19 / 22
第4章 苦渋の決断
19話
しおりを挟む有無を言わさない威圧的な問い掛けに、控えの間がざわめく。言葉の刃を差し向けられたカークは俯いたままだった。
側に佇んでいた王は、慌てて息子を庇うようにリディアの父の前へと立ちはだかる。
「ギルシュタイン卿! カークはまだ城に戻ってきたばかりで」
「無礼を承知で言いますが、たとえ王族の身分であったとしても隠し事をする人間に娘を渡す気にはなれません。そもそも婚約関係を破綻させるような行為を測っておきながら、何の罰も与えられないのは些か疑問です。理由によっては婚約破棄の手続きをさせていただきたい。この発言が気に入らなければ、不敬罪として私を打ち首にでもしてください」
リディアの父の目は本気だった。
異議を唱えようとした王も唇をきつく結び、言葉を閉ざす。密室に人が集まっているというのに、酷く肌寒い。そこにいる誰もが表情を曇らせる中、ただ一人微笑みを浮かべているのはロレンツだけだった。
「カーク殿下。ご自身で打ち明けることができないなら、私からお話しましょうか?」
「えっ……」
部外者であるはずの総統の発言に、皆の視線が彼へと集う。
一瞬、壁際に寄りかかっていたアーノルドと目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。リディアの胸の奥が締め付けられるような痛みに襲われる。
そんな二人の無言のやり取りなど気づくはずもなく、ロレンツは話を続けた。
「生真面目なカーク殿下がなぜ逃げ出したのか、私達は国王陛下の命に従って秘密裏に動いていました。もしかしたら事件に巻き込まれたのではないかと、必死にカーク殿下を探していたところ衝撃の事実が……」
「やめてください!」
ロレンツの軽やかな声に覆い被さるカークの悲痛な叫び声。
その場にいた皆の視線がロレンツからカークへと移った。動揺と躊躇いが入り混じった彼の瞳は、その色を隠すように上瞼に覆い隠される。
「……私のせいです。私のせいなんです」
カークは蚊の鳴くような情けない声を漏らし、眉間を指先でおさえる。
息を吐き出すことすら尻込みしてしまうような重苦しい雰囲気。リディアはかすかに開いていた唇をきゅっと閉じた。
「……私が結婚式から逃げ出したのは、自信がなかったから。由緒正しき魔族の家系であるリディア嬢を妻として迎えられると思わなかったから。王位を継ぐ候補として、自分が相応しい人間に思えなかったから。ただ、それだけなんです。これが真実なんです。たったそれだけのくだらない理由で逃げ出した私にどうか、相応の罰を」
「カーク殿下……」
カークはリディアの父の前に跪き、深く頭を下げる。
静かな憤怒を滲ませていた父の藍色の瞳は、やがて呆れたように細められる。リディアの父は旋毛を見せたままのカークから目を逸らすと、今度はその鋭い双眸をリディアに向けた。
「リディア。お前はどうしたい」
「え?」
「今の話を踏まえて、お前の意見を聞いておきたい」
父の突然の前振りに、リディアの心臓が早鐘を打つ。冷たい汗が首筋から滲み出していく。どうして、皆がいるこの場でそんなことを聞くのか。
周囲を見渡しても誰も助けてはくれない。リディアは震える手を握り締め、息を呑む。
「わ、わたしは……」
言葉を紡ごうとしたところで、リディアはふとカークと目が合ってしまった。
碧く澄んだ美しい瞳。揺るぎない意志が奥底に宿っているようにも見受けられる。カークは自分に自信を持てなかったと言っているが、それは本当に事実なのだろうか。そんな身勝手な理由で誠実な彼が逃げ出すのだろうか。それに総統が言っていた衝撃の事実がなにを指すのかも引っ掛かる。
しかし、今のリディアには真実を知る術はない。
「……私は、お父様の意向に添います」
リディアはカークから目を逸らし、静かに告げる。彼女の父はどこか満足したように小さく頷くと、控えめに咳払いをした。
「陛下。誠に申し訳ないのですが、やはり婚約はなかったことに」
「ギルシュタイン卿! 期日以内に戻ってきたら約束は守ると……!」
「私の勝手な都合となるので、婚約破棄はギルシュタイン侯爵家都合としてください。必要とあれば、賠償金もお支払い致しましょう。無論、私はこれからも王都魔導騎士団として国を守るために変わらぬ忠誠を尽くし続けます」
父の言葉に王は言葉を失う。
仮にも相手は国の頂点に立つ王族。一国の王子が婚約者ともあれば、地位を確固たるものにできるはずだ。
一度裏切りに近い真似をされたことで用心深くなっているせいもあるとは思うが、父が頑なに婚約を拒むのは──
「……これは妻に対する私の一方的な誓いなんです。娘を危険に脅かす要素は一つでも残したくない。結婚においても、できる限りのことを尽くしたい。いや、尽くさなければならない」
「お父様……」
「もちろん、多くの人々が関わったからこそ結ばれた婚約だということは承知しています。議会の承認を得られるまでは、この件は内密にしましょう。陛下のご決断を心よりお待ちしております」
リディアの父はシルバーブロンドの髪を翻し、足早に部屋の出口へと向かう。すぐさま側にいた衛兵が止めようとしたものの、父の瞳から放たれた鋭い眼光がそれを制した。
「リディア、行くぞ」
「お、お待ち下さい! お父様!」
リディアは慌てて父を追い駆ける。
慣れない靴に足を滑らせそうになりながらも、振り返らずに正殿の果てしなく長い廊下を進んでいく父の服の裾を掴んだ。
「お父様っ! 私の話を聞いてください!」
リディアの口から放たれた切なる願い。
その言葉に反応するように、父の肩がわずかに揺らめく。父はそのままゆっくりと振り返ると、冷徹な表情を実の娘に向けるものとは思えない恐ろしい形相へと変貌させた。
「……話? 私に従うとその口で言っただろう。お前の結婚相手も私が見繕う。黙って私の言う通りに従え」
「そ、そうは言いましたが、カーク殿下のあの言葉が真実なのかも疑わしいです! それに結婚相手を決めるのはまた別……」
「結婚相手? まさかアーノルドとやらをまだ諦めていなかったのか!? あの男の息子だけは許さない。許さんぞ!」
「やっ……!」
手首を強い力で掴まれ、リディアは怯みそうになる。
狂気を孕んだ目に囚われ、全身が鎖で縛られたように恐怖に蝕まれた。
どうしてそこまでアーノルドを嫌うのか。異様な執着にも見える嫌悪感を抱くのだろうか。リディアが父から震える手を引き剥がそうとしたそのとき──背後から伸びた誰かの手によって、リディアの肩は守るように抱き寄せられた。
1
お気に入りに追加
779
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
悪役令嬢なのに王子の慰み者になってしまい、断罪が行われません
青の雀
恋愛
公爵令嬢エリーゼは、王立学園の3年生、あるとき不注意からか階段から転落してしまい、前世やりこんでいた乙女ゲームの中に転生してしまったことに気づく
でも、実際はヒロインから突き落とされてしまったのだ。その現場をたまたま見ていた婚約者の王子から溺愛されるようになり、ついにはカラダの関係にまで発展してしまう
この乙女ゲームは、悪役令嬢はバッドエンドの道しかなく、最後は必ずギロチンで絶命するのだが、王子様の慰み者になってから、どんどんストーリーが変わっていくのは、いいことなはずなのに、エリーゼは、いつか処刑される運命だと諦めて……、その表情が王子の心を煽り、王子はますますエリーゼに執着して、溺愛していく
そしてなぜかヒロインも姿を消していく
ほとんどエッチシーンばかりになるかも?
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!
はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。
伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。
しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。
当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。
……本当に好きな人を、諦めてまで。
幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。
そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。
このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。
夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。
愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完結】王宮の飯炊き女ですが、強面の皇帝が私をオカズにしてるって本当ですか?
おのまとぺ
恋愛
オリヴィアはエーデルフィア帝国の王宮で料理人として勤務している。ある日、皇帝ネロが食堂に忘れていた指輪を部屋まで届けた際、オリヴィアは自分の名前を呼びながら自身を慰めるネロの姿を目にしてしまう。
オリヴィアに目撃されたことに気付いたネロは、彼のプライベートな時間を手伝ってほしいと申し出てきて…
◇飯炊き女が皇帝の夜をサポートする話
◇皇帝はちょっと(かなり)特殊な性癖を持ちます
◇IQを落として読むこと推奨
◇表紙はAI出力。他サイトにも掲載しています
ハズレ令嬢の私を腹黒貴公子が毎夜求めて離さない
扇 レンナ
恋愛
旧題:買われた娘は毎晩飛ぶほど愛されています!?
セレニアは由緒あるライアンズ侯爵家の次女。
姉アビゲイルは才色兼備と称され、周囲からの期待を一身に受けてきたものの、セレニアは実の両親からも放置気味。将来に期待されることなどなかった。
だが、そんな日々が変わったのは父親が投資詐欺に引っ掛かり多額の借金を作ってきたことがきっかけだった。
――このままでは、アビゲイルの将来が危うい。
そう思った父はセレニアに「成金男爵家に嫁いで来い」と命じた。曰く、相手の男爵家は爵位が上の貴族とのつながりを求めていると。コネをつなぐ代わりに借金を肩代わりしてもらうと。
その結果、セレニアは新進気鋭の男爵家メイウェザー家の若き当主ジュードと結婚することになる。
ジュードは一代で巨大な富を築き爵位を買った男性。セレニアは彼を仕事人間だとイメージしたものの、実際のジュードはほんわかとした真逆のタイプ。しかし、彼が求めているのは所詮コネ。
そう決めつけ、セレニアはジュードとかかわる際は一線を引こうとしていたのだが、彼はセレニアを強く求め毎日のように抱いてくる。
しかも、彼との行為はいつも一度では済まず、セレニアは毎晩のように意識が飛ぶほど愛されてしまって――……!?
おっとりとした絶倫実業家と見放されてきた令嬢の新婚ラブ!
◇hotランキング 3位ありがとうございます!
――
◇掲載先→アルファポリス(先行公開)、ムーンライトノベルズ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる