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第九章
天狗隠し
しおりを挟む奥ノ坊に戻るため、湯の山から月の山へ渡る。鉄梯子のところでまた御霊に乗られはしないか案じたが何事もなく、崖を登って見通しのよい石の道を走った。
山頂をこえれば日が傾き、昨日から不眠不休で勤行を行なう法印の門下生も起伏をすばやく駆けてゆく。出発した黒い山が見える頃には、西の空へ日は沈んでいた。
夜の山へ入る前に休憩していると、法印が月読の横へ腰を下ろした。
「夜の黒い山を越えます。この山は天狗が多く、目を合わせたら山の奥へ連れて行かれるかもしれないので気をつけて下さい」
シワの深い目に影が落ちる。月読へ忠告した法印は、立ち上がり提灯を灯した。夜間は視界が悪いため歩いて山を越える。
提灯を持った九郎に呼ばれて歩きだす。薄明かりはわずかに辺りを照らし、外側は上も下も闇が広がっていた。
リィン。
間隔をおいて鳴る鈴の音は、迷わないように道を教える。特殊な烏面をつけた九郎達なら、この暗闇でも走り抜けられるのだろう。ぼんやり揺れる提灯の明かりを見ていると、羽ばたき寄った蛾がバサバサと円を描いて飛ぶ。
リィン。
鈴の音が遠い、月読はハッとした。
前を歩く修験者は烏紋のない衣を羽織っている。月読は足音を立てずに後退ったが、目の端に市松模様の鈴懸の袖が垂れて囲まれていた。
逃げようとして身体がピクリと動いた刹那、意識は暗闇へ引き抜かれた。
****************
――――『本当に人の子か? 』
暮らしていた所に似ているようで異なる山、少年の月読は興味深々に周囲を見まわしていた。面白いのは全国から集まる修験者と、修験者にそっくりな妖がたくさん棲んでいることだ。
一進が九郎を連れて五重塔の前で経をあげる。月読も口真似をしながら見上げれば、年老いた龍が杉の木へ胴体を巻きつけて眠そうにてっぺんから見下ろしていた。
読経を終えた修験者達が移動を始めて、その後を付いて歩く。ぼんやりとしていたら黒い烏の鈴懸がいなくなって、違う修験者の背中が見えた。
気がついた時には、天狗が周りを取り囲んで口々に話している。
『いつまぎれたのやら、これは本当に人の子か? 』
『――――殿、私は見憶えがあります。【月読】ではないでしょうか? 』
『おお、言われてみれば確かに同じかたち』
『これ月読の童、ついてきてはいかん』
天狗達は追い返そうとするものの見た事のない森で土地勘もない、月読が立ち尽くしていると野太い声がした。
『まだわっぱじゃ、ひょっとして迷子ではないかのう! 』
赤い面の天狗が言うと、納得したように天狗達は頷いている。荒削りの木面をかぶった天狗が進み出て、月読をひょいと抱き上げて大きな建物の裏まで飛んだ。
礼を言うと茶色い面の天狗は名乗る。
『儂は長元坊という。ヌシのような玉は、狙われやすいから気を付けるが良かろう』
面長な木面の天狗はバサバサと飛び去った。
昔の夢を見ていた月読は、周囲へひびく大きな声で覚醒した。うすく瞼を開いて指先を動かそうとしたけれど動かない、何かの術で縛られているようだ。天井が見えないほど高いお堂の中、欄干に囲われた板の上に寝転がされていた。
忙しない羽ばたきの音と甲高い声が聞こえる。
「この様な所へ人を連れて来ては、長元坊様に怒られますよ~」
「なぁに酒でも飲ませれば黙るじゃろ! わはははっ」
「それにしても、真ん丸なお月様の形だと聞いてましたが違うみたいですね~」
どうやら月読の形について問答している。天狗たちの目には人形の月読だけでなく、器の形も見えているのかもしれない。発する力は似ているものの、以前見た時と様変わりして月読本人なのか判断しかねている様子だ。
「わからぬ! 童の時はこんな形はしておらんかった! 月読なら側付きのカラスがおるはずじゃ、ここに居れば迎えに来るじゃろ」
「人違いだったら、どうするのですか~」
がははと大雑把な笑い声が広い空間にひびき渡った。笑い声が記憶の片隅にあるような気がして月読はきき耳を立てる。
大きな声はさらに会話を続ける。
「人違いでも良き力を持っておる。見目もよい、ぐふふ……手取り足取りわしが教えれば立派な天狗になろうぞ! 」
「ちょっと武蔵坊殿、駄目です! そんな如何わしい考えでは、金光坊様に、また追い出されますよ!! 」
「何を言うておるのじゃ! わしは真面目に修行を――」
「武蔵坊殿は欲が出ると面がぶるぶると震えるので、すぐ分かります~」
「ぬうっ! 」
板間が震動してバサバサと羽音が立ち、数人の足音がする。
「何をしておるか、武蔵坊」
厳めしい声と足音が近づいて唐突に止まった。
「人じゃ! 」
「人が何故ここに? 」
足音の後方から騒めく声がする。先程まで喋っていた大きな声は、わははと豪快に笑っている。
厳めしい声は他の者へ静かにするよう申し付けて、横たわる月読へ声をかけた。
「そこの者よ、目が覚めておるな」
パチンと指音が鳴り、身体を縛っていた術が解けた。月読は周りを刺激しないように身を起こし見回す。
「ややや、わしの術が解かれてしもうたか」
近くに大柄な赤い面の天狗がどっしり胡坐を組んでいた。黒い髭が獅子のごとく生えていて、絵に描いたような天狗だ。赤い面の天狗の周りを小さな木の葉天狗が飛びまわり、甲高い声をあげる。
月読は記憶をたどって赤い天狗面を見返すが、赤い天狗は多く見分けがつかなくて思い出せなかった。
「ヌシは……いや、なんとも面妖な」
厳めしい声の主は、茶色い木彫りの面で白髭のはえた天狗だ。
月読の名を継ぐ前、ここへ修行に来て天狗達に囲まれたことがあった。その時はお堂へ来なかったが、木彫り面の天狗は覚えている。
「……長元坊様」
ううむと唸った長元坊は、しばらく月読を見つめた。
「儂の名を知っておるとはやはり月読か。ヌシの玉、何故そのように歪な形に……? 」
月読は器が壊れた経緯を説明した。地龍の社にあった奈落への入り口やオオマガツヒのこと諸々、天狗たちは集まって話を聞いている。
「奈落が閉じられたと西方の天狗伝いに聞いてはいたが……お主の玉を粉々に砕く高龗の力や凄まじき」
「かーっ、龍神は力の加減を分かっておらぬ! もっったいないのう!! 」
長元坊が高龗に感心している横で、赤い面を震わせた天狗が唸っている。思い出せない月読が首を傾げていると、長元坊は赤い面の天狗に挨拶するよう声掛ける。
「長元坊殿は変わった面で覚えられやすくていいのうっ。わしは武蔵坊じゃ! わっぱの頃にも会うておるぞ! 」
赤い面をぶるぶる震わせたまま武蔵坊が笑った。
木の葉天狗が1匹、お堂へ飛び込んできた。けたたましい声を上げながら長元坊の周りをヒラヒラ飛んでいる。天狗の見分けも難しいのに、木の葉天狗に至っては何匹いてもまったく同じに見える。
飛んでいた木の葉天狗を長元坊が片手で捕まえた。飛んでいないのに羽をパタパタと動かす木の葉天狗は、見た事もない烏天狗が攻めてきたと伝えた。
「堂を発見されてしまって、ものすごい勢いで此方へ向かっています! どこの者か不明ですが、戦になるやもしれませぬっ」
「おおっ、戦はひさびさじゃ! わしは頑張るぞ! 」
木の葉天狗がギャアギャア騒ぐ隣で、武蔵坊が奮い立っている。長元坊は目頭を押さえて、疲れた人に似た仕草をすると盛大にため息を吐く。
「落ち着け、ところで月読を連れて来たのは誰ぞ? 」
「わしじゃっ!! はっ、そうか? 迎えか!? 」
「この大馬鹿者がぁ!! 」
長元坊が持っていた羽団扇を振り、武蔵坊は板間をごろごろ転がって欄干を突きやぶり下へ落ちた。月読がとっさに欄干の下をのぞくと暗闇が広がっていた。板間はかなりの高い所で、落ちていった武蔵坊の声さえ聞こえない。
「……あの大馬鹿者なら心配いらぬ。それよりも白霧の山の烏とは穏便に済ませたい、出来ればお主から説得してもらえないだろうか……」
大きな物が壁にぶつかる音がして、メキメキとお堂の木枠の戸が破壊された。飛び出した黒い影がドスンと階段の下へ着地する。ゆっくり立ち上がった影は、黒い鈴懸をまとい烏面をつけた九郎だった。月読は声を掛けようとしたが、立ちのぼる殺気に思わず息を呑む。
月読を確認した烏面から低い声が絞りだされる。
「それは大事な者なので、返して頂きたい」
殺気を抑えている男へ月読は走り寄った。
「九郎! 私なら大丈夫だ! 」
烏面で表情は分からないけれど、緊張の解けた感覚が伝わる。九郎にグィと引き寄せられ、首や肩を触られケガがないか調べられた。
「すまぬことをしたな、詫びに儂が出来る事はないか? そうじゃ器のこと大天狗様に相談してみようか、金光坊様の御力なら何とかなるやもしれぬ」
「ありがとうございます。でしたら、ひとつ聞きたいことがあります」
月読は赤髪の少年――応毅へ付きまとう天狗について尋ねた。犯人は分からないけれど、長元坊が天狗達から事情を聞いてくれることになった。
「わかりしだい、木の葉天狗を使いに出そう」
心配している者もいるので、九郎と奥ノ坊の宿舎へ帰ることになった。
黒い雲が立ちこめ天狗の棲む森は暗闇に隠されている。上空を天狗に抱えられて飛び、崖の頂へと降ろされる。月読が頂へ足をつけると、九郎も地面へ降り立った。送り届けた天狗達はかるく頷きバッサバッサと山奥へ飛び去った。
「月読様、御無事で良かった! よもや天狗隠しに会うとは! 」
通信電波が復活して、捜索していた大伴達が走ってきた。九郎まで通信が途絶えてヒヤヒヤしたと西之本が安堵の息をつく。
法印と門下生たちが提灯を持って集まった。鐘楼の建つ拓けたところへ集合して人数の確認をする。押井は数人連れて山を下り、奥ノ坊の宿舎へ懐中電灯を取りに向かった。
山道を抖擻中に月読が突然フッと消えて、止まった列は前後左右を確認したが物音ひとつしなかった。暗視のついた烏面を装着した九郎は山へ、法印や大伴達は提灯を持って周囲を探していたと言う。
天狗に攫われてから然程時間は経っていない様子だった。
「すまんが、もうひとつ問題が発生した」
押井へ電話を掛けていた法印の皺が深くなる。押井たちが宿舎に戻った時、応毅がいなくなったと宮田が探し回っていたそうだ。
「おそらく応毅は、我らの山駆けに付いて来ようとして……」
法印が肩を落としてつぶやく、天狗隠しの発生直後で皆も混乱している。
九郎と顔を見合わせた月読は、西之本に宿舎へ戻って法印の捜索の手助けをするよう申し付けた。
「了解しました。月読殿は、どちらへ? 」
標高の高い山から降りる道中では応毅と出会わなかった。月の山は見晴らしがいいので歩いていたらすぐ見つかるはず、行方不明だとしたら黒い山のどこかか天狗の仕業だろう。
「さっきの天狗たちに聞いてみる」
月読は九郎を連れて、送り届けられた頂へ引き返した。
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