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季節閑話 初夏「猫のはなし」

エピローグ1

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 月読つくよみは壁ぎわへ追いつめられ、呆然ぼうぜんとしていた。

 霊山を後にして、あきらという男も鳴りをひそめ月読の顔へ戻りつつあった。最終日は寄り道して1泊、九郎の選んだ場所へ滞在する。去年とは別の道をとおり湖畔こはんの別荘へ車を停め、2人で扉を開けた。

 そして玄関へ入るなりこの状況である。壁ドンならぬ両腕ではさまれ、九郎の顔が目のまえにあった。至近距離しきんきょりで見つめあい狼狽うろたえる。

「待て待て、いったい何だというのだ? この状況は!? 」

 少しもらされない鋭い眼光が射貫いぬき、その瞳のうちにやや不満な気を感じとった。九郎は無言のままじっとりした目を向ける。つかのま見つめあって低い声がボソリとつぶやく。

「……ご褒美」

 たしかに聞き覚えのある言葉は、九郎を霊山へ送りだす方便ほうべんに使った。その場しのぎに放ったひと言は月読本人ですら忘れかけていたが覚えている様だ。内容を決めてもいない『ごほうび』は九郎の頭でひとり歩きして、間違った解釈かいしゃくへ変化したことだろう。

 午前中の修行のほかはダラダラ過ごしていた月読と異なり、九郎はきょうとなえながら霊山を駆け、護摩焚ごまだきや滝行たきぎょうまでおこなった。煩悩ぼんのうは浄化され霊山のけんさとりの一端いったんを得たはず。
だが塗り壁のごとき黒々とした目は煩悩の影をまとい、どうしたものかと思索する月読がわずかに目を逸らせば、『がんこなこびり付き、汚れに、泡洗剤! 』と書かれたスプレー容器が視界へ入った。

――――スプレーしてサッと拭き取れるこびり付きなら楽だけど。

 悶々もんもんとうずまく彼の執着しゅうちゃくが、その程度で無くならないのは分かっている。

 ますます距離はちぢまり九郎の額はくっついた。しばらくおでこで押しあい、観念した月読はため息をつく。

「まったく、ムードもへったくれもあったものじゃない……。時間はたくさんある、さきに部屋の案内くらいしろ! 」

 額へキスして言いきかせると、荒ぶる九郎は落ちつき荷物を部屋へ運びこむ。象牙色ぞうげいろの大理石でできた玄関、シンプルな色で統一された洋風の別荘だ。【烏】がよく使うらしく、人里離れた場所なのにほこりっぽさもない。ルームシューズへきかえ、リビングへ行くと備え付けの家具があった。

 ここへ来る前に購入した食材を収納し、九郎と共に部屋をめぐる。1階は大きなダイニングとリビング、洗面所や風呂場、トレーニングルームもある。寝室などの各個室は2階にあり、泊まる部屋のベッドへフカフカの布団が敷かれていた。地下への階段もあり、シェルターをねた備蓄庫びちくこになっている。



「広っ、シェルターまであるのか。他の護衛……金村たちはどこへ行ったんだ? 」

 九郎が窓辺へすすみカーテンを開ける。テラスの先は短い桟橋さんばしになっていて、シートにおおわれた1そうのボートが浮かんでいた。小さい湖なのでそう遠くもない対岸にもうひとつの別荘が見える。
どこから出したのか双眼鏡そうがんきょうを渡されのぞくと、対岸のテラスでくつろいでいた者たちが手をふる。からすの保有する資産を見せつけられた気がして月読は軽いめまいを覚えた。

 リビングの窓からテラスと桟橋へ下りることが出来る。深閑しんかんとした森に囲まれる湖畔は白樺しらかばの並木があり、自然なようで手入れされた場所だ。湖があおく波うち、絶景におもわず感嘆したら1階の窓を閉めた九郎も桟橋へ下りてきた。

「明、ボートへ乗るか? 」

 月読の答えを分かっていたように九郎はビニルシートの覆いを外した。2、3人が乗れる手漕てこぎの小舟へ座ると、オールをセットした九郎が漕ぎだす。たゆたうボートのうえで応毅おうき武蔵坊むさしぼうのことを話した。

「少年と天狗はあのままで良かったのか? 」

「武蔵坊は好き勝手に人へ干渉かんしょうしてるわけじゃない。あの霊山にむ天狗たちは調和を大切にしている。姿を見せなかったけど、他の天狗たちは武蔵坊の行動をずっと見ていた」

 ほんとうに抜け目がないのは天狗たちの方だ。もしも過ぎた干渉をおこなえば他が介入する。天狗たちはそうして幽世と現世のバランスを保つ。千隼ちはやが彼らの土地へ迷いこんだときも、強い鬼の気に山全体が騒然としていた。

 風もない湖へ月読の声がひびき、対面でオールを持つ九郎はしずかに話を聞く。薄雲のあいだから陽が射し湖面に反射して輝いた。透明な湖は水深が浅くみえ、月読は湖へ手をひたした。

き水か。小さい湖だけど、これだけ綺麗ならヌシがいるんじゃないか? 」

「その心配はない」

 烏は退魔師たいましの集団だ。人にあだす存在を討伐する。共存をはかっているものの、時として自然を司る神々にはうとましく映ることもある。

 九郎が指し示した湖のほとりに百葉箱ひゃくようばこた箱があった。中身は烏の作った人造の形代かたしろ、この湖はながらくヌシの不在だった土地を烏が購入した。人造の形代をヌシ代わりに組みこみ、自然の神々の侵入を拒んで烏とのいさかいが起きないようにしている。

「そこまでするのか、時々お前たちが末恐すえおそろしくなるよ」

 ひたした手をゆらせば美しいけれど無機質な水面へ波紋はもんが立ち、水底には稚魚が泳ぎまわっていた。烏たちが管理するあいだこの湖へ山や森のヌシが居つくことはないだろう、しかし人造物により豊穣ほうじょうと不毛の循環は正常に保たれる。
遠い未来、ヌシは必要とされなくなるかもしれない。まるで我が事のようにぼんやりとうれう。

あきら? 」

「ん……ああ、ちょっと考えごとをしてた。私も漕いでいいか? 」

 月読が席を移りオールを持つと、後ろへ座った九郎は上から手を握っていっしょに動かした。腕に力を入れずとも漕いだ分だけ小舟はすすむ、必然ひつぜんと密着した体勢になり九郎の体温を感じる。表情も態度も変わらないのに、背中へ感じる鼓動こどうがいつもより速い。
まるで淡い青春のやり直しみたいだった。漕いでは景色を観賞し、碧い湖へ浮かんだ小舟もすすんで停まる。たいした会話もないけどついるのが当たり前の関係、あずけた背中は守る男の胸に支えられて距離も深まった。

 耳元で息づかいが聞こえる。そちらを向けば九郎の顔はすぐそばにあった。唇同士は吸い寄せられるように近づいたが月読はピタリと止まる。

「いやまて……おまえ、監視対象かんしたいしょうだったよな? こんな遮蔽物しゃへいぶつのないところ、あいつらにバッチリ見られるだろ? 報告書に『キスしてました』とか書かれ……」

「俺はかまわない」

「私はかまうんだよ! 待て、止まれ九郎! 」

 ムードもへったくれもないと言った自身の言葉が跳ね返ってくる。止まらない九郎の唇をかわしながらオールをつかんだが、軽く操作できたはずのかい微動びどうだにしない。荒ぶるボートは湖面を波立て、とうとうバランスを崩した月読は倒れた。九郎がかばって覆いかぶさり小舟へ横たわる。

 状況はさっきより悪くなって月読は眉間みけんにシワをよせた。かすかに笑った九郎が眉間へキスする。

「これなら船のふちで見えないな」

 頬へふれた手のひらから熱い体温が伝わる。視線がまじわり九郎の顔は下りてきて唇がゆっくり重なる。目を閉じた月読は腕をまわし、ついばむ口づけは次第しだいに深さを増していった。


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