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第四章

カラスの家

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 久しぶりにからすの道場へ来ないかと誘われた。ただし学生の頃のような修練ではなく手合てあわせの申し出だった。2人で烏の紋が掲げられた門扉もんぴをくぐる。ところが九郎に急な面会が入り、先にひとり道場へおもむく。

 縁側へ目をうつせば、ややはなやかさにけるおごそかな庭のながめ。

 庭の奥から呼ばれた気がして、踏み石にあった雪駄せったを履いて庭へおりた。道を隠すように青いモミジが立ち、せまい道はいがいと奥行きがある。飛石とびいしを渡って袋小路ふくろこうじへたどりついた。

 秋菊しゅうぎくのほそい茎が揺れ、花の上へ小さい人が乗っていた。これは見えてはいけないものが見えたかと立ち止まれば花の人影が呼ぶ。

『おお~いそこの、気がついてるじゃろ、ちょっとこっち来てよ~』

 聞こえないふりをしたがあつかましい声に見つかった。御山の中にいるのは悪いものではない、月読は仕方なく近づいた。古い時代の衣装をまとう小人こびとが花のうえへ座っていた。両耳元で美豆良みづらい、ちょうのような羽を背中にさげる。
昔からこの屋敷には小さな妖精のごとき神様がいる。今日みたいに突然現れて何か申しつけては勝手に消える。おっさんの姿をした妖精は景石けいせきの下にあった元気のない花を指さす。

『毎朝水をくれるが、あれだけ岩が邪魔して水がとどかん』

 しおれた花に水をやってほしいと頼まれ、如雨露じょうろで水をやる。小人は満足そうな顔をして花弁の揺れるまま揺れる。

『礼にこれをやろう。ひょっとしたら、おぬしの役に立つかもしれん』

 うひゃひゃと笑ったおっさんは姿を消し、丸薬がんやくいくつか手に乗せられていた。首をかしげた月読は小さな丸薬を袱紗ふくさへつつみふところへ入れた。もどると袖手しゅうしゅした一進いっしんが縁側へ立ち、如雨露じょうろをながめて不思議そうに尋ねる。

「何かあったのかね? 」

 庭での出来事と小人の妖精が述べたむねを伝えた。一進は真剣な面持おももちで聞き、水やりする弟子へ伝えておくとうなずいた。



 食堂近くの廊下を歩いていたら、道着をまとった兄弟子あにでしに声をかけられた。

「おまっ――月読殿!? こんな所で何してるんだよ?」

 三宅みやけの気の置けない声がひびく。

 華奢きゃしゃな体つきではないけど、加茂かもとそれほど背は変わらない。月読の胸元くらいにある頭頂部を見おろす。アラサーなのに童顔で髪をポニーテールに束ねてる。彼の後方からおなじく兄弟子の白猪しらいも歩いてきた。

 烏面からすめんをしていない白猪の顔を見るのはひさしい。筋肉質だがスラリとした体型で、格闘術は烏のなかでも上位に位置するほど強い。

「白猪さんは、三宅さんと同い年でしたっけ? 」

 とても同年タメには見えず交互に見比べた。白猪がうなずいてる横で三宅は不満気な表情を浮かべる。

「なにか言いたそうだな!? あれ? 九郎様はどうしたんだよ。お前あんまフラフラすんな! 」

 片割れがいない事に目ざとく気づいた三宅が注意する。

 九郎は『様』なのにどうして月読は『お前』なのか、いちおう名目上めいもくじょうは九郎より立場は上だと言えば鼻でせせら笑われた。甘やかされてる月読は前ノ坊まえのぼう家の本当の怖さを知らないと、三宅は鬼気迫ききせまる表情で語る。
一進は闊達かったつにふるまうが、まったくすきがなく厳しい。九郎は合理的で無駄なことをしないため、訓練時間は減って自由時間が増えた。喜んだのもつか、訓練中は前当主に輪をかけて厳しい、一進と違いニコリとも笑わないのが余計よけいに怖いとこぼす。

「お前は甘やかされてるから『お前』で充分だっ。この甘ちゃんめぇっ! 」

 よほど訓練が厳しかったのだろう。いつしか三宅にののしられていた月読はハの字眉毛になって傍観ぼうかんする。昔からよくある兄弟子の剛速球ごうそっきゅうキャッチボールに、後ろでこらえ切れなかった白猪が声を立てて笑った。

「道場のいやしがいなくなってねていたんだ。許してくれ」

 すっかり口元をゆるませた白猪が月読の肩を叩く。前ノ坊家のことを考えていた月読はあごへ手を当て首をひねる。

「道場に行くんだろ? ぽやっとしてないで行くぞ! 」

 小さい三宅に腕を引きって連れて行かれた。



 三宅らは先に道場入りした。髪をい上げているため、更衣室の大鏡にはキリリとした武人らしい姿が映る。

 道場入り口で一礼してから、まつられている神棚かみだなへ向けて礼をする。

 烏以外の来訪者に道場がひそかにざわめく、4年間出入りしていない内に知らない顔も増えていた。道場のすみで柔軟体操をしていると、彼方此方あちらこちらから視線を投げられる。

「宜しくお願いします」

 ウォーミングアップで白猪と手合わせを行なう。合気道あいきどうに似た型でいどんできたので、かわして手首を持ったままひっくり返した。起きあがった白猪とふたたび組手くみてわす。
大きな声をあげた次鋒じほうの三宅が挑みかかってくる。くせのある掌底しょうていを寸前で避けて足で払い転がす。組手くみてをしていると順番待ちの列が出来ていた。幼少期より道場へ出入りして月読はすでに師範代しはんだいの称号も持っている。道場にいた者たちと稽古けいこを行ない、さばく頃には身体も温まった。

 カチコチに緊張していた若者とも稽古を行なう、重心の使い方を説明しながら技をかけあった。

 人だかりならずからすだかり―――烏合うごうしゅうが屋内から集まって、入口の扉付近へ群れている。見物されるほど月読はめずらしい来訪者のようだ。



 休憩して水分をると、三宅が近寄ってきた。

「お前さ、なんか前より強くなってないか? 」

 にぶく返事をすれば三宅は悔しそうな顔で唇を尖らせる。強さの秘訣ひけつを教えろと迫るので、他家と修練が積める西会館をすすめた。なにか教えなければ三宅による執念しゅうねんの組手が終わらない気がした。

「そうだ、白猪さんも時々来てますよ」
「えっ! 白猪も行ってんの!? 」

 相方あいかたの参加を教えたら、知らなかった様子で向こうへつめ寄った。内緒にしていたのか、白猪の悲壮感ひそうかんただよう視線を受けながす。

 黒い道着の男が礼をして道場へ入った。当主の登場に人だかりが割れ、道場にいる烏達は一斉に礼をする。

「すまない待たせた、始めようか」

「お前が遅れたせいで、稽古をつける羽目はめになったぞ」

 皮肉っぽく肩をすくめると、九郎がかすかに笑った気がした。

 道場の中央へ立った九郎は月読を手招てまねく。出入口の野次やじ烏に加え、組手を中断した者も周りへつどう。仕合しあいの前に門下生へ見せる伝来でんらいの組手をしたいと申し出があった。

 対峙たいじして礼をしてからかまえる。

 小さい頃から数え切れないほど2人で練習してきた型式の組手くみて、九郎の精確な巧手こうしゅを受け流して返す。呼吸まで把握はあくしていて、川のごとく2匹の龍が絡まりあって1つの流れになる心地よさを感じる。伝来でんらいの型式はいちから始まり壱拾弐じゅうにまで、終わる頃にはほとんど目を閉じて受け返していた。



 地面へ両足が付き、組手の終了を告げる。

 同時に仕合しあいが開始される。目を開いた月読は足音なくすすみ打撃を繰り出した。相手がかわしたところで、足を引っかけて右腕をとる。体重をかけ落として腕ひしぎへ持って行こうとしたが、九郎は倒れず腕1本で耐えた。手首の関節を固めようとしたがビクともしない。

 膠着こうちゃく状態になる前に、月読は片足を九郎の膝うらへ振りおろした。支点を払って仰向けにひっくり返し、倒れた相手の顔面へ拳を打ち下ろす。ガツンと音がして手ごたえはあったけれど、そこに顔はなく拳はたたみへめり込んでいた。
疾速しっそく襟首えりくびをつかまれ仰向けに返される。月読は足を突っぱり体勢を逆転させようとしたが、それより速く九郎の腕に力が入って首周りを絞めた。

 その状態で双方は静止した。動けない以上続けても行きづまり体力のある方が有利、月読は絞めている腕をタップして降参の意を示した。

 シンと静まりかえったギャラリーから歓声が起こった。九郎は起き上がる直前、鼻先をかすめ黒い双眸がこちらを見る。相手が立ちあがり、月読も身を起こして息をととのえ礼をした。



「最後のアレ、なんだよ! ぜんぜん見えなかった。どうやって避けたんだ!? 」

 三宅が興奮して道着のそでを引っぱる。

「それが分かったら私が勝ってる」

 ぐいぐい袖を伸ばされた月読はため息を吐き、三宅は楽しそうな顔で組手に戻った。さすがに疲れた月読はすみで水分を取りながら崩れた道着を直した。

 九郎は門下生と稽古の続きをしている。普段は無愛想ぶあいそうなくせに、しっかり指導していてまるで当主みたいだ。こんな九郎の姿を見る機会もめったにない。休憩を終えて再び挑むため、乱取らんどりを行なっている男のもとへ足を踏み出した。



「「有り難うございました! 」」

 時間はち、修練を終えた者がそれぞれ解散していく。月読は壁際かべぎわで兄弟子達と会話を交わしながらストレッチを終える。

 指に巻いたテーピングのはしを探しているとひじへ硬い物がぶつかり、いつの間にか九郎が側へ立っていた。九郎は月読の手を引きよせテープを無言ではずしはじめる。小さい頃からこうして貰っているので、テープが外される様子をしげしげ眺めていた。

 ふと視線を感じて振り向いたら、後ろに烏だかりが出来ている。

「昔から主張が激しいよな、九郎様は……」
「甘ぁ――――い!! 」

 兄弟子達のぼそぼそした呟きと三宅の叫ぶ声が聞こえる。九郎は蹴散けちらすように烏たちを解散させた。片付けも終わり静かになった道場を後にして月読も出口へ向かう。神棚に神気が満ちて小さいおっさん妖精が半跏はんかを組んでいた。

『おぬしはどうも物事を複雑に考えすぎるきらいがある。時には流れに身を任せることも解決の糸口になるのだぞ』

 九郎との組手を称賛しょうさんしたおっさん妖精は、気になる言葉を述べてから消えた。ふぉふぉと笑い声が残り、月読は深々と一礼してから立ち去った。

 御山に住む者らはあらかた見鬼けんきだというのに、神の御霊みたまを認識出来ない時がある。おそらく神霊の方が意図的いとてきに姿を見せていないのであろう。単に見えないだけなのか、何処からか出入りしているのかそれは神のみぞ知る。





―――――――――――――――
お読み頂きありがとうございます。

もろもろの用語説明です。

※踏み石…玄関や縁側に据えている脱いだ靴などを置く平たい石。
※飛石…歩行の為、歩幅に並べられた平たい石。下側は地中に埋められて表面を歩く。
景石けいせき…日本庭園に配置された自然石。捨石すていしともいう。
美豆良みづら…古代男性の髪型、左右に分けた髪を耳元で8の字状に結んだ型。角髪。
袱紗ふくさ…絹やちりめんで作られた四角い布。物を包んだり、大切な物の上を覆う等使用される。茶道具のふくさは服紗、帛紗と書く。
※丸薬…丸剤。古くからある錠剤、蜂蜜やでんぷんで練り合わせ球状にした薬。
袖手しゅうしゅ…両手を和服の袖の中に入れている状態。ふところ
半跏はんか半跏趺坐はんかふざ。片足をもう一方の腿上へ乗せて座る。
見鬼けんき…妖や霊など見えざるものを見る能力。
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