月読－つくよみ－

第八章

龍の滝

　月読つくよみは郷土史きょうどしのページをめくりながら唸っていた。龍の滝にいた黒緋くろあけの【チ】について、失われた名を探して各地の民話や伝承でんしょうなどを読みあさる。

　毒龍どくりゅうと言っても様々な逸話いつわが残されていて、もともと有害な池や川に潜ひそむものや、疫病えきびょうを流行はやらせて里人さとびとに損害を与える例もある。

有名なひとつは芦ノ湖あしのこの九頭竜くずりゅうで、大嵐をおこし荒あらぶる九頭の毒龍を上人しょうにんが調伏ちょうぶくして治めた伝説だ。大昔の水害と治水ちすいに関連する話も多く残されている。

龍が望むも望まざるにも拘かかわらず、安寧あんねいを求めて人柱ひとばしらを立てるという信仰が生まれるのだから、人心の恐怖というものは真まことに怖ろしい。

　黒緋のチがいた土地自体、枯かれて消失している可能性もある。昔の名よりも現在を大切にした方が良く、過去を調べるだけ野暮やぼなのかもしれない。いつか傷も癒いえて、その口から語られる日も来るだろう。

大きく息をつき、月読は郷土史を閉じた。



　背筋を伸ばした月読は脚絆きゃはんをつけて家を出た。
龍の滝は白く靄もやをあげている。雪は解けて気温も暖かくなってきたが水は冷たい。

　身につけていた物を脱いで大きな岩へ掛けたら、物珍ものめずしそうな【チ】達が温かさの残る着衣に紛まぎれてモゾモゾ遊んでいる。
浅瀬あさせで身体を慣らして龍姫りゅうひめを呼ぶ。大きく息を吸って滝壺たきつぼの淵ふちへ飛び込めば、水面に顔を出していた龍姫も一緒に潜もぐった。

水面へ射さす日差しが遠くなって、暗がりの流れは滝底まで続く。途中淡あわい緑青ろくしょうの光が岩のすきまで穏やかに眠っていた。

　深く潜航せんこうすると、滝の水とは異なる冷たい水の層そうに変わった。

　真まっ暗闇くらやみの中、星のように無数むすうの光が見えた。月読が煌きらめく岩棚いわだなへ足をおろせば、暗闇はもっと下へ続いて水はどこまでも流れている。
月読は煌めきのひとつを手に取った。持った石の結晶は、ほのかに青い輝きを発する。

龍の滝は御山の地下とつながり霊力が強い、力の宿やどった岩は長い時をかけて水に浸食されて滝底へ落ちる。この岩棚は機材を持ち込めない聖域せいいきの滝で素潜すもぐりできる限界の場所だ。


　石を拾った月読はゆっくり浮上を始めた。冷たい水が体熱を侵食して、動きは徐々に鈍くなり手の感覚が失せる。対流たいりゅうにつかまり思うように泳げなくて、呼吸が苦しくなった。

龍姫がなめらかな身体を月読へ巻きつけ、口移くちうつしで空気の泡を送ってくる。

鴇色ときいろの龍と共に浮上して、水面へ顔を出した月読は肺はいを酸素で満たした。岩場に手をかけ、水から上がり陽ひだまりへ転がる。

チ達も集まってほんのりと温かい、月読は目をつむり冷えた身体が温まるのを待った。



　木漏こもれ日が眩まぶしく射し、月読は目を細める。

　陽だまりで温まった身体を起こすと、乗っていたチ達がコロコロと地面へ落ちた。月読をのぞき込んでいた龍姫は、ひっくり返ったチを鼻先で起き上がらせている。

　龍姫の喉から笛ふえのような空気の抜ける音が聞こえる。

『――――』

　大岩に置いてあった手拭てぬぐいを頭へ落とされた。濡ぬれっぱなしでは風邪を引いてしまうので心配している様子だ。

手拭いで髪の毛を乾かしてると、黒緋くろあけのチが浅瀬からこっちを見ていた。焼け爛ただれた風貌ふうぼうを怖がり、近くにいた他のチ達はワラワラ散らばって岩影へ隠れる。

「やあ、調子はどうだい？　」
　月読はにっこりと笑いかける。
何度か顔を合わすうちに警戒は解けていた。毒龍は人に祀まつられていた過去もあるせいか、人間を警戒しながらも懐なつかしむ複雑なありさまを見せる。

『オマエ来る、騒サワガシイ』

　黒緋のチは早々に文句をつける。嗄しゃがれた声を出し、はっきりした人の言葉が伝わる。

浴衣を羽織はおった月読の側そばへ黒い芋虫いもむしみたいによちよちと歩いて来た。

『連れて行クノカ？　』
「いいや、今日は様子を見に来ただけだよ」

　月読が手を伸ばすと黒緋のチはうなる。

「いい加減、唸るのを止めてくれると嬉しいのだけど」
『ヤニワに触るナ』
「怖かったのか、すまない」
　突然触ろうとして驚かせたことを詫わびて、再び手を伸ばしたら今度は大人しくしている。

潰つぶれた目、シワシワの体、嗄しゃがれた声に可愛かわいげはいっさい無い。黒い殻の下に毒々どくどくしい緋色ひいろの皮膚を垣間見かいまみる。

皺しわにそって撫でられると気持ちがいい様子で、月読の足へ頭をちょこんと乗せた。

「名前があった方が良いか？　タッツンなんてどうだ？　」

『許ゆるサヌ』

　仲良くなったついでに名前の提案をしたがフラれてしまい、タッツンは不満げに唸る。
しばらく撫でられて満足したのか、黒緋のチは滝壺へ戻った。月読に隠れて見物けんぶつしていたチ達も散らばり、ズシリとした背中の重みもなくなる。

「それは返して欲しいな」
　天女の羽衣はごろもならず、浴衣の帯おびと戯たわむれて絡まっているチに声をかけて返してもらい、帯を巻いて龍姫へ礼を言い滝を後にした。



「明あきら！　」

　山門のところで九郎と遭遇した。山から戻るのが遅かったので迎えに来たらしく、月読の冷えた手を取る。

滝へ入ったことを伝えれば、九郎の眉間みけんに縦ジワが寄り、指を強く握りしめられた。

「まだ水が冷たい時期なのに何故なぜ入った？　」
「ちょっと用事があったんだ」
　月読は浴衣の懐ふところから手の平ほどの石を取り出し、九郎に見えるように太陽の光へかざした。不透明に見えた濃い青色の石は、光をぼんやりと通して青くかがやく。

緑青ろくしょうの姫神ひめがみの割れてしまった御神体ごしんたいの代わりに据すえる新たな石。

「青い玉髄ぎょくずいだ。これなら奴奈川ぬなかわの翡翠ひすいや出雲いずもの碧玉へきぎょくにも劣おとらぬ力を持っている。あとは勾玉に加工する腕のいい石工いしくを探さないとな」

「ならば宮司ぐうじの渡辺殿へ連絡を取ってみよう。前の御神体を造った石工の技術が残っているかもしれん」

　九郎は話しながら月読を屋敷まで引きずり暖房の前へ座らせ、キッチンから持ってきたココアを渡す。

熱めの甘いココアが喉から食道へ流れおちて、身体も温まり息を吐いた。

「石については大事なことだが事前に相談しろ。１人で身体に負担の掛かるような無茶はするな」
「滝には龍姫もいるし、そんなに心配することじゃ――」

　光線の出そうなほど鋭い双眸が射貫いぬき、月読は思わず身を竦すくませる。

「……すまん。次からは相談する」
　月読が小さな声でつぶやけば、九郎の手が伸びて頭をわしゃわしゃと撫でられた。



「――それで新しい名をつけてみたのだが、気に入らなかった様子でなぁ。辰砂しんしゃと干支の辰たつをかけた名前だぞ、すごく良いアイデアだと思わないか？　」

　月読は龍の滝での出来事を九郎へ話した。話題はテーブルに置かれた青い玉髄ぎょくずいから黒緋くろあけのチの事におよぶ。いまや滝で遭遇した時は向こうから寄ってきて、なでなでタイムが発生するくらい親密になっている。

「仮にも人に祀まつられていた存在が、そんな渾名あだなのようなふざけた名前では怒るに決まってる」

「なんだよ。『滝の深淵におわします丹生にうつの御子の黒龍大神』とでも呼べばいいのか、今時いまどきこんな呼びにくい名前いやだろう？　……あっ、にうつの丹生君にゅうくん、にゅー君なんてどうだ？　」

「タッツンの次はにゅー君か、毒龍も愁傷しゅうしょうなことだ」

　新たな名を思いついて、ウキウキしている月読を後目しりめに九郎が呆れていた。




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お読み頂きありがとうございます。

こっちで真面目な話をしている分、閑話「月読と九郎の甘い性活」であっちな話を書いてます。

もろもろの用語集です。

※上人しょうにん…徳をそなえた高僧。
※調伏ちょうぶく…仏教用語。悪心を取り除き善心とすること。呪詛や、祈祷によって魔を下す降伏ごうぶくの意味合いもある。

※玉髄ぎょくずい…石英質の細かい結晶が集まった半透明の鉱物。カルセドニーや瑪瑙めのうと呼ばれている。

※奴奈川ぬなかわの翡翠ひすい…糸魚川の翡翠のこと。

※出雲いずもの碧玉へきぎょく…濃い緑色の石。石英の微少な集合結晶体でカルセドニーの仲間だが、緑泥石をふくみ不透明でジャスパーとも呼ばれている。奴奈川とともに古代日本で勾玉が産出されていた。

※辰砂しんしゃ…水銀と硫黄からなる鉱物。丹にと呼ばれて朱色の原料に使われていた。精製した水銀は猛毒だが、鉱物である硫化水銀の危険性は低い。