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たったの vs伊賀皇桜学園

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 ワンアウトランナーはなし。
 こんななんともない状況でも、巧は勝負を仕掛けた。

『九番黒瀬白雪さんに代わりまして、椎名瑞歩さん。バッターは椎名瑞歩さん。背番号13』

 白雪に代えて瑞歩を代打に送る。

 本来であれば瑞歩の出場予定はなかった。
 延長戦や怪我の控えとして残しておきたかったからだ。

 それでも出したのは、瑞歩を残しておいたとしても、瑞歩が出るような場面となればどちらにしても負ける状況となっているだろうと考えた。

 延長となれば、控え投手がいない明鈴は打ち込まれるのを待つだけだ。
 怪我をしたとしても七回表開始時点では、七回裏が回ってきた場合の代打としての梨々香と、伊澄を再登板させる状況となった場合、黒絵の代わりに守備に就くために煌が残っている。

 鈴里に関しては、ショートの白雪が退いたこともあって、七回表に守備固めとして出すつもりだ。
 陽依をショートに回して瑞歩をサードでもいいが、守り切れば勝つという状況で、守備力に妥協はしたくない。

 そうなると、最後に出る選手は梨々香となり、その攻撃で得点が上回っていれば明鈴の勝ちで、下回っていれば負けだ。同点であれば、結局延長になるかどうかという問題と繋がってくる。

 今まで、采配ミスが多かった。結果論ではあるが、自分が信じた采配がことごとく空回っている。
 それでも、黒絵が二者連続の三振でピンチを脱したように、采配がハマっている部分もある。

 そして明鈴は今、勝っている。

 ここまで来たら、正解か不正解か分からず悩むことよりも、自分の采配を信じて押し切るしかない。


 代打に梨々香ではなく瑞歩を送ったことには二つの理由がある。

 まず一つ目の理由として、長打力という点だけを見れば瑞歩の方が上だからだ。
 長打を放てば、続けてヒット一本で得点に繋がる。どちらにしても守備から交代するため、鈴里を代走に送るという選択肢もある。
 瑞歩と梨々香の長打力に大きな差があるというわけではないが、今欲しいのは単打よりも長打。少しでも可能性の高い方がいい。
 ただ、これは大きな理由ではない。

 二つ目の理由、これが大きな理由だが、梨々香は単打も長打も打てるからだ。
 確実性は瑞歩よりも梨々香の方が高い。それを考えると、瑞歩よりも梨々香を出した方がいいようにも思えるが、夜空と珠姫のどちらか、もしくは両方が出塁した場合にそれを返す役目として残しておきたい。
 七回表を抑えれば問題はないが、もし七回裏が回ってくる場合は確実性が高い方がいい。

 そのため、今回は瑞歩を起用した。

 瑞歩が打席に入る。
 その初球、柳生の球に、瑞歩は鋭いスイングで応戦する。
 しかし、外角低めに落とす縦スライダーに、バットはかすりもしない。
 それでも、当たれば強い打球となっていたことは容易に想像ができるスイングだ。

 そのスイングを見た皇桜の外野陣は、元々代打ということで警戒してやや後ろを守っていたが、さらに少し後ろに下がった。
 内野陣もいつもよりは少し後ろに下がっている。

 二球目、今度はストライクゾーンに入れる内角低めへのカットボールだ。
 際どいコースの球に瑞歩は見送ったが、審判の手は上がる。

「ストライク!」

 これはもう仕方がない。柳生の球が良かったと割り切るしかない球だ。

 淡々と追い込まれてしまい、三球目。
 外角の球に、今度も瑞歩のバットは動かなかった。

「……ボール」

 甘く見せてから鋭く落ちる外角低めの縦スライダーに、今度は反応しない。
 初球で空振りした縦スライダーであれば、ボール球でも安全に打ち取れると吉高は思ったのだろう。

 ただ、瑞歩はスイングが鋭い代わりにバットに当たらないことも多いが、選球眼が極端に悪いわけでもないのだ。
 そして初球に空振ったために、警戒していた縦スライダー。甘く見える球には裏があると読んだ瑞歩はバットを振らなかった。

 良い判断だ。

 淡々と追い込まれてからのため焦るような場面ではあったが、瑞歩は比較的落ち着いている。普段は積極的に振っているが、数少ない打席で結果を残したいという、極限まで高まった集中力がそうさせたのだろう。

 そして四球目。その集中力を削ぐかのように、外角高めに外したボール球だ。これは当然見送る。

 柳生の球数は増えているが、パワーヒッター相手に安易な球を投げない。それでいて余力は残っている。
 前の試合も先発しており、二連投にも関わらずに投げる姿は、やはりエースとしての貫禄を感じる。

 お互いに攻め合った間に気を削ぐようなボール球で、一度リセットがかかる。
 これでどのコースに投げてもおかしくない。瑞歩としては不利な状況となる。

 迎えた五球目。
 ワインドアップから柳生の投じた球が、瑞歩の胸元を抉る。

 内角低め。

 その球に、瑞歩のバットは反応した。
 内角の打ちづらいコースに、瑞歩は左足を外側に開きながら踏み込み、その内角低めの球に対応する。

 ただ、その球は内角低め着地地点から僅かに軌道を変えた。
 カットボールだ。

 バットから逃げる球。捉えようとするバットの芯を外される球だ。

 しかし、瑞歩のバットからは快音が響いた。

「センター!」

 打球はライナー性の完璧な当たりだ。
 その当たりはフェンス直撃……とまではいかないが、その手前に落ちそうな打球。

 ただ、まだ落ちていない。

 俊足の早瀬が追いかける。真後ろではなく、ややライト側。斜め後ろに背走しながら打球を追いかけていた。

「落ちろ!」

 完璧な当たりなのだ。長打になる当たりだ。
 当たった瞬間、思い通りチャンスで由真に回ることに疑いを持たなかった。
 それなのに、打球に押し寄せる早瀬が、たまらなく不安を抱かせた。

 そして……、

 斜め上に飛びついた早瀬のグラブに、打球が収まった。

「アウトォ!」

 チャンスとなるはずだった。
 瑞歩は数少ない打席で、結果を残そうとしていた。
 そして、他の選手が打ち切れなかったカットボールを、難なく捌いてみせたのだ。

 しかしそれは、早瀬の足で拒絶された。

 瑞歩はガックリと項垂れながらベンチへと戻ってくる。巧も悔しさが拭えない。
 しかし、試合は進んでいく。打順は一番に回って、由真の打席だ。

 ただ、巧は一言だけ、瑞歩に声をかけた。

「良いバッティングだった。次も頼む」

 一瞬キョトンとした表情を浮かべると、「うん!」と元気よく返事をし、瑞歩は道具を片付けに行った。

 野球は一度出て、交代すればもうグラウンドには戻れない。
 瑞歩はまだベンチには下がっていないが、次の守備には交代するため、もう再登場できない。

 そして、代打となれば梨々香を主に起用する。もしかしたら次はないのではないかという不安が、瑞歩の中にあったのかもしれない。

 巧はこのチームの選手、全員にそれぞれの役割があると考えている。信頼していない選手などいない。
 それでも、自分より優先されている選手がいるという状況が、瑞歩にとって不安を助長させることだったのだろう、そう考えていた。



 由真の打席が始まる。この試合、ヒットを一本放っている放っている由真だが、どこか押し負けている印象のある内容だ。

 ただ、由真には平凡なゴロでも内野安打にできる足がある。
 ここは一つ、ツーアウトだが出塁を狙いたいところだ。
 出塁することで相手のリズムを崩す。追加点も狙え、そうでなくとも三者凡退で終わらせないことで、相手の攻撃に勢いをつけないための意味も持つ打席だ。

 もちろん、皇桜としてもここで出塁されるのは嫌だろう。そして、ツーアウトとなった場面でじっくりと球数を投げた結果、ヒットやフォアボールとなることを恐れている。

 初球から柳生は簡単に入れていった。

「ストライク!」

 内角高めのカットボール。
 やや甘めから厳しいコースへと変化する球だが、流石にここで手は出さない。
 由真にとっても初球での凡退は痛いからだ。

 ただ、柳生はポンポンとストライクを取りに行く攻め方だ。
 二球目、対極に遠いコースに柳生は投げ込んだ。

 ストライクが来るとわかっていれば、見逃す由真ではない。

 由真は目一杯腕伸ばし、外角低めの球を捌いた。

「サード!」

 三遊間。強い当たりとは言えないが、際どい打球。
 転がる打球に、本堂のグラブは……届かない。

 サード横を抜ける。打ち取られた当たりだったが、これでヒット。

 ……そう思っていた。

 打球が抜けた先、そこにはショートの鳩羽がすでに回りこんでいた。
 ただ、打球はショートの深いところ、由真の足であれば十分だ。

 しかし、タダでは終わらない。それが皇桜の守備だ。

 鳩羽は打球に追いつくと、体が三塁方向に流されながら踏みとどまらずに送球をした。
 決して強い送球ができる体勢ではない。それでも送球が逸れないように、強く地面へと叩きつけた。

 ファーストでミットを構える和氣の手元にワンバウンド。体勢不十分ながらも若干逸れただけの送球だ。

 そして、由真はまだ一塁へと到達していなかった。

「アウトォ!」

 普通なら余裕でセーフな打球。
 それでも、鳩羽はアウトにした。

 先ほどの早瀬のプレー、そしてこの鳩羽のプレー。どちらもファインプレーと言えるプレーで、それは流れを変えるプレーだった。

 ファインプレー。確かに大きなプレーだ。
 ただ、まだ二点ものリードをしており、あとアウトをたった三つを奪えば、それで試合終了。

 ……なんて、そんな簡単に思えるはずもない。

 この三つのアウトがどれだけ重いものかを、巧は知っている。『たった三つのアウトを奪えばいい』のではなく、『三つものアウトを奪わなくてはならない』のだ。
 そして、『まだ二点』ではなく、『たった二点』だ。

 この試合、お互いのチームで合計十点も動いている。明鈴も一イニングで四得点していた。
 そんなことがこの試合で起こっている。
 アウトを三つ奪う内に、どれだけの得点が入ったとしても、おかしくない。

 勝利という遥か先のことではなく、まずはこのイニングをどうやって抑えるのか、だ。
 結果的には同じことだが、巧はそれだけを考え、ただいつものように一つ一つアウトを奪うことだけを考えていた。
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