月読－つくよみ－

第七章

話しあいに臨む

　アラームをかけ忘れ呼び鈴りんで目が覚める。鍵をあける音と陽太ようたの声が聞こえた。

「おはよー……ございます。すすすみません！　起こしてしまいましたか！？　」

　寝室をのぞいた陽太は挙動不審きょどうふしんに扉をしめた。月読が半眼で見ていたため目つきに怯おびえたのかもしれない。久しぶりに柔らかい布団でグダグダに丸まっていると、キッチンから美味しそうな匂いがただよう。つられた月読はのっそり身を起こし水垢離みずごりをする井戸へ向かった。

　起きぬけに水を頭からかぶった。身を切るような冷水を浴び全身の神経が切りかわる。身体から熱が湧わき、目も冴さえて頭のなかは澄む。

「おはよう、陽太」
「おはようございます！　」

　キッチンへ顔をだすと元気のいい挨拶が飛んだ。椀わんに盛もられた白米や味噌汁みそしる、漬物つけものに出汁だしまき玉子がならぶ。テーブルへ着きともに朝食をすませる、父の茂利しげとしが訪問することを言いのこし陽太は学校へでかけた。



　月読は袴はかまを着け姿見すがたみのまえへ座ざした。鏡に紋もんつき袴の叔父も映うつる。

「白い髪も一緒にまとめますか？　」
「できる部分はまとめ上げてくれ」

　櫛くしをとおした加茂かもは伸びきっていない髪を上部だけ括くくった。酸化しにくいオイルと木蝋もくろうで練ねられた鬢付びんつけを使い、短い髪も落ちないように固める。一筋ひとすじの色抜けた前髪もまとめられ、本人も久方ひさかたぶりに見る整ととのった姿だ。

　紋付もんつきの上衣をはおり加茂に先導され月読家へむかう、生家には前当主の母と姪めいの都みやこ、そして主要な面々が集つどっていた。

　挨拶を済ませたあと、九郎へ憑つくものの正体を明あかし今後の方針を伝える。月読家の者たちは最初こそざわめいたものの混乱もなく静かに当主の言葉を聞いた。多少の質問があり、月読がていねいに説明すると納得した様子でうなずいた。



　月読家をでて烏からすの屋敷へ足をのばす。叔父は控室ひかえしつでまち、一進いっしんと厳いかめしい居室で相対あいたいする。

　九郎の憑きものの詳細や月読家の方針を一進へ話した。烏にも秘匿ひとくされていた御山の奈落について、思いだした小さい頃のできごと、九郎に関するこのあとの動向。マガツヒに成っていない彼を観察し管理する、生しょうじた責任のいっさいを月読が負おう。

　一進は幼少期の目撃者のひとりだ。気付いていたのかもしれない、現在の九郎を討うち取ることは考えていないと告げた。しかし事情があっても月読をさらった九郎の身勝手みがってな行動は許されないと口をむすぶ。

「月読殿が彼を抑おさえることが出来ないとき、われらは躊躇ちゅうちょなく討うつ。２度目はない、それを努努ゆめゆめ忘れなきよう」

「承知しています」

　月読は峻厳しゅんげんな言葉を受けとめる。九郎は当主の座をはく奪だつ、烏からも一時的に除籍じょせきされる。御山ではなく【烏】としての九郎の処遇しょぐうは審議中しんぎちゅうなのだそうだ。



　話し合いがおわると張りつめた雰囲気ふんいきは緩和かんわされ、いつもの朗らかな顔へもどった。

「月読殿はもっと我らを頼たより、手足のように使えばいい」

　そのために九郎を遜色そんしょくなく鍛えた、九郎のみならず烏たちも同様だと個人の意見を述べる。

「私は使命を全まっとうするよう運命づけられた存在です。けれど九郎やあなた方は違う……本音を言うなら、この危険な世界から離れてふつうに生きて欲しかった……」

　月読は嘆なげくようにつぶやいた。

　だが一進は異論を唱となえた。古いにしえからの仕来しきたりに従っているだけではない、烏達はそれぞれの志こころざしを持って行動している。最初の【烏】はたった独ひとりでマガツヒへ立ちむかいボロボロになって戦う白ハクのために立ちあがった者、以降その意思を受け継つぎ現在いまの烏がある。

「九郎は自分の意志でお主のために戦っている。明はどうしたいかね？　」

　一進の言葉に弾はじかれたように顔を上げた。

「九郎を俺にください」

　オオマガツヒの禍事まがごとを乗りきった月読は白ハクの中でも長生きする者になるだろう。共に生きて見とどけ、先に逝いくことになっても必ず迎えにくる。しずかに、はげしく燃えたつ思いが握にぎった手に籠こもる。

　闊達かったつに笑った一進はまるで婚姻こんいんの挨拶だとのたまう。

「君はここへ来た時から家うちの息子になった。九郎も明も、私にとっては大切な息子だ」

　晴れやかな日に吹く風のような言霊ことだまが耳をくすぐる。甘すぎる気もするけれど、これが父である一進の本音なのだろうと感じた。





　戸塚とづかの爺じいさまに案内されて地下の座敷牢ざしきろうを訪れた。

「坊ぼっちゃんを出してやりたいが、話し合いが終わるまでは難むずかしいのぅ……」

　戸塚の爺さまが溜息ためいきを吐く、牢の脇では槍をもった【猿】が見張っていた。道中にこっそり教えてもらった内情、九郎に対して複雑な思いの者も多く意見が分かれている。とはいえ一進が当主へもどる予定なので、処遇に関しては内乱が起きないかぎり無難ぶなんな見解が出されると戸塚は予想した。そして一進は内乱を起こさせないことに長たけた性格だ。

　厚あつい角材が組みあわさった妖封あやかしふうじの格子こうしは、鋼はがねが通っていて術じゅつを打ちけす符ふがほどこされてる。

　奥を覗のぞけば九郎が歩いてきた。格子をはさみ２人は腰をおろす。

　せまい格子のあいだへ手をおくと互いの指がふれた。口を開こうとしたら、筋張すじばった指が手の甲から小指のつけ根をやさしく撫なでた。まっすぐな目がこちらを見つめていた。指先をからませ無言で確かめあう。

「必ずここから出してやる。もどるまで暫しばらく待っていてくれるか？　」

　抑揚よくようをおさえて言うと、返答するように指先は強くにぎられた。

　かぎられた面会の時間は終了し、なごり惜おしむ手は離れる。長い１日がおわり、帰る頃には外灯に照らされた雪が舞いおちる。

「【鬼】への訪問は明日の午後です。引きつづき大変でしょうから、しっかり休んでください」

　外食をすませ、家まで送ってくれた叔父が口をひらいた。明日は鬼平との面会が待っていた。