獣耳男子と恋人契約

花宵

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第十章 悲しき邂逅

ナチュラルに嫌な奴

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「どないした?」
「結界があって中に入れないみたいなんだ。ソウルメイトの君の力を借りれば僕も通れると思うんだけど……」

 クレハは困ったように眉を下げて、捨てられた子犬みたいにしゅんとした様子でこちらを見ている。

「分かりました。どうしたらいいですか?」
「こちらへ来て、少しだけ手を貸してもらえる?」

 近付いておずおずと左手を差し出す。
 クレハはお礼を言って私の手をとると、何か呪文のようなものを唱え始めた。すると掴まれた左手の甲に、一瞬だけチクリとした痛みを感じる。
 呪文を唱え終わったクレハは、手を離して扉の方へゆっくりと手を伸ばす。

「ありがとう。通れるようになったみたい」

 歩き出したクレハを慌てて追いかけたら、何かに足を引っかけバランスを崩した。

「大丈夫?」

 間一髪、クレハに抱き止められて事なきを得る。
 まさか助けてもらえるとは。妖怪の彼にそんな気遣い出来るなんて思いもせず、正直驚いた。

「すみません、ありがとうございます」

 見上げてお礼を言うと、思ったより近くにクレハの端正な顔があり目があった。
 深紅の大きな瞳をスッと細め、口角を僅かに上げると、クレハは顔を私の耳元に寄せてそっと囁いた。

「どんくさいね、君。何でコハクは君みたいな子をソウルメイトにしたんだろう。僕ならありえないな……でも、胸のサイズだけは合格かな」

 そう言って私の身体を支えた際、ちょうど当たっていた手で私の胸を服の上から軽く揉んだ。
 慌てて身体を離すと、クレハはクスッとバカにするように笑った後、何事もなかったかのようにスタスタと前を歩き出す。

 せ、セクハラ?!

 ここまでナチュラルに嫌な奴に会ったのは初めてだ。コハクの知り合いじゃなかったら、その後頭部に迷わず飛び蹴りしただろう。
 拳を強く握りしめてクレハを睨んでいると、カナちゃんが心配そうに尋ねてきた。

「桜、大丈夫か? 変なことされてへんか?」

 カナちゃんの位置からは彼の悪行は見えなかったらしい。正直に言うわけにもいかず、平気だと笑って誤魔化した。

「何してるの? 早く案内してよ」

 エレベーターの前で待つクレハが煩わしそうに声をかけてくる。

 く……本当に何て嫌な奴……。

 中に乗り込んで最上階のボタンを押す。コハクの家の前まで案内し、チャイムを押してみるものの返事がない。きっとシロは寝ているのだろう。
 鞄から合鍵を取り出して開けると、クレハはスタスタと迷うことなく一番奥のコハクの部屋に入っていった。

「桜、クレハが本当にシロの知り合いか少し様子探るで。ええか、なるだけ俺の後ろに居ってあいつから距離をとるんや」

 小声で話しかけてきたカナちゃんに、コクリと頷いて了承の意思を示す。

「お邪魔します」と玄関で遠慮がちに声をかけて中に入る。カナちゃんの後ろに続き奥の部屋までいくと、シロはベッドでスヤスヤと寝ていた。

 その様子をクレハは寂しげな眼差しで見つめて、手を伸ばした。固唾をのんで様子を見守っていると、その手はシロの頭に触れて優しく撫でた。
 しばらくして、耳をピクッとさせてシロが目を覚ます。

「久しぶりだね、コハク……いや、シロか。僕の事分かる?」
「……クレハ? お前、クレハなのか?」

 ベットから身体を起こし、驚いたように目を見開いてシロが尋ねる。

「分かってくれるんだ。少し安心したよ」

 クレハは表情を優しく緩めて答えた。
 心なしか、歪なオーラの気配も緩和された気がする。

「お前、どうしてそんな姿してんだよ! 一体何が……っ?!」

 動揺を隠しきれないシロに、柔和な笑みをたたえてクレハはなだめるように声をかける。

「世間話をする前に、君のソウルメイトと友達が来てるよ。ここまで案内してもらったからさ。二人とも、そんな入り口に居ないでこっちにおいでよ」

 クレハに促され入り口から部屋の中へ入る。
 少なくともシロの反応から知り合いなのは間違いなさそうだ。それに、シロが寝ているのを見つめていたクレハの眼差しや、話している時の緩んだ表情や雰囲気から、ある程度の親しさが感じられる。

「シロ、お前急に倒れたからびっくりしたで。でも、その様子なら少しはマシになったみたいやな」

 話しかけながら、カナちゃんは自然にクレハとの距離を詰めた。自分を挟んでクレハと私を物理的に遠ざけようとしてくれているらしい。気付かれないよう、ジェスチャーで反対側においでと教えてくれた。
 クレハに気を付けつつ、私も部屋の中へと足を踏み入れる。

「具合はどう? 辛いなら無理せず休んでて大丈夫だからね」
「少し怠いけど大丈夫だ。心配かけてすまなかったな」
「先生に聞いたけど、人間には化けれへんのんか?」
「ああ……力が上手く使えない」

 シロは手を見つめながら握ったり閉じたりを繰り返している。
 その時、私達の話を大人しく聞いていたクレハが驚いたように尋ねてきた。

「シロ、何か悪いものでも食べたの?」
「桜が作ったカップケーキだ。美味しそうだったからつい……玉ねぎ入ってるの忘れてた」
「玉ねぎって……君はソウルメイトなのに、そんな事も把握してなかったの?」

 信じられないと言わんばかりに目を見開いた後、こちらに鋭い視線を向けるクレハに慌ててシロは否定した。

「クレハ、桜は悪くない。俺が気づかなかったのがいけないんだ」
「庇うんだ……ねぇシロ。そういえば、何で人間界なのに君が表に出てるの? コハクはどうしたのかな?」

 クレハの声のトーンが低くなり、和らいでいた歪なオーラが膨れ上がってくるのが分かった。

「コハクは今、幻術空間で眠らせている」
「どうして? コハクはそんなに脆い子じゃないと思うけど、そうせざるを得なかった状況に陥ったって事だよね」
「それは……」
「原因はこの子かな? シロ、ソウルメイトに深く関わってはいけない。確かに恩恵も大きいけれど、それ以上に諸刃の剣である事を忘れてはいけないよ。人間は僕達を苦しめるだけだ」
「クレハ、お前からそんな言葉が出てくるなんて本当どうしたんだよ。らしくない」

 心配そうに話しかけるシロから視線を逸らすように瞼を閉じると、クレハは静かに呟いた。

「らしくない……か。愚かな幻想から目覚めただけさ」

 クレハから感じていた人間への棘のある態度は、どうやらシロを心配してのものだったようだ。
 シロが私を庇った途端にクレハの雰囲気が変わった。理由は分からないけど、クレハが人間……特にソウルメイトに対していい感情を持ってない事がうかがえる。

「……お前に何があったのかは知らないが、俺はここから離れるつもりはない。桜と一緒に生きていくって決めたんだ」

 身体を翻してこちらに向き直ったクレハが、捲したてるように問いかけてきた。

「君はその覚悟があるの? 妖怪と一緒に生きるって、どういう事だかちゃんと分かってる? 君が一度でも裏切ればシロは……」

 鋭い眼差しでクレハに睨み付けられ、あまりの迫力に思わず身体が萎縮する。
 私を庇うように、シロは声を荒げてクレハの言葉を遮った。

「クレハ! 桜に余計な事は言わなくていい。俺たちはまだ契りを交わしたわけじゃない。そういう話はまだ必要ない」
「なんだ、それなら良かった」

 恐ろしく整った笑みを浮かべた後、クレハはブツブツと呪文を唱え始めた。

「忌まわしき姫君に不吉なる数字の呪いを……」
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