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最終章

44話

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 この世界にサクラを喚び出した運命のあの日、ヴィクトールは一瞬にしてサクラに心を奪われた。

 ヴィクトールにとって初めてだったのだ。
 一人の女性にここまで魅入られたのは。

 健気で美しく、どこか儚いようにも感じられて。人生の限りを尽くしてサクラのそばにいたいと希ったヴィクトールは、王族の身であるにもかかわらず、危険を伴う浄化の旅も行動をともにした。周囲の反対を押し切って、彼女を人生の伴侶とした。

 不幸に付き纏われた人生を送ってきた一人の異世界の少女を、誰よりも幸せにしたかった。



 けれども、結局はサクラには何一つとして幸せを与えてやることができなかった。
 苦しませてしまった。泣かせてしまった。笑顔を奪ってしまった。多くのものを犠牲にさせてしまった。サクラはヴィクトールに掛け替えのないものをたくさんくれたのに。

 最後の最後までサクラに犠牲を払わせてしまった。




「……サク、ラ」

 赤々と燃える空を見上げながら、ヴィクトールは焼けつくような土を握り締める。
 光の壁を通して視界に残っていたのは、黒い靄に飛び込んでいったサクラの後ろ姿。リブレードの言葉と多くの犠牲に責任を感じたが故に、サクラはあんな行動を取ったのだろうか。

 ──いや、違う。サクラの意思はそんな生ぬるいものではなかった。他人に縋られたからだとか、聖女として旅をしたあの頃のように受け身のまま取った行動ではない。

 サクラは自らの意思で決めて、行動したのだ。皆を救うために。

 しかし、そうだとしても行ってほしくはなかった。
 この世界の人間なんて捨て置いて、せめて元の世界で幸せに暮らしていてほしかった。元一国の主として最低な考えかもしれないが、それでもヴィクトールにとって一番大切な人はサクラだ。

 世界が滅ぶか、サクラの命が失われるか。今、どちらかを選べと問われたら、ヴィクトールは一切迷わずに前者を選ぶ。

 それだけ愛しているのだ。この世にたった一人しかいないサクラという少女を。

「頼む、サクラ……」

 無事に戻ってきてくれ。掠れた声で懇願した刹那、ヴィクトールの頬に柔らかな感触が触れた。鼻腔にふわりと広がる優しい花の香りに、ヴィクトールはおそるおそる頬へと手を伸ばす。

「これ、は……」

 ほんのりと淡く色づいた一枚の花びら。

 ヴィクトールは息を呑み込み、じっと見つめる。サクラから何度も言い聞かされた花と同じ色の形をしたそれを。

「……桜、か?」

 消え入りそうな声で呟いたと同時に、頭上から花の香りを纏った風が吹き付けた。

 燃え盛るような色を放っていた空は瞬く間に青く澄み切って、ひらりひらりと溢れんばかりの桜の花びらが舞い落ちる。

 儚くも見える幻想的光景に完全に意識が囚われそうになる中、ヴィクトールの耳に複数の息遣いが流れ込んだ。

「くっ、そ……」
「一体、なにがあった」
「身体が痛い……」

 唸るような声と共に、ゆっくりと起き上がる人々。
 グレンの手によって命を落としたと思われていた兵士達が、生命を吹き込まれたかのように動き出す。その中には、グレンの闇に呑み込まれたはずのセドリックとクリスチアーヌ、そして隣国エルオーガの国王であるダヴィードの姿もあった。

「陛下ぁー!」

 どこからともなく現れたニクスが、ダヴィードの元まで全力で駆け寄る。
 ダヴィードはニクスによって差し伸べられた手を握ると、痛みを堪えるような表情で徐に立ち上がった。

「完全に意識を失っていた……。ニクス、現状はどうなっている」
「はいっ。どうやら勇者グレンの影は跡形もなく消えたようです。エルオーガからまもなく父上……じゃねぇや、騎士団の援軍も来ます」
「そうか。グレンが消えたのなら戦う必要はなさそうだが、アルテリアの復興に人員を割いてやらなければいけないな。ニクス、お前は怪我人を見つけ次第、救護用の天幕に運んでやれ。もちろん、国は問わずだ」
「はっ! 承知しました!」

 一目散にその場を去っていくニクスを見送り、ダヴィードは足を引き摺りながらヴィクトールへと一歩ずつ近づく。そのまま呆然と座り尽くすヴィクトールの前に腰を下ろすと、額が地面にめり込むほどに深く頭を下げた。

「ヴィクトール国王陛下よ。国の弱味につけこんで理不尽な誓約を結ばせただけでなく、馬鹿な娘が横暴な行為を図り迷惑を掛けてしまった。ニクスから状況を聞かされて真実を知っていたにもかかわらず、行動をすぐに起こさなかった私も同罪だ。本当に申し訳なかった」

「……いや、そんな、私は」

「聖女サクラとの時間を増やすために一時的に時間誓約に対して解除魔法を掛けたことも知っている。クリスチアーヌがその条件を呑む代わりに、セドリックを必ず次期国王にする条件を突き付けたこともだ。本来であれば、貴殿と聖女サクラの過ごす時間は当たり前のものであったと言うのに、本当に、本当に済まなかった」

 ダヴィードの言葉に、ヴィクトールは五年前の記憶を思い返す。

 サクラに一番辛い想いをさせてしまったあの日々を。サクラ以外に触れられないことは頭で分かっていたのに、国の古いしきたりに囚われて側室を迎えてしまった愚かな自分は、どんなに責めても赦されないだろう。

 (そうだ。サクラに謝らなければ。もう一度、謝らしてくれ。サクラに会いたい。今すぐにでも会いたい。サクラはどこにいる)

「クリスチアーヌはすぐにでも自国に戻させてくれ。不平等な誓約もすぐに立て直そう。あとは……ん? ヴィクトール国王陛下、どこへ」

 後ろから聞こえるダヴィードの声を気に止める余裕はなかった。

 地面にひれ伏したまま未だにグレンの名を呼び続けるクリスチアーヌも、そんな母親を哀しそうに見つめる最中、後ろから歩み寄ってきた元侍女長オレリアの気配に気づかないセドリックも、リブレード率いる第一騎士団に縄で縛られながらも自分は王だと喚くウィレムの前も素通りして。


 今、誰よりも会いたいと願うサクラを求めて、ヴィクトールの足は自然と薔薇の咲き誇る四阿へ赴いていた。


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