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黄金の瞳をもつ狼
とりあえず風呂
しおりを挟む「早急にベッドの改善が必要だ……」
目覚めた湊は腰をおさえて呻いた。申しわけていどに藁束を敷いた寝床は三十路をこえた男の腰にくる。
湊には目標ができた。当面はこの町で暮らし、もとの世界へ帰る方法をさがすこと。
午前中はエリークや兵士たちと文字をならい簡単な単語を覚える。古い数字は表記がむずかしく、リンゴの数を書くだけでも大柄な兵士たちは頭をかかえて悶絶している。湊から見ても複雑だったため、知ってる数字を当ててメモ帳へ書きそえた。
「じゃあ、兵士たちによろしくな」
食堂の親父が笑顔で手をふった。ラルフと会う午後までは時間があり、乗馬の練習がてら昼食を丘の見張り台へ届けた。
人どおりの少ない街道を歩いていた帰り道、リヤカーを引いたタル体型のおじさんが道端でうなだれていた。休憩していた場所で落盤があって動転したロバが逃げたようだ。汗びっしょりのおじさんを気の毒に思い、湊は馬から降りていっしょに荷物を運ぶことにした。
「スレブニー運べるかい? 」
リヤカーの馬具を装着すれば、馬は分かっているように首を上下させる。
「本当に感謝するよ! カミサマのお導き、ありがとう! 」
円錐形のフェルト帽子をかぶったナディムは砂漠と緑の国の出身、ヴァトレーネで商売をするため遠路はるばるやってきた。町まで送ったらナディムは何度も礼を言い、革袋をくれた。中身はナツメグなどのドライフルーツや黒糖の塊だ。
兵舎へもどるとラルフが待っていた。遅れたわけを説明したら、ラルフは落盤のあった場所を確認して兵士を調査へ向かわせた。
「まったく、いつまでも戻って来ないから心配した」
「ははは……すいません」
兵舎を出発してラルフの邸宅へ向かう。
馬にふたたび揺られる道中、大きな馬の背に乗った湊はなぜこうなったのかと考えた。なぜかと言うとエリークを馬へ乗せた時みたいにラルフに補助されてる。
「あの……俺もいちおう馬に乗れますけど? 」
「荷を運んだスレブニーは休憩が必要だ」
たしかにもっともなご意見だ。湊はおとなしいスレブニー以外の馬には乗れなかった。厚い胸板が背中に当たって落ちつかない、鍛えられた腕が手綱を操作して2人の体は馬のうごきに合わせて上下する。デジャヴを感じた湊はそれを目で追った。
橋をこえたあたりで大衆がこちらに気づき、ラルフが笑顔で手をふれば人々は歓声をあげる。
「ちょっとラルフ! 」
「どうした? 」
注目されて恥ずかしくなった湊は縮こまったけど彼にとっては日常の光景、背後で太陽みたいな輝きを放っている。中央橋を通過して南側へ移動すると、整備された公園がひろがる。その一角に白い漆喰の壁にかこまれた高台の家があった。兵舎の回廊と同様の円柱がたち、石レンガと木造が混合した邸宅だった。
玄関先で使用人たちがラルフを出迎えた。
客人を迎える1階は仕切りがあるだけの広いスペースで床は大理石で彩られている。食事する部屋と調理室、中庭を眺めながら入れる風呂、大理石ベッドのおかれたマッサージルームもある。
「でかぃ……」
湊は感嘆して声をもらした。
風呂の大きさは兵舎の浴場と同じくらい、前官僚の邸宅を改装して使ってるそうだ。開かれた空間は気がねなく見学できる。光を取りこむ吹き抜けの窓が部屋をあかるく照らしていた。
ラルフに導かれ石階段をのぼった。2階は部屋がいくつもあり、ゲストの泊まる個室がならぶ。いちばん奥は中庭を見おろせる木製のベランダが設置され、ラルフのプライベートルームになっていた。個室にベッドはあるけど広い1階のソファーベッドで休むこともあるという。貴族の豪勢な生活は庶民と違いすぎて、スーツの上着が肩からずれ落ちた。
「さて……昨日の続きも聞きたいが、とりあえず風呂へ入ろうか」
「ふぇっ!? 」
理解が追いつかなくて湊は気のぬけた声を出した。
午前の仕事も終わりたくさん汗もかいた。帝国の習慣では、まず風呂なのだそうだ。状況を呑みこめないまま、ラルフの太い腕に巻きこまれて浴場へ連れて行かれた。脱衣所には使用人もいるのに何のためらいもなく服を脱ぐ男を見守る。
「どうしたミナト、脱がないのか? 」
ラルフが首を傾げた。
そうは言われても、よその邸宅でいきなり裸の付き合いは風呂文化で育った湊も躊躇する。おまけに彫像のような肉体を見てしまうと、ジムへちょっと通ってるくらいの体が貧相に思えた。うろたえていたらラルフは湊の服を脱がしはじめる。
「えっ、ちょっ、ま―っ! 」
前日に服の構造を聞いていたラルフは、あっという間にワイシャツを脱がせズボンをスポンと下ろす。生まれたままの姿にされてしまい、局部を手で隠した。
「兵舎の風呂には入っていたと聞いたが? 」
「そうなんですけどネ……」
兵舎の風呂は銭湯みたいで裸になっても恥ずかしくなかった。ラルフの文化圏では自宅の風呂も温泉テーマパークなのだ。
湊は精神統一して、豪華な大理石タイルのうえを転ばないように歩く。浴槽の手前にひろい洗い場があり、大理石の長イスが設置されていた。ライオンの口からお湯が絶えず流れおちる。
ラルフは長イスへ座り体を洗いはじめた。一糸まとわない美しい肉体が視界へ入り、湊は目を逸らし隣のイスへ腰かける。
「ミナト、そんなに離れたら声が届かないだろ? 」
湊は端のさらに端へ座っていたが、距離感のない男に詰められて逃げ場がなくなった。
ラルフの腕がのびて何かを渡された。先程からラルフの使っている物だ。お湯に濡れてやわらかくヌルヌルすべり、手でこすれば泡が立つ。微かに油の匂いがして知っている物だった。
「これって石鹸?」
「よく知ってたな。東方より向こうの国から来た商人が売っていた。もともと織布の洗浄に使っていたが、薬用で肌の汚れもよく取れるらしい」
湊の世界にある液体ソープや精製された石鹸は無く、原始的な石鹸でもめずらしくて高価だという。兵舎の風呂ではオイルを体へ塗り、ヘラのようなもので汚れを落としていた。
この世界へ香りのいい石鹸をバラまけば間違いなく億万長者になれるであろうと、邪悪な笑みを浮かべた湊は頭からお湯をかけられた。
「ミナト、しっかり汚れを落とすんだぞ」
「ハイ……」
スポンジを渡されて泡立てた湊は隅々までキレイに洗った。
「やわらかい……どうやって作るの? 」
「カイメンだ。海でとれるやつをひたすらもみ洗いして乾燥させたら出来る」
湊の世界でも見かけたことがある天然スポンジ。ラルフの管轄する港町でも採れる質のいい海綿は特産品だ。水に濡らすとやわらかいけど、乾くと硬いのでベッドへの使用は断念した。
中庭を眺められる浴槽は開放感があった。難点は湊の身長ではすこし深い、半分泳ぎつつ浴槽内を移動していたら足を滑らせてしまった。沈んだところで腕をつかまれ救出される。
「大丈夫か? 」
「アリガトウゴザイマス……」
ラルフに抱っこされて縁の石段まで運ばれた。年甲斐もなくはしゃいで恥ずかしくなって落ちこんでいると、彼が横にきて笑いかける。ひとみの黄金色が陽光を反射してきらめき、心臓がはねた湊は目を離せなくなった。
しずくの垂れた黒い髪を大きな手がなでつける。その指が頬へふれて湊の顔に熱があつまり、どうしていいか分からなくなってまぶたを伏せた。
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