獣耳男子と恋人契約

花宵

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第八章 暗黒王子と学園生活

不器用な優しさ

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 その後、コサメさんに一瞬で家まで送ってもらった。家族に帰りが遅いと心配されたのを何とか誤魔化して、汚い物を洗い流すためお風呂に入った。

 鏡に映る自分の胸元に、穢れた無数の赤い跡を見つけ泣きたくなる。
 無駄に何度も何度も洗ったが取れるはずもなく、まだ九月だというのにタートルネックを着て首まで隠しても気持ち悪さは拭えなかった。

 コハクに今日の出来事を報告する途中、あの時の恐怖を思い出してトイレに駆け込んで何度か吐いた。
 思っていた以上に心も身体もダメージを受けていたようで、その日は美容体操も出来ずにそのまま寝てしまった。

 しかし、夢の中でも今日の再現と思われる悪夢を見て飛び起きる。
 恐怖と不安で押し潰されそうになり、スタンドライトを付け、すがるようにシロがいつも寝ていた場所に視線を送るが彼が居るはずもない。

 ベットの隅で膝を抱くように小さく縮こまってガクガク震えていると、不意に頭の上に何か温かいものが乗ってきた。
 それは頭をつたって肩まで下りてくると、小さな前足を私の頬について立ち、瞳から流れ落ちる涙を小さな舌でペロペロと舐めとった。

 その感触がくすぐったくて笑っていると、いつの間にか身体の震えが止まっていることに気付く。
 肩から私の膝の上に移動してちょこんと座ったそれに、私は話しかけた。

「シロ、身体は大丈夫なの? また無理して来てくれたんじゃ……」
「無理をしているのはお前の方だろ。独りで泣くなよ。アイツみたいに優しい言葉とか、かけてやれねぇけど、傍に居るぐらいなら出来るから」
「……ありがとう」

 シロの不器用な優しさがじんわりと胸に染みて、さっきまで恐怖と不安で底冷えした心がポカポカと温かい気持ちになった。

「ほら、今だけ特別好きな姿に化けてやるよ、何がいい?」

 まだ本調子ではないだろうに、無理をしようとしているシロに「貴方の本当の姿がいい」と、気を遣った言葉ではなくただの本心を言ってみた。

「は? こんな機会滅多にねぇんだぞ、コハクでも西園寺でもお前が好きな奴に化けてやるぞ?」

 シロのその言葉に胸がズキンと痛んだ。
 今までの私の態度が、好きな人というカテゴリーに自分は含まれないと彼に認識させていたのだと気付かされたから。

「貴方に傍にいて欲しいから、シロの本当の姿がいい」

 誰かの代わりをする貴方じゃなくて、今は無性に本当のシロに会いたいと思った。

「……変な奴」

 眩い光を放つとシロは元の姿に戻り、私に背を向けてベットに腰かけた。
 背中じゃなくて顔を見せて欲しいと思うけど、我儘を言う前に伝えなければならない事を先に言ってしまおう。

「シロ、今日は助けてくれてありがとう」
「礼なんていらない。お前がそんな目に遭ってるのは、俺が暴走して呪詛がかかったせいだ。それがお前に不幸を呼び寄せた……本当にすまなかった」

 見ていると可哀想になるくらい、シロの獣耳と尻尾がしゅんと下がっている。

「それでも、貴方は私を助けてくれた。だからやっぱりありがとう、だよ」
「桜……」
「逆に私こそ、勘違いさせるような事して暴走させて自業自得っていうか、本当にごめんなさい。あの後、やっぱり怒ってたんだよね?」

 気になっていた事を聞いてみたら、「ん……いや、寝てた」と、あまりにも予想外の答えが返ってくる。

「え……寝てた?」

 確かに寝ていたら、連絡しても、家を訪ねても気付かないだろうし、学校にも来れないはずだ。
 シロが怒っていたわけじゃない事に少しだけホッとした。

「あの後、ずっと寝てた。親父に聞いたんだろ、俺の体質」
「人間界で生きていくのは厳しいって……」
「ああ。俺はコハクに頼らないと寝てばかりで、お前と一緒にろくに生活も出来やしない。その上一族の中でも霊力の低い俺は、妖界に居ても落ちこぼれ扱いの駄目な奴だ」
「シロ……」

 背を向けているため表情は分からないけど、シロの背中が物凄く寂しそうに見えた。
 彼がコハクに抱いているコンプレックスが少しだけ分かった気がした。
 表に出てそつなく生活するコハクに嫉妬しながらも、自分は彼に頼らないとこっちの世界では生きていけない現実がきっと苦しいんだ。

「コハクが居れば、お前はそんな目に遭わずに済んだろうに……俺は、好きな女もろくに守れないし、一緒に居ても傷付けてばかりの最低な奴なんだよ」

 シロの屈折した攻撃的な性格は、常にそうやって自分を奮い立たせて気を張ってないと、やりきれなかったからじゃないだろうか。
 弱音を吐き出し微かに震える彼の背中は、まるで何かに怯える子供のように小さく見えたから。

「そんな事ないよ、シロは私を助けてくれた、格好いい奴だよ! 貴方が傍にいてくれて、私は今すごく嬉しいんだよ」
「こんな時まで無理するなよ。本当はコハクに会いたくて仕方ない癖に……お前は俺に、コハクの残像を重ねているだけだ」

 元気付けようと声をかけるも、逆に痛い所を突かれてしまった。

 う……耳が痛い。でもそこまで分かった上で、今も……貴方は私の傍に居てくれるんだね。

 胸がキュウと締め付けられるように苦しくなった。
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