道場で修業している秘蔵っ子で、いずれひとかどの剣術家になるつもりのようです」
「ということは総領(長男)じゃないのか?」
「ええ。吉田家の分家で、四方寺村の“お西”と呼ばれている茂兵衛さんのところの次男です。先生がいつも立ち寄っておられる本家の六左衛門さんのところの分家です」
「ワシはいつも六左衛門さんと下奈良村の市右衛門さんのところでお世話になっているから、その分家にはあまり足を運んだことがなかったな」
現在熊谷市街の北郊に下奈良と四方寺という二つの町が隣接して並んでいる。ここは江戸時代、幡羅郡の下奈良村および四方寺村と呼ばれ、豪農の吉田家が治めていた土地だった。
この吉田家は代々、荒廃した農村の復興に尽くし、貧民救済や慈善事業、公益事業に力を尽くしたことで有名である。
大きなものでは浅間山の噴火による天明の飢饉、その五十年後に起こった天保の飢饉、さらにそれら以外でも度々みまわれた自然災害の際に貧民救済、水害対策などに尽力し、そのつど多額の費用を供出して農村の復興につとめてきた。
一応四方寺村の“お東”が本家で代々六左衛門を襲名しているが、下奈良村の吉田家は代々市右衛門を襲名しており、分家とはいえこちらも天明の飢饉の救済にあたった二代目市右衛門宗敬など有名な名主を輩出している。一方、寅之助が生まれた吉田家はこれらとは別で、四方寺村の“お西”と呼ばれた分家の茂兵衛家である。
剣術大会の試合は次々と進んでいる。
寅之助はすね斬りを駆使して順調に勝ち進み、決勝戦に進出した。
もう一方の勝ち抜き戦の山では、こちらのほうも、寅之助ほどではないが若い青年が勝ち進んでいた。
その男は寅之助と違って一応元服を済ませているとはいえ、どう見ても元服からさほど経っていないような感じに見えた。背丈は寅之助とさして変わらぬほど小柄である。体格はがっしりとして頑丈そうで、顔も丸々としていた。
ちょうどその男が準決勝を戦っていたので寅之助はその試合の様子をじっくりと眺めていた。
(あの力強い攻めは、おそらく神道無念流か……)
と寅之助はその男の流派を推測した。
寅之助の近くにいた観衆が彼について噂話をしていたので聞き耳を立てて聞いてみると、どうやら深谷のほうから来た、藍玉(藍の染料のかたまり)を扱っている行商人らしい。確かにその質素な身なりから一見して武士でないことは明らかだった。それにしても、まだあんな元服したばかりの若さで藍玉の行商人をつとめるなんて、よほど商売の才覚がある人間なのだろうと寅之助は思った。
その丸顔の男は力攻めで相手を圧倒し、つばぜり合いから相手をはじき飛ばしたところへ面を入れ、決勝戦に上がってきた。
ところが試合が終わるやいなや、その男は寅之助のところへやって来た。そして面を取って寅之助に言った。
「お前、すね斬りを得意としているようだが防具のないところを狙うのは卑怯であろう。勝つためなら何でもありか?だったら俺も防具のないところを突いてやろうか?肩でも胸でも、なんだったら金玉でも突いてやろうか?」
寅之助はこれまですね斬りについて、これほど面と向かってハッキリと注意されたことがなかった。それゆえ多いに動揺した。
その男はさらに言った。
「これは神前奉納の剣術試合だ。神は非礼のまつりを受けずと言うぞ。お前はそんな卑怯な剣術を神様に奉納する気か?」
丸顔の男は、そう言い残して去っていった。
それと入れ替わるように卯三郎と静軒が寅之助のところへやって来た。
「どうした、寅之助。今の男は決勝戦の相手だろう?あやつ、何か言っていたのか?」
「ああ、卯三郎さん。それに静軒先生も。どうもお久しぶりでございます……」
男から注意を受けたことによって、寅之助の心には、今頃になってようやく「妙な道義心」が芽生えはじめていた。そしてそのやましさから、男がすね斬りを批判したことについて二人に語る気はしなかった。けれども男が最後に語った「神は非礼のまつりを受けず」という言葉の意味が分からなかったので、そのことを二人に聞いてみた。
すると静軒が驚いた表情をして、寅之助に答えた。
「ほう、あの若者がそのように言ったのか。彼は相当な論語読者だな。論語の八イツの第三章にある「李氏泰山に旅す」の注釈のことだ。泰山の神は非礼を受けつけない、と孔子が李氏を諫めた話だな。解釈の仕方はいろいろとあるが、彼はこの高城神社を泰山に例えて言ったつもりなのだろう。しかしその非礼が何を指すのか、ワシにはよく分からんな」
静軒はその昔、儒学者として水戸藩に仕官しようとしていただけあって、論語などの書物には精通していた。そしてこの場合の非礼とは、寅之助の得意技であるすね斬りを指しているのだが、寅之助がそのことを話さなかったのだから静軒に分かるはずもなかった。
「どうだ、寅之助。お前もあの若者を見習って、少しは学問に励んでみんか?」
「私は昔の豪傑の話は好きですが、孔子様の難しい話を聞くと眠くなってしまうので無理です」
「やはりお前も熊谷直実のような豪傑になりたいのか?」
「もちろんです」
「武士を目指すつもりか?」
「できることなら」
「だったらあの若者のように少しは学問をしておけ」
しばらくすると決勝の試合が始まった。
審判の男が二人の名乗りを告げた。
「こなた、四方寺村の吉田寅之助。こなた、血洗島村の渋沢栄一郎。三本勝負。はじめっ!」
渋沢栄一郎、のちの渋沢栄一である。この年十五歳。元服したのもこの年だった。
お互い中段の構えで相手の出方をうかがう姿勢である。
二人とも時々気合の声を飛ばして相手に気迫をぶつけるが、寅之助はこれまでと違ってやや気迫を欠いていた。
寅之助としては、別に栄一郎が本当に金的とかを突いてくるとは思わなかったが、すね斬りを批判されたことで、すね斬りを躊躇する心が芽生えていたのである。
そのため寅之助はとりあえずすね斬りを封印し、通常の上半身への攻撃である面、胴、小手、突きの連続攻撃を果敢におこなった。
一方、栄一郎は寅之助の心理状態を読んでいた。
(狙った通りだ。こいつは俺の批判を気にして、すね斬りを遠慮しているらしい)
すね斬りのない寅之助など「多少できる子どもの剣士」に過ぎない。栄一郎は寅之助の攻撃を的確に防ぎ、いつもの力攻めで反撃に転じた。
栄一郎の力強い攻撃を受け、防戦一方となった寅之助は追いつめられた。そして「やはり、すね斬りを使うしかない」と思い直し、すね斬りをくり出して反撃に転じようとした。
しかし心に迷いがある状態ですね斬りを使ったところで、これまでのようなキレのある攻撃になるはずがなく、たやすく見破られた。
栄一郎はそれを待っていたかのように寅之助のすね斬りを払いとばし、返す刀で面に打ち込んで一本を取った。
二本目も寅之助は防戦一方になった。
得意のすね斬りを打ち破られ、しかも一本取られて追いつめられた寅之助に対して、観衆は皆、もはや負けるのは時間の問題だろうと思った。
ところがどっこい、寅之助はまだあきらめていなかった。
なんとか栄一郎の攻撃をしのぎきり、反撃に転じるために再びすね斬りを試みようとした。
この流れの中で栄一郎は、今度もすね斬りを払いのけて、それから寅之助にとどめの一撃を打ち込んでやろうと身構えた。
が、寅之助のすね斬りはフェイントだった。
くり出す姿勢をわずかに見せただけで、それに対応しようと栄一郎が身構えた一瞬のスキをついて、寅之助は栄一郎の小手に打ち込んで一本を取り返した。
三本目は著しい乱戦となった。
うかつにも一本を奪われた栄一郎が、逆上したからである。
栄一郎は力任せに攻撃し続け、寅之助を体ごと吹っ飛ばしそうな勢いで攻めたてた。防具のない腕の部分を叩くのも度々で、もちろん金的を突いたりすることはなかったが、もはやケンカ同然の有り様だった。
赤い胴を付けた少年寅之助は、ちょこまかと動き回って栄一郎の攻撃をかわし、スキを見ては反撃の技をくり出した。
とはいえ、もはやすね斬りを使うつもりはなかった。
栄一郎と同じ条件で戦って、その上で勝利する。そのことしか考えていなかった。
両者はところ狭しと動き回り、激しく打ち合った。そしてこの乱戦に一時の膠着状態がおとずれた。
寅之助と栄一郎がつばぜり合いをして、面越しににらみ合った。
(これで決着をつけるぞ)
お互いの目が、そう語っていた。
つばぜり合いからの離れ際に、二人が同時に面を放った。
二人の面が同時に入ったように、皆が思った。審判もそう思ったが、一瞬判断に迷った。
そこですかさず観衆の中から一人の男が進み出て
「相打ちにつき勝負無し!この勝負、引き分けとする!」
と大声で叫んだ。その男は身なりは質素だったが背は高く、風格を備えており、声に張りがあった。
栄一郎はその男のほうを振り向いて、にらんだ。すると男は栄一郎に向かって言った。
「そこまでだ、栄一郎。もう十分だろう。我々と一緒に村へ帰ろう」
ところが栄一郎は男の言うことを無視して、素手で寅之助に飛びかかった。
「組打ちで決着をつけるぞ!」
そう言うと寅之助に組みついてねじ伏せにかかった。寅之助は体格的に劣りながらも必死に抵抗して、逆に栄一郎の面を取ってやろうと自分からつかみかかりにいった。
そこで二人を止めにかかった男は、自分の後ろに立っていた六尺はあろうかという大男に命令した。
「長七郎、あの二人を分けさせろ」
「はい、承知しました。兄上」
大男は二人に近づくと事もなげに二人を押し分けて、それから栄一郎を羽交い絞めにして兄のところまで引きずってきた。
この突然止めに入った男は尾高新五郎といい、栄一郎より十歳年上の従兄である。大男のほうは新五郎の八歳年下の弟、尾高長七郎である。
尾高家は栄一郎が住んでいる血洗島村の隣村下手計村にあり、むろん渋沢家と同様に武家ではなくて農家で、しかも両家は縁戚関係にあってお互い名主をつとめていた。両家があった地域は現在の行政区分でいえば深谷市の北部にあたり、深谷市と隣接する熊谷市からはそれほど遠くない。
この日、栄一郎たち三人は藍玉の行商の途中たまたま熊谷宿に立ち寄り、この剣術大会を見物しに来たのだった。
新五郎は文武両面において栄一郎の師匠のような存在なので学問、剣術どちらも栄一郎より優れている。さらに長七郎は、その新五郎より剣術の腕は上回り、のちに関東一円で「天狗の化身」との異名をとるほどの剣術家となる。ちなみに流派は二人とも栄一郎と同じ神道無念流である。この二人が大会に出場していれば寅之助など苦もなく打ち破ったであろうが、格下の相手と勝負したところで意味が無いので今回、一番年下の栄一郎だけが参加したのだった。
三人が帰っていこうとした矢先に、栄一郎が一人引き返して寅之助のところへ走ってきた。寅之助は、また栄一郎が勝負しにやってきたのかと思って身構えた。
ところが栄一郎は何も手を出さず、意外なことをしゃべりだした。
「お前、ガキのくせになかなか良い根性してるじゃないか。見どころがあるぞ」
「ガキ呼ばわりはやめてください。あなたと大して歳は変わらんでしょう」
「だがお前はまだ元服してないだろ。……まあ、そんなことはいい。今、黒船が来て世の中が大きく変わろうとしている。戦国の世以来の大変化だ。おそらく太平の世は終わるぞ。いずれ我々のような農民にも世に出る機会が回ってくるだろう。お前もそれまで鍛錬をつんでおけ。天の差配とはいえ、我らは実に面白い時代に生まれてきたと思わんか?」
そう言い終わると栄一郎は従兄たちのところへ駆け戻っていった。
寅之助はポカンとした表情で栄一郎たちを見送った。
学もなく、世間のことにも疎いガキん子の寅之助としては、栄一郎のしゃべっていた内容がほとんど理解できなかった。
ただ、自分のような農民の子でもいずれ剣で世に出る機会が来るかもしれないという、その部分だけが耳に残った。
剣術大会が終わり、観衆は皆家路につこうとしていた。
その観衆の中から男の子が一人、ニコニコとした表情で寅之助のところへやって来た。
「まったく剣術大会様様だな。我が家の傷薬が飛ぶように売れたぞ。寅、お前もひどく傷だらけになったなあ。うちの薬を買ったほうが良いんじゃないか?」
「いらねえよ、健次。お前のところの薬は全然効かないからな」
「しぃー!そんなこと大声で言うな!いま売りつけた客に聞こえちゃうだろ!」
この男の子は斎藤健次郎といい、熊谷宿の医者の倅で、寺子屋で寅之助と一緒に学んでいた同い歳の幼なじみである。剣術大会ともなれば負傷者が出るのが当然で、健次郎はそれを見越して傷薬を売りにやって来たのだった。
寅之助と健次郎がしゃべっているところへ突然一人の美女がやって来た。
目は切れ長で大きく、鼻筋は整っており、ぷっくりとした紅い唇には何とも形容しがたい妖しさがただよっている。年齢は二十歳前後といったところで、もちろん町娘の衣服を着ているが、芸者や遊女の衣装を着せたらさぞかし評判をよぶであろう、という程の美女である。
「あら健ちゃん、お知り合い?」
「あ、お政姉さん。紹介します。さっき決勝で戦ってたのが、この寅之助です」
「へえ~、寅之助さんて強いのねえ。でもあんなに勇ましく戦ってたのが、こんなかわいい顔した坊やだとは思わなかったわ」
寅之助は呆然とした表情でお政を見つめている。
「寅。お政姉さんはウチの親戚で、久しぶりに江戸からこっちへ出てきたんだ」
「よろしくね、寅ちゃん」
と、お政は微笑みながら寅之助にあいさつしたのだが、その仕草一つ取ってみても、お政の体には妖艶な雰囲気が匂い立っていた。
寅之助は相変わらず呆然とした表情でお政を見つめている。
(なんて美しい女性なんだ!でも、この人の美しさは何と言っていいのか分からないが、おかしい!弁天様や観音様ともちょっと違う。この体全体にただよっているおかしな雰囲気は一体何なんだ!)
そう思っているうちに、不意に寅之助の腹の底から突然、生まれて初めて感じる衝動がわき起こってきた。
それは理性を飛び越えて寅之助の股間を直撃し、大きく膨張させてしまったのだった。
その熊谷直実の生誕地であり、かつ終焉の地となったのが熊谷寺である。
熊谷寺は熊谷宿の中心部にあり、二つの本陣(大名などが泊まる立派な宿)もだいたい熊谷寺の近くにある。現在その門前には熊谷を代表する百貨店、八木橋がある。
その熊谷寺と同じくらい由緒正しく、この地方一帯の総鎮守であるのが熊谷寺の少し東に鎮座する高城神社である。
余談ながら先の大戦で、熊谷市街は終戦前日の八月十四日に空襲で焼かれた。
歴史にIFは無い。それゆえ「あと一日ずれてさえいれば」と不運を嘆くのは、亡くした子どもの歳を数えるようなものだが、そういった未練を抱いてしまうのは人情として当たり前のことであろう。不幸中の幸いというべきか、熊谷寺と高城神社の主な遺構はこの空襲の戦災からは免れた。
寺門静軒と清水卯三郎が高城神社を訪れたこの日、境内では神前奉納の剣術大会が催されていた。
といっても、参加しているのは多少剣術をかじっている近在の百姓町民ばかりである。このような野試合に武士がわざわざ参加することはない。試合の作法もこの地方独特の荒削りなもので、一般的な武士の道場での作法が通用しない。しかも武士は勝って当たり前なので、もし百姓町民に負ければ大恥をかくことになる。だから武士はこんな野試合には普通参加したがらないのである。
ちなみに実戦面を考慮して言えば、実際の戦争はだいたい土の上でおこなわれるものであり、道場のように板敷きの戦場などはあり得ない。板敷きの道場で微妙な間合いを読み合う武士の剣術は、実戦に即しているかどうかという点では大いに疑問があり、この当時「道場剣術」として揶揄されることもあったようである。しかしまあ、ぶっちゃけた話をしてしまうと、この時代の戦争では敵に損害をあたえるのは99%鉄砲・大砲などの飛び道具だったので、そもそも剣術など戦場ではほとんど役に立たず、結果的に言えば、もっぱら肉体と精神を鍛えるための訓練、ただその目的のためにおこなわれていたに過ぎなかったのである。
卯三郎が人だかりに近づくと、境内の中心部で剣術の試合をやっているのが見えた。
「おや、ちょうど寅之助が試合をしているようです」
「どっちがそのガキなのだ?」
「あの赤い胴を付けているのが寅之助です」
そこでは二人の剣士が土の上で試合をしており、それをとりまくようにして人々が試合を眺めていた。
試合をしている空間では、赤い胴を付けた小柄な剣士が、立派な体格をした大人の剣士に対してちょこまかと動き回って激しく技をくり出していた。
その技の中には足を狙ってくり出される攻撃もあった。いわゆる「すね斬り」という技である。
これが当たっても一本にはならないが防具を付けていないすねを打たれれば、打たれたほうはたまったものではない。おそらく悶絶して試合続行不可能となろう。結局のところ負けと同じである。
寅之助は子どもであるだけに、すね斬りを使うことに迷いがなかった。まだ無垢で、妙な道義心が芽生えていなかったために躊躇なくこれを使った。そしてこの地域における試合の取り決めとしても、すね斬りを禁止していなかったのである。
この当時、柳剛流というすね斬りを得意とした流派が現在の埼玉県のあたりを中心にして関東に広がっていた。流祖の岡田総右衛門は現在の埼玉県幸手市にあたる地域の出身で、江戸で伊庭軍兵衛から心形刀流を学び、そのあと独自に実戦的な武術を練り上げて柳剛流を創始した。
少年寅之助は熊谷宿近在の道場と、遠縁である根岸友山の道場で剣術を習っていた。その際、この柳剛流を会得した剣士からすね斬りを習い、それから独自に工夫を加えてこれを得意技としたのである。寅之助は将来剣術家になることを志しており、小さい頃から道場で修業を重ねてきた。実際すね斬りを使わなくても並みの大人に負けない技量を備えていたが、この絶妙なすね斬りが彼の実力を倍増させていた。
このとき寅之助と対戦していた剣士は普段あまりすね斬りを経験していなかった。そのため、いつすね斬りが来るかと警戒するあまり引け腰になり、受け身の姿勢になった。
「相手がすね斬りを使うんだから、こっちもすね斬りを使って反撃すれば良いじゃないか」
と思うむきもあるかもしれない。しかし普段稽古でやってないことをいきなり実戦でやろうとしても上手くいく訳がない。ぎこちなくなって逆にスキをあたえてしまうのがオチだろう。しかも、いくらかでも道義心を備えてしまった大人としては、どうしても一瞬心に迷いが生じてしまう。寅之助のように躊躇なくすね斬りを使うことは不可能なのである。
結局、この剣士は守勢に立たされているうちに寅之助から面を打たれて負けてしまった。
人ごみの中から試合を見ていた静軒が卯三郎につぶやいた。
「ワシは剣術のことはよく分からんが、なんだか変な剣術を使うガキだな」
「伯父上(根岸友山)の道場で修業している秘蔵っ子で、いずれひとかどの剣術家になるつもりのようです」
「ということは総領(長男)じゃないのか?」
「ええ。吉田家の分家で、四方寺村の“お西”と呼ばれている茂兵衛さんのところの次男です。先生がいつも立ち寄っておられる本家の六左衛門さんのところの分家です」
「ワシはいつも六左衛門さんと下奈良村の市右衛門さんのところでお世話になっているから、その分家にはあまり足を運んだことがなかったな」
現在熊谷市街の北郊に下奈良と四方寺という二つの町が隣接して並んでいる。ここは江戸時代、幡羅郡の下奈良村および四方寺村と呼ばれ、豪農の吉田家が治めていた土地だった。
この吉田家は代々、荒廃した農村の復興に尽くし、貧民救済や慈善事業、公益事業に力を尽くしたことで有名である。
大きなものでは浅間山の噴火による天明の飢饉、その五十年後に起こった天保の飢饉、さらにそれら以外でも度々みまわれた自然災害の際に貧民救済、水害対策などに尽力し、そのつど多額の費用を供出して農村の復興につとめてきた。
一応四方寺村の“お東”が本家で代々六左衛門を襲名しているが、下奈良村の吉田家は代々市右衛門を襲名しており、分家とはいえこちらも天明の飢饉の救済にあたった二代目市右衛門宗敬など有名な名主を輩出している。一方、寅之助が生まれた吉田家はこれらとは別で、四方寺村の“お西”と呼ばれた分家の茂兵衛家である。
剣術大会の試合は次々と進んでいる。
寅之助はすね斬りを駆使して順調に勝ち進み、決勝戦に進出した。
もう一方の勝ち抜き戦の山では、こちらのほうも、寅之助ほどではないが若い青年が勝ち進んでいた。
その男は寅之助と違って一応元服を済ませているとはいえ、どう見ても元服からさほど経っていないような感じに見えた。背丈は寅之助とさして変わらぬほど小柄である。体格はがっしりとして頑丈そうで、顔も丸々としていた。
ちょうどその男が準決勝を戦っていたので寅之助はその試合の様子をじっくりと眺めていた。
(あの力強い攻めは、おそらく神道無念流か……)
と寅之助はその男の流派を推測した。
寅之助の近くにいた観衆が彼について噂話をしていたので聞き耳を立てて聞いてみると、どうやら深谷のほうから来た、藍玉(藍の染料のかたまり)を扱っている行商人らしい。確かにその質素な身なりから一見して武士でないことは明らかだった。それにしても、まだあんな元服したばかりの若さで藍玉の行商人をつとめるなんて、よほど商売の才覚がある人間なのだろうと寅之助は思った。
その丸顔の男は力攻めで相手を圧倒し、つばぜり合いから相手をはじき飛ばしたところへ面を入れ、決勝戦に上がってきた。
ところが試合が終わるやいなや、その男は寅之助のところへやって来た。そして面を取って寅之助に言った。
「お前、すね斬りを得意としているようだが防具のないところを狙うのは卑怯であろう。勝つためなら何でもありか?だったら俺も防具のないところを突いてやろうか?肩でも胸でも、なんだったら金玉でも突いてやろうか?」
寅之助はこれまですね斬りについて、これほど面と向かってハッキリと注意されたことがなかった。それゆえ多いに動揺した。
その男はさらに言った。
「これは神前奉納の剣術試合だ。神は非礼のまつりを受けずと言うぞ。お前はそんな卑怯な剣術を神様に奉納する気か?」
丸顔の男は、そう言い残して去っていった。
それと入れ替わるように卯三郎と静軒が寅之助のところへやって来た。
「どうした、寅之助。今の男は決勝戦の相手だろう?あやつ、何か言っていたのか?」
「ああ、卯三郎さん。それに静軒先生も。どうもお久しぶりでございます……」
男から注意を受けたことによって、寅之助の心には、今頃になってようやく「妙な道義心」が芽生えはじめていた。そしてそのやましさから、男がすね斬りを批判したことについて二人に語る気はしなかった。けれども男が最後に語った「神は非礼のまつりを受けず」という言葉の意味が分からなかったので、そのことを二人に聞いてみた。
すると静軒が驚いた表情をして、寅之助に答えた。
「ほう、あの若者がそのように言ったのか。彼は相当な論語読者だな。論語の八イツの第三章にある「李氏泰山に旅す」の注釈のことだ。泰山の神は非礼を受けつけない、と孔子が李氏を諫めた話だな。解釈の仕方はいろいろとあるが、彼はこの高城神社を泰山に例えて言ったつもりなのだろう。しかしその非礼が何を指すのか、ワシにはよく分からんな」
静軒はその昔、儒学者として水戸藩に仕官しようとしていただけあって、論語などの書物には精通していた。そしてこの場合の非礼とは、寅之助の得意技であるすね斬りを指しているのだが、寅之助がそのことを話さなかったのだから静軒に分かるはずもなかった。
「どうだ、寅之助。お前もあの若者を見習って、少しは学問に励んでみんか?」
「私は昔の豪傑の話は好きですが、孔子様の難しい話を聞くと眠くなってしまうので無理です」
「やはりお前も熊谷直実のような豪傑になりたいのか?」
「もちろんです」
「武士を目指すつもりか?」
「できることなら」
「だったらあの若者のように少しは学問をしておけ」
しばらくすると決勝の試合が始まった。
審判の男が二人の名乗りを告げた。
「こなた、四方寺村の吉田寅之助。こなた、血洗島村の渋沢栄一郎。三本勝負。はじめっ!」
渋沢栄一郎、のちの渋沢栄一である。この年十五歳。元服したのもこの年だった。
お互い中段の構えで相手の出方をうかがう姿勢である。
二人とも時々気合の声を飛ばして相手に気迫をぶつけるが、寅之助はこれまでと違ってやや気迫を欠いていた。
寅之助としては、別に栄一郎が本当に金的とかを突いてくるとは思わなかったが、すね斬りを批判されたことで、すね斬りを躊躇する心が芽生えていたのである。
そのため寅之助はとりあえずすね斬りを封印し、通常の上半身への攻撃である面、胴、小手、突きの連続攻撃を果敢におこなった。
一方、栄一郎は寅之助の心理状態を読んでいた。
(狙った通りだ。こいつは俺の批判を気にして、すね斬りを遠慮しているらしい)
すね斬りのない寅之助など「多少できる子どもの剣士」に過ぎない。栄一郎は寅之助の攻撃を的確に防ぎ、いつもの力攻めで反撃に転じた。
栄一郎の力強い攻撃を受け、防戦一方となった寅之助は追いつめられた。そして「やはり、すね斬りを使うしかない」と思い直し、すね斬りをくり出して反撃に転じようとした。
しかし心に迷いがある状態ですね斬りを使ったところで、これまでのようなキレのある攻撃になるはずがなく、たやすく見破られた。
栄一郎はそれを待っていたかのように寅之助のすね斬りを払いとばし、返す刀で面に打ち込んで一本を取った。
二本目も寅之助は防戦一方になった。
得意のすね斬りを打ち破られ、しかも一本取られて追いつめられた寅之助に対して、観衆は皆、もはや負けるのは時間の問題だろうと思った。
ところがどっこい、寅之助はまだあきらめていなかった。
なんとか栄一郎の攻撃をしのぎきり、反撃に転じるために再びすね斬りを試みようとした。
この流れの中で栄一郎は、今度もすね斬りを払いのけて、それから寅之助にとどめの一撃を打ち込んでやろうと身構えた。
が、寅之助のすね斬りはフェイントだった。
くり出す姿勢をわずかに見せただけで、それに対応しようと栄一郎が身構えた一瞬のスキをついて、寅之助は栄一郎の小手に打ち込んで一本を取り返した。
三本目は著しい乱戦となった。
うかつにも一本を奪われた栄一郎が、逆上したからである。
栄一郎は力任せに攻撃し続け、寅之助を体ごと吹っ飛ばしそうな勢いで攻めたてた。防具のない腕の部分を叩くのも度々で、もちろん金的を突いたりすることはなかったが、もはやケンカ同然の有り様だった。
赤い胴を付けた少年寅之助は、ちょこまかと動き回って栄一郎の攻撃をかわし、スキを見ては反撃の技をくり出した。
とはいえ、もはやすね斬りを使うつもりはなかった。
栄一郎と同じ条件で戦って、その上で勝利する。そのことしか考えていなかった。
両者はところ狭しと動き回り、激しく打ち合った。そしてこの乱戦に一時の膠着状態がおとずれた。
寅之助と栄一郎がつばぜり合いをして、面越しににらみ合った。
(これで決着をつけるぞ)
お互いの目が、そう語っていた。
つばぜり合いからの離れ際に、二人が同時に面を放った。
二人の面が同時に入ったように、皆が思った。審判もそう思ったが、一瞬判断に迷った。
そこですかさず観衆の中から一人の男が進み出て
「相打ちにつき勝負無し!この勝負、引き分けとする!」
と大声で叫んだ。その男は身なりは質素だったが背は高く、風格を備えており、声に張りがあった。
栄一郎はその男のほうを振り向いて、にらんだ。すると男は栄一郎に向かって言った。
「そこまでだ、栄一郎。もう十分だろう。我々と一緒に村へ帰ろう」
ところが栄一郎は男の言うことを無視して、素手で寅之助に飛びかかった。
「組打ちで決着をつけるぞ!」
そう言うと寅之助に組みついてねじ伏せにかかった。寅之助は体格的に劣りながらも必死に抵抗して、逆に栄一郎の面を取ってやろうと自分からつかみかかりにいった。
そこで二人を止めにかかった男は、自分の後ろに立っていた六尺はあろうかという大男に命令した。
「長七郎、あの二人を分けさせろ」
「はい、承知しました。兄上」
大男は二人に近づくと事もなげに二人を押し分けて、それから栄一郎を羽交い絞めにして兄のところまで引きずってきた。
この突然止めに入った男は尾高新五郎といい、栄一郎より十歳年上の従兄である。大男のほうは新五郎の八歳年下の弟、尾高長七郎である。
尾高家は栄一郎が住んでいる血洗島村の隣村下手計村にあり、むろん渋沢家と同様に武家ではなくて農家で、しかも両家は縁戚関係にあってお互い名主をつとめていた。両家があった地域は現在の行政区分でいえば深谷市の北部にあたり、深谷市と隣接する熊谷市からはそれほど遠くない。
この日、栄一郎たち三人は藍玉の行商の途中たまたま熊谷宿に立ち寄り、この剣術大会を見物しに来たのだった。
新五郎は文武両面において栄一郎の師匠のような存在なので学問、剣術どちらも栄一郎より優れている。さらに長七郎は、その新五郎より剣術の腕は上回り、のちに関東一円で「天狗の化身」との異名をとるほどの剣術家となる。ちなみに流派は二人とも栄一郎と同じ神道無念流である。この二人が大会に出場していれば寅之助など苦もなく打ち破ったであろうが、格下の相手と勝負したところで意味が無いので今回、一番年下の栄一郎だけが参加したのだった。
三人が帰っていこうとした矢先に、栄一郎が一人引き返して寅之助のところへ走ってきた。寅之助は、また栄一郎が勝負しにやってきたのかと思って身構えた。
ところが栄一郎は何も手を出さず、意外なことをしゃべりだした。
「お前、ガキのくせになかなか良い根性してるじゃないか。見どころがあるぞ」
「ガキ呼ばわりはやめてください。あなたと大して歳は変わらんでしょう」
「だがお前はまだ元服してないだろ。……まあ、そんなことはいい。今、黒船が来て世の中が大きく変わろうとしている。戦国の世以来の大変化だ。おそらく太平の世は終わるぞ。いずれ我々のような農民にも世に出る機会が回ってくるだろう。お前もそれまで鍛錬をつんでおけ。天の差配とはいえ、我らは実に面白い時代に生まれてきたと思わんか?」
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剣術大会が終わり、観衆は皆家路につこうとしていた。
その観衆の中から男の子が一人、ニコニコとした表情で寅之助のところへやって来た。
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「いらねえよ、健次。お前のところの薬は全然効かないからな」
「しぃー!そんなこと大声で言うな!いま売りつけた客に聞こえちゃうだろ!」
この男の子は斎藤健次郎といい、熊谷宿の医者の倅で、寺子屋で寅之助と一緒に学んでいた同い歳の幼なじみである。剣術大会ともなれば負傷者が出るのが当然で、健次郎はそれを見越して傷薬を売りにやって来たのだった。
寅之助と健次郎がしゃべっているところへ突然一人の美女がやって来た。
目は切れ長で大きく、鼻筋は整っており、ぷっくりとした紅い唇には何とも形容しがたい妖しさがただよっている。年齢は二十歳前後といったところで、もちろん町娘の衣服を着ているが、芸者や遊女の衣装を着せたらさぞかし評判をよぶであろう、という程の美女である。
「あら健ちゃん、お知り合い?」
「あ、お政姉さん。紹介します。さっき決勝で戦ってたのが、この寅之助です」
「へえ~、寅之助さんて強いのねえ。でもあんなに勇ましく戦ってたのが、こんなかわいい顔した坊やだとは思わなかったわ」
寅之助は呆然とした表情でお政を見つめている。
「寅。お政姉さんはウチの親戚で、久しぶりに江戸からこっちへ出てきたんだ」
「よろしくね、寅ちゃん」
と、お政は微笑みながら寅之助にあいさつしたのだが、その仕草一つ取ってみても、お政の体には妖艶な雰囲気が匂い立っていた。
寅之助は相変わらず呆然とした表情でお政を見つめている。
(なんて美しい女性なんだ!でも、この人の美しさは何と言っていいのか分からないが、おかしい!弁天様や観音様ともちょっと違う。この体全体にただよっているおかしな雰囲気は一体何なんだ!)
そう思っているうちに、不意に寅之助の腹の底から突然、生まれて初めて感じる衝動がわき起こってきた。
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