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第14話 父と義弟 ★アボット伯爵家side

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 時は少しだけ遡る。
 これは、セレーナたちがカナールの街に到着するよりも前の話――。





 家令に全ての指示を託したアボット伯爵は、デイヴィス子爵家を経由した後に、北東へと向かっていた。

 北東の関所ゲートでは、近々、隣のシュトロハイム王国との合同式典が開催される。先日、隣国と国交を開くための条約が結ばれたことを祝う、記念式典だ。
 シュトロハイム王国は、半年ほど前に内紛の完全終結を宣言した。現在は、若き新王主導のもと、内政、外交両面で改革を推し進めているところである。

 アボット伯爵は、その式典への参加のために国境への滞在を予定している、国王陛下に謁見するつもりだった。

「はあ。私の命も、あと僅か……か」

 ――伯爵は、爵位の返上を陛下に奏上するつもりであった。
 現在の財政事情では、これ以上、上位貴族としての体面を保つことができそうにない。

 謁見のことを考えると、気が重い。処刑の前に、胃に二つも三つも穴が空いてしまいそうだ。
 国王陛下から信頼のもとに託された大切な領地に、先祖代々守ってきた伯爵の爵位に――国王陛下の顔に、こんな形で泥を塗ってしまった。

 身内の恥は自らの不手際。だから、全て自分の責任である。アボット伯爵は処刑されるに違いない。

 だが、家族や使用人は別だ。
 ドリスには、次期子爵夫人になれる可能性を残してある。ライリーには、以前剣術指南に来ていた騎士に用意してもらった、王国騎士団への推薦状を置いてきた。
 二人とも、悪さをしなければ生活に困ることはないはずだ。

 あとはアマラだが、彼女は伯爵夫人という立場である。当然成人しているし、子どもたちと違って処罰の対象になる可能性が高い。
 だが、素直にゴーント侯爵を頼ることができれば、悪いようにはならないだろう。

 セレーナは……せめて無事に生きていてくれればと願う。
 いや、義賊で知られる怪盗シリルに依頼を出してでも、セレーナを手に入れようとするぐらいの依頼人だ。怪盗シリルの目にかなったということは、セレーナを痛い目に遭わせるのではなく、むしろ幸せにしてくれる誰かなのだろう――そう信じたい。

 伯爵領は、すぐに王家預かりとなるはずだ。
 アボット伯爵は、領民に重税を課すことなく、伯爵家の蓄えを崩しながらも王家への納税はしっかり続けていた。
 仕事は家令に全て引き継いできたし、領民たちには負担をかけずに済むだろう。

 ――皆の未来への道は、まだ閉ざされていない。
 それだけが、アボット伯爵にとっては、救いだった。





 セレーナの義弟ライリーが伯爵家を出発した夜から、四日目。
 ライリーは、母から与えられた宝石類や貴金属を少しずつ売りながら、一人で旅を続けていた。

 ライリーは最初、道中の街で根気強く情報を集めつつ、馬が疲れれば途中で乗り換え、南の方角を目指した。
 そしてついに、伯爵家から南に二日ほど進んだ街で、義姉の着ていた花嫁衣装が質屋に売られているのを発見したのだ。

 さらに、ライリーは二人と思われる人物を泊めたという宿を見つけた。二人は南に向かったという情報を得て、そのまま南を目指すことに。
 宿の主人が二人をよく覚えていて、怪盗シリルが茶色い髪と琥珀の瞳を持つ美男子だという情報を得られたのも、僥倖だった。
 ライリーは街の似顔絵師に依頼し、宿の主人から聞き取りながら、怪盗シリルとセレーナの似顔絵を描いてもらった。
 一瞬、怪盗シリルはどこかで見たことのあるような顔だと思ったが、いくら考えても、茶髪と琥珀の瞳の男には思い当たらない。

 シリルが街に降りたのは、空を飛ぶ手段を失ったためだろう――そう思ったライリーは、すぐ南にある次の街でも情報を探る。似顔絵は、ここですぐに役立った。
 案の定、その街でも二人が南の方へ向かって行ったという目撃証言を得る。ライリーは、そのまま南へと進むことにした。

 しかし、それより南の街では、いくら丹念に調べても、二人の情報は出てこなかった。さらに南に進んだところにある街でも同様だ。
 ライリーはようやく、彼らが街道を逸れたことを察した。

「南ではないとしたら、東か、西か……どっちだ?」

 食堂に入って休憩がてら、次の動きを考えていたライリーの耳に、聞き馴染みのある名前が飛び込んできた。

「――アボット伯爵家のお嬢様を、さらったらしいぞ」
「怪盗シリルって、人間も盗みの対象にするのか? 今までは物しか盗らなかっただろ。それも、悪どい奴ら相手にだけ」
「ああ。だからよ、ここだけの話――」

 その後に続く言葉は、ヒソヒソ声になってしまい、ライリーにはそれ以上聞こえなかった。

「あちらこちらで噂になってるな」

 よくよく考えれば、国内は怪盗シリルの噂で持ちきりだ。シリルがさらった花嫁、セレーナの容姿も、噂と共に拡散されている。
 ――ならば。

「……隣国か」

 怪盗シリルの噂が届かない隣国に逃げようとしているのではないか。ライリーは、ついに答えにたどり着いた。

「隣国に向かうなら、義姉さんたちはどちらかの関所ゲートを必ず通る」

 ライリーは空の食器を横にずらすと、カバンから地図を出してテーブルに広げた。

「南東の方が近いな。……でも、ピンと来ない」

 南東の関所ゲートに向かうなら、もう少し南方面への街道を進んでから、東に折れる方がいい。ここより手前で街道を逸れるのは、違和感がある。
 ライリーは、視線を地図の上方へと動かした。

「……北東の関所ゲート方面には、川があるのか。カナールの街から、船に乗るとしたら……、ん? カナール?」

 ライリーは、頭の中にカレンダーを思い浮かべる。
 明日の夜はカナールの街名物、聖カナール祭のランタン流しが行われる日だったはずだ。

「カナール……そういえば、書庫ライブラリーに置いてあった『世界のお祭り』の本……かなり長いこと、行方不明になっていたっけ」

 書庫の本が行方不明になった時は、大抵数日後に戻ってくるが、その本は何週間も戻ってこなかった。カラーイラスト付きの貴重な本だったから、よく覚えている。

「――あの本をずっと持っていたのは、義姉さんなんだろう? ドリス姉さんも母上も、義父上も、本なんてほとんど読まないもの。なら……」

 ライリーは、地図を手早く片付け、テーブルに会計を置く。

「カナールの街まで、急げば二日。頑張れば、祭りの翌日の船に間に合いそうだ。待っててね――義姉さん。僕がその小悪党を捕まえてあげる」

 ライリーは食堂を出ると、暗い紫の瞳を北東の方角へと向け、小さく口端を上げた。

「――義姉さんの絶望した表情。涙と憎しみで、綺麗な顔が歪む。そして、怒りをたたえた瞳で、僕を、僕だけを見据えるんだ」

 いつも無表情のライリーの顔が、笑みの形に歪んでいく。ライリーは、用意しておいたフード付きのローブをカバンから取り出し、手に取る。

「……ああ、早く見たいなあ」

 ローブを持つ指に、徐々に力が込められていく。その恍惚とした瞳の奥には、歪んだ想いが果てなく渦を巻いていた。


 ――それから二日後。
 ライリーは、カナールの街で剣に毒を塗ると、フード付きのローブを上から被り、船に乗り込んだのだった。

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