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「淀屋橋忠義」
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「淀屋橋忠義」
7月6日朝7時半。「明日早出で来れるか?坂井も来よんねん。」と前日の退社時に太田に言われ、断りようもなく「大丈夫です。」と答えざるを得なかった稀世は会議室を掃除し、ホワイトボードにマグネットで張り付けられた別グループの昨日の会議メモをはがしていた。そして給湯室の冷蔵庫にアイスコーヒーと氷があることを確認した。
7時40分、太田が坂井と載田を連れて入ってきた。「毎度、朝早くにすみません。これ、差し入れです。」と地元で美味しいと有名なパン工房のサンドイッチを4人前手渡された。稀世はアイスコーヒーを入れ、もらったサンドイッチを各々の席に並べた。4人が席につき、人気のサンドイッチを食べながらの打ち合わせがスタートした。
坂井から淀屋橋忠義について語られた。見せられた写真には「龍」の「見事な刺青」が彫られていた。稀世と太田の読みどおり、淀屋橋は唯の父親である土居将司と小学校、中学校の同級生であった。土居将司が進学校に進み、一年の予備校生活を挟み東京大学を卒業して大蔵省(※現在の財務省の前身)に入省し、平成22年に森小路雄太衆議院議員の公設秘書ナンバー2にあたる「第1秘書」として採用されるまで、法人税部門でエリートの道を進んだのとは対照的に、淀屋橋は高校進学の地元集中政策で地元の普通科の高校を経て、いわゆる三流大学に入学するも、途中退学しその後は水商売関係を転々とした。
28歳の時にその当時責任者をしていたラウンジの客であった「経済月刊誌」編集をうたう、取り締まりがきつくなった「総会屋」業務を主業とする「政治結社」の社員として引き抜かれた。
坂井の推測も含めるが、淀屋橋は大蔵省で法人部門を担当していた中学生時代の親友の土居からの情報で握った企業の弱みを元に、裏の世界での大物への階段を上り始めた。便宜上、月刊誌の購読料が収入になるわけだが、時に「外部アドバイザー」や「コンサルタント」として「法外な報酬」を「粉をかけた企業」から受けとるようになっていた。
「反社」への企業の取引規制が厳しくなると、淀屋橋は政治家とタッグを組むようになった。企業への「補助金」、「助成金」とバーターで「政治献金」を求めるようになった。当然、財務省の「仲間」を通じて国税庁や金融監督庁の財務状況データや上場準備等の情報が入ることから当時「ワラント債」と呼ばれた上場前株式引受権付き債券を政治家やその関係者に事前購入させたり、株価上昇のフラグの立った銘柄購入を示唆することで利益を得ていた。
平成26年に淀屋橋の起こした「恐喝・傷害」事件については、逮捕した坂井の取り調べ調書内容が、検察で大きく変わり裁判では圧倒的不利な内容で淀屋橋は有罪判決を受け、控訴は棄却され「懲役20年」の重い量刑を受けることとなった。前科があったわけでなく「初犯」の淀屋橋にそれだけの量刑が課されることを想像していなかった坂井は独自に調べようとしたが公式の裁判記録以外の物はシークレット扱いとなっており徒労に終わったことが説明された。
「あー、やっぱり唯ちゃんのお父さんの親友っていうのは淀屋橋忠義やったんですね。じゃあ、唯ちゃんがアメリカで手術を受けた後は淀屋橋が唯ちゃんの面倒を見てはったんですか?ん…、でも2年後に逮捕されて刑務所に入ったんですよね。えー、でも唯ちゃんは手術後すぐにお母さんが亡くなってハッピーハウスに入ったんですよね。結局、淀屋橋は「親友」だった唯ちゃんのお父さんの役にたってないですやん!ちなみにその不義理な淀屋橋は何してますの?懲役20年やからあと10年は塀の中ってことですか?インタビューできへんのは癪やけど、いい気味ですよね!」
ひとり憤慨する稀世に、太田と坂井は表情を変えずに話を続けた。
淀屋橋は刑務所で優等生で刑期短縮になり昨年仮出所した記録があるという。しかし、現在の消息は掴めていないとのことだった。太田の予想は、出所した淀屋橋が12年前の森小路と土居の関係をスキャンダルとして「週刊文秋」に持ち込んだのではないかという事だった。
「出所して、10年のブランクを埋めるには、「アングラネタ」で活動資金を得るか、「文秋」を使って森小路を脅せる「何か」を持ってる可能性もある。淀屋橋としたら、「関目大介」の自殺未遂が表に出てれば更に追い風やったんやろうけどな。」
太田の言葉の後で稀世は厳しく言った。
「そんなええ思いはさせへんよ!困ってる唯ちゃんを助けることもせんと、「親友」が死んだ後は放りっぱなしってあかんやろ。そんな奴は野垂れ死んだらええねん!
あっ、もしかしてこの間、BARまりあに来てた、唯ちゃんの事をじっと見てた「刺青男」が淀屋橋とちゃうん?唯ちゃんを利用して金儲けを考えてるんやったら許されへんで!」
太田も一瞬、稀世の言葉に反応しかけたが、ふと時計を見た坂井が「全部を話すことはできませんが…。」と断りを入れた上で、関目がうわごとで残した言葉と今週、稀世が得た情報が何かしらリンクする可能性もあるので、引き続き調査をつづけて欲しいと頭を下げたのでそれ以上は何も言えなかった。
あっという間に朝の80分が立ち、9時の時報が鳴った。「じゃあ、今日はこれでお開きにしますかねぇ。」と坂井が席を立った瞬間に稀世のスマホが鳴った。着信元はハッピーハウスだった。
電話に出ると、いつもの年配の女性スタッフだった。朝出勤すると事務所が夜の間に荒らされて「唯」のファイルが丸ごと盗まれたとのことだった。子供たちが登校するためにハウスを出るまでは心配をかけたくないので、まだ警察には連絡を入れていないとのことだったので、その後の対応については載田が電話を代わってくれた。載田が一通りの事故状況を確認し、稀世に電話が戻されると
「あのね、荒らされたことで前回は気がつかなかった「土居唯」の名前でファイリングされていたものが出てきたのよ。所長はそこらへん無頓着なところがあって、そこには開封してない封書があったので、安さんにお渡しするのが良いかと思って…。」
と言われたので、太田と共にハッピーハウスにむかうことにした。
ハッピーハウスに着くと、載田の連絡により既に門真署の捜査員が来ていた。「事務所荒らし」はプロの仕業らしく、音の出にくい「焼き破り」手法で割った窓から鍵を開け事務所に侵入し、電源のブレーカーを落としたらしく、ブレーカーを切るまでしか防犯カメラに犯人の姿は写っていなかった。上下黒の長袖長ズボンに頭から首まで被った黒いマスクに暗視装置姿の犯人は背格好から男であることは想像できたが、それ以上は何もわからす、指紋、残留物も期待できない状況だった。
捜査状況を稀世は許可を得て現場をビデオ撮影させてもらい、女性スタッフのインタビューを録画した。一通りの撮影が終わると、応接室に移り被害品の確認をした。
先日見させてもらった事件当時の週刊誌の記事コピーに加えて「北浜唯」名義の個人情報も含まれたファイル一式が盗まれたが、その中に出所後の唯の現住所を示すものは無かったので稀世は少し安心した。
(犯人の目的はわからへんけど、唯ちゃんが今すぐ直接のターゲットになることは無さそうやからよかったわな…。けど、いったい誰が…。ニコニコプロレスはデビュー前やからファンがストーカー化したってことも無いやろうし、怪しいとすれば…。ん、この間のBARまりあに来た唯ちゃんをずっとのぞき見してた「刺青男」とちゃうか?いきなり現れて、この事件やろ…。まりあさんの店の防犯カメラの画像データももらっておくか…。)稀世がいろいろと頭の中で考えていると、女性スタッフから「これが「土居唯」のファイルに残されてた封書なんですけど…」と太田に一枚の封筒が手渡された。
表には「康子様」と唯の母親の名前があり、裏には「土居将司」とだけ記されている。太田は封筒をテーブルに置き、両手を合わすと「失礼します。」と封筒に一礼し、封筒の上部にはさみを入れた。
中に入れられた2枚の手描きの便箋には、妻「康子」に向けられた唯の手術に関する段取りが記されていた。その中に「淀屋橋忠義」の名前も挙がっていた。手術費用は既に払われているはずなので、淀屋橋と一緒にロサンゼルスに向かい「UCLA病院」で手術を受け、約1カ月の経過観察入院後再び淀屋橋が迎えに行くので一緒に帰国する様にという内容が書かれていた。
更に今後、公表されるであろう「遺書」とは別に本物の「遺書」を淀屋橋に託しているという事が書き連ねられていた。
なぜ、この封書が未開封のまま残されていたのかはわからないが、今ここに土居と淀屋橋と唯の接点があったことが証明された。女性スタッフは「安さんにお預けします。」という事だったので、その言葉に甘えて持ち帰らせてもらうことにした。
警察による現場検証も終わりそうだったので、一応、防犯カメラの画像データをコピーさせてもらい、時計を見ると10時50分になっていた。「とりあえず先に昼めし食うか。」の太田の一言で向日葵寿司にランチを食べに行くことにした。
「へい、いらっしゃい!あれ、稀世さんに太田さんやないですか。どうぞこちらに。」
と三朗に招かれてカウンター席に並んで座った。
「取材の途中でしたら、おビールは無しの方がいいですか?この間、話されてた件は進まれてますか?」
三朗が大きな湯呑の「あがり」を出して尋ねた。「せやな。今日は、ランチだけいただくわな。」太田が答えると「はい、ランチ2人前ありがとうございまーす!」と声を張り上げた。
まもなく寿司下駄に載せたランチセットと吸い物が配膳された。普通のランチ御膳より二貫多い。「えっ、サブちゃん、これ「中トロ」とちゃうの?「いくら」もつけてもろてええの?」と稀世が三朗に問うと、「声が大きいですよ。稀世さんは僕には特別なお客様ですから。他のお客さんには内緒ですよ。」と三朗は小さな声で笑顔を返した。
「いただきます」をすませると、稀世は食べながら太田に鼻息荒く言った。
「それにしても淀屋橋ってやつ、本当にいい加減な奴ですね。唯ちゃんのお父さんが残した本物の遺書も渡してへんのとちゃいますか?唯ちゃんのお母さんはマスコミ報道でノイローゼになって死んじゃった訳ですから。私、淀屋橋を見つけたらラリアットかまして、逆エビ固めかけてしまうかもしれませんよ。」
太田は「あがり」をすすりながら稀世に優しく諭すように呟いた。
「「判断」は「全て」のピースが揃ってからやろ。直感やその時々の感情だけで判断すると、取材にデバイス掛かってしまうから注意するんやで。」
「でも…。」
さらに追加で文句を言いたげな稀世に空気を読んだ三朗が「今日は稀世さんにはもう一つのサービスのデザートですよ。「ガリのジェラート」です。お酢と和三盆でまとめていますので食べてみて下さい。」の一言で稀世の怒りのボルテージは一気に下がった。太田も冷たいジェラートに舌つづみをうちながら、稀世にたしなめるように言った。
「稀世ちゃん、ホットなハートはええけど、頭は常にクールにやで。思い込みと偏った考えは思考を硬直させてしまうでなぁ。」
店の壁に掛かったテレビで国会の委員会での森小路の質疑応答シーンが映し出されていた。相変わらずの「のらりくらり」で野党議員の追及をかわしている。秘書の「関目大介」については三日前から「行方不明」という事になっているようだ。「献金の会計処理について「全て」は秘書の関目に任せていたのでこれ以上何を聞かれてもお答えのしようがないですねぇ…。」と言う森小路を野党議員は追いつめきれないもどかしい討論が続く。ジェラートを食べ終わった稀世がテレビ画面を見ながら呟いた。
「太田さん、こいつが唯ちゃんのお父さんを殺した張本人なんかもしれへんわけですよね。どうにかできないもんなんですか?」
「うーん、今の材料では難しいやろな。唯ちゃんの証言は催眠術による「たわごと」って言われてしまうやろうし、淀屋橋が何を知ってるんかはわからんけど、直接的な「物証」を持ってない限り、土居の無実は証明できへん。残念ながら、これが今の日本の司法制度の限界やな…。」
太田は諦め口調で稀世を諭すと、三朗に「あがり」のおかわりを頼んだ。
勘定を太田が済ますと三朗が難しい顔をしたままの稀世に
「明日のお昼のハッピーハウスの慰問は稀世さんも来れそうですか?子供達みんな、「お稲荷さんパーティー」を楽しみにしてるんですけど。」
と言われた稀世は慌てて答えた。
「あっ、ごめん。すっかり忘れてたわ。もちろんお手伝いに行かせてもらうで。子供らと一緒に遊んで、ちょっと頭をリフレッシュもしたいしな。私もサブちゃんのたけのこご飯のお稲荷さん好きやから楽しみにしてんねん。10時にここに来させてもらったらええんよね。」
笑顔で答える稀世に「稀世さんは笑顔の方が絶対にいいですよ。その笑顔は凄い「引き運」持って来はりますから、きっと「文秋」を出し抜けるスクープをゲットされると信じてますよ。」と三朗も笑顔で返すと笑いながら明日の再会を約束した。
「そりゃサブちゃんの買い被りやわ。私なんかまだまだそんなこと言えるレベルやないわ。ケラケラケラ。じゃあ、また明日ね!」
7月6日朝7時半。「明日早出で来れるか?坂井も来よんねん。」と前日の退社時に太田に言われ、断りようもなく「大丈夫です。」と答えざるを得なかった稀世は会議室を掃除し、ホワイトボードにマグネットで張り付けられた別グループの昨日の会議メモをはがしていた。そして給湯室の冷蔵庫にアイスコーヒーと氷があることを確認した。
7時40分、太田が坂井と載田を連れて入ってきた。「毎度、朝早くにすみません。これ、差し入れです。」と地元で美味しいと有名なパン工房のサンドイッチを4人前手渡された。稀世はアイスコーヒーを入れ、もらったサンドイッチを各々の席に並べた。4人が席につき、人気のサンドイッチを食べながらの打ち合わせがスタートした。
坂井から淀屋橋忠義について語られた。見せられた写真には「龍」の「見事な刺青」が彫られていた。稀世と太田の読みどおり、淀屋橋は唯の父親である土居将司と小学校、中学校の同級生であった。土居将司が進学校に進み、一年の予備校生活を挟み東京大学を卒業して大蔵省(※現在の財務省の前身)に入省し、平成22年に森小路雄太衆議院議員の公設秘書ナンバー2にあたる「第1秘書」として採用されるまで、法人税部門でエリートの道を進んだのとは対照的に、淀屋橋は高校進学の地元集中政策で地元の普通科の高校を経て、いわゆる三流大学に入学するも、途中退学しその後は水商売関係を転々とした。
28歳の時にその当時責任者をしていたラウンジの客であった「経済月刊誌」編集をうたう、取り締まりがきつくなった「総会屋」業務を主業とする「政治結社」の社員として引き抜かれた。
坂井の推測も含めるが、淀屋橋は大蔵省で法人部門を担当していた中学生時代の親友の土居からの情報で握った企業の弱みを元に、裏の世界での大物への階段を上り始めた。便宜上、月刊誌の購読料が収入になるわけだが、時に「外部アドバイザー」や「コンサルタント」として「法外な報酬」を「粉をかけた企業」から受けとるようになっていた。
「反社」への企業の取引規制が厳しくなると、淀屋橋は政治家とタッグを組むようになった。企業への「補助金」、「助成金」とバーターで「政治献金」を求めるようになった。当然、財務省の「仲間」を通じて国税庁や金融監督庁の財務状況データや上場準備等の情報が入ることから当時「ワラント債」と呼ばれた上場前株式引受権付き債券を政治家やその関係者に事前購入させたり、株価上昇のフラグの立った銘柄購入を示唆することで利益を得ていた。
平成26年に淀屋橋の起こした「恐喝・傷害」事件については、逮捕した坂井の取り調べ調書内容が、検察で大きく変わり裁判では圧倒的不利な内容で淀屋橋は有罪判決を受け、控訴は棄却され「懲役20年」の重い量刑を受けることとなった。前科があったわけでなく「初犯」の淀屋橋にそれだけの量刑が課されることを想像していなかった坂井は独自に調べようとしたが公式の裁判記録以外の物はシークレット扱いとなっており徒労に終わったことが説明された。
「あー、やっぱり唯ちゃんのお父さんの親友っていうのは淀屋橋忠義やったんですね。じゃあ、唯ちゃんがアメリカで手術を受けた後は淀屋橋が唯ちゃんの面倒を見てはったんですか?ん…、でも2年後に逮捕されて刑務所に入ったんですよね。えー、でも唯ちゃんは手術後すぐにお母さんが亡くなってハッピーハウスに入ったんですよね。結局、淀屋橋は「親友」だった唯ちゃんのお父さんの役にたってないですやん!ちなみにその不義理な淀屋橋は何してますの?懲役20年やからあと10年は塀の中ってことですか?インタビューできへんのは癪やけど、いい気味ですよね!」
ひとり憤慨する稀世に、太田と坂井は表情を変えずに話を続けた。
淀屋橋は刑務所で優等生で刑期短縮になり昨年仮出所した記録があるという。しかし、現在の消息は掴めていないとのことだった。太田の予想は、出所した淀屋橋が12年前の森小路と土居の関係をスキャンダルとして「週刊文秋」に持ち込んだのではないかという事だった。
「出所して、10年のブランクを埋めるには、「アングラネタ」で活動資金を得るか、「文秋」を使って森小路を脅せる「何か」を持ってる可能性もある。淀屋橋としたら、「関目大介」の自殺未遂が表に出てれば更に追い風やったんやろうけどな。」
太田の言葉の後で稀世は厳しく言った。
「そんなええ思いはさせへんよ!困ってる唯ちゃんを助けることもせんと、「親友」が死んだ後は放りっぱなしってあかんやろ。そんな奴は野垂れ死んだらええねん!
あっ、もしかしてこの間、BARまりあに来てた、唯ちゃんの事をじっと見てた「刺青男」が淀屋橋とちゃうん?唯ちゃんを利用して金儲けを考えてるんやったら許されへんで!」
太田も一瞬、稀世の言葉に反応しかけたが、ふと時計を見た坂井が「全部を話すことはできませんが…。」と断りを入れた上で、関目がうわごとで残した言葉と今週、稀世が得た情報が何かしらリンクする可能性もあるので、引き続き調査をつづけて欲しいと頭を下げたのでそれ以上は何も言えなかった。
あっという間に朝の80分が立ち、9時の時報が鳴った。「じゃあ、今日はこれでお開きにしますかねぇ。」と坂井が席を立った瞬間に稀世のスマホが鳴った。着信元はハッピーハウスだった。
電話に出ると、いつもの年配の女性スタッフだった。朝出勤すると事務所が夜の間に荒らされて「唯」のファイルが丸ごと盗まれたとのことだった。子供たちが登校するためにハウスを出るまでは心配をかけたくないので、まだ警察には連絡を入れていないとのことだったので、その後の対応については載田が電話を代わってくれた。載田が一通りの事故状況を確認し、稀世に電話が戻されると
「あのね、荒らされたことで前回は気がつかなかった「土居唯」の名前でファイリングされていたものが出てきたのよ。所長はそこらへん無頓着なところがあって、そこには開封してない封書があったので、安さんにお渡しするのが良いかと思って…。」
と言われたので、太田と共にハッピーハウスにむかうことにした。
ハッピーハウスに着くと、載田の連絡により既に門真署の捜査員が来ていた。「事務所荒らし」はプロの仕業らしく、音の出にくい「焼き破り」手法で割った窓から鍵を開け事務所に侵入し、電源のブレーカーを落としたらしく、ブレーカーを切るまでしか防犯カメラに犯人の姿は写っていなかった。上下黒の長袖長ズボンに頭から首まで被った黒いマスクに暗視装置姿の犯人は背格好から男であることは想像できたが、それ以上は何もわからす、指紋、残留物も期待できない状況だった。
捜査状況を稀世は許可を得て現場をビデオ撮影させてもらい、女性スタッフのインタビューを録画した。一通りの撮影が終わると、応接室に移り被害品の確認をした。
先日見させてもらった事件当時の週刊誌の記事コピーに加えて「北浜唯」名義の個人情報も含まれたファイル一式が盗まれたが、その中に出所後の唯の現住所を示すものは無かったので稀世は少し安心した。
(犯人の目的はわからへんけど、唯ちゃんが今すぐ直接のターゲットになることは無さそうやからよかったわな…。けど、いったい誰が…。ニコニコプロレスはデビュー前やからファンがストーカー化したってことも無いやろうし、怪しいとすれば…。ん、この間のBARまりあに来た唯ちゃんをずっとのぞき見してた「刺青男」とちゃうか?いきなり現れて、この事件やろ…。まりあさんの店の防犯カメラの画像データももらっておくか…。)稀世がいろいろと頭の中で考えていると、女性スタッフから「これが「土居唯」のファイルに残されてた封書なんですけど…」と太田に一枚の封筒が手渡された。
表には「康子様」と唯の母親の名前があり、裏には「土居将司」とだけ記されている。太田は封筒をテーブルに置き、両手を合わすと「失礼します。」と封筒に一礼し、封筒の上部にはさみを入れた。
中に入れられた2枚の手描きの便箋には、妻「康子」に向けられた唯の手術に関する段取りが記されていた。その中に「淀屋橋忠義」の名前も挙がっていた。手術費用は既に払われているはずなので、淀屋橋と一緒にロサンゼルスに向かい「UCLA病院」で手術を受け、約1カ月の経過観察入院後再び淀屋橋が迎えに行くので一緒に帰国する様にという内容が書かれていた。
更に今後、公表されるであろう「遺書」とは別に本物の「遺書」を淀屋橋に託しているという事が書き連ねられていた。
なぜ、この封書が未開封のまま残されていたのかはわからないが、今ここに土居と淀屋橋と唯の接点があったことが証明された。女性スタッフは「安さんにお預けします。」という事だったので、その言葉に甘えて持ち帰らせてもらうことにした。
警察による現場検証も終わりそうだったので、一応、防犯カメラの画像データをコピーさせてもらい、時計を見ると10時50分になっていた。「とりあえず先に昼めし食うか。」の太田の一言で向日葵寿司にランチを食べに行くことにした。
「へい、いらっしゃい!あれ、稀世さんに太田さんやないですか。どうぞこちらに。」
と三朗に招かれてカウンター席に並んで座った。
「取材の途中でしたら、おビールは無しの方がいいですか?この間、話されてた件は進まれてますか?」
三朗が大きな湯呑の「あがり」を出して尋ねた。「せやな。今日は、ランチだけいただくわな。」太田が答えると「はい、ランチ2人前ありがとうございまーす!」と声を張り上げた。
まもなく寿司下駄に載せたランチセットと吸い物が配膳された。普通のランチ御膳より二貫多い。「えっ、サブちゃん、これ「中トロ」とちゃうの?「いくら」もつけてもろてええの?」と稀世が三朗に問うと、「声が大きいですよ。稀世さんは僕には特別なお客様ですから。他のお客さんには内緒ですよ。」と三朗は小さな声で笑顔を返した。
「いただきます」をすませると、稀世は食べながら太田に鼻息荒く言った。
「それにしても淀屋橋ってやつ、本当にいい加減な奴ですね。唯ちゃんのお父さんが残した本物の遺書も渡してへんのとちゃいますか?唯ちゃんのお母さんはマスコミ報道でノイローゼになって死んじゃった訳ですから。私、淀屋橋を見つけたらラリアットかまして、逆エビ固めかけてしまうかもしれませんよ。」
太田は「あがり」をすすりながら稀世に優しく諭すように呟いた。
「「判断」は「全て」のピースが揃ってからやろ。直感やその時々の感情だけで判断すると、取材にデバイス掛かってしまうから注意するんやで。」
「でも…。」
さらに追加で文句を言いたげな稀世に空気を読んだ三朗が「今日は稀世さんにはもう一つのサービスのデザートですよ。「ガリのジェラート」です。お酢と和三盆でまとめていますので食べてみて下さい。」の一言で稀世の怒りのボルテージは一気に下がった。太田も冷たいジェラートに舌つづみをうちながら、稀世にたしなめるように言った。
「稀世ちゃん、ホットなハートはええけど、頭は常にクールにやで。思い込みと偏った考えは思考を硬直させてしまうでなぁ。」
店の壁に掛かったテレビで国会の委員会での森小路の質疑応答シーンが映し出されていた。相変わらずの「のらりくらり」で野党議員の追及をかわしている。秘書の「関目大介」については三日前から「行方不明」という事になっているようだ。「献金の会計処理について「全て」は秘書の関目に任せていたのでこれ以上何を聞かれてもお答えのしようがないですねぇ…。」と言う森小路を野党議員は追いつめきれないもどかしい討論が続く。ジェラートを食べ終わった稀世がテレビ画面を見ながら呟いた。
「太田さん、こいつが唯ちゃんのお父さんを殺した張本人なんかもしれへんわけですよね。どうにかできないもんなんですか?」
「うーん、今の材料では難しいやろな。唯ちゃんの証言は催眠術による「たわごと」って言われてしまうやろうし、淀屋橋が何を知ってるんかはわからんけど、直接的な「物証」を持ってない限り、土居の無実は証明できへん。残念ながら、これが今の日本の司法制度の限界やな…。」
太田は諦め口調で稀世を諭すと、三朗に「あがり」のおかわりを頼んだ。
勘定を太田が済ますと三朗が難しい顔をしたままの稀世に
「明日のお昼のハッピーハウスの慰問は稀世さんも来れそうですか?子供達みんな、「お稲荷さんパーティー」を楽しみにしてるんですけど。」
と言われた稀世は慌てて答えた。
「あっ、ごめん。すっかり忘れてたわ。もちろんお手伝いに行かせてもらうで。子供らと一緒に遊んで、ちょっと頭をリフレッシュもしたいしな。私もサブちゃんのたけのこご飯のお稲荷さん好きやから楽しみにしてんねん。10時にここに来させてもらったらええんよね。」
笑顔で答える稀世に「稀世さんは笑顔の方が絶対にいいですよ。その笑顔は凄い「引き運」持って来はりますから、きっと「文秋」を出し抜けるスクープをゲットされると信じてますよ。」と三朗も笑顔で返すと笑いながら明日の再会を約束した。
「そりゃサブちゃんの買い被りやわ。私なんかまだまだそんなこと言えるレベルやないわ。ケラケラケラ。じゃあ、また明日ね!」
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