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3話
しおりを挟む朝は元々弱かった。
金を稼ぐための活動も基本は日が暮れてから。くそ暑い時間なんかに外なんか歩いていられるか。富裕層とやらは家の中でも快適に暮らせるように設備が整っているらしいが、俺にそんな贅沢ができる金があるはずもない。
だから、日中はなるべく動かず体力を温存する。
今まではそうしてきたのに──
「スザク、起きて!」
早朝に相応しくない溌剌とした声と共に、頬が湿った感覚に襲われる。身体の怠さに逆らえずに瞼を薄っすら開けると、舌を出したハルの顔が視界に飛び込んだ。
「……っう」
ハルは俺が起きていることに気がついていないのか、懸命に俺の顔中を舐め尽くす。
頬から鼻先、目尻、黒豹特有の耳の毛繕いまで。しばらくされるがままでいたものの、唾液でべっとりと顔が濡れてきたせいか心地良くはない気分に見舞われてきた。
よく飽きずに毎日やるな、こんなこと。
「ふぎゅっ!」
行為に夢中になるハルの額に頭突きを食らわす。
ハルは妙な声を漏らし、つぶらな瞳を大きく見開く。そしていつものように笑顔を見せた。額を赤く染めながらも、尻尾は左右にぱたぱたと揺れている。
なにがそんなに嬉しいんだ、この犬は。
「おはよう、スザク。朝ごはんの時間だよ!」
「いらねえ。一人で食え」
「だめ! 一緒に!」
床に投げ捨てていたタオルを拾い、顔を擦るように拭き取る。
背後でハルが文句を言っていたが、気にしない。こんなやり取りは日常茶飯事だ。
「暑いな……今日も」
窓に凭れてさりげなく外を見やると、少年らしき人影が見えた。
あぁ、またか。不快な匂いがするから察してはいたが、今日もあれがいる。二年前にハルがこの家に棲み着くようになってから、ここ最近やたらと住処を彷徨くようになったクソガキだ。
「あっ、リオンだ!」
おーい、とハルは笑って手を振る。
リオンとかいうクソガキも待ってましたと言わんばかりの笑顔を浮かべ、駆け寄ってくる。
黒褐色の三角耳に、同色の狼の尻尾。ハルと同じ狼獣人と人間の半獣なのだろう。ハルが半獣であることも俺の予想でしかないが、生活のほとんどを人間に近い姿で過ごしているから恐らくそうだ。人間の血が濃ければ濃いほど、獣型になるにも体力を要する。
ハルがこの姿のまま俺の住処に寄生し始めて二年。そう、もう二年の月日が流れていた。
俺は一度、寄生虫ならぬ居候をどうにか家から追い出そうと、ハルが眠っている間に狼獣人の集落から少し離れた僻地へ置き捨てた。
昔と比べて、半獣に対する差別意識も薄れてきてはいた。俺と違って多少は愛嬌もあるから誰かしらには好かれるはずだ。自分と同じ仲間が拾ってくれたら、そっちに懐くだろう。
そうやって頭の中で謎の言い訳を並べて帰路を辿ると、家の前にいるはずのないヤツがいた。
『お帰りなさい!』
そう言って笑顔で俺を出迎えたのはハルだった。どうして捨てたはずのヤツがここにいるのか。一瞬、頭の中が真っ白になったものの、俺はすぐにハルを抱えてまた遠くへ捨てに行った。しかし、再び家を戻るとまたハルが戻ってきていて。結局は俺がハルを捨てに行っても、またハルが懲りずに戻ってきての繰り返し。
ハルの執念深い帰巣本能に音を上げた俺は、私生活に迷惑を掛けないことを条件に家に置いてやることにした。
まぁ、今はその話はどうでもいいんだよ。
「ハル。今日は街の方に行く約束だったよね。また面白いもの、見せてあげるよ。一瞬に行こう」
「う、うん! 今準備するから玄関前で待ってて!」
仲睦まじげに二人は会話を交わしている。
俺の知らないところで約束していたのか。随分と二人で愉しそうに笑っているじゃねぇか。まぁ、ハルがどこの誰と仲良くしようと、本人が納得しているならそれでいい。俺には関係ないことだしな。
やがてハルはくるりと踵を返し、食卓に並べていたパンを口一杯に頬張ると、急ぎ足で玄関へと向かった。
「いってきます!」
笑顔でそう告げて、ハルは扉を開ける。その先に見えたのは腕を組んで佇むリオン。俺の方を見て、勝ち誇ったように口元を歪ませていた。
そんな腹黒に気づくことなく、ハルはヤツの隣に並ぶ。そしてちゃっかりハルの肩に触れようとしているリオンの手。
どうやら俺は喧嘩を売られているらしい。
「そうだ、ハル。今日こそ俺の家に来なよ。ご馳走だってあるし、家族にも会わせた……」
「ハル」
意気揚々と話すリオンの声を遮るように、ハルに呼び掛ける。声がしっかりと届いていたのか、ハルは片耳を微かに痙攣させ、振り返るや否や俺の元に走った。
「スザク? どうしたの?」
やはり、ハルは従順だ。
名前を呼べば、どんな状況下でもすぐに戻ってくる。
尻尾をゆったりと揺らしながら俺を見つめるハル。無防備な細い腕を掴み、そのまま引き寄せるようにして頬に噛み付いた。
「っ!」
ハルの身体が硬直し、尻尾が一直線に伸びる。
顔は見る間に紅潮している。
頬を舌で這わせれば、口をぱくぱくと動かしていた。
いつもは自分から触ってくる癖に、なんで動揺しているんだか。
「えっ、あっ、な、なに?」
「顔に食べカスつけたまま外歩く気か? 間抜け面晒すなよ」
「あ、そっ、そっか、朝ごはん……」
ハルは頬を染めたままへにゃりと笑い、俺の腰に腕を回して抱きつく。「もう一生、顔洗わない」なんて声が聞こえたような気がしたが、聞かなかったことにした。
それよりもさっきまで余裕をかましていたリオンが、殺気に満ちた眼差しを向けているのが笑えて仕方がない。
俺を煽るなんて一億年早いんだよ。ばーか。
「ハル。今日は晩飯一緒に食ってやるから早く帰ってこい」
「え? で、でも、お仕事……」
「日中に片付けてくる。最近は獣人狩りが出るっていう噂だからな、お前も早く帰ってこい。日が暮れる前にな」
ハルは一瞬だけ目を見開くと、分かったと頷いてまた腰に抱きついた。
尻尾を激しく振りながら、嬉しさを隠せないのか喉の奥からくんくんと鳴き声を漏らしている。二年前からハルはずっと変わらない。何かをしてやれば、どんな些細なことでも同じように喜ぶ。
「ハル! いつまでそんなことしてるんだ! さっさと行くよ!」
「あっ、や、やだ、まだっ、もうちょっと、すざく」
リオンに腕を引かれ、ハルの身体が剥がし取られる。
もう一度俺に抱きつこうと手を伸ばしていたが、それは叶わず。ハルはリオンの手によって強制的に街の方面へ引き摺られていく。
「スザク、またあとで! あとでね!」
縋るような声で遠くから何度も叫ぶハル。
仕方ない。今日はさっさと仕事を切り上げてやるか。
たまにはいいだろう。喜ばせることをしてやっても。
懲りずに手を振り続けるハルの姿を、腕を組んだまま気まぐれに見届けてやった。
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