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第2章 悪女らしい妻
12話 sideエイヴァ※
しおりを挟む──チャンスって何が?
と、問い掛けようとする前に天使の柔らかな唇がエイヴァの唇を塞いでしまった。はっ、と動揺したのも一瞬、エイヴァの太腿を身に覚えのあるゴツゴツとした感触が這う。覚束ない動きではあるが、着実に下着に守られたエイヴァの秘部へと向かっていた。
「ふっ、んむっ、こらっ、今は私の」
「ごめん、エイヴァ」
ちゅっ、と淡い音を立てて離れる唇。それまで優勢に立っていたはずのエイヴァの顔は見る間に赤く染まり、唇は半開きになっていた。
「好きだよ、エイヴァ」
真正面から向けられた言葉が、エイヴァの胸を貫く。
なんと恐ろしい男。素面の状態でも心臓を素手で鷲掴みにしてくるとは。脳が危険信号を鳴らしていたが、自分がリードしたいという意地がエイヴァの中に棲み着いてしまっていた。
「か、軽々しく、好きだなんて、馬鹿を言わないでください!」
「え?」
「わた、わたし……わたし、私のほうが……」
どれだけアルフィーと一緒になることを待ち侘びていたか。そう、アルフィーがまだ少年だった頃から。彼がまだエイヴァを知らなかった頃から何年もずっとずっと一途に。
「エイヴァ?」
「私のほうがアルフィー様のことを愛しっ、すっ、好きなんですから!」
しん、と書斎が静まり返る。
ちょっと恥ずかしくて愛しているとは言えなかったが、言葉選びを誤ったかもしれない。
今更になって恥ずかしさが込み上げ、エイヴァは両手で握り拳をつくったままぷるぷると震わせると、堪らず書斎の端へと逃げるように駆け込んだ。
結局、こんなにもアルフィーに振り回されている。エイヴァは昔から想定外の出来事にめっぽう弱いのだ。
「ま、待ってくれ、エイヴァ!」
アルフィーは一瞬呆気にとられたものの、本棚と本棚の隙間に縮こまったエイヴァの元に走った。
「エイヴァ、ごめん」
「何に対する謝罪ですか。意味のない謝罪ほど不要なものはありません」
「ごめ」
「ほら、また謝る」
心を閉ざすようにエイヴァはアルフィーに背を向け、しゃがみ込む。これ以上話しかけないでと言わんばかりの空気を醸し出した。
我ながら面倒な女だとは思う。アルフィーもきっと困っているだろう。嫌がらせを図る上司に加え、家に帰ればストーカー紛いの愛情を拗らせた若くもない年上の面倒な妻がいるのだ。
それに目つきだって恐らく相当悪い。昔、母に『愛想よくしないと殿方に見初められないわよ』と言われたり、兄に『睨むのはやめろ』と言われたり、使用人にひそひそと『顔が怖い』と噂されたりしたこともある。アルフィーだって本当はそう思っているに違いない。
「エイヴァ。こっちを向いてくれ」
「嫌です。もう私は蛹になります」
「エイヴァ……」
エイヴァはなぜか道連れにしていたアルフィーの外套をぐるぐると身体に巻き、恥と夫の視線から逃れようとした。
「私だけ、私だけ、こんなにも旦那様が好きで……」
阿呆みたいに涙が出てきた。
先ほどまでアルフィーを襲おうとしていた威勢はどこへ消えたのやら。自分に問い掛けたいくらいだ。溢れた涙が外套から滲み出し、二つの染みを作っていく。身体に布を巻き付け、水を失った植物のようにしおしおと萎れていく様は、傍から見たら別の生物のようだ。
「いいですよ、別れましょう。アルフィー様の言う通りに」
「エイヴァ」
「私は一生ここで一人で暮らします。蛹として生涯を遂げます」
「駄目だよ。お腹空いちゃうよ」
気にするべきはそこなのか、と心の中でツッコんだのも束の間、タイミングを狙っていたかのようにエイヴァの腹の虫がか細く鳴った。ただでさえ恥ずかしさで死にそうだったのに、羞恥心に拍車をかける自分の胃袋。エイヴァはアルフィーの匂いで充満した上衣を被せたまま、床に小さく縮こまった。
「エイヴァ。おいで」
「嫌です。お腹なんて空いてませんから」
「エイヴァ」
硬く冷たい床に這いつくばっていたはずが、ふわりと身体が浮かび上がる。突然の浮遊感にエイヴァが顔を上げると、布で覆われた視界がはらりと開けた。
滲んだ景色の中で、頬をうっすらと上気させたアルフィーが切なげに目を細めている。
「エイヴァ、俺、嬉しいんだよ」
「何がですか」
「今まではエイヴァに嫌われていると思っていたから。結婚して浮かれているのは俺だけだと思っていたから。エイヴァは、俺のこと好きなの?」
「言いたくありません。喋れません。蛹なので」
エイヴァはひょこっと再び外套の内側に身を隠す。面と向かって言うなんて、長年の初恋を拗らせてきた自分には無理だ。それにへんてこな泣き顔だって見られたくない。
アルフィーは無理にエイヴァの身包みを剥がそうとはしなかった。膝を抱えて縮こまったエイヴァをぎゅっと優しく抱きかかえたまま、布地一枚を通して彼女の耳元に唇を押し当てる。
「好き。俺は好きだよ。ずっと好きだった。エイヴァは知らないかもしれないけど、結婚するよりもずっと前からエイヴァのことが好きだったんだ。俺がまだ十四だったあの頃から。数年前だけど、城の庭園で初めてあった日のことをエイヴァは覚えているかな。ハンカチを拾ったあの日からずっとエイヴァのことが気になっていたんだ」
ぴくっ、とエイヴァの身体が揺れ動く。
覚えていないはずがない。忘れるわけがない。エイヴァにとって、人生で一番忘れられない日だ。あの日、アルフィーから貰った焼き菓子もまだ大切に取っている。死ぬときはその菓子を最期に口にして命を絶つつもりだ。
エイヴァはのそりのそりと外套の裾から半分顔を覗かせる。両瞼は泣き過ぎのせいか、わずかに腫れぼったくなっていた。
「嘘、ついたら、だめです」
「嘘じゃないよ」
「……本当に?」
「本当」
「本当の本当?」
「うん」
まっすぐにエイヴァの目を見据えながら、一言ずつ誠実に答えるアルフィー。
エイヴァはすんすんと鼻を啜りながら、ひょっこりと外套から顔を出す。同時に目元を優しく綻ばすアルフィーの顔が目に飛び込み、エイヴァは無意識に夫の親指をぎゅっと握り締めた。
「旦那様……」
「うん」
「私も……」
アルフィーの膝にちょこんと座ったまま、エイヴァが唇を開いたそのとき。書斎の奥から小さな物音が二人の耳に届いた。
「──誰かここにいらっしゃるのですか?」
「っ!」
突然聞こえた場違いな声に、アルフィーの肩が大きく揺れる。雰囲気に流されてすっかり忘れていた。自分達がほとんど裸に近い破廉恥な姿をしていることを。
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