上 下
24 / 50
第3章

24話

しおりを挟む

 正殿の城壁に構えた分厚い鉄扉。そこから少し離れた先代国王の銅像の裏側にこそこそと隠れる二つの影があった。
 その影の正体は、食事を乗せたトレーを抱えたリリーと、彼女と同じ黒い布地のドレスとまっさらなエプロンを纏ったサクラだった。サクラはリリーの背後で身を縮ませながら、落ち着かない様子で白いキャップを深く被せて顔を必死に隠している。

「サクラ様。堂々としてください。逆に怪しまれます」

「で、でも、こんな格好で……」

「とてもお似合いですよ。私達侍女の見窄らしい服装が、サクラ様が着ることで色鮮やかなドレスのように輝いて見えます」

 違う。似合うとか似合わないとか、そういう問題なのではない。自分の正体がバレてしまうかの心配をしているのだ。

 挙動不審な動きで狼狽えるサクラを他所に、リリーは表情一つ変えず前を歩き出す。凛々しくも感じられる彼女の振る舞いに、サクラは申し訳なさそうに肩を竦めながら歩き、門番の立ちはだかる扉の前で足を止めた。

「……ん?」

 二人の身長を優に超える体格の良い門番は、ギロリと瞳孔を開き、鋭い目付きでサクラを見下ろす。
 まずい。やはりこの変装では無理があった。正体が漏れてしまったのではないかと、サクラは一瞬血の気を引かせたが、門番の視線はすぐにリリーへと移った。

「……今日の食事番はお前か。後ろの女は見ない顔だな。新入りか?」

「ええ。先日入ったばかりの子です。最近なぜか辞めていく子達が多くて、やっと一人入ってくれたんですよ。まだ見習いなので、一緒にお連れしてもよろしいですか?」

「……ふん。好きにしろ」

 門番の手に握られていた鍵がリリーに渡され、意外にも呆気なく扉を通される。済ました表情で地下へと続く階段を下りるリリーの後を、サクラは小走りで追い掛けた。
 蝋台にかかげられた灯火だけが照らす城の地下。岩肌の天井から水が滴り、ポタリポタリと木霊して響き渡っている。

 なんとも言えないほどに、不気味な雰囲気だ。

 狭い通路の脇には薄汚れた鼠が走り、壁の隅には至るところに蜘蛛の巣が張っている。こんな場所にヴィクトールが本当にいるのかと、サクラは暗闇に目を凝らした。

「サクラ様。こっちです」

 リリーの掲げた魔法の灯りが前方を照らす。サクラの視界に映し出されたのは、何重にも頑丈に閉じられた鉄格子の檻。その奥に妖しげな二つの光がゆらりと見えた。

「──っ!」

 湿り気のある冷気が首筋を撫で、肌が粟立つ。薄気味悪く感じられた光の真の姿を捉えた瞬間、サクラは地面を踏んだ。思うより先に走り出していた。

「ヴィクトール!」

 氷が突き刺さるように冷たい鉄格子を握り、サクラは叫ぶ。
 鎖に繋がれて、牢の奥にぐったりと踞っていく白銀の髪の男の名を。誰よりも愛していた夫の名を必死に呼んだ。

「さ、サクラ様! どうか声は抑えて……」

「ヴィクトール……ヴィクトール……っ!」

 鉄格子の隙間から腕を差し込み、項垂れてしまった夫になんとか触れようと肩を檻に食い込ませる。しかし、どんなにサクラが腕を伸ばそうとも、届くどころか掠りもしない。

「ヴィ、ク、ヴィクトール……」

 国王だったはずのヴィクトールが、どうしてこんな場所に閉じ込められているのだろうか。この世界にいた最後の記憶が、ヴィクトールに抱き締められながら瞼を閉ざしたところで終わっている。

 サクラがすべてを忘れて元の世界で暮らしていたこの五年の間に、ヴィクトールは──

「サクラ様、今開けますのでお待ちください」 

 サクラの顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていく中、リリーはトレーを片手に握ったまま門番から受け取った鍵を挿し込む。
 カチッ、と施錠が外れたのと同時に、金属同士が擦れ合う鋭い音を立てて扉が開いた。

「ヴィクトール!」

 サクラは扉の隙間から身体を捩じ込み、再び地面を踏み込む。

 ──そして。奥の壁側で鎖に縛られたヴィクトールに飛び付き、首に腕を回した。

「ヴィクトール、ヴィクトール……っ」

 逞しかった身体は、至るところに擦り傷と痣が浮かび上がっている。サクラは小刻みに震える腕の力を緩め、ヴィクトールの頬を両手で包み込んだ。

 サクラを見ているようで焦点が合っていない虚ろな瞳。わずかに開いた唇から吐かれる息は、温もりすら感じられない。

 (ヴィクトールに、一体なにが)

 魂を奪われた脱け殻のように成り果てた夫に、サクラは泣きながら口づける。長い時を経て久方ぶりに触れ合わせた唇は酷く冷たく、生気が感じられない。
 まるで死人と口づけを交わしているようだった。

「ひっ、うっ、んぐっ、ヴィクト、ル」

 痩せ細ってしまったヴィクトールの背中に腕を回す。
 元の世界に戻って、自分は家族に囲まれて幸せに暮らしていた。大切な人を忘れて生きていた傍らで、ヴィクトールはこの世界で、一人孤独に。

「ごめん、なさ、ごめんなさい、ヴィクトール……」

 どうか私を許してと、サクラは嗚咽混じりの声で懺悔する。
 ひっくひっくと背中を揺らしながら弱々しい力でヴィクトールを抱き締めたそのとき、サクラの髪を懐かしい感触が伝った。



「……サ、クラ?」



 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

傾国の聖女

恋愛
気がつくと、金髪碧眼の美形に押し倒されていた。 異世界トリップ、エロがメインの逆ハーレムです。直接的な性描写あるので苦手な方はご遠慮下さい(改題しました2023.08.15)

【完結】親に売られたお飾り令嬢は変態公爵に溺愛される

堀 和三盆
恋愛
 貧乏な伯爵家の長女として産まれた私。売れる物はすべて売り払い、いよいよ爵位を手放すか――というギリギリのところで、長女の私が変態相手に売られることが決まった。 『変態』相手と聞いて娼婦になることすら覚悟していたけれど、連れて来られた先は意外にも訳アリの公爵家。病弱だという公爵様は少し瘦せてはいるものの、おしゃれで背も高く顔もいい。  これはお前を愛することはない……とか言われちゃういわゆる『お飾り妻』かと予想したけれど、初夜から普通に愛された。それからも公爵様は面倒見が良くとっても優しい。  ……けれど。 「あんたなんて、ただのお飾りのお人形のクセに。だいたい気持ち悪いのよ」  自分は愛されていると誤解をしそうになった頃、メイドからそんな風にないがしろにされるようになってしまった。  暴言を吐かれ暴力を振るわれ、公爵様が居ないときには入浴は疎か食事すら出して貰えない。  そのうえ、段々と留守じゃないときでもひどい扱いを受けるようになってしまって……。  そんなある日。私のすぐ目の前で、お仕着せを脱いだ美人メイドが公爵様に迫る姿を見てしまう。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

【R18】騎士たちの監視対象になりました

ぴぃ
恋愛
異世界トリップしたヒロインが騎士や執事や貴族に愛されるお話。 *R18は告知無しです。 *複数プレイ有り。 *逆ハー *倫理感緩めです。 *作者の都合の良いように作っています。

あららっ、ダメでしたのねっそんな私はイケメン皇帝陛下に攫われて~あぁんっ妊娠しちゃうの♡~

一ノ瀬 彩音
恋愛
婚約破棄されて国外追放された伯爵令嬢、リリアーネ・フィサリスはとある事情で辺境の地へと赴く。 そこで出会ったのは、帝国では見たこともないくらいに美しく、 凛々しい顔立ちをした皇帝陛下、グリファンスだった。 彼は、リリアーネを攫い、強引にその身体を暴いて――!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【R18】聖女のお役目【完結済】

ワシ蔵
恋愛
平凡なOLの加賀美紗香は、ある日入浴中に、突然異世界へ転移してしまう。 その国には、聖女が騎士たちに祝福を与えるという伝説があった。 紗香は、その聖女として召喚されたのだと言う。 祭壇に捧げられた聖女は、今日も騎士達に祝福を与える。 ※性描写有りは★マークです。 ※肉体的に複数と触れ合うため「逆ハーレム」タグをつけていますが、精神的にはほとんど1対1です。

【完結】王子妃になりたくないと願ったら純潔を散らされました

ユユ
恋愛
毎夜天使が私を犯す。 それは王家から婚約の打診があったときから 始まった。 体の弱い父を領地で支えながら暮らす母。 2人は私の異変に気付くこともない。 こんなこと誰にも言えない。 彼の支配から逃れなくてはならないのに 侯爵家のキングは私を放さない。 * 作り話です

処理中です...