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ALS・筋萎縮性側索硬化症でもプロレスラーになれますか?新人レスラー安江の五倫五常
「直の旦那」
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「直の旦那」
直は、ジャボジャボと湯船の湯を両手ですくい、顔を洗った。
「あんなぁ、暗い話は好きやないねんけど、ひとつ聞いたってくれるか。」
頷く稀世と安江。
直は、遠い眼をして語りだした。直が菅野電器店に嫁いだのは、メキシコオリンピックが開催された1968年。旦那の平八郎は、六歳上で店を継いで二年目だった。戦中生まれの平八郎の父は、東郷平八郎に準えて名付けたと聞いている。平八郎は、時代錯誤な名前を嫌がったが、「今更どうしようもない」と直にはよく愚痴をこぼしていた。
平八郎の父が事故で手足が不自由になり、大学を卒業して、大手電機メーカーに就職したばかりだったのだが、当時のサラリーマン給与より、街の電気屋の収入の方が高かったことと、当時は、今のような介護施設は皆無で、病院から出されると自宅での看護、介護が当たり前の時代だった為、退院を機に、菅野電器店の取引先の娘の直を平八郎の嫁にもらうことにしたというのが結婚のきっかけだったとのことであった。
平八郎は、京都大学工学部出身。日露戦争の大詰めの日本海海戦の英雄でもある東郷「平八郎」の名前に反して、学生時代は「マルクス」にかぶれ、「世界同時革命」を目指す左翼の「革命戦士」だった。理系だったこともあり、左翼セクトでは、警官隊や機動隊と直接対決のデモ組ではなく、「パイプ爆弾」や「銃器の改造」を担当する技術係をしていた。材料はいくらでも学校にあり、「左翼思想」よりも「武器を作る方」が面白かった。
卒業と同時に左翼活動は引退したものの、「後輩戦士」からは、ことあるごとに無線機のトランジスタを活用した遠隔起爆装置や、タイマー式の時限発火装置等の「武器」の製作依頼が来ていた。しかし、直との結婚を機に、それらの輩とは完全に縁を切り、ニコニコ商店街の若大将として、父から引き継いだ商店街役員に就いていた。
平八郎の父は、昭和気質の中にも、「やさしさ」を持ち、直に対してもやさしくしてくれていた。不自由な体でありながら、「できる間は自分でやる。どうしようもなくなったら直さんの世話になるわな。」と家の中の事はすべて自立していた。外出時は、直が車いすを押し、当時は賑わっていた商店街で「寿司」、「そば」、「甘味屋」等、よく一緒に行った。
当時の直は、「ニコニコ小町」と呼ばれる、商店街一の「別嬪さん」で、「直」目当てでその当時からでき始めた、安売りの大型スーパーや電器量販店ではなく、定価売りの菅野電器店でカラーテレビや冷蔵庫、洗濯機を買うものが多く、店は繁盛していた。
1969年、学生運動は、1月18日の東大安田講堂事件が起こり、1月19日に明大通りに「神田カルチェラタン」と呼ばれる「解放区」が出現した。京都大学を含む、関西の大学にも学生運動が広がりだした。5月20日の立命館大学の「わだつみ像破壊事件」をきっかけに、それまでのデモ活動中心の行動からセクトごとに色が変わっていった。
京都大学内では、経済学部助手の俗名滝田修(※本名は別)が「ゲリラ闘争」をモットーとするノンセクト・ラジカルの「京都パルチザン」を立ち上げた。メンバーには後に元赤軍派中央委員の重信房子とともに1974年に「連合赤軍」の幹部となる奥平剛士がいた。
1970年の「海老原事件」と呼ばれる「東京教育大生リンチ殺人事件」、1971年の「関西大学構内内ゲバ殺人事件」など凄惨な事件が表面化する中、地下活動に舵をきる「暴力革命」を目的の主とするきな臭いセクトが多数出てきていた
1972年には、菅野電器店にもドカヘルにタオルマスクを脱ぎ、一般学生の身なりで、平八郎の京大時代の後輩活動家が日夜、「爆弾制作」の直談判に現れた。平八郎の父は、不自由な体で「お前らに協力することは何もない。マルクスみたいな外人よりも、神国日本を支えた先人を敬え。」と火鉢の灰をふりかけ、塩をまいた。京大所属の左翼セクトは、同じ京都の立命館大、同志社大に後れを取るなとばかりに、武装闘争の武器確保のため、菅野電器店を日参したが、平八郎の父の「関所」を越えることはできなかった。
ある日、いつも来る京大の左翼セクトの緩い動きに業を煮やした、武闘派の東大所属のセクトの幹部のふたりが同行してきた。いつものメンバーと違い、平八郎の父に、無謀な論戦を挑んだのだ。戦前生まれの平八郎の父と話がかみ合うことは永遠に来ることはない中、「コミンテルンも共産党も帝政ロシアを倒すために使われた道具やないか。結果、世界革命なんか信じてんのは、お前ら赤の「あほ」だけや!」の一言が、武闘派の革命戦士を「論戦の土俵」から、「暴力のリング」に上がらせるきっかけとなってしまった。車いすの平八郎の父に殴りかかり、車椅子から転げ落ちたところを東大から来たふたりが袋叩きにした。鼻血が吹き出し、うめき声をあげる義父に気づいた直が体を張って平八郎の父に覆いかぶさり庇った。
すっかり、頭に血が上った東大からきた幹部たちは、「帝国主義の親父は半殺しにしてやった。嫁は預かった。無事に返してほしくば、我々の要求を呑め。嫁は二日預かる。それまでに、パイプ爆弾十本以上を用意しろ。また、明日の夜に連絡を入れる。」と書置きを残し、直を連れ去っていった。
「直さん、そんな奴ら、いつもの合気道でぶん投げたったら良かったやん。なんで、「成敗」したらへんかったん?」
稀世が不思議そうに直に尋ねた。
「今の合気道は、その後で学び始めたんや。大事な旦那のおやじさん、いいようにボコられて、身を挺して庇うしかできへんかった。圧倒的な暴力を前にして、言葉の無力さを知ったんやなぁ。もちろん、店の奥の部屋には、小さい娘ふたりがおったから、そんな無茶もできへん状況やったんやけどな。」
「ふーん、今の直さんからは信じられへんな。そんで、どこに連れていかれたん?」
「八幡の倉庫街や。ぼろいトヨタのセダンに乗せられて、奴らのアジトになってる古い鉄骨でスレート張りの倉庫に連れていかれたんや。目隠しされて、両手縛られて、なんもできへん…。「茄子がママ、キュウリがパパ」いう奴やな。京大の奴らだけなら、殺されるとは思わへんかったけど、東大の奴は言うこと相当キレてたから、「やばい」と思ったなぁ。
ただ、それ以上に、旦那のおやじさんのことをずっと心配してた。身体障害のじいさんに遠慮なしのボコり方やったからなぁ。わしは、一晩倉庫に拉致されて、アンパンと牛乳だけでずっと椅子に縛られとった。旦那に「来たらあかん。」って伝えたいけど、それもできへん。親父さんのケガの具合も聞かれへん状態が辛かったわなぁ。」
「で、どうされたんですか?」
心配そうな顔をして安江が聞いた。
「それはやなぁ…。」
直が湯船から先に上がった。
「このままやと、のぼせてしまうから、打たせ湯にでも移動しようや。」
稀世と安江は、直について行った。打たせ湯は、幸い無人だった。三本の打たせ湯は、直と稀世、安江で満員貸し切りとなったため、ゆっくりと話ができるようになった。
「東大からの武闘派のふたりが夕食を取りに出たとき、わしへの見張りは、何回か菅野電器店に来た時の顔を見てた京大の三人になったんや。
三人の中の一人が旦那のゼミの後輩やったんやぁ。「平八郎先輩は、爆弾を作ることに同意して、今、作ってはるところです。爆弾と引き換えで奥さんは解放しますんで、今しばらく辛抱してください。」って言いよんねん。「あほか」いうねんなぁ。「とっととわしを殺して、旦那に「嫁はもう死んだ」って言うて来い。」って言うてつば吐きつけたったんや。そしたら、空気銃の銃床で顔をどつかれた。普通、女の顔どつくかってなぁ…。」
直は、自分の右頬に手をやり、何かを思い出すかのように一息つくと、話を続けた。拉致された翌日の夕方に、旦那が店のオート三輪の荷台に手製爆弾十本積んで、車ごと倉庫に入ってきた。
「嫁を、直を先に返せ。荷物は車の荷台に積んである。それで文句あれへんやろ。」
と叫ぶと、東大所属のひとりが荷台の防水カバーを外し、木製のリンゴ箱に入っている鉄パイプを確認した。平八郎は、
「中に一寸釘詰め込んだ殺傷力上げた、「新宿仕様」や。これで文句ないやろう。信管挿入口はM12でタップ切ってるから、信管はお前らで準備せえ。さあ、直を返せ。」
と革命戦士を前に一歩も引かなかった。
京大セクトのふたり組が猿轡(さるぐつわ)をはめ、後ろ手に縛られたままの直を平八郎の前に連れてきた。ほほから顎にかけての大きな痣と鼻血の拭き残しを見て平八郎はわなわなと震えた。日頃、暴力とは正反対の場にいる平八郎が直の前で見せた初めての怒りの表情だった。湧き出る怒りに顔をぴくぴくと振るわせつつ、直の猿轡を外し、腕を縛るロープを工事用の大型カッターナイフで切ると、直をオート三輪の助手席に乗せた。革命戦士たちは、荷台のリンゴ箱を下した。
「じゃあ、これっきりにしてくれな。黒色火薬の作り方と図面は、サービスでつけといてやるから、あとはお前らで作れや。」
と言い、オート三輪のエンジンをかけた。門を出る直前に、東大からの幹部のひとりが軽口をたたいた。
「かわいい嫁さん、大事にしろよ。まあ、俺らも十分楽しましてもらったよ。」
「ん!なんやて!」
「平八郎さん、私はなんもなかったよ。一発、どつかれただけ。あんな奴の言うこと気にせんといて。貞操はしっかりと守れてるから。」
とオート三輪を止め車を、降りようとする平八郎を必死に止めた。オート三輪が入り口を出ると、奴らは扉を閉めた。扉が閉まったのを確認すると、平八郎は直に聞きなおした。
「ほんまになんもなかったんか?」
「うん、さっきも言ったように、銃の木の部分で殴られただけ。」
「何!銃でどつかれたんか。」
「うん、でも大丈夫や。」
「あかん、俺の世界で一番大事な嫁さんを銃でしばいたやと。あいつら絶対に許されへん。直、お前ここでちょっと待っとけよ。あいつらにお釣りを渡し忘れてたわ。世界一の嫁さんの対価がパイプ爆弾十本じゃ安すぎるわな。
直は、この先50メートルに赤電話があるタバコ屋がある。そこ行って110番かけてこい。国道一号線の八幡のもぎ取り街道入り口の一本奥で〇〇廃材の奥の倉庫って言えば、警察はわかりよる。爆弾準備して学生の活動家が屯(たむろ)してるって言えばええ。それが終わったらここで待っとけ。ダッシュで逃げなあかんかもしれへんから、キーは差しとくわな。俺になんかあったら、ひとりで逃げろよ。」
と平八郎は言い残すと、荷台からチェーンとカラビナ、そしてなにやらタンクとノズルのついた一斗缶とハンマーを持って降りていった。
直は、平八郎から財布を預かると、言われたように50メートル先のタバコ屋に走った。十円玉を一枚入れて110番とダイヤルを回した。繋がった、警察の受付に平八郎が言ったとおりに伝えたところ、さっきまで居た倉庫の方角から破裂音が聞こえた。直は、いやな予感がして、受話器を放り投げると、倉庫に走った。オート三輪は、さっき停めた場所のままだ。運転席を見たが、平八郎の姿はない。
「平八郎さーん!」
直は、泣きながら倉庫へ走った。倉庫の前で、右胸と腹の中央から血を流した平八郎があおむけに倒れていた。あわてて平八郎の頭を膝枕に乗せた。その瞬間背中を支えた左手にヌルっとした生暖かい感触があり、平八郎の体を確認した。
「平八郎さん、どうしたん!血が出てるやんか!」
「ごめん、直、しくじったわ。怒りに我を忘れて、扉の材質をよう見んの忘れ取った…。下半分は鉄板張ってるけど、上はベニヤやったわ…。誤算やったなぁ…。京大工学部卒やのに、情けないやろ…。」
切れ切れの息で平八郎が呟いた。直が扉の引き戸を見ると、太いチェーンで両方の取っ手が縛られ、カラビナでロックされている。入り口の小窓のガラスが割れ中から男たちのうめき声が聞こえている。
「窓から、催涙ガスの噴射器放り込んだったんや。機動隊が使ってるやつの三倍の濃度の奴やから、直はドアに近づくなよ。目、開けへんようになってまうからな。」
割れた、ガラスの下に約1センチの穴がふたつ開いていて、中の光と煙が漏れている。遠くから、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。
「もしかして平八郎さん、鉄砲で撃たれたんか?」
「あぁ、奴ら「めくら撃ち」しよったんや。ふたつ目の誤算は、あいつらどうせ「空気銃」しか持ってへんやろうって思いこんでたんや。まさか、「ライフル銃」持ってるとはな。東京の奴、赤軍派やったんやなぁ…。いつも新聞は読んでたのに、情けないわ。そんで、心臓直撃は避けたけど、右の肺と腹を撃ち抜かれてしもた。もう、肺の中の空気が胸膜内に漏れ出したんか、息がうまく吸われへん。あぁ、あと、警察来たら催涙ガスのこととライフル持ってる件は先に言うたってな。警官も家族がおるやろうからな…。」
「こんな状態で、何、人のこと気にかけてるんよ。すぐ、救急車呼んでくるから、待ってて。」
「いや、直、もうそこまで持たへん…。同じ死ぬなら、最後の時まで、お前の顔を見ていたい…。せやから、このままここに居ってくれや…。お前の膝枕、最後になってまうから、よお顔見せてくれ…。結婚した時は、「一生大事にするからな。」って約束したのに、たった四年でごめんやで。子供と親父で迷惑かけてまうのう、すまんなぁ…。」
「な、なんも謝らんでええ。平八郎さんのお父さんに、平八郎さんと私らの子供やん。迷惑でも何でもあれへんよ。そんな心配はいらんから、死なんといて。お願いやから…。」
直の目から涙がとめどもなく溢れ、平八郎の頬に落ちる。
「あぁ、直の顔がよう見えへんようになってきた。最後にもう一回、笑顔を見せてくれ。直は、泣き顔は似合わへん。絶対…、笑顔…の…ほう…が…え……。」
直は、精一杯笑顔にしようと努力したが無理だった。平八郎の頭がガクッと膝に落ちた。その瞬間、三台のパトカーが、直と平八郎の後ろに停まった。
「平八郎さーん!」
「どうしましたか?中の学生活動家に撃たれたんですか?」
ふたりの警察官が、パトカーから飛び降りてきて、直に聞いた。
「はい、先に主人からの伝言があります。倉庫の中に五人の左翼学生がいます。今は、催涙ガスが倉庫に充満しています。あと、ライフル銃を持っているもんがいますので、注意してください言うことです。す、すぐに、救急車呼んでください。お願いします。お願いします。」
と泣きながら訴えた。膝の上の平八郎はもうピクリとも動かない。直のスカートは、平八郎の血で真っ赤に染まっている。徐々に平八郎の指先は冷たくなってきている。
ひとりの警察官は、建物を包囲しつつ、無線で機動隊の応援を呼んだ。もうひとりの警察官は、救急車の手配を無線でしてくれたが、銃創の位置と地面に溢れた血の量を見て、申し訳なさそうに、直の元を離れた。
約五分で、救急車が来たが、搬送員が平八郎の脈を取り、直にゆっくりと首を振った。
「一度は八幡市民病院に搬送され、検死が行われますので、後ほど病院に来てください。」
と言われ、平八郎は救急車に運び込まれた。残された直は、血まみれのブラウスとスカートで、さっき110番したタバコ屋に行き、商店街役員会の副会長に電話をし、事情を話した。泣きじゃくる直を電話の向こうで副会長は優しく慰めてくれた。「今日は、俺と嫁で、親父さんとふたりの娘さんは面倒見ておくから、平八郎君についていてあげたって。親父さんには、詳しいことはまだ言わんとくわな。」と気遣ってくれた。
直は、受話器を置くと、警察官に
「今から八幡市民病院に向かいます。主人が乗ってきたオート三輪があるんでそれで行きます。事情聴取があるなら、病院で待ってますのでよろしくお願いします。念のため、主人の免許証を渡しておきます。私は、妻の「直」と言います。」
と言うとオート三輪に向かった。運転席の前のダッシュボードに紙封筒が残されていた。
病院に着くと平八郎の身体は検死のため、手術室に入っているとのことだった。三十分ほど待っていると、刑事風の私服警官と先ほどのパトカーで来た制服の警官が話をしに来た。どうやら、平八郎は、大阪府警には直の拉致については連絡してなかったようだった。
事情聴取は、簡易のもので十五分ほどで終わった。今晩は、病院に泊まるのか、門真に帰るのかを聞かれた。「わからない。」と答えると、病院の職員が、
「検死が終わりました。死亡届には、胸部肺の貫通銃創が原因。呼吸不全による、窒息および心不全。と記入してあります。ご遺族で門真市に届け出て火葬手続きをとるか、お知り合いの葬儀社や寺がありましたら、そちらに頼まれてもいいと思います。ご遺体は、こちらで業者手配して、ご自宅までお連れするなら、午後八時までなら可能です。」
と事務的に言った。直にはまだ、平八郎が死んだという気が起こらなかった。病院職員に搬送の手続きを依頼し、刑事に
「主人は、今日、このまま門真に連れて帰ります。」
と伝えると、
「こんな状況で申し訳ありませんが、明日のお通夜までに、二時間ほどお時間いただけますか。奥さんが拉致された昨日からの事、倉庫内で行われた会話等、業務上お伺いしないといけませんので、私が門真のご自宅でも、指定場所でもお伺いします。」
と名刺を渡した。
「明日の朝一に、店に電話いただけますでしょうか…。すみません…。」
というのが精一杯だった。
気が付くと直の両サイドで稀世と安江は号泣していた。
「うわーん、直さん可哀そすぎるやん。その時に私がおったら、そんなへなちょこ学生なんかみんなやっつけたったのに…。」
「うん、うん、涙が止まりません。直さんの旦那さんも可哀そうです…。ところで、オート三輪に置いてあった封筒って、ご主人からの手紙かなんかやったんですか…?」
「稀世ちゃんも安江ちゃんも、こんなわしの話で泣いてくれてありがとうな。さあ、ぼちぼち上がろか。最後は、ビールかフルーツ牛乳でも飲みながら話そうかなぁ…。」
直は、ジャボジャボと湯船の湯を両手ですくい、顔を洗った。
「あんなぁ、暗い話は好きやないねんけど、ひとつ聞いたってくれるか。」
頷く稀世と安江。
直は、遠い眼をして語りだした。直が菅野電器店に嫁いだのは、メキシコオリンピックが開催された1968年。旦那の平八郎は、六歳上で店を継いで二年目だった。戦中生まれの平八郎の父は、東郷平八郎に準えて名付けたと聞いている。平八郎は、時代錯誤な名前を嫌がったが、「今更どうしようもない」と直にはよく愚痴をこぼしていた。
平八郎の父が事故で手足が不自由になり、大学を卒業して、大手電機メーカーに就職したばかりだったのだが、当時のサラリーマン給与より、街の電気屋の収入の方が高かったことと、当時は、今のような介護施設は皆無で、病院から出されると自宅での看護、介護が当たり前の時代だった為、退院を機に、菅野電器店の取引先の娘の直を平八郎の嫁にもらうことにしたというのが結婚のきっかけだったとのことであった。
平八郎は、京都大学工学部出身。日露戦争の大詰めの日本海海戦の英雄でもある東郷「平八郎」の名前に反して、学生時代は「マルクス」にかぶれ、「世界同時革命」を目指す左翼の「革命戦士」だった。理系だったこともあり、左翼セクトでは、警官隊や機動隊と直接対決のデモ組ではなく、「パイプ爆弾」や「銃器の改造」を担当する技術係をしていた。材料はいくらでも学校にあり、「左翼思想」よりも「武器を作る方」が面白かった。
卒業と同時に左翼活動は引退したものの、「後輩戦士」からは、ことあるごとに無線機のトランジスタを活用した遠隔起爆装置や、タイマー式の時限発火装置等の「武器」の製作依頼が来ていた。しかし、直との結婚を機に、それらの輩とは完全に縁を切り、ニコニコ商店街の若大将として、父から引き継いだ商店街役員に就いていた。
平八郎の父は、昭和気質の中にも、「やさしさ」を持ち、直に対してもやさしくしてくれていた。不自由な体でありながら、「できる間は自分でやる。どうしようもなくなったら直さんの世話になるわな。」と家の中の事はすべて自立していた。外出時は、直が車いすを押し、当時は賑わっていた商店街で「寿司」、「そば」、「甘味屋」等、よく一緒に行った。
当時の直は、「ニコニコ小町」と呼ばれる、商店街一の「別嬪さん」で、「直」目当てでその当時からでき始めた、安売りの大型スーパーや電器量販店ではなく、定価売りの菅野電器店でカラーテレビや冷蔵庫、洗濯機を買うものが多く、店は繁盛していた。
1969年、学生運動は、1月18日の東大安田講堂事件が起こり、1月19日に明大通りに「神田カルチェラタン」と呼ばれる「解放区」が出現した。京都大学を含む、関西の大学にも学生運動が広がりだした。5月20日の立命館大学の「わだつみ像破壊事件」をきっかけに、それまでのデモ活動中心の行動からセクトごとに色が変わっていった。
京都大学内では、経済学部助手の俗名滝田修(※本名は別)が「ゲリラ闘争」をモットーとするノンセクト・ラジカルの「京都パルチザン」を立ち上げた。メンバーには後に元赤軍派中央委員の重信房子とともに1974年に「連合赤軍」の幹部となる奥平剛士がいた。
1970年の「海老原事件」と呼ばれる「東京教育大生リンチ殺人事件」、1971年の「関西大学構内内ゲバ殺人事件」など凄惨な事件が表面化する中、地下活動に舵をきる「暴力革命」を目的の主とするきな臭いセクトが多数出てきていた
1972年には、菅野電器店にもドカヘルにタオルマスクを脱ぎ、一般学生の身なりで、平八郎の京大時代の後輩活動家が日夜、「爆弾制作」の直談判に現れた。平八郎の父は、不自由な体で「お前らに協力することは何もない。マルクスみたいな外人よりも、神国日本を支えた先人を敬え。」と火鉢の灰をふりかけ、塩をまいた。京大所属の左翼セクトは、同じ京都の立命館大、同志社大に後れを取るなとばかりに、武装闘争の武器確保のため、菅野電器店を日参したが、平八郎の父の「関所」を越えることはできなかった。
ある日、いつも来る京大の左翼セクトの緩い動きに業を煮やした、武闘派の東大所属のセクトの幹部のふたりが同行してきた。いつものメンバーと違い、平八郎の父に、無謀な論戦を挑んだのだ。戦前生まれの平八郎の父と話がかみ合うことは永遠に来ることはない中、「コミンテルンも共産党も帝政ロシアを倒すために使われた道具やないか。結果、世界革命なんか信じてんのは、お前ら赤の「あほ」だけや!」の一言が、武闘派の革命戦士を「論戦の土俵」から、「暴力のリング」に上がらせるきっかけとなってしまった。車いすの平八郎の父に殴りかかり、車椅子から転げ落ちたところを東大から来たふたりが袋叩きにした。鼻血が吹き出し、うめき声をあげる義父に気づいた直が体を張って平八郎の父に覆いかぶさり庇った。
すっかり、頭に血が上った東大からきた幹部たちは、「帝国主義の親父は半殺しにしてやった。嫁は預かった。無事に返してほしくば、我々の要求を呑め。嫁は二日預かる。それまでに、パイプ爆弾十本以上を用意しろ。また、明日の夜に連絡を入れる。」と書置きを残し、直を連れ去っていった。
「直さん、そんな奴ら、いつもの合気道でぶん投げたったら良かったやん。なんで、「成敗」したらへんかったん?」
稀世が不思議そうに直に尋ねた。
「今の合気道は、その後で学び始めたんや。大事な旦那のおやじさん、いいようにボコられて、身を挺して庇うしかできへんかった。圧倒的な暴力を前にして、言葉の無力さを知ったんやなぁ。もちろん、店の奥の部屋には、小さい娘ふたりがおったから、そんな無茶もできへん状況やったんやけどな。」
「ふーん、今の直さんからは信じられへんな。そんで、どこに連れていかれたん?」
「八幡の倉庫街や。ぼろいトヨタのセダンに乗せられて、奴らのアジトになってる古い鉄骨でスレート張りの倉庫に連れていかれたんや。目隠しされて、両手縛られて、なんもできへん…。「茄子がママ、キュウリがパパ」いう奴やな。京大の奴らだけなら、殺されるとは思わへんかったけど、東大の奴は言うこと相当キレてたから、「やばい」と思ったなぁ。
ただ、それ以上に、旦那のおやじさんのことをずっと心配してた。身体障害のじいさんに遠慮なしのボコり方やったからなぁ。わしは、一晩倉庫に拉致されて、アンパンと牛乳だけでずっと椅子に縛られとった。旦那に「来たらあかん。」って伝えたいけど、それもできへん。親父さんのケガの具合も聞かれへん状態が辛かったわなぁ。」
「で、どうされたんですか?」
心配そうな顔をして安江が聞いた。
「それはやなぁ…。」
直が湯船から先に上がった。
「このままやと、のぼせてしまうから、打たせ湯にでも移動しようや。」
稀世と安江は、直について行った。打たせ湯は、幸い無人だった。三本の打たせ湯は、直と稀世、安江で満員貸し切りとなったため、ゆっくりと話ができるようになった。
「東大からの武闘派のふたりが夕食を取りに出たとき、わしへの見張りは、何回か菅野電器店に来た時の顔を見てた京大の三人になったんや。
三人の中の一人が旦那のゼミの後輩やったんやぁ。「平八郎先輩は、爆弾を作ることに同意して、今、作ってはるところです。爆弾と引き換えで奥さんは解放しますんで、今しばらく辛抱してください。」って言いよんねん。「あほか」いうねんなぁ。「とっととわしを殺して、旦那に「嫁はもう死んだ」って言うて来い。」って言うてつば吐きつけたったんや。そしたら、空気銃の銃床で顔をどつかれた。普通、女の顔どつくかってなぁ…。」
直は、自分の右頬に手をやり、何かを思い出すかのように一息つくと、話を続けた。拉致された翌日の夕方に、旦那が店のオート三輪の荷台に手製爆弾十本積んで、車ごと倉庫に入ってきた。
「嫁を、直を先に返せ。荷物は車の荷台に積んである。それで文句あれへんやろ。」
と叫ぶと、東大所属のひとりが荷台の防水カバーを外し、木製のリンゴ箱に入っている鉄パイプを確認した。平八郎は、
「中に一寸釘詰め込んだ殺傷力上げた、「新宿仕様」や。これで文句ないやろう。信管挿入口はM12でタップ切ってるから、信管はお前らで準備せえ。さあ、直を返せ。」
と革命戦士を前に一歩も引かなかった。
京大セクトのふたり組が猿轡(さるぐつわ)をはめ、後ろ手に縛られたままの直を平八郎の前に連れてきた。ほほから顎にかけての大きな痣と鼻血の拭き残しを見て平八郎はわなわなと震えた。日頃、暴力とは正反対の場にいる平八郎が直の前で見せた初めての怒りの表情だった。湧き出る怒りに顔をぴくぴくと振るわせつつ、直の猿轡を外し、腕を縛るロープを工事用の大型カッターナイフで切ると、直をオート三輪の助手席に乗せた。革命戦士たちは、荷台のリンゴ箱を下した。
「じゃあ、これっきりにしてくれな。黒色火薬の作り方と図面は、サービスでつけといてやるから、あとはお前らで作れや。」
と言い、オート三輪のエンジンをかけた。門を出る直前に、東大からの幹部のひとりが軽口をたたいた。
「かわいい嫁さん、大事にしろよ。まあ、俺らも十分楽しましてもらったよ。」
「ん!なんやて!」
「平八郎さん、私はなんもなかったよ。一発、どつかれただけ。あんな奴の言うこと気にせんといて。貞操はしっかりと守れてるから。」
とオート三輪を止め車を、降りようとする平八郎を必死に止めた。オート三輪が入り口を出ると、奴らは扉を閉めた。扉が閉まったのを確認すると、平八郎は直に聞きなおした。
「ほんまになんもなかったんか?」
「うん、さっきも言ったように、銃の木の部分で殴られただけ。」
「何!銃でどつかれたんか。」
「うん、でも大丈夫や。」
「あかん、俺の世界で一番大事な嫁さんを銃でしばいたやと。あいつら絶対に許されへん。直、お前ここでちょっと待っとけよ。あいつらにお釣りを渡し忘れてたわ。世界一の嫁さんの対価がパイプ爆弾十本じゃ安すぎるわな。
直は、この先50メートルに赤電話があるタバコ屋がある。そこ行って110番かけてこい。国道一号線の八幡のもぎ取り街道入り口の一本奥で〇〇廃材の奥の倉庫って言えば、警察はわかりよる。爆弾準備して学生の活動家が屯(たむろ)してるって言えばええ。それが終わったらここで待っとけ。ダッシュで逃げなあかんかもしれへんから、キーは差しとくわな。俺になんかあったら、ひとりで逃げろよ。」
と平八郎は言い残すと、荷台からチェーンとカラビナ、そしてなにやらタンクとノズルのついた一斗缶とハンマーを持って降りていった。
直は、平八郎から財布を預かると、言われたように50メートル先のタバコ屋に走った。十円玉を一枚入れて110番とダイヤルを回した。繋がった、警察の受付に平八郎が言ったとおりに伝えたところ、さっきまで居た倉庫の方角から破裂音が聞こえた。直は、いやな予感がして、受話器を放り投げると、倉庫に走った。オート三輪は、さっき停めた場所のままだ。運転席を見たが、平八郎の姿はない。
「平八郎さーん!」
直は、泣きながら倉庫へ走った。倉庫の前で、右胸と腹の中央から血を流した平八郎があおむけに倒れていた。あわてて平八郎の頭を膝枕に乗せた。その瞬間背中を支えた左手にヌルっとした生暖かい感触があり、平八郎の体を確認した。
「平八郎さん、どうしたん!血が出てるやんか!」
「ごめん、直、しくじったわ。怒りに我を忘れて、扉の材質をよう見んの忘れ取った…。下半分は鉄板張ってるけど、上はベニヤやったわ…。誤算やったなぁ…。京大工学部卒やのに、情けないやろ…。」
切れ切れの息で平八郎が呟いた。直が扉の引き戸を見ると、太いチェーンで両方の取っ手が縛られ、カラビナでロックされている。入り口の小窓のガラスが割れ中から男たちのうめき声が聞こえている。
「窓から、催涙ガスの噴射器放り込んだったんや。機動隊が使ってるやつの三倍の濃度の奴やから、直はドアに近づくなよ。目、開けへんようになってまうからな。」
割れた、ガラスの下に約1センチの穴がふたつ開いていて、中の光と煙が漏れている。遠くから、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。
「もしかして平八郎さん、鉄砲で撃たれたんか?」
「あぁ、奴ら「めくら撃ち」しよったんや。ふたつ目の誤算は、あいつらどうせ「空気銃」しか持ってへんやろうって思いこんでたんや。まさか、「ライフル銃」持ってるとはな。東京の奴、赤軍派やったんやなぁ…。いつも新聞は読んでたのに、情けないわ。そんで、心臓直撃は避けたけど、右の肺と腹を撃ち抜かれてしもた。もう、肺の中の空気が胸膜内に漏れ出したんか、息がうまく吸われへん。あぁ、あと、警察来たら催涙ガスのこととライフル持ってる件は先に言うたってな。警官も家族がおるやろうからな…。」
「こんな状態で、何、人のこと気にかけてるんよ。すぐ、救急車呼んでくるから、待ってて。」
「いや、直、もうそこまで持たへん…。同じ死ぬなら、最後の時まで、お前の顔を見ていたい…。せやから、このままここに居ってくれや…。お前の膝枕、最後になってまうから、よお顔見せてくれ…。結婚した時は、「一生大事にするからな。」って約束したのに、たった四年でごめんやで。子供と親父で迷惑かけてまうのう、すまんなぁ…。」
「な、なんも謝らんでええ。平八郎さんのお父さんに、平八郎さんと私らの子供やん。迷惑でも何でもあれへんよ。そんな心配はいらんから、死なんといて。お願いやから…。」
直の目から涙がとめどもなく溢れ、平八郎の頬に落ちる。
「あぁ、直の顔がよう見えへんようになってきた。最後にもう一回、笑顔を見せてくれ。直は、泣き顔は似合わへん。絶対…、笑顔…の…ほう…が…え……。」
直は、精一杯笑顔にしようと努力したが無理だった。平八郎の頭がガクッと膝に落ちた。その瞬間、三台のパトカーが、直と平八郎の後ろに停まった。
「平八郎さーん!」
「どうしましたか?中の学生活動家に撃たれたんですか?」
ふたりの警察官が、パトカーから飛び降りてきて、直に聞いた。
「はい、先に主人からの伝言があります。倉庫の中に五人の左翼学生がいます。今は、催涙ガスが倉庫に充満しています。あと、ライフル銃を持っているもんがいますので、注意してください言うことです。す、すぐに、救急車呼んでください。お願いします。お願いします。」
と泣きながら訴えた。膝の上の平八郎はもうピクリとも動かない。直のスカートは、平八郎の血で真っ赤に染まっている。徐々に平八郎の指先は冷たくなってきている。
ひとりの警察官は、建物を包囲しつつ、無線で機動隊の応援を呼んだ。もうひとりの警察官は、救急車の手配を無線でしてくれたが、銃創の位置と地面に溢れた血の量を見て、申し訳なさそうに、直の元を離れた。
約五分で、救急車が来たが、搬送員が平八郎の脈を取り、直にゆっくりと首を振った。
「一度は八幡市民病院に搬送され、検死が行われますので、後ほど病院に来てください。」
と言われ、平八郎は救急車に運び込まれた。残された直は、血まみれのブラウスとスカートで、さっき110番したタバコ屋に行き、商店街役員会の副会長に電話をし、事情を話した。泣きじゃくる直を電話の向こうで副会長は優しく慰めてくれた。「今日は、俺と嫁で、親父さんとふたりの娘さんは面倒見ておくから、平八郎君についていてあげたって。親父さんには、詳しいことはまだ言わんとくわな。」と気遣ってくれた。
直は、受話器を置くと、警察官に
「今から八幡市民病院に向かいます。主人が乗ってきたオート三輪があるんでそれで行きます。事情聴取があるなら、病院で待ってますのでよろしくお願いします。念のため、主人の免許証を渡しておきます。私は、妻の「直」と言います。」
と言うとオート三輪に向かった。運転席の前のダッシュボードに紙封筒が残されていた。
病院に着くと平八郎の身体は検死のため、手術室に入っているとのことだった。三十分ほど待っていると、刑事風の私服警官と先ほどのパトカーで来た制服の警官が話をしに来た。どうやら、平八郎は、大阪府警には直の拉致については連絡してなかったようだった。
事情聴取は、簡易のもので十五分ほどで終わった。今晩は、病院に泊まるのか、門真に帰るのかを聞かれた。「わからない。」と答えると、病院の職員が、
「検死が終わりました。死亡届には、胸部肺の貫通銃創が原因。呼吸不全による、窒息および心不全。と記入してあります。ご遺族で門真市に届け出て火葬手続きをとるか、お知り合いの葬儀社や寺がありましたら、そちらに頼まれてもいいと思います。ご遺体は、こちらで業者手配して、ご自宅までお連れするなら、午後八時までなら可能です。」
と事務的に言った。直にはまだ、平八郎が死んだという気が起こらなかった。病院職員に搬送の手続きを依頼し、刑事に
「主人は、今日、このまま門真に連れて帰ります。」
と伝えると、
「こんな状況で申し訳ありませんが、明日のお通夜までに、二時間ほどお時間いただけますか。奥さんが拉致された昨日からの事、倉庫内で行われた会話等、業務上お伺いしないといけませんので、私が門真のご自宅でも、指定場所でもお伺いします。」
と名刺を渡した。
「明日の朝一に、店に電話いただけますでしょうか…。すみません…。」
というのが精一杯だった。
気が付くと直の両サイドで稀世と安江は号泣していた。
「うわーん、直さん可哀そすぎるやん。その時に私がおったら、そんなへなちょこ学生なんかみんなやっつけたったのに…。」
「うん、うん、涙が止まりません。直さんの旦那さんも可哀そうです…。ところで、オート三輪に置いてあった封筒って、ご主人からの手紙かなんかやったんですか…?」
「稀世ちゃんも安江ちゃんも、こんなわしの話で泣いてくれてありがとうな。さあ、ぼちぼち上がろか。最後は、ビールかフルーツ牛乳でも飲みながら話そうかなぁ…。」
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