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第三章 悪の女帝の迫り来る罠
もう逃げない
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金曜日の夕方、家のチャイムが鳴って、私は恐る恐る玄関のドアを開けた。
目の前には、ひどく驚いた顔をしたままのコハクが固まっている。
「ワンワン、クゥーン、クゥーン」
コハクの回りをくるくるとクッキーが嬉しそうに走り回った。
「今まで心配かけてごめん」
声をかけても、コハクはピクリとも動かない。
聞こえなかったのかと思ってコハクの元に近寄ると、物凄い速さで彼は後ずさった。
「大丈夫、これ以上近寄らないから……だから、逃げて行かないで」
今にも泣き出しそうな程、悲哀に満ちた顔でコハクはそう言った。
私が『近寄らないで』って言ったから、こんな物理的に距離を取ってくるなんて、なんてバカ正直者で……愛おしい人なんだろう。
その姿がおかしくて、自然と頬が緩んでくる。
「私はもう逃げないから、安心して」
私の言葉を聞いて、コハクは安堵のため息をもらした。
「桜……」
それでも不安そうにこちらを見つめてくるコハクを安心させるために、私は彼に近付いてそっと抱きしめた。
「今まで辛い思いさせてごめんなさい。きちんと、コハクに聞いてほしい事があるの。聞いてもらえる?」
「もちろんだよ。桜の話なら何でも聞くよ」
その日、私は久しぶりにコハクの嬉しそうな笑顔を見た。
それだけで、不安で一杯だった胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
「えーゴホン」
その時、わざとらしい咳払いが聞こえて振り返ると、母がニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「玄関先でイチャイチャしてないで早くお家に入ってきなさい。暑いでしょ~外は」
恥ずかしくて私はコハクから急いで離れた。
「コハク君、よかったら上がっていってね。桜の話長くなると思うから」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えていいですか?」
「コハク君なら大歓迎よ~フフフ」
上機嫌で家の中へ戻っていく母を尻目に、いい年してデバガメはよくないと心の中で思わず悪態をつく。
それから私は、コハクを部屋へ案内した。
ジュースとお茶菓子を出して、席についた所で話を切り出す。
私は美希との出会いから、たくさんの思い出、そして事件のあった日の事、引っ越した経緯から今の学園に入ってからの出来事、コハクと距離を置いた理由、全てを包み隠さず話した。
コハクは私の話を一つ一つ丁寧に聞いてくれて、『辛かったね、今までよく耐えてきたね』と優しく抱き締めてくれた。
そのたくましい腕の中で安心感に包まれ、堪えていた涙がこぼれだす。決壊したダムのように今までの思いがあふれてきて、私はコハクの腕の中で泣きはらした。
私が落ち着いたのを確認してコハクは口を開く。
「美希ちゃんの気持ち、分かる気がするな。僕もきっと同じだから」
「同じ?」
「そう……同じ。大好きな桜に迷惑をかけたくないって気持ちもあったと思う。でも、桜と過ごす時間がとても楽しくて、壊したくないから……言えないんじゃなくて、敢えて言わなかったんじゃないかなって。その時間までもが、辛い時間に変わってしまったら……それこそ生きる希望も意味も何もかも見失ってしまう気がするから」
楽しい時間を壊したくない。それは、私がコハクに過去を知られたくなかったのと同じ気持ちだ。
「桜と過ごす時間が、美希ちゃんにとって残された最後の希望だったんだと思う。だから彼女は、その希望の時間の中で……苦しみから解放されたかったんじゃないのかな? 本当に桜の事が好きだったから、その瞬間を胸に抱いたまま」
美希は最後まで携帯を強く握りしめていたと聞いた。
コハクが言うように美希が思っていてくれていたならば、これほど嬉しい事はない。
けれど、同時にこれほど悔しいこともない。
そこまで信頼してくれていたのに、何の力にもなれなかった事が悔しくて仕方がなかった。
強く握りしめた私の拳を、コハクがそっと自身の手を重ねてきて解きほぐしてくれた。
爪の痕が残った手のひらを優しく包み込んで彼は言葉を続ける。
「桜が自分の事をずっと攻め続ける気持ちも、本当に美希ちゃんが大切だったから、悔やんでも悔やみきれないものなんだと思う。だけど、桜がそうやって自分を追い込み続けて辛い目に遭う事を、美希ちゃんは決して望んでないはずだよ」
自分がこんな目に遭うのは当然なんだと悲劇のヒロインぶって、ただ毎日を淡々と過ごしていた。
結局それも全部独りよがりの考えで、美希がどんな思いで過ごしていたのか考えもしなかった。
今の私を見たら、美希はきっと悲しむだろう。優しいあの子は、自分のせいでってきっと苦しむだろう。
コハクの言葉で初めてその事に気づかされた。
「美希ちゃんの事を思い出して、悔しくて泣いてしまう日があってもいい。だけど、彼女の思いを無駄にしないためにも、桜は自分で幸せになる事を放棄してはいけないと僕は思う」
私の中の止まっていた時間が、少しずつ時を刻み始めた気がした。
美希の事はきっとこれから先もずっと、私は悔やみ続けるだろう。だからこそ、もう二度とこんな悲しい事を繰り返してはいけないと強く思った。
美希が私と過ごす時間が好きだと言ってくれた時のように、私は前を向いて歩いて行こう。
「コハク、私頑張るよ。美希に誇れる自分になれるように」
私の決意を聞いて、コハクは柔らかく微笑んで頷いてくれた。
目の前には、ひどく驚いた顔をしたままのコハクが固まっている。
「ワンワン、クゥーン、クゥーン」
コハクの回りをくるくるとクッキーが嬉しそうに走り回った。
「今まで心配かけてごめん」
声をかけても、コハクはピクリとも動かない。
聞こえなかったのかと思ってコハクの元に近寄ると、物凄い速さで彼は後ずさった。
「大丈夫、これ以上近寄らないから……だから、逃げて行かないで」
今にも泣き出しそうな程、悲哀に満ちた顔でコハクはそう言った。
私が『近寄らないで』って言ったから、こんな物理的に距離を取ってくるなんて、なんてバカ正直者で……愛おしい人なんだろう。
その姿がおかしくて、自然と頬が緩んでくる。
「私はもう逃げないから、安心して」
私の言葉を聞いて、コハクは安堵のため息をもらした。
「桜……」
それでも不安そうにこちらを見つめてくるコハクを安心させるために、私は彼に近付いてそっと抱きしめた。
「今まで辛い思いさせてごめんなさい。きちんと、コハクに聞いてほしい事があるの。聞いてもらえる?」
「もちろんだよ。桜の話なら何でも聞くよ」
その日、私は久しぶりにコハクの嬉しそうな笑顔を見た。
それだけで、不安で一杯だった胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
「えーゴホン」
その時、わざとらしい咳払いが聞こえて振り返ると、母がニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「玄関先でイチャイチャしてないで早くお家に入ってきなさい。暑いでしょ~外は」
恥ずかしくて私はコハクから急いで離れた。
「コハク君、よかったら上がっていってね。桜の話長くなると思うから」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えていいですか?」
「コハク君なら大歓迎よ~フフフ」
上機嫌で家の中へ戻っていく母を尻目に、いい年してデバガメはよくないと心の中で思わず悪態をつく。
それから私は、コハクを部屋へ案内した。
ジュースとお茶菓子を出して、席についた所で話を切り出す。
私は美希との出会いから、たくさんの思い出、そして事件のあった日の事、引っ越した経緯から今の学園に入ってからの出来事、コハクと距離を置いた理由、全てを包み隠さず話した。
コハクは私の話を一つ一つ丁寧に聞いてくれて、『辛かったね、今までよく耐えてきたね』と優しく抱き締めてくれた。
そのたくましい腕の中で安心感に包まれ、堪えていた涙がこぼれだす。決壊したダムのように今までの思いがあふれてきて、私はコハクの腕の中で泣きはらした。
私が落ち着いたのを確認してコハクは口を開く。
「美希ちゃんの気持ち、分かる気がするな。僕もきっと同じだから」
「同じ?」
「そう……同じ。大好きな桜に迷惑をかけたくないって気持ちもあったと思う。でも、桜と過ごす時間がとても楽しくて、壊したくないから……言えないんじゃなくて、敢えて言わなかったんじゃないかなって。その時間までもが、辛い時間に変わってしまったら……それこそ生きる希望も意味も何もかも見失ってしまう気がするから」
楽しい時間を壊したくない。それは、私がコハクに過去を知られたくなかったのと同じ気持ちだ。
「桜と過ごす時間が、美希ちゃんにとって残された最後の希望だったんだと思う。だから彼女は、その希望の時間の中で……苦しみから解放されたかったんじゃないのかな? 本当に桜の事が好きだったから、その瞬間を胸に抱いたまま」
美希は最後まで携帯を強く握りしめていたと聞いた。
コハクが言うように美希が思っていてくれていたならば、これほど嬉しい事はない。
けれど、同時にこれほど悔しいこともない。
そこまで信頼してくれていたのに、何の力にもなれなかった事が悔しくて仕方がなかった。
強く握りしめた私の拳を、コハクがそっと自身の手を重ねてきて解きほぐしてくれた。
爪の痕が残った手のひらを優しく包み込んで彼は言葉を続ける。
「桜が自分の事をずっと攻め続ける気持ちも、本当に美希ちゃんが大切だったから、悔やんでも悔やみきれないものなんだと思う。だけど、桜がそうやって自分を追い込み続けて辛い目に遭う事を、美希ちゃんは決して望んでないはずだよ」
自分がこんな目に遭うのは当然なんだと悲劇のヒロインぶって、ただ毎日を淡々と過ごしていた。
結局それも全部独りよがりの考えで、美希がどんな思いで過ごしていたのか考えもしなかった。
今の私を見たら、美希はきっと悲しむだろう。優しいあの子は、自分のせいでってきっと苦しむだろう。
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美希の事はきっとこれから先もずっと、私は悔やみ続けるだろう。だからこそ、もう二度とこんな悲しい事を繰り返してはいけないと強く思った。
美希が私と過ごす時間が好きだと言ってくれた時のように、私は前を向いて歩いて行こう。
「コハク、私頑張るよ。美希に誇れる自分になれるように」
私の決意を聞いて、コハクは柔らかく微笑んで頷いてくれた。
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