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あと一つ vs伊賀皇桜学園
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第139話 あと一つ vs伊賀皇桜学園
七回表。四対六で二点リード。ツーアウトランナー二塁。
打ち取れば試合終了。
打ち取れなければ試合続行。
ホームランが出れば試合は振り出し。
そんな状況でマウンドに立つのは黒絵。
そしてバッターボックスに入るのが、強豪・伊賀皇桜学園の四番、和氣だ。
これまでは本来五番に座る溝脇、強打の正捕手である吉高、そして巧打者の的場、県内総合力トップクラスの鳩羽と三振を奪ってきた黒絵。
しかし、バッティングにおいてはこの和氣はレベルが格段に違う。
守備はそこそこ、走塁はまだまだな和氣。それでも四番に座っているのは、チーム内で圧倒的なパワーだった。
ミート力は県内でも上位。しかしパワーにおいては県内トップクラスで、全国でも通用するレベル。それが和氣美波という打者なのだ。
簡単には打ち取れない。それはわかっている。
それでも今の黒絵であれば、何かが起きるのではないか、そう思わせてくれるほど圧倒的に調子を上げていた。
「ふぅ……」
私は息を吐いた。
調子が良い。それはなんとなく自分でもわかっている。
ただそれでも、今まで戦ってきた相手と一味も二味も違うこの人との対戦は、一筋縄ではいかないこともわかっていた。
そんな相手に、私が頭を使って戦おうとしたところでどうせ勝てない。頭を使うのは司に任せる。
私がするべきこと、それは全力で司の要求に応え、全力で抑えることのみだ。
初球、私は全力で司の構えるミットへと投げ込んだ。
ミットに投げ込んだつもりだけど、僅かにズレている。
その僅かなズレは、ボールゾーンに外れるわけでもなく、甘くなるほうのズレだ。
そして、その球を和氣さんは見逃さない。
「ファウルボール!」
レフト側、フェンスに直撃する打球。
ただ、振り遅れ……というよりもしっかりと捉えようとした結果、ファウルゾーンへと逸れた打球となった。
確かに甘くは入った。甘くは入ったが、十分に際どい外角高めのコースだった。
それでも和氣さんは打ってきた。
ファウルになったとはいえ、私がタイミングを外したわけではなく、しっかりと打ち抜くことを考えた結果、待ちすぎたというファウルだ。
非常に怖い打者。
それでも恐怖心以上に、戦いたいという気持ちが強い。
一年生の私と三年生の和氣さんでは、どちらが勝っても負けてもこれで最後なのだから。
そして二球目。
司の要求してきた球に、私は意図を読み取った。
その要求に応え、私は腕を振り抜いた。
「ストライクッ!」
内角低め、緩急をつけたチェンジアップが決まる。
「っしゃぁ!」
私は思わず叫んでいた。
まだコントロールの難しいチェンジアップ。それをしっかりと要求通りの際どいコースに決め、和氣さんにバットを振らせなかった。
偶然だと言えるコントロールだが、それでも決まったことに私は喜びが抑え切れない。
ただ、この打席は終わっていない。
この一球は自分にとって大きな一球で、十分に喜んだ。だから喜ぶのは一旦終了。次の球に集中する。
そして次の球はサインを見ずともわかっている。
三球目のサインは、予想通りだ。
そしてそのサイン通りの球を、要求通りのコースに私は投げ抜いた。
……若干ズレたか。それでも大きくズレていない球は、司のミットに届いた。
「ボール」
想定内。と言うよりも要求されたのが外角ボール球だ、当然の結果だ。
チェンジアップを二球続ける。これは前の回の吉高さんに対しての配球と一緒だ。
そうなると、次の球の選択肢は一つ。それでも吉高さんはこの球についてこれなかった。
全く一緒の結果になるとは思わない。
それでも少なからず、私の少ない球種を生かした配球をしていることは理解している。
信じて投げるのみだ。
「勝負!」
四球目。これが和氣さんとの対決の、最後の球になるということはわかっている。
だからこそ惜しげなく投じる。
セットポジションから右足を踏み込む。
そして高くあげた左腕……左手の指先から白球を放つ。
その白球は、司がミットを構える内角低めにドンピシャ。
決まった。
私はそう思っていた。
しかし、金属音とともに、打球はセンター後方へ。
……落ちるな。落ちるな。落ちるな!
「センタァー!」
私がそう叫ぶと同時に、司も叫んだ。
由真さんは打球を追いかけ、後退している。
タイミング的にはギリギリ追いつく。しかし、それは高い高い壁に阻まれている。
それでもまだ終わりではない。
由真さんは打球に飛び付きながらフェンスに激突する。
そして……、
白球は転がっている。
フェンス直撃。打球に由真さんは届かなかった。
跳ね返ってきて戻る打球。この間にセカンドランナーの早瀬さんは本塁に返っている。
激突の衝撃からか、由真さんは動けずにボールを見失う。
転々とするボール。
それをそのままにさせなかったのは、伊澄だ。
「ボールサード!」
転々とするボールを処理すると、伊澄はすぐに中継へと送球する。
この場面で無理な走塁をしない和氣さんは、三塁はギリギリと判断したのか二塁で止まった。
自身のある球だった。コースも今日一番で、コントロールのために力を抑えた球ではない。
実際、バックスクリーンを見ると、120キロと表示されている紛れもなく私の全力投球だった。
それでも和氣さんには敵わなかった。
力の壁を感じ、私は静かに天を仰いでいた。
一点を返された。
これで余裕などもうない。リードはたった一点差、そしてランナーは二塁。
アウト一つで勝てる場面ではあるが、ヒット一本で追いつかれる場面だ。
そして同点を確実なものにするため、皇桜側は代走を送った。
『セカンドランナー和氣美波さんに代わりまして、セカンドランナーは瀬尾奈津美さん。背番号16』
走塁のスペシャリストというわけではないが、広い守備範囲が求められるショートの控え、瀬尾が代走に送られた。明鈴で言えば、陽依や煌くらいの走力だろうか。
そして、フェンスに激突した由真は一度ベンチに下がり治療したが、特に怪我もなく無事だった。
動けなくなっていたのは衝撃で動けなかっただけで、交代することはなくグラウンドに戻っていった。
どちらにせよ由真のことは心配ではあるが、試合自体は煌と梨々香がベンチにいるため安心できた。
しかし問題はピッチャーだ。
黒絵がまともに打たれたのは今の和氣からの一本だが、大事な場面での痛打に少なからずショックは受けているだろう。
守備の関係上、少なくとも内野を守る夜空や陽依を出すことはできない。可能なのは外野を守る伊澄だけだ。
悩むところはあるが、黒絵が疲れている様子もない。メンタル的な部分も、目をギラギラさせている様子から考えると落ち込んでいることもなさそうだ。
まだ大丈夫。
そう感じて巧は黒絵の続投を選択した。
しかし、その選択は間違いだった。
打席には五番の柳生。
その柳生に対しての初球、内角高めのストレートを投じた。
ただそれは、柳生のバットに阻まれる。
「レフト!」
レフト前への思いっきり引っ張ったクリーンヒットだ。
打球は強く、ワンバウンドとして伊澄は捕球し、すぐにバックホームすると、セカンドランナーの瀬尾は三塁で止まった。
一点をあげたくない明鈴は、外野前進の守備体型を取っていたため、それが功を奏した形となった。
ただこれでツーアウトランナー一、三塁。逆転されるランナーが出た。
そして迎えるのは六番の本堂。
厄介なバッターであることは間違いないが、黒絵はそれ以上に厄介なバッターを三振に切っている。
打ち取れない相手ではない。
そんな相手に、黒絵は初球から攻めていく。
「ストライク!」
内角高めにズバッと決まるストレート。
これには本堂も手が出ない。
そして二球目、今度はその真下の内角低め、ストレートだ。
コースギリギリの球に、本堂はこの球も見送る。
「ストライク!」
これは司の捕り方も上手かった。
際どい球ながらもフレーミングによって捕球位置をズラした。それによって得られたストライクと言っても過言ではないだろう。
そしてこれで追い込んだ。
二球でノーボールツーストライクと、簡単に追い込んで見せた。
ただ、そこからアウトを取ることは簡単ではない。
この状況で三球勝負というにはややリスクが高い。
簡単に追い込んだ後に、簡単に打たれてしまえば、精神的にもダメージは大きいだろう。
ここは一球、外角低めに外したストレートを投げ込んだ。
もちろん、ただボールカウントを献上するだけのものではなく、際どいコースを狙っている。
しかし、それはやはり外れてボールとなる。
そして四球目、この球は何を投げるのか、投げる前からわかってしまう。
セットポジションからの四球目、白球が黒絵の指先から抜ける。
この球しかない。絶好のタイミングでのチェンジアップ。
しかし、ストレートで押した後のチェンジアップというパターンばかりで、球筋も見られ続けている。
本堂はそのチェンジアップを思いっきり引っ張ってファウルにした。
タイミングは外しているが、かなり合い始めている。
三振を奪うために連投し続けた結果、ヒットを打つまでには至らないが、相手が慣れてきている。
完全に慣れてしまったその時、狙われなければある程度有効ではあるが、狙われた時はただの絶好球だ。
そのことを考えると、下手にチェンジアップを投げるよりも、ストレートで押し切る方が打ち取れる可能性は高い。
そしてそれを司もわかっている。
五球目に外角高め、先ほどとは対極のコースにストレートを要求し、構えたところからややズレるだけの良い球だ。
しかし、本堂はその球をバットに当て、ファウルで凌ぐ。
最高の球と言うほどではなかったとはいえ、球威や球速、コントロールにおいても申し分のないストレートだった。
それでも本堂はファウルにした。
それはストレートでさえも、徐々に黒絵の球が通用しなくなっているということを意味していた。
チェンジアップはもちろん、ストレートでさえも慣れ始めている。
120キロは速い球だ。しかし、投げられる選手が多いわけでもないが、少ないわけでもない。
そして皇桜内にも120キロ以上の球を投じる柳生がいた。
球筋や球質が違うため、同じ球速でも感じ方は違う。
それでも120キロの球に見慣れているため、打者一巡もしない……八番の溝脇から三番の鳩羽までの打席で、皇桜の選手は黒絵の球に慣れたのだ。
六球目、外角低めのストレートは外れてしまい、ボール球となる。
ストレートだけでは押していくしかない。それでもそのストレートに相手は対応してくる。
結局、選択肢としては四隅に決めていくしかないため、黒絵が今まで以上の力を発揮するか、相手のミスを願うしかないのだ。
七球目の内角高めのストレートも、ファウルにして凌がれる。
そして八球目の外角低めのストレートは、外れてしまう。
これでフルカウント。一球も甘い球を投げられず、ボール球も投げられない。
ジワジワと追い詰められるこの感覚。
あと一歩で準決勝進出なのだ。ただ、その一歩が重く、進むことができない。
九球目、黒絵の投じた球はやはりストレート。
外角高め、司の構えるミットへと一直線。ミットが微動だにしない最高の球だ。
しかし、その球も本堂はバットに当て、バックネットに直撃するファウルとなった。
今までのファウルは、一塁線や三塁線へのファウルで、タイミングが合っていないものだった。
それでも今のファウルはバックネット真後ろ……つまりタイミングは合っていて、ただ振ったバットがボールの下部を僅かに掠めたということだ。
タイミングを完璧に合わせ、僅かにズレているスイングするコースを修正し、しっかりと捉えた時には確実に良い打球となる。
それがヒットとなるのか、ゴロとなるのか、ライナーとなるのか、フライとなるのか、ホームランとなるのかはわからない。
ただ、確実に本堂はこの打席で、黒絵の球を捉える準備を進めていた。
そしてこれで十球目。
黒絵と司はサインを交わし、投球動作に移る。
勝負球。
勝負を決める球というわけではなく、勝負に出る球だ。
黒絵の指先から放たれたのは遅い球……つまりチェンジアップ。ただ打たれるのを待つわけもなく、司は一か八かでチェンジを選択した。
そのチェンジアップは、本堂の内角低めにゆっくりと向かっていく。
良い球だ。
そしてその球を本堂は見送った。
しかし……、審判の手は挙がらない。
「……ボール。フォアボール」
勝負に出たチェンジアップだったが、僅かに低く外れた。
本堂はボールだと判断したのか、それとも単純に手が出なかったのかはわからないが、どちらにしても皇桜にとっては大きなフォアボールとなった。
そして明鈴にとっては痛いフォアボールだ。
これで、ツーアウトランナー満塁。
あと一つのアウトが遠い。
アウトを奪えば勝利を手にするが、フォアボール一つで試合は振り出し、ヒットであれば振り出しか逆転を許す状況となった。
もう決断するしかない。
「交代……だな」
黒絵にはこの回を投げ切り、次の試合へと繋げて行きたかった。
しかし、このままではその次の試合に繋がらない。
ここで終わってしまえば、次の試合というものが存在しなくなるのだ。
「煌、準備だ。……ピッチャーは、伊澄」
この試合で先発し、降板後も野手としてチームを支え続けたエースの伊澄を、巧は再びマウンドに送った。
七回表。四対六で二点リード。ツーアウトランナー二塁。
打ち取れば試合終了。
打ち取れなければ試合続行。
ホームランが出れば試合は振り出し。
そんな状況でマウンドに立つのは黒絵。
そしてバッターボックスに入るのが、強豪・伊賀皇桜学園の四番、和氣だ。
これまでは本来五番に座る溝脇、強打の正捕手である吉高、そして巧打者の的場、県内総合力トップクラスの鳩羽と三振を奪ってきた黒絵。
しかし、バッティングにおいてはこの和氣はレベルが格段に違う。
守備はそこそこ、走塁はまだまだな和氣。それでも四番に座っているのは、チーム内で圧倒的なパワーだった。
ミート力は県内でも上位。しかしパワーにおいては県内トップクラスで、全国でも通用するレベル。それが和氣美波という打者なのだ。
簡単には打ち取れない。それはわかっている。
それでも今の黒絵であれば、何かが起きるのではないか、そう思わせてくれるほど圧倒的に調子を上げていた。
「ふぅ……」
私は息を吐いた。
調子が良い。それはなんとなく自分でもわかっている。
ただそれでも、今まで戦ってきた相手と一味も二味も違うこの人との対戦は、一筋縄ではいかないこともわかっていた。
そんな相手に、私が頭を使って戦おうとしたところでどうせ勝てない。頭を使うのは司に任せる。
私がするべきこと、それは全力で司の要求に応え、全力で抑えることのみだ。
初球、私は全力で司の構えるミットへと投げ込んだ。
ミットに投げ込んだつもりだけど、僅かにズレている。
その僅かなズレは、ボールゾーンに外れるわけでもなく、甘くなるほうのズレだ。
そして、その球を和氣さんは見逃さない。
「ファウルボール!」
レフト側、フェンスに直撃する打球。
ただ、振り遅れ……というよりもしっかりと捉えようとした結果、ファウルゾーンへと逸れた打球となった。
確かに甘くは入った。甘くは入ったが、十分に際どい外角高めのコースだった。
それでも和氣さんは打ってきた。
ファウルになったとはいえ、私がタイミングを外したわけではなく、しっかりと打ち抜くことを考えた結果、待ちすぎたというファウルだ。
非常に怖い打者。
それでも恐怖心以上に、戦いたいという気持ちが強い。
一年生の私と三年生の和氣さんでは、どちらが勝っても負けてもこれで最後なのだから。
そして二球目。
司の要求してきた球に、私は意図を読み取った。
その要求に応え、私は腕を振り抜いた。
「ストライクッ!」
内角低め、緩急をつけたチェンジアップが決まる。
「っしゃぁ!」
私は思わず叫んでいた。
まだコントロールの難しいチェンジアップ。それをしっかりと要求通りの際どいコースに決め、和氣さんにバットを振らせなかった。
偶然だと言えるコントロールだが、それでも決まったことに私は喜びが抑え切れない。
ただ、この打席は終わっていない。
この一球は自分にとって大きな一球で、十分に喜んだ。だから喜ぶのは一旦終了。次の球に集中する。
そして次の球はサインを見ずともわかっている。
三球目のサインは、予想通りだ。
そしてそのサイン通りの球を、要求通りのコースに私は投げ抜いた。
……若干ズレたか。それでも大きくズレていない球は、司のミットに届いた。
「ボール」
想定内。と言うよりも要求されたのが外角ボール球だ、当然の結果だ。
チェンジアップを二球続ける。これは前の回の吉高さんに対しての配球と一緒だ。
そうなると、次の球の選択肢は一つ。それでも吉高さんはこの球についてこれなかった。
全く一緒の結果になるとは思わない。
それでも少なからず、私の少ない球種を生かした配球をしていることは理解している。
信じて投げるのみだ。
「勝負!」
四球目。これが和氣さんとの対決の、最後の球になるということはわかっている。
だからこそ惜しげなく投じる。
セットポジションから右足を踏み込む。
そして高くあげた左腕……左手の指先から白球を放つ。
その白球は、司がミットを構える内角低めにドンピシャ。
決まった。
私はそう思っていた。
しかし、金属音とともに、打球はセンター後方へ。
……落ちるな。落ちるな。落ちるな!
「センタァー!」
私がそう叫ぶと同時に、司も叫んだ。
由真さんは打球を追いかけ、後退している。
タイミング的にはギリギリ追いつく。しかし、それは高い高い壁に阻まれている。
それでもまだ終わりではない。
由真さんは打球に飛び付きながらフェンスに激突する。
そして……、
白球は転がっている。
フェンス直撃。打球に由真さんは届かなかった。
跳ね返ってきて戻る打球。この間にセカンドランナーの早瀬さんは本塁に返っている。
激突の衝撃からか、由真さんは動けずにボールを見失う。
転々とするボール。
それをそのままにさせなかったのは、伊澄だ。
「ボールサード!」
転々とするボールを処理すると、伊澄はすぐに中継へと送球する。
この場面で無理な走塁をしない和氣さんは、三塁はギリギリと判断したのか二塁で止まった。
自身のある球だった。コースも今日一番で、コントロールのために力を抑えた球ではない。
実際、バックスクリーンを見ると、120キロと表示されている紛れもなく私の全力投球だった。
それでも和氣さんには敵わなかった。
力の壁を感じ、私は静かに天を仰いでいた。
一点を返された。
これで余裕などもうない。リードはたった一点差、そしてランナーは二塁。
アウト一つで勝てる場面ではあるが、ヒット一本で追いつかれる場面だ。
そして同点を確実なものにするため、皇桜側は代走を送った。
『セカンドランナー和氣美波さんに代わりまして、セカンドランナーは瀬尾奈津美さん。背番号16』
走塁のスペシャリストというわけではないが、広い守備範囲が求められるショートの控え、瀬尾が代走に送られた。明鈴で言えば、陽依や煌くらいの走力だろうか。
そして、フェンスに激突した由真は一度ベンチに下がり治療したが、特に怪我もなく無事だった。
動けなくなっていたのは衝撃で動けなかっただけで、交代することはなくグラウンドに戻っていった。
どちらにせよ由真のことは心配ではあるが、試合自体は煌と梨々香がベンチにいるため安心できた。
しかし問題はピッチャーだ。
黒絵がまともに打たれたのは今の和氣からの一本だが、大事な場面での痛打に少なからずショックは受けているだろう。
守備の関係上、少なくとも内野を守る夜空や陽依を出すことはできない。可能なのは外野を守る伊澄だけだ。
悩むところはあるが、黒絵が疲れている様子もない。メンタル的な部分も、目をギラギラさせている様子から考えると落ち込んでいることもなさそうだ。
まだ大丈夫。
そう感じて巧は黒絵の続投を選択した。
しかし、その選択は間違いだった。
打席には五番の柳生。
その柳生に対しての初球、内角高めのストレートを投じた。
ただそれは、柳生のバットに阻まれる。
「レフト!」
レフト前への思いっきり引っ張ったクリーンヒットだ。
打球は強く、ワンバウンドとして伊澄は捕球し、すぐにバックホームすると、セカンドランナーの瀬尾は三塁で止まった。
一点をあげたくない明鈴は、外野前進の守備体型を取っていたため、それが功を奏した形となった。
ただこれでツーアウトランナー一、三塁。逆転されるランナーが出た。
そして迎えるのは六番の本堂。
厄介なバッターであることは間違いないが、黒絵はそれ以上に厄介なバッターを三振に切っている。
打ち取れない相手ではない。
そんな相手に、黒絵は初球から攻めていく。
「ストライク!」
内角高めにズバッと決まるストレート。
これには本堂も手が出ない。
そして二球目、今度はその真下の内角低め、ストレートだ。
コースギリギリの球に、本堂はこの球も見送る。
「ストライク!」
これは司の捕り方も上手かった。
際どい球ながらもフレーミングによって捕球位置をズラした。それによって得られたストライクと言っても過言ではないだろう。
そしてこれで追い込んだ。
二球でノーボールツーストライクと、簡単に追い込んで見せた。
ただ、そこからアウトを取ることは簡単ではない。
この状況で三球勝負というにはややリスクが高い。
簡単に追い込んだ後に、簡単に打たれてしまえば、精神的にもダメージは大きいだろう。
ここは一球、外角低めに外したストレートを投げ込んだ。
もちろん、ただボールカウントを献上するだけのものではなく、際どいコースを狙っている。
しかし、それはやはり外れてボールとなる。
そして四球目、この球は何を投げるのか、投げる前からわかってしまう。
セットポジションからの四球目、白球が黒絵の指先から抜ける。
この球しかない。絶好のタイミングでのチェンジアップ。
しかし、ストレートで押した後のチェンジアップというパターンばかりで、球筋も見られ続けている。
本堂はそのチェンジアップを思いっきり引っ張ってファウルにした。
タイミングは外しているが、かなり合い始めている。
三振を奪うために連投し続けた結果、ヒットを打つまでには至らないが、相手が慣れてきている。
完全に慣れてしまったその時、狙われなければある程度有効ではあるが、狙われた時はただの絶好球だ。
そのことを考えると、下手にチェンジアップを投げるよりも、ストレートで押し切る方が打ち取れる可能性は高い。
そしてそれを司もわかっている。
五球目に外角高め、先ほどとは対極のコースにストレートを要求し、構えたところからややズレるだけの良い球だ。
しかし、本堂はその球をバットに当て、ファウルで凌ぐ。
最高の球と言うほどではなかったとはいえ、球威や球速、コントロールにおいても申し分のないストレートだった。
それでも本堂はファウルにした。
それはストレートでさえも、徐々に黒絵の球が通用しなくなっているということを意味していた。
チェンジアップはもちろん、ストレートでさえも慣れ始めている。
120キロは速い球だ。しかし、投げられる選手が多いわけでもないが、少ないわけでもない。
そして皇桜内にも120キロ以上の球を投じる柳生がいた。
球筋や球質が違うため、同じ球速でも感じ方は違う。
それでも120キロの球に見慣れているため、打者一巡もしない……八番の溝脇から三番の鳩羽までの打席で、皇桜の選手は黒絵の球に慣れたのだ。
六球目、外角低めのストレートは外れてしまい、ボール球となる。
ストレートだけでは押していくしかない。それでもそのストレートに相手は対応してくる。
結局、選択肢としては四隅に決めていくしかないため、黒絵が今まで以上の力を発揮するか、相手のミスを願うしかないのだ。
七球目の内角高めのストレートも、ファウルにして凌がれる。
そして八球目の外角低めのストレートは、外れてしまう。
これでフルカウント。一球も甘い球を投げられず、ボール球も投げられない。
ジワジワと追い詰められるこの感覚。
あと一歩で準決勝進出なのだ。ただ、その一歩が重く、進むことができない。
九球目、黒絵の投じた球はやはりストレート。
外角高め、司の構えるミットへと一直線。ミットが微動だにしない最高の球だ。
しかし、その球も本堂はバットに当て、バックネットに直撃するファウルとなった。
今までのファウルは、一塁線や三塁線へのファウルで、タイミングが合っていないものだった。
それでも今のファウルはバックネット真後ろ……つまりタイミングは合っていて、ただ振ったバットがボールの下部を僅かに掠めたということだ。
タイミングを完璧に合わせ、僅かにズレているスイングするコースを修正し、しっかりと捉えた時には確実に良い打球となる。
それがヒットとなるのか、ゴロとなるのか、ライナーとなるのか、フライとなるのか、ホームランとなるのかはわからない。
ただ、確実に本堂はこの打席で、黒絵の球を捉える準備を進めていた。
そしてこれで十球目。
黒絵と司はサインを交わし、投球動作に移る。
勝負球。
勝負を決める球というわけではなく、勝負に出る球だ。
黒絵の指先から放たれたのは遅い球……つまりチェンジアップ。ただ打たれるのを待つわけもなく、司は一か八かでチェンジを選択した。
そのチェンジアップは、本堂の内角低めにゆっくりと向かっていく。
良い球だ。
そしてその球を本堂は見送った。
しかし……、審判の手は挙がらない。
「……ボール。フォアボール」
勝負に出たチェンジアップだったが、僅かに低く外れた。
本堂はボールだと判断したのか、それとも単純に手が出なかったのかはわからないが、どちらにしても皇桜にとっては大きなフォアボールとなった。
そして明鈴にとっては痛いフォアボールだ。
これで、ツーアウトランナー満塁。
あと一つのアウトが遠い。
アウトを奪えば勝利を手にするが、フォアボール一つで試合は振り出し、ヒットであれば振り出しか逆転を許す状況となった。
もう決断するしかない。
「交代……だな」
黒絵にはこの回を投げ切り、次の試合へと繋げて行きたかった。
しかし、このままではその次の試合に繋がらない。
ここで終わってしまえば、次の試合というものが存在しなくなるのだ。
「煌、準備だ。……ピッチャーは、伊澄」
この試合で先発し、降板後も野手としてチームを支え続けたエースの伊澄を、巧は再びマウンドに送った。
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