【R18】黒豹と花嫁

みちょこ

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5話

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 家に着く頃にはどしゃ降りに見舞われていた。雨の湿気った匂いがすべてをかき消し、地面を叩き付ける猛烈な雨音が聴力を奪い去っていく。

 ハルが訪れそうな場所はしらみつぶしに探した。残るはここだけだ。ハルは帰ってきているだろうか。

 どうか、無事に戻ってきていてくれ。

 藁にも縋る思いで、ゆっくりと扉を開いた。

「……は……」
「おかえりなさい!」

 耳を突き抜けるような朗らかな声に、視界に飛び込んだ底抜けに明るい少女の無垢な顔。そこには、いつものように笑顔で出迎えるハルの姿があった。

 リオンとその家族とやらに何かされたんじゃないか。その疑問はハルの身体の至る箇所に見られる噛み傷や打撲の痛々しい跡によって瞬時に吹き飛ばされた。

「……その怪我はどうした」

「え? あっ、これはね、ちょっと転んで怪我しちゃった」

 あはは、とハルは声に出して笑う。

 嘘をつくな。転んだくらいでそんな酷たらしい傷を負うわけがないだろう。ハイエナ達の子供ガキと喧嘩したときのほうが、まだ軽症だっただろうが。

 なんで、どうして嘘なんかつくんだ。

「今日はスザクが早く帰ってくるって言うからね、ご飯も作ったんだよ。すっごくすっごく楽しみにしてたんだ。一緒に食べ……あっ」

 俺の腕を引こうとするハルの手を逆に引き寄せ、壁に押し付ける。驚いて大きく目を見張るハル。うっすらと血の滲んだ頬を片手で掴んで顔を上げさせると、瑠璃色の大きな瞳がわずかに揺れ動いた。

「ハル。本当のことを話せ」

 なるべく腹の内側の感情が滲み出ないようにと、控えめな声で促す。

 ハルは残った力を振り絞るようにして、引き攣った笑顔を浮かべた──が、我慢の糸が切れたのか、はらはらと大粒の涙が溢れ出した。生ぬるい雫は頬を伝い、親指を滑り落ちていく。

「えっ、ひっく、あっ、わ、わたし」

「……ハル」

「ご、め、ごめん、ごめんなさい……」

 絶え間なくこぼれ落ちる涙を拭いながら、俺の両腕の間をすり抜けるハル。待て、ハル、と掠れた声で呼びかけても、ハルは振り返らない。尻尾を垂れ下げたまま、逃げるように自室へと閉じ籠ってしまった。

「ハル。少し……少し休んだら話そう。傷の手当ても」

 扉を叩いても返事はない。

 きっとここで話すのを強要しても、返ってハルの精神を抉るだけだ。時間が経ったら、あとでゆっくり話を聞こう。リオンとその兄とやらは殺しに行くついでに詳細を吐き出させる。

 自然と戦慄く手を握り締め、雨が降り頻る外へ向かおうと扉を開けようとした。


 ──す、ざ…………く………


 ほんの少し。蚊の鳴くような声が聞こえ、身の毛がよだつ。すぐに家の中へ引き返すと、部屋の扉に寄り掛かっているハルの姿が目に飛び込んだ。

 壁に手を這わせながら、ハルは俺へと手を伸ばす。さっきより顔色がすこぶる悪い。俺が話を切り出すまでは元気にしていたじゃないか。

「……スザ……ク……いかない、で、あっ」

「ハル!」

 ふらりと蹌踉めくハルを両腕で抱き止める。

 身体が熱い。呼吸も尋常じゃないくらい荒々しい。額から、いや、全身から滲み出る汗は熱湯のような熱さだ。さっきまでこんなんじゃなかったろうが。

 リオンの元に行っている場合じゃない。
 まずは医者に連れて行くのが先決だ。

「一番近くて街の方面か……」

 俺が住んでいる場所付近に医者が訪れるのは、週に一度ほど。悪天候の日はほとんど来ることはない。街に行くのは手間だが、待っていられるような余裕も時間もない。

 ぐったりと俺に寄り掛かるハルを抱きかかえ、雨に濡れないようにと大きめの黒コートを被せようとした瞬間、妙なものが目に映った。

「……な、んだこれ」

 ハルの胸元に刻まれたいびつな形の紋章。毒々しい色で形取られたそれは、薄気味悪い光を放っていた。





***






「ただの痣か何かの類でしょう。気にする必要はありません」

 本来であれば歩いて数時間掛かる距離を、すっ飛ばして一時間で病院ここまでやって来た。なのに医者がハルを診たのはたった数十秒。返答もあっけないものだった。

「……は? こんだけ高熱が出て身体弱らせてんのにただの痣で納得できるわけねぇだろ。ちゃんと診ろよ」

「それは貴方がこんな悪天候の中、傷だらけの状態であるにもかかわらずその子を連れてきたからでしょう。まぁ、一応抗生剤と解熱剤は出しておきましょうか。次の方が待っているので待合室に戻ってください」

 医者は面倒そうに溜め息を吐き、無機質な文字が並んだ資料へと視線を戻した。
 診察台でぐったりと横になっていたハルは、小刻みに震え続けている。こんな禍々しい光を漏らした紋章がただの痣だなんて、信じられるわけがないだろう。

 街で一番大きい病院だからと来ては見たが、ここの医者じゃ駄目だ。他を探そう。

「……ハル。連れ回して悪い。もう少し耐えてくれ」

 瞼を閉じたまま弱々しい呼吸を繰り返すハルを抱き上げ、診察室を後にする。背後から「まったく、床が毛だらけた」も喘息混じりの嗄れ声が聞こえたが、爆発しそうになった怒りはどうにか噛み潰した。

 まずはハルを救うことが先だ。
 一時的な感情で他人を打ちのめす暇はない。

 数分経たずに呼ばれた受け付けで紙切れ一枚を受け取り、患者で溢れかえった待合室を後にする。

「あ……あぁ……さ、まっ……」

 悪い夢にうなされているのだろうか。
 ハルは苦しそうに同じ言葉を繰り返している。

 外はざぁざぁと無数の雨粒が地面を叩きつけては飛沫を上げている。いつになったら止むのだろうか。せめてハルの体調が悪化しないようにしなければ。

「……病人でも食えるもん、買って帰らないとな」

 うっすらと汗が滲んだハルの額を指先で拭い、滑り落ちないように抱え直す。そのまま向かいの薬屋へと足を運ぼうとしたそのとき、冷たい風が首筋を吹き付けた。



「──苦しんでいて可哀想に。私が診てやろうか」





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