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ALS・筋萎縮性側索硬化症でもプロレスラーになれますか?新人レスラー安江の五倫五常

「いやな予感」

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「いやな予感」
 全日本プロレス福島大会が郡山市の福島県産業交流館、通称「ビッグパレットふくしま」で開催された。1998年10月に開場した会場は、見本市、国際会議、コンサートなどでも使われる、収容観衆五千五百人を誇る福島県の多目的ホールである。2011年3月11日の東日本大震災時には二千五百人の避難民を受け入れ、福島県最大の避難所として機能したことでも有名な施設である。
 岩井も初めて出場する福島県の興行から始まる、「みちのくシリーズ」と名付けられた東北巡業にワクワクしていた。深夜枠ではあるが、テレビ放映が入るからである。もちろん、五十分の放送枠で岩井の出場するタッグマッチのすべてが放映されるわけではないが、勝てば「フォール」シーンと勝ち名乗りを受けるシーンは数秒とはいえ放映される。
 赤ん坊をお腹に抱えつつ、頑張ってリハビリを続けるまりあへの最高の励ましになると思い、気合を入れていた。対戦相手は、アメリカからの招待選手のヒールコンビだった。身長2メートル、体重140キロを超える巨漢タッグのパワーに対し、スピードで対抗し、不意を突いてのフォール勝ちをイメージしていた。

 まりあの妊娠が発覚し、結婚を決めてからの岩井の頑張りは、全日本プロレス運営陣の中でも評価が上がってきており、今回の外人コンビとのファイトの内容如何によっては、再来月からの名古屋、大阪、広島、福岡の西日本巡業で「いい位置」での参戦プログラムに入る可能性があるとマネージャーから聞かされていた。まりあ、そして生まれてくる子のためにも是が非でも、今日の勝負には負けられなかった。
 若干二十歳の若さでその位置まで登ったのは、この半年の岩井の努力以外の何ものでもなかった。特段、学生時代にタイトルを持っていない岩井は、同様の立場で入門してきた若手たちの目標となった。巡業時も朝夕のトレーニングをストイックにこなす岩井の周りには、次々と仲間が増えていた。
「俺は、この大会で勝って、「稼げる」クラスに上がるんだ!再来月に子供が生まれて、まりあが杖付きでも歩けるようになったら「披露宴」挙げるから、みんなも来てくれよな。」
と仲間たちに宣言して、自らにプレッシャーをかけた。
 夕方、会場入りし出番の午後七時を目途に体をほぐすため、午後五時にはジョギングを終え、入念なストレッチを繰り返した。(そろそろ、まりあも夕飯を終えたくらいかな?)と六時過ぎにまりあに電話を入れた。
「もしもし、お腹とリハビリの方は順調かい?」
「うん、だいぶ胎動が強く出るようになってきてる。今日の試合は七時くらいだっけ?「イワちゃん頑張れ!」、「お父さん頑張れ!」って赤ちゃんと一緒に応援の「念」を送っておくから、勝ってね!」
「おう、任せとけ!放送は来週になるけど、テレビも入るしな。いっちょ、派手に飛んで決めるよう頑張るよ。」
「ところで、イワちゃん、そっちに行って何か変なこと無い?」
「何?別にいつも通りだけど何かあったのかい?」
「い、いや、イワちゃん、最近人気急上昇中やから、試合後、飲みの誘いあってキャバクラやクラブ行って、東北美人に引っかかったらいやだなって思って…。」
「バカ、まりあと赤ん坊がいて、誰が浮気するってんだ。心配は全くナッシングだよ。」
「う、うん…。そりゃ、そうよね…。でも、今日の試合はいつも以上に気をつけてね…。」
「なんだい、本当に何かあったのか?何か様子がおかしいよ。」
「えっ、い、いつもと一緒だよ。き、今日から九日間は、会えないから、ちょ、ちょっと甘えてみただけ。う、うん、頑張ってね…。」
「おうよ、じゃあ、そろそろ出番だから行ってくるな。試合が終わったら、また電話するよ。」
 
 岩井が電話を切ると、不意に「桜木町の母」の言葉が頭によみがえった。(午後六時から八時が「酉の刻」…。うーん、考えすぎるのはやめよう。おなかの赤ちゃんにも障ってしまうわ。さあ、お気に入りの音楽でも聴いて気分転換しよっ。)とiPodを取り出し、イヤホンを耳に入れ再生ボタンを押した。
 耳には、心地よいまりあの好きなJ-POPグループの歌が入ってくるのだが、頭にはその音楽が入ってくることはなかった。ずっと「酉の刻」というワードが繰り返し回っていた。
 
 午後七時五十五分、病室でガラケーを握り締め、まりあは岩井からの電話を待っていた。(もうあと五分で「酉の刻」終わり…。無事に試合終わったのかなぁ…。フルに試合をしてても、もうそろそろ控室に帰ってくる時間よね。それに、何かあったら、マネージャーさんから連絡があるはずだし…、)
 午後八時、岩井からの連絡はない。念のため、留守番電話サービスとメールの着信を確認したが受信歴は無かった。(もしかして、格好よく勝っちゃって、東スポの取材でも受けてるのかな?「ゴング」や「週刊プロレス」の取材かも…?)無理して、明るい結果を考えようとするが、まりあの頭の中は、ますます「桜木町の母」の言葉が重く圧し掛かってきた。
 辛抱しきれず、八時五分、岩井の携帯に電話をかけた。(お願い、イワちゃん、電話に出て!)コール十回のあと「おかけになった電話は、現在電波の届かないところに居られるか、電源をお切りになっています。メッセージのある方は発信音の後、メッセージをお入れください。」という留守番電話サービスの自動音声に切り替わった。
 五分ごとにコールをするが、結果は変わらなかった。午後九時五十八分。「まもなく消灯時間です。」と院内に看護師が部屋の点検を兼ねた最終訪問があった。(イワちゃん、どうしたの?早く、いつもみたいに電話ちょうだいよ…。)自然と涙が出てきた。

 窓の外が白んできた。朝だ。結局、一睡もできずにまりあは朝を迎えた。ガラケーを開くと午前四時五十九分を示している。(1・4・1・6…。)留守番電話サービスに電話を入れた。(お願い、メッセージ入ってて!)
 まりあの願いは届かず、「メッセージはゼロ件です。」の機械音声が流れた。(まあ、夜中に病院には電話はできないわよね。連絡するならきっとメールよね。)とメールを開いた。まりあからの岩井の携帯への送信履歴が十数件あるだけで、着信はない。(今までこんなこと一回もなかったのに…。)不安のため息をついたとき、二回、赤ん坊がお腹の中から強く蹴っ飛ばした。(ごめんね、お母さん心配しすぎよね。赤ちゃんに心配かけちゃだめだよね…。)

 「はーい、朝の検温を行いまーす。」
午前七時半、若い看護師が体温計を配りに来た。六人部屋の一番奥の窓際のベッドにいるまりあは最後だった。体温計を受け取ると看護師が
「あれっ?凄いクマ出てますよ。昨晩、寝られませんでしたか?なにか、痛みが出ました?お腹ですか?膝ですか?」
と優しく聞いてきた。
「い、いや、そ、それはないんですけど…、あの…、昨晩、病院に私宛の電話とか入ってないですか?いつもあるはずの主人からの電話がなかったものですので…。」
「うーん、私、当直でしたけど、無かったですね。ご主人、巡業中でしたっけ。きっと、飲みにでも行って、電話するの忘れてただけじゃないですか?こんなにかわいい奥さんと赤ちゃん放っておくなんて、今度お見舞いに来たら、私から怒ってあげましょうか?」
「い、いえ、結構です。」
と体温計を看護師に返した。
「36.1度。今日も問題なし。じゃあ、朝食はしっかり採ってくださいね。今日の歩行訓練は、十時からです。また、迎えに来ますから準備お願いしますね。」
といって看護師は出ていった。

 午前九時二十分、まりあの携帯電話が「ぶるぶる」と震えた。(あっ、イワちゃんかな?もう、遅いぞー。文句の「百個」や「千個」言ってやるからなー。)ガラケーを開くと着信は、岩井担当のマネージャーからだった。
 高まる心拍に、急に胸が苦しくなった。(落ち着け、落ち着くのよ私。まだ、何かがあった訳じゃないわ。電話に出なきゃ…。)電話の受信ボタンを押すまでに「六コール」の時間を要した。
「は、はい、もしもし…。」
「あー、まりあちゃんか?マネージャーの門口だ。早くに悪い、今、時間いいかな?」
「は、はい…。」


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