158 / 159
季節閑話 初夏「猫のはなし」
エピローグ1
しおりを挟む**********
月読は壁ぎわへ追いつめられ、呆然としていた。
霊山を後にして、明という男も鳴りをひそめ月読の顔へ戻りつつあった。最終日は寄り道して1泊、九郎の選んだ場所へ滞在する。去年とは別の道をとおり湖畔の別荘へ車を停め、2人で扉を開けた。
そして玄関へ入るなりこの状況である。壁ドンならぬ両腕ではさまれ、九郎の顔が目のまえにあった。至近距離で見つめあい狼狽える。
「待て待て、いったい何だというのだ? この状況は!? 」
少しも逸らされない鋭い眼光が射貫き、その瞳のうちにやや不満な気を感じとった。九郎は無言のままじっとりした目を向ける。つかのま見つめあって低い声がボソリとつぶやく。
「……ご褒美」
たしかに聞き覚えのある言葉は、九郎を霊山へ送りだす方便に使った。その場しのぎに放ったひと言は月読本人ですら忘れかけていたが覚えている様だ。内容を決めてもいない『ごほうび』は九郎の頭でひとり歩きして、間違った解釈へ変化したことだろう。
午前中の修行のほかはダラダラ過ごしていた月読と異なり、九郎は経を唱えながら霊山を駆け、護摩焚きや滝行までおこなった。煩悩は浄化され霊山の験で悟りの一端を得たはず。
だが塗り壁のごとき黒々とした目は煩悩の影をまとい、どうしたものかと思索する月読がわずかに目を逸らせば、『がんこなこびり付き、汚れに、泡洗剤! 』と書かれたスプレー容器が視界へ入った。
――――スプレーしてサッと拭き取れるこびり付きなら楽だけど。
悶々とうずまく彼の執着が、その程度で無くならないのは分かっている。
ますます距離は縮まり九郎の額はくっついた。暫らくおでこで押しあい、観念した月読はため息をつく。
「まったく、ムードもへったくれもあったものじゃない……。時間はたくさんある、さきに部屋の案内くらいしろ! 」
額へキスして言いきかせると、荒ぶる九郎は落ちつき荷物を部屋へ運びこむ。象牙色の大理石でできた玄関、シンプルな色で統一された洋風の別荘だ。【烏】がよく使うらしく、人里離れた場所なのに埃っぽさもない。ルームシューズへ履きかえ、リビングへ行くと備え付けの家具があった。
ここへ来る前に購入した食材を収納し、九郎と共に部屋をめぐる。1階は大きなダイニングとリビング、洗面所や風呂場、トレーニングルームもある。寝室などの各個室は2階にあり、泊まる部屋のベッドへフカフカの布団が敷かれていた。地下への階段もあり、シェルターを兼ねた備蓄庫になっている。
「広っ、シェルターまであるのか。他の護衛……金村たちはどこへ行ったんだ? 」
九郎が窓辺へすすみカーテンを開ける。テラスの先は短い桟橋になっていて、シートに覆われた1艘のボートが浮かんでいた。小さい湖なのでそう遠くもない対岸にもうひとつの別荘が見える。
どこから出したのか双眼鏡を渡され覗くと、対岸のテラスで寛いでいた者たちが手をふる。烏の保有する資産を見せつけられた気がして月読は軽いめまいを覚えた。
リビングの窓からテラスと桟橋へ下りることが出来る。深閑とした森に囲まれる湖畔は白樺の並木があり、自然なようで手入れされた場所だ。湖が碧く波うち、絶景におもわず感嘆したら1階の窓を閉めた九郎も桟橋へ下りてきた。
「明、ボートへ乗るか? 」
月読の答えを分かっていたように九郎はビニルシートの覆いを外した。2、3人が乗れる手漕ぎの小舟へ座ると、オールをセットした九郎が漕ぎだす。たゆたうボートのうえで応毅や武蔵坊のことを話した。
「少年と天狗はあのままで良かったのか? 」
「武蔵坊は好き勝手に人へ干渉してるわけじゃない。あの霊山に棲む天狗たちは調和を大切にしている。姿を見せなかったけど、他の天狗たちは武蔵坊の行動をずっと見ていた」
ほんとうに抜け目がないのは天狗たちの方だ。もしも過ぎた干渉をおこなえば他が介入する。天狗たちはそうして幽世と現世のバランスを保つ。千隼が彼らの土地へ迷いこんだときも、強い鬼の気に山全体が騒然としていた。
風もない湖へ月読の声がひびき、対面でオールを持つ九郎はしずかに話を聞く。薄雲のあいだから陽が射し湖面に反射して輝いた。透明な湖は水深が浅くみえ、月読は湖へ手をひたした。
「湧き水か。小さい湖だけど、これだけ綺麗ならヌシがいるんじゃないか? 」
「その心配はない」
烏は退魔師の集団だ。人に仇を為す存在を討伐する。共存を図っているものの、時として自然を司る神々には疎ましく映ることもある。
九郎が指し示した湖のほとりに百葉箱に似た箱があった。中身は烏の作った人造の形代、この湖は永らくヌシの不在だった土地を烏が購入した。人造の形代をヌシ代わりに組みこみ、自然の神々の侵入を拒んで烏との諍いが起きないようにしている。
「そこまでするのか、時々お前たちが末恐ろしくなるよ」
浸した手をゆらせば美しいけれど無機質な水面へ波紋が立ち、水底には稚魚が泳ぎまわっていた。烏たちが管理するあいだこの湖へ山や森のヌシが居つくことはないだろう、しかし人造物により豊穣と不毛の循環は正常に保たれる。
遠い未来、ヌシは必要とされなくなるかもしれない。まるで我が事のようにぼんやりと憂う。
「明? 」
「ん……ああ、ちょっと考えごとをしてた。私も漕いでいいか? 」
月読が席を移りオールを持つと、後ろへ座った九郎は上から手を握っていっしょに動かした。腕に力を入れずとも漕いだ分だけ小舟はすすむ、必然と密着した体勢になり九郎の体温を感じる。表情も態度も変わらないのに、背中へ感じる鼓動がいつもより速い。
まるで淡い青春のやり直しみたいだった。漕いでは景色を観賞し、碧い湖へ浮かんだ小舟もすすんで停まる。たいした会話もないけど対で在るのが当たり前の関係、あずけた背中は守る男の胸に支えられて距離も深まった。
耳元で息づかいが聞こえる。そちらを向けば九郎の顔はすぐそばにあった。唇同士は吸い寄せられるように近づいたが月読はピタリと止まる。
「いやまて……おまえ、監視対象だったよな? こんな遮蔽物のないところ、あいつらにバッチリ見られるだろ? 報告書に『キスしてました』とか書かれ……」
「俺はかまわない」
「私はかまうんだよ! 待て、止まれ九郎! 」
ムードもへったくれもないと言った自身の言葉が跳ね返ってくる。止まらない九郎の唇を躱しながらオールをつかんだが、軽く操作できたはずの櫂は微動だにしない。荒ぶるボートは湖面を波立て、とうとうバランスを崩した月読は倒れた。九郎が庇って覆いかぶさり小舟へ横たわる。
状況はさっきより悪くなって月読は眉間にシワをよせた。かすかに笑った九郎が眉間へキスする。
「これなら船の縁で見えないな」
頬へふれた手のひらから熱い体温が伝わる。視線が交わり九郎の顔は下りてきて唇がゆっくり重なる。目を閉じた月読は腕をまわし、ついばむ口づけは次第に深さを増していった。
1
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
哀しい目に遭った皆と一緒にしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
sweet!!
仔犬
BL
バイトに趣味と毎日を楽しく過ごしすぎてる3人が超絶美形不良に溺愛されるお話です。
「バイトが楽しすぎる……」
「唯のせいで羞恥心がなくなっちゃって」
「……いや、俺が媚び売れるとでも思ってんの?」
弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!
灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」
そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。
リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。
だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く、が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。
みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。
追いかけてくるまで説明ハイリマァス
※完結致しました!お読みいただきありがとうございました!
病弱な悪役令息兄様のバッドエンドは僕が全力で回避します!
松原硝子
BL
三枝貴人は総合病院で働くゲーム大好きの医者。
ある日貴人は乙女ゲームの制作会社で働いている同居中の妹から依頼されて開発中のBLゲーム『シークレット・ラバー』をプレイする。
ゲームは「レイ・ヴァイオレット」という公爵令息をさまざまなキャラクターが攻略するというもので、攻略対象が1人だけという斬新なゲームだった。
プレイヤーは複数のキャラクターから気に入った主人公を選んでプレイし、レイを攻略する。
一緒に渡された設定資料には、主人公のライバル役として登場し、最後には断罪されるレイの婚約者「アシュリー・クロフォード」についての裏設定も書かれていた。
ゲームでは主人公をいじめ倒すアシュリー。だが実は体が弱く、さらに顔と手足を除く体のあちこちに謎の湿疹ができており、常に体調が悪かった。
両親やごく親しい周囲の人間以外には病弱であることを隠していたため、レイの目にはいつも不機嫌でわがままな婚約者としてしか映っていなかったのだ。
設定資料を読んだ三枝は「アシュリーが可哀想すぎる!」とアシュリー推しになる。
「もしも俺がアシュリーの兄弟や親友だったらこんな結末にさせないのに!」
そんな中、通勤途中の事故で死んだ三枝は名前しか出てこないアシュリーの義弟、「ルイス・クロフォードに転生する。前世の記憶を取り戻したルイスは推しであり兄のアシュリーを幸せにする為、全力でバッドエンド回避計画を実行するのだが――!?
その学園にご用心
マグロ
BL
これは日本に舞い降りたとてつもない美貌を持った主人公が次々と人を魅了して行くお話。
総受けです。
処女作です。
私の妄想と理想が詰め込まれたフィクションです。
変な部分もあると思いますが生暖かい目で見守ってくれるとありがたいです。
王道と非王道が入り混じってます。
シリアスほとんどありません。
異世界転生しすぎたコイツと初めての俺のアルファレードぐだぐだ冒険記
トウジョウトシキ
BL
前世の記憶を思い出した。
「これ、まさか異世界転生ってやつ……本当にこんなことがあるなんて!」
「あー、今回は捨て子か。王子ルートだな」
「……え、お前隣の席の葉山勇樹?」
「今気づいたんだ。お前は夏村蓮だろ? 平凡な少年ポジか、いいところだな」
「え、何? 詳しいの?」
「あ、なんだ。お前始めてか。じゃ、教えてやるよ。異世界転生ライフのキホン」
異世界転生1000回目のユウキと異世界転生初心者の俺レンの平和な異世界ぐだぐだ冒険記。
もう我慢なんてしません!家族からうとまれていた俺は、家を出て冒険者になります!
をち。
BL
公爵家の3男として生まれた俺は、家族からうとまれていた。
母が俺を産んだせいで命を落としたからだそうだ。
生を受けた俺を待っていたのは、精神的な虐待。
最低限の食事や世話のみで、物置のような部屋に放置されていた。
だれでもいいから、
暖かな目で、優しい声で俺に話しかけて欲しい。
ただそれだけを願って毎日を過ごした。
そして言葉が分かるようになって、遂に自分の状況を理解してしまった。
(ぼくはかあさまをころしてうまれた。
だから、みんなぼくのことがきらい。
ぼくがあいされることはないんだ)
わずかに縋っていた希望が打ち砕かれ、絶望した。
そしてそんな俺を救うため、前世の俺「須藤卓也」の記憶が蘇ったんだ。
「いやいや、サフィが悪いんじゃなくね?」
公爵や兄たちが後悔した時にはもう遅い。
俺には新たな家族ができた。俺の叔父ゲイルだ。優しくてかっこいい最高のお父様!
俺は血のつながった家族を捨て、新たな家族と幸せになる!
★注意★
ご都合主義。基本的にチート溺愛です。ざまぁは軽め。
ひたすら主人公かわいいです。苦手な方はそっ閉じを!
感想などコメント頂ければ作者モチベが上がりますw
BL漫画の世界に転生しちゃったらお邪魔虫役でした
かゆ
BL
授業中ぼーっとしていた時に、急に今いる世界が前世で弟がハマっていたBL漫画の世界であることに気付いてしまった!
BLなんて嫌だぁぁ!
...まぁでも、必要以上に主人公達と関わらなければ大丈夫かな
「ボソッ...こいつは要らないのに....」
えぇ?! 主人公くん、なんでそんなに俺を嫌うの?!
-----------------
*R18っぽいR18要素は多分ないです!
忙しくて更新がなかなかできませんが、構想はあるので完結させたいと思っております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる