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読み合いと読み合い vs伊賀皇桜学園

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 ツーアウトランナー二、三塁でバッターは吉高さん。
 吉高さんへの初球はどうするべきか、私は考えていた。
 この人はおそらく私の心を見透かすようにわかるだろうと踏んでいる。

 それならばここ。どうせ読まれるのなら、打てない球を投げればいい。
 私が選択したのは、様子を見る球だった。

 初球は外角低め。引っ掛けやすいこのコースで打ち取れれば儲けもの、見逃してくれてストライクとなればそれだけで十分だ。

 そしてその球を吉高さんは見送った。

 しかし、私のミットに素直には収まらない。

「ボール」

 少し低いか。指に引っかかったような球だった。

 それでも球速は十分。もしかしたらこのストレートだけでも押し切れるのではないかと、私は思ったりもする。
 もちろんそんなに甘い人ではないとは分かっていた。

 次はどうするか。
 試合も後半に差し掛かり、ずっとフル回転させていた頭に鞭を打つ。

 考えることを辞めるな。辞めた瞬間に負けてしまう。

 私が選択したのは、やはりストレート。外角高めの球だ。
 打たれれば痛打となるかもしれない。それでも黒絵のストレートであれば、いくら吉高さんでも簡単には痛打できない。

 高さをフルに使った配球。黒絵のストレートが私のミットに収まった。

「おっも」

 少し浮いた球はボールとなる。
 それでも最高球速である119キロをマークした。

 こんなストレート、私は受けたことがない。

 変化球が武器の伊澄、棗さん、陽依はもちろん、パワーピッチングをする夜空さんや流花のストレートもここまで重くない。球速が出ていても、球の重さは黒絵が一番だ。

 良いボールで良いコースだけど、若干外れる。
 それでも一塁は空いているため、勝負からは逃げない。

 三球目の外角低めのストレートがついに決まった。

「ストライク!」

 体全体に響くようなストレートに、体が持っていかれないように私は丁寧に捕球する。

 一球一球が気を抜けない。
 私が集中している中、吉高さんが口を開いた。

「ナイスボール。良いストレートだね」

 ただ純粋な賛辞。
 鬼頭とは違って、私の集中を削ぐためでも内心を探るためのものでもない。感心したような声で吉高さんはそう言った。

「ありがとうございます」

 吉高さんに褒められた。
 私のことではなく黒絵のことだけど、強豪校の正捕手の感心の言葉に、私はたまらなく嬉しかった。

 私は打席へと集中を戻す。

 カウントはツーボールワンストライク。
 フォアボールで出塁させたとしても各塁でアウトにできるようになり、守りやすくなるため問題はない。
 しかし、次の打者は早瀬さん。内野ゴロでも内野安打にする人を出来るだけこの状況では相手にしたくない。

 出塁を許してもいいが、ここで切るつもりでいく。

 外角攻めを続けていたため、外角であれば対応してきそうだ。
 本当なら内角は最後に取っておきたいと思っていたが、それまでに打たれてしまえば意味がないため仕方がない。

 私は内角低めにミットを構えた。

 セットポジション。黒絵の指先からボールが放たれる。
 速い速いストレート。

 若干甘いか。吉高さんのバットは、その球に対して最短距離でコンパクトなスイングを繰り出す。

「レフト!」

 金属音とともに上がった打球は大きいもの。
 真芯で捉えた当たりだったが、打球は大きく逸れたためレフト側の大きなファウルとなる。

 球速を意識しすぎて少しスイングが早すぎたため、命拾いした。

 ただこれで追い込んだ。

 そして次の球は、吉高さんも読んでいるだろう。……いや、吉高さんが読んでいるだろうと私が読んでいることを読んでいるだろう。

 だからここは素直に……、

 ここ。

 黒絵の指先から放たれた五球目。
 まだかまだかと、焦燥感に駆られるような球だ。

 その球は、吉高さんのバットに阻まれた。

 しかし、打球は三塁側への大きなファウルだ。
 大きく打球が逸れた理由は、待ちきれずに打ったということだけでなく、打ち切れないコースだったことも理由の一つだ。

「やっぱり、そうですよね」

「そうだよね」

 吉高さんと、その会話だけで意味が通じる。
 まるでこの一球の反省点をお互いに振り返るようなものだ。

 今の球は、吉高さんが読んでいると私が読んでいることを吉高さんが読んでいるということを私が読んだものを吉高さんが読んだため、それを私が読んだのだ。

 ややこしい、頭がこんがらがる読み合い。

 吉高さんはチェンジアップを投げると読んでおり、それも私はわかっていた。だからこそストレートを投げるだろうと吉高さんは考えるところだったが、それを私が読んだ上であえてチェンジアップを選択する。ということを吉高さんは読んでいた。
 この読み合いは永遠に続く。
 だからこそこの際限のないこの読み合いの中で、真っ向勝負から少し外れた、少しだけ内側に外す内角低めのチェンジアップを私は選択した。

 ボールゾーンであれば、フェアゾーンに飛ばしにくくなる。
 それすらも吉高さんはわかっていた上で、あえて打ちに行きファウルにした。
 その理由はわかっている。

 チェンジアップは二球連続で使えないからだ。

 それは黒絵が投げられないという意味ではなく、黒絵のチェンジアップは、球筋を見極められればただの絶好球となってしまう。
 来るとわかっていても打たれないという魔球ではなく、あくまでもストレートの付属品、緩急をつけるための変化球だ。

 ストレートがあることでチェンジアップが生き、チェンジアップがあることでストレートが生きる。
 チェンジアップを連投すれば、その特性を活かすことができなくなってしまう。

 それをわかった上で吉高さんは、フルカウントにして勝負から逃がさないために、ストレートを選択させるために牽制の意味を込めてボール球となるチェンジアップをファウルにした。追い込まれていてどうせストライクカウントが増えないのだから。

 そうなれば選択肢は一つしかない。吉高さんの誘いに乗るしかないのだ。

 ……ただ、思うようにはさせない。

 サインを交わし、黒絵が六球目を投じる。
 その球はゆっくりと押し寄せてくる、緩い緩い球だった。

「チッ、クソが!」

 吉高さんはそう言いながらこの球を見送った。

「ボール」

 ただのボール球。外角低め、外側に外したチェンジアップだ。
 打ち頃の球となるなら、打てないところに投げればいいのだ。大きく外しすぎず、かと言ってバットが届くか届かないかどうかくらいの明らかに外したボール球だった。

「良い性格してるってよく言われない?」

「言われますね」

 渋い顔をしながら吉高さんはそう言った。完全に予想外、といった表情だ。
 キャッチャーが吉高さんがリードするなら、打ち取るためにこんな球を要求しないだろう。

 そんなことをしなくても打ち取れるレベルの高いピッチャーとばかり組んでいるのだから。

 決して黒絵がレベルの低いピッチャーというわけではない。ただ、中学時代はチームが作れないため試合ができず、指導者にも恵まれず、黒絵はまともに野球ができなかった。
 そのため自己流でストレートだけを磨いてきた。

 そのストレートは一級品。ただただ投げ込めば練習ができるのだから、それだけを黒絵は磨いていた。

 その代わりに変化球がまともに投げられない。
 カーブやスライダーは投げれると言えば投げれるが、多分普通に野球をしている中学生にも打ち込まれそうな、全くと言っていいほど使い物にならないものだった。

 自己流で覚え、それが染み付いてしまっていたため、なかなか自己流の癖が抜けない。覚え直すのにも時間がかかる。
 それでも、ストレートを生かすために巧くんが覚えさせたチェンジアップを、短期間でここまでモノにする抜群のセンスはあった。

 ただ、入学から短い期間では色々と手を出すには時間が足りない。球種はストレートとチェンジアップだけ。
 シンプルではあるが、配球を組み立てるのには物足りない。

 そんな中でも私は黒絵をリードしている。球種が少なくても、なんなら最初はストレート一本でもそれを生かすリードをしなくてはいけない。私には自然とその力が身についた。

 でも吉高さんは違う。

 中学時代はわからないし、小学生の頃なんてもっとわからないけど、少なくとも高校では皇桜という強豪校に所属している。
 そして強豪である皇桜の選手で変化球が一球種、ましてやストレート一本なんて選手はいない。そんな選手すぐに打たれるからだ。

 実際、黒絵もストレートが魅力的とはいえ、それだけでは抑えられないからチェンジアップを覚えたのだ。……それでも球種は少ないが。

 そんなストレートと変化球が一球種だけで活躍できる選手なんていても数年……数十年に一人のレベルだ。
 近年では打者のレベルが上がり、それに伴って投手のレベルも上がっている。
 現代野球において、少なくとも変化球を覚えないと投手としてはやっていけないのだ。

 だからこそ、強豪の皇桜の選手は多彩な変化球が投げられる。

 もちろん選手にはよるけど、皇桜は背番号11の狩野さん以外の三人……柳生さん、奈良坂さん、流花は黒絵と同じくストレート主体のピッチャーでも変化球は豊富だ。

 柳生さんはカットボール、シュート、カーブ、縦スライダーと四球種、奈良坂さんもスライダー、カーブ、フォークと三球種投げられる。
 そして黒絵と同じ一年生の流花でさえも、高速スライダー、カーブ、スプリット、チェンジアップと四球種投げられる。

 いずれにしても皇桜の投手陣であれば、球種とコースだけでも自由自在にリードができる。

 そんな多彩な組み合わせから繰り出される配球はまるで予測が不可能。
 吉高さんのリードはそれが特徴的だった。

 だから、吉高さんは私のような配球をしようなんて思わないだろう。
 わざわざ外角に外してボールカウントを増やすためだけのチェンジアップなんて要求する必要がないのだから。

「面白いね。神崎司さん、あなたのリードと今日のこと打席は多分一生忘れない」

 吉高さんは悟ったような口ぶりでそう言い、私はたった一言返答した。

「光栄です」

 私はミットを構える。
 黒絵の左腕が振り下ろされたコンマ数秒後、白球は私のミットに吸い込まれた。

「ストライク! バッターアウト!」

 内角高めのストレート。そしてそのストレートは本日……いや黒絵の最高球速を上回る、121キロをマークした。

 二球のチェンジアップが目に焼き付いている吉高さんは、その球に追いつけない。対極のコースに、そして20キロ以上の差もある球速差に、バットは完璧にタイミングを外して空を切った。

 一段と重い球。
 白球が革のミットを叩きつける心地の良い音。
 痺れるようにミットに重くのしかかる感覚。
 ミットに収まる白球の感触。

 腕から脳に伝わるように、それは私の気分を高揚させた。

 自分で奪った三振ではない。自分はその球を受け取るだけ。

 それでもこのミットから響いてくる感触を味わうために、私はキャッチャーをしている。
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