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第九章

帰郷

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 寝苦しい真夏の夜、涼風が生温なまぬるい空気を押しながし、高雅こうが装束しょうぞくを照らす灯明がチラチラと揺れる。夜行性の生き物も身をひそめるうし三つ時、周辺に人々の気配はなく月読のみが幣殿へいでんの中にいた。

昼間は龍姫りゅうひめの祭りがりおこなわれて、おごそかな雰囲気が残る幣殿に新たな神饌しんせんが並べられ、御神酒おみきの横へ土産みやげの酒も奉納された。



 正面には真白ましろい人がしていた。

等身は人間よりはるかに大きく、正確には人の形をした龍神だった。長い髪をくゆらせ白絹の衣装はシンプルで豪華ごうか銀糸ぎんし蒼糸そうし刺繍ししゅう紋様もんようが光のないところでもキラリと反射する。

龍神が頭を動かすと碧玉へきぎょくの耳飾りがゆれる。

「人の姿は久しぶりだ。形をたもつ加減がむずかしイ」

 ハッキリとした音が龍神の口から発せられる。頭が割れるような感覚もない。闇龗くらおかみ神気しんきをおさえ、力の弱くなった月読に合わせて人の姿をしていた。
こうした姿で顕現けんげんするのは月読を継いだとき以来、羽州うしゅうから帰還したのち大天狗の言葉にしたがい龍神と対面していた。

「――つまり私自身、力が戻るのを望んでいないと? 」

「そうダ」

 器の形成環境は整っているのに、月読が無意識に拒絶して成長が止まっていると闇龗くらおかみは告げた。

大天狗と会った後に感じた安堵、力を失って九郎に守られる生活にどっぷり浸かり慣れてしまった。自身をかえりみて、ため息をついた月読は自戒じかいする。

「私はかまわないよ。オオマガツヒとの世界はへだてられ安定していて、君ともこうして話が出来る。人の形を保つのは細かすぎてチョット困難だけどネ」

 話すそばから真っ白い毛の先がもやってブナシメジ――他の頭がニョキッと生えた。



 龍神は長政ながまさという名の10人目のハクを語る。

苛烈かれつな戦いをて奈落をふさぐさい、目覚めた奈落の主が外へ出るのを防いで月読の器は崩壊した。力の流れを受け止める欠片さえ残らなかったので、晩年は只人ただひととなった。行使する力が無くなったせいか、体の寿命はびて長生きしたそうだ。

晩年の長政ながまさは見えざるものを見ることも出来ず、それについては寂しい思いをしたと龍神はまぶたを伏せた。螺鈿らでん虹彩こうさいは隠れ、淡雲あわぐものような瞼がかすかにきらめく。

月読は虹彩の透けるまぶたを見つめた。知る事も考えるべきことも、まだまだ沢山あるようだ。



「それより、ソレなんなのサ? 」

 闇龗くらおかみの真白い毛束が浮き上がってブナシメジを形成する。にょっきり出てきた他の頭は、月読へおおい被さり背中の辺りでワサワサと動く。

湯の山の梯子はしごで【チ】に乗られたところだ、薄いあざが残っている。

しるしつけられてるじゃナイ! ゆるさないヨ、神様の浮気ダメぜったい! 」

 消えない痣だと思っていたらマーキングされていたらしい、月読の背中で荒ぶるワサワサは冷やりとした感覚を残して印を消し去った。



 月読は、改めて【オオマガツヒ】という存在について尋ねた。前に闇龗くらおかみが顕現した時は、頭の痛みをおさえ言葉の端を拾うのが精一杯だった。

「太古の昔、この大地に飛来ひらいせしもの。私の存在以前よりアり対極、多くは自身の世界をつくりて其処そこで眠ル」

「どこから来たのですか? 」

 虹色の瞳がチラリとこちらを見る。くゆる髪の毛先は龍の顔になって、まん丸い目が月読の顔をのぞきこむ。

「君はヒトとして生キル。あれはどこにでも存在する、またえんが出来ると君の寿命が縮んじゃうからコレ以上はヒミツ! 」

 何処どこからともなく声が聞こえ、闇龗くらおかみは話を終わらせようとする。人の身では知るだけでも害をなすほど影響があるようだ。

去りゆく龍神に食い下がって尋ねた。

「鬼達が太祖たいそと呼ぶものは何者なのですか? 」

 龍神は多くは語らない。ただ御山の奈落がオオマガツヒの創ったものではなく、太祖と呼ばれる者のつくった結界であったということは分かった。

「そして――ワタシの父」
 声の消える瞬間フワリと風が巻き起こり、龍神は霧散むさんして山へと去った。静黙していた虫のが聞こえはじめる。



 片付けをしてから、おりんを2回鳴らした。

扉が開けられ身を低くして抜けると、提灯ちょうちんの横に膝をついた男がひかえていた。深青のほうまとった九郎は提灯を持ち、神殿から屋敷へつづく小道を先導する。



 月読はおびいてカゴへ置き、柔らかな素材の浴衣に着替えた。黒紫の上衣うえのきぬを綺麗に伸ばして専用のハンガーへ掛ける。

「九郎の正服せいふくは新鮮だな」

 世話役せわやくとは言え夜中に学生の陽太を呼ぶのはどうかと思い、九郎に代役を頼んだ。烏帽子えぼしを外した九郎の髪は鬢付びんつけで撫でつけられ、いつものように跳ねていない。
表情も鋭さが増して弓を持っていたら射られそうで、つい距離を開けたくなる。

九郎もほうを脱ぎ始めたので着替えを手伝う。濃い藍色の装束しょうぞく化繊かせんの手触り、絹より化繊の方が水気や保管にそれほど気を使わなくて良いので手入れはだいぶ楽だ。きれいにたたんだ服を収納用の袋へ入れる。



 空が白くかすむ頃、九郎は神殿より下げた御神酒おみきを月読のさかずきへ注ぐ。

ぜんに焼いたもちや切り分けられた果物、切り昆布のえ物など下げた御饌みけが少量ずつならび、北の離れで早めの朝食をる。

「話は聞けたのか? 」
「うん……まあな」

 隣の膳で食す九郎が尋ね、月読は歯切れわるく返事をした。闇龗くらおかみの告げた内容は、思うところもあって考えはまとまっていない。短時間で数多くの情報が頭を巡り、考え疲れた月読はため息を吐いた。

「はぁ高原の温泉で、何も考えずプカプカ浮いていたい……」

 眉頭を上げて情けない声を出したら、目元をゆるませて笑った九郎が御神酒を口へ運んだ。



***************

 烏の屋敷からもどった九郎は、鮮やかな黄布の包みを開けた。手の平より大きく青い勾玉まがたま座卓ざたくへ置かれている。

「先ほど届けられた」

 龍の滝の玉髄ぎょくずいを勾玉形にするよう石工へ頼んでいた物だ。表面はみがかれなめらかな光沢を放ち、深い滝底の清々しい神気をたっぷりとたくわえている。割れてしまった翡翠ひすいに代わり、新しい勾玉を御神体ごしんたいとして緑青ろくしょう姫神ひめがみ宿やどらせ社へかえす目的があった。

「うむうむ、美しく仕上しあがってるな。宿らせる儀式の前に慣らすか」
 受け取った月読は、石を清めるため御山の滝へ向かった。



 滝は音を立てて流れおち、真夏の木漏こもれ日が滝壺と周辺を照らす。

昨日ひたした麻の紐をたどり、勾玉の入った麻袋を引きあげる。やけに重いと思ったら数匹の【チ】が袋にぶら下がっていた。勾玉を袋から出して確認すると、チ達は目をキラキラさせて寄りつく。

「気に入ったのか? 困ったな……これは姫さんのだから駄目だぞ」

 力を持った玉髄というだけでなく、勾玉形に磨かれた石が珍しくて気に入ったのだろう。困っていると滝壺から顔を出した鴇色ときいろの龍が月読の頭をつついてからかい、腕にぶら下がったチ達を回収する。

 月読は滝壺へと飛び込む、水は冷たいが春先ほどではない。
それほど深くない場所に緑青の光がヒラヒラとただよっていた。目覚めた姫神は、元気よく泳ぎまわり水面へ浮上する。

勾玉を提示すると、緑青の光はしばらく周りを飛んでから石へ寄りつく。深青に輝く石の中へスゥと消えた。

「おや、しろの儀式がまだなのだけど……」
 これから集落の神殿へ持ち帰って、姫神を宿らせる儀式をする予定だった。それだけ石を気に入り、居心地いごこちのいい依り代として認めているのだろう。

他のチも勾玉へ入ろうと近づくが、鴇色の龍姫に鼻先であしらわれた。



『連れて行くのカ』

 しゃがれた声がいてきた。黒緋くろあけ色のチ――『タッツン』が滝の水面より顔を出した。月読が事情を話したら、いくぶんさびしげな表情をする。勾玉から出てきた緑青の姫神が、黒い甲殻の上へ舞い降りる。見守られていた事を気づいていた様子で、タッツンの背中に乗ってなぐさめた。

『ソウカ、行くのか分かっタ』
 耳には聞こえない龍同士のやり取り。納得したタッツンが見送り、姫神は再び勾玉へ姿を消した。

「淋しいかい? 」

翡翠ひすい姫君ひめぎみは、おのずから人の世界へ帰ると告げタ。それに我はここでは淋しくナイ』

 見上げて喋るタッツンの目元を撫でれば、潰れた目を閉じて気持ちよさそうに唸った。龍にも行動原理や目的がある。人とは違い長く存在するもの達、また出会う事もあるのだろう。



 持ち帰った勾玉は神殿で依代の儀式を終え、広げた黄布の上へ置かれた。

さっきから月読の頭に乗った緑青のヒラヒラが、ペンを持った手をのぞきこんでいる。

 いにしえのじだい、ふたつのちのりゅうは――――。
ペンがさらさらと紙の上を走り文字を成していく、月読は唸りながらそれを眺めていた。

「あったぞ、何を書いている? ふたつの地龍の話? 」

「古い社について姫さんが書いてる、自動書記じどうしょきってやつだよ。勝手に手が動いて便利だけど、書きたいことは書けないかな」

 話すあいだも月読の指は勝手に動いている。ヒラヒラは熱中して頭から垂れさがり、ペンを持つ手元をのぞいた。


「これで良いか? 」
 目的の物を持ち帰った九郎は、きりの箱を座卓へ載せた。手ごろな箱を探していた月読は、受けとって黄布を敷き勾玉を箱へ入れる。

「お、ちょうど良いサイズ。よくこんな箱見つけたな」
「新しい箱が父の部屋に余っていた」

 一進が趣味で骨董品の茶器を収集していて、押し入れの中にあった様だ。真新しい木箱を一緒にのぞいた姫神は、つつつと下へ移動して吸い込まれるように勾玉の中へ消えた。

箱の蓋を閉めて平紐ひらひもを結び白い布で包んだ。箱を持って出ると九郎が玄関の鍵を閉める。



「じゃあ、お姫さまも自分の居場所へ帰ろうか」
 箱を撫でながら月読は微笑む、先方には九郎が連絡済みだ。きっと首を長くして待っている事だろう。

 御山の大門より、正装して箱を持った男と黒い男が歩き出た。2人を乗せた車は静かに発進して車影が小さくなっていった。




―――――――――――――――

 「ふたつのちりゅうのはなし」

 いにしえのじだい、ふたつの地のりゅうは ならくの大穴をふさいだ。ひとつは絶え もうひとつは残った。ならくをあけようとした人間がいて、何百年もあらそいが続いたのち 絶えたりゅうを使ってちいさな穴をひらいてしまった。残された地のりゅうは、おおきく山をくずして人間は近寄れなくなった。
ならくの穴と化した地のりゅうは黄泉がえり、意思のないまま近づいたものを引きずりこむ稈となる。つながったついのりゅうは、からだが腐りつづけてもずっと生きていた。

ようやく長き時からかいほうされてねむりについた。


[作者未詳]
[随筆]
《編者》鈴木明
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