獣耳男子と恋人契約

花宵

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第九章 文化祭に向けて

九年越しの願い

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 目の前には、ひどく妖艶な眼差しを向けてくるシロ。すごい目力だ。思わず生唾を飲み込んでしまった。

「た、試すって一体何を?」
「そんなの決まってるだろ?」

 シロは私の太股に優しく触れると、そのまま手で撫でるようにスッーっと上まで這わせてきた。

「ヒャ…ッ!」

 ゾクッとした感覚に思わず声がもれる。

「今のお前、すげぇそそる顔してるぞ」

 耳元で色気を含んだ声で囁かれて、心臓がバクバクと尋常じゃない速度で鳴り始めた。
 別に妖術で動きを封じられているわけじゃないのに、全身が火照ったように熱くて、その場から動けなかった。

「ククク、冗談だよ」

 おかしそうに笑うとシロは、太股から手を離してベットに腰かけた。
 最初からからかわれていただけだと分かり、胸がズキンと痛んだ。

「私……やっぱり魅力ないんだね」
「急にどうした?」

 私が空手を始めた本当の理由は、幼心に抱いた美的コンプレックスからだった。

 可愛い姉と男なのに可愛い幼馴染みを前に、早々にそういう路線で生きていくのは無理だと悟った。
 そんな時、素行の悪い不良を一撃でノックダウンさせる格好いい空手師範に出会った。
 その純粋な強さに惹かれ始めた空手が面白すぎて、皆が雑誌を広げてお洒落を学んでいる間もひたすら身体を鍛えていた。
 別にその生き方を今更後悔しているわけでもないし、むしろそのおかげで楽しく過ごすことも出来たし、美希や美香と友達になれたから感謝している。

 だけど、コハクに出会って恋をして、私の意識は変わった。
 壊れ物を扱うように優しく接してくれて、あんなに真っ直ぐな瞳で私を見て、「可愛いね」と言ってくれたのはコハクが初めてだった。

 自分が女であると意識させてくれて、恥ずかしい気持ちも強かったけど、それ以上に嬉しさの方が大きかった。

 でも周りの視線は正直で、誰もがコハクの隣に私が居る事を、異様な光景のように見ていた。
 少しだけ認めてくれる人も出来たけれど、大多数は未だに変わらない。

 堂々と胸を張って、コハクの傍に居られる魅力的な女の子になりたいよ。

 しかし現実として、お洒落から逃げるように生活していた私に、女としての魅力などあるわけがないと、シロの態度で分かった。
 付け焼き刃でコンテストに挑もうなんて、やっぱりお門違いの話だったんだと思い知らされた気がして胸が苦しくなる。

「どうしたら、魅力的な女の子になれるのかな……」

 俯いて呟いた私の言葉が虚しく部屋に響いていた。

「何を勘違いしてるんだ?」
「シロがそうやってからかうのは、私に魅力がないからだよね」
「は? 逆だ。最初の頃より髪も肌も綺麗になって、つい触りたくなんだよ。本当は今すぐにでも押し倒してやりてぇよ。これでも毎日必死に我慢してるんだぞ」

 顔を上げると、シロは照れたように視線を斜めに泳がせていた。
 本能のまま行動する彼が、似合わない言葉を口にし思わず呟いてしまった。

「我慢なんて言葉、知ってたんだ……」
「さりげなく失礼な事言ってんじゃねぇよ! ったく、人の気も知らねぇで……コハクより先に手出したら、アイツの立場なくなるだろ?」
「コハクの立場……?」
「アイツは勉強もスポーツも人付き合いも何でも俺の上を行くが、唯一劣っている点がある。それは、女の扱い方だ」
「コハク、エスコート上手いよ?」

 さりげなく車道側歩いて歩幅を合わせてくれるし、ドアも開けて先に通してくれる。
 シロを江戸時代の武士と例えるなら、コハクは紳士的なジェントルマンだと思う。

「そういうんじゃなくてだな、女の悦ばせ方だよ。俺がお前抱いた後に、コハクが下手くそにお前抱いてみろ。後がどうなることか……怒らせたら怖ぇんだぞ、アイツ」
「お、怒らせたら……どうなるの?」

 私の質問にシロはブルッと身震いして、心なしか青ざめた顔をして口を開いた。

「自分の周りに俺の苦手なもん並べて交代すんだよ。おかげで俺はそこから一歩も動けず震えながら一晩を明かした。今思い出しても寒気がするぜ」
「テレポートしたら良かったんじゃないの?」
「……ッ!」

 シロはこれでもかと言うほど、切れ長の瞳を大きく見開いた。

「気付かなかったんだね……」
「あ、あの頃は俺もまだガキだったからな、仕方ないだろ!」

 プイッと顔を背けたシロに、変な所で抜けてるよなと思いつつも、想像したら可愛いくて思わず頬が緩んでしまった。

「シロにも可愛い時期があったんだね」
「お、お前だってガキの頃、苦手な物の一つや二つあっただろ? 誰だってそういったもんぐらい持ってんだよ。たがら、あんま悲観的になんなよ。お前はそれを克服しようと頑張ってんだろ? 苦手なもんと向き合ってるお前は、十分格好いいと思うぜ」

 照れながらも励ましてくれたシロの優しさが胸に染みた。

「ありがとう、元気出たよ。ごめんね、変な事言って」

 私が笑顔でお礼を言うと、シロは一人でうんうんと頷き始めて

「まぁ、お前がどうしても女として自信が欲しいってんなら、俺も腹を括ろう。今から抱いてやるよ」

 神妙な面持ちで変な事を口走った。

「え、い、いきなり何言ってるの?」
「俺もアイツを克服する。たとえ後でどんな報復を受けようと耐えてみせる!」
「いや、変な覚悟決めなくていいから!」
「女はやると綺麗になるっていうだろ? 一石二鳥じゃねぇか」
「いや、そういうのってそんな覚悟してやろうとかするものじゃないかと……そ、そうだ! 何か見せたいものあるって言ってたよね?」

 私の言葉にシロは時計を見て、残念そうに舌打ちをした。

「仕方ねぇ、それはまた今度だ。今はそれより大事な用がある」

 シロは人間の姿に化けると、私の手を引いてベランダへと移動した。
 目前に広がる夜景に思わず感嘆の息が漏れた。

「わぁ……すごく綺麗だね」

 高層マンションの最上階は遮るものが何もない。月明かりに照らされライトアップされた街並みは、いつもと違う表情をしているように見えて、純粋に美しかった。
 はしゃぐ私の隣でシロは優しい笑みを浮かべて尋ねてきた。

「九年前の今日、何があったか覚えてるか?」

 九年前といえば、小学二年生ぐらいか。

「……最初にコハクとシロに出会った日?」

 どうやら違ったようで、少しだけ寂しそうに笑ってシロは空を見上げた。

「違う、別れた日だ。親父が迎えに来て、挨拶も出来ないまま連れ戻された。あの夜、九年に一度しか見られない流星群が流れていた。あの日からずっと……今度はそれを、お前と一緒に見たかったんだ」

 大事な用ってこのことだったのか。九年も前からそんな事を願っててくれてたなんて…… 嬉しくて胸がジーンとする。心なしか目頭まで熱くなってきた。

「シロ……嬉しいよ。連れてきてくれて、ありがとう」
「願いがあるなら祈っておけよ。九年前の俺の願いは叶ったから、お前の願いもきっと叶うはずだ」

 その時、夜空を一つの流星が瞬く間に流れていった。

「ちなみに、あの速度に追い付けない奴の願いは叶わないから」
「そうなの? 大丈夫、次は頑張るから」

 どこに狙いを定めるかキョロキョロして辺りを見回すと、横からクッと噛み殺すような笑い声が聞こえた。

「よく見えるように抱えてやろうか?」
「なっ……今のままでも十分見えるよ!」
「それは残念だ」

 気を取り直して正面の夜空を熱心に見つめ、胸の前に手を合わせて流星が流れてくるのをじっと待った。
 キラリとある一点が光るとそれは線を描いて動き出す。
 急いで願いを込めるけど「残念、時間切れ」とシロに笑われて、あの速度に間に合わない。

 何度かそれを繰り返し悔しがっていたら

「桜は今のままでも十分可愛いよ」

 と耳元でコハクの真似をして囁かれて、顔が一気に熱くなる。そんな不意打ちはズルいと抗議しようと視線を送ると

「あの時思い描いた夢が叶って……僕は今、すごく嬉しいんだ。ありがとう、桜」

 コハクの真似をしてふわっと柔らかく微笑まれて、思わず見惚れてしまった。

 今度はコハクも一緒に見れるといいな。九年後も、その先もずっと……

「欲張りなお前のために、そろそろ来るぞ」

 そう言ってシロは視線を再び夜空へ向ける。
 つられて視線を戻すと、空からたくさんの流星が降ってきた。
 急いで願いを込めて目を開けたら、流星は未だに流れている。

「シロ、今度は大丈夫だよね!?」

 確認するように声をかけると、優しく微笑んで頷いてくれた。

『コハクとシロとずっと一緒に居られますように』

 どうかこの願いが叶いますようにと、私は再び流星群へと強くお祈りした。
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