上 下
14 / 21

第13話 毒

しおりを挟む

「あぶないっ!」

 船を降りようとしていたところで、後ろに並んでいたフードの男が、突然ジーンに斬りかかってきた。
 セレーナはとっさに、ジーンを突き飛ばす。

「……っ!」

 ジーンの心臓をめがけて突き出された剣は、セレーナの機転によって胸から逸れ、代わりにセレーナの腕を浅く切り裂いたのだった。

「セラっ!」
「ジーン……無事……、よかっ」
「セラ! おい、セラ!」

 ごく浅い傷だったのに、セレーナの体は力を失い、弛緩していく。ジーンの声かけもむなしく、セレーナは意識を失った。

「あぁん、やだぁん! 乗組員さーん、ここ、怖い人がいますよぉん!」

 曲者は、くずおれるセレーナをジーンが抱き留めている隙に、あっという間にリチャードによって制圧されていた。
 リチャードが声を上げると、船の乗組員が急いで衛兵に連絡し、船で使用している縄を持って走ってくる。

 床に転がっている剣――その刃の一部は、赤く染まっていた。血のついていない部分は、ぬらりと淡い紫色に濡れている。

「毒か……! おい、ダブ!」
「わかってる。急いでロイド先生に、薬お願いしてくる」

 ダブは、ワンピースの裾を切り裂くと、剣についていた毒をぬぐって、布を丸める。丸めた布を袋に入れ、首元に固く縛り付けると、船の甲板に出た。
 そして、ダブは、大空に向かって迷いなく跳躍する。
 次の瞬間、ダブの姿は消え、代わりに美しい赤い瞳の白鳩が、空を羽ばたいて行ったのだった。

「セラ……今、応急処置を……!」

 ジーンは、セレーナの傷口を指で押して、毒を絞りだそうとする。しかし、手が震えて、なかなかうまくいかない。

「くそっ!」

 ジーンはテーブルの上から水の入ったピッチャーを取り、傷口を洗う。そして、セレーナの腕の傷に、口を付けた。

「だめよん! 毒を吸い出すなんて、危険よぉ!」

 リチャードが制止しているが、ジーンはやめなかった。
 危険なのはわかっている。しかし、セレーナにもしものことがあったら……、彼女のいない世界で、自分は生きていく意味などない。

 ジーンは傷口から毒を吸い出し、口をゆすぐことを繰り返した。そうしているうちに、ジーン自身の意識も、朦朧としはじめ――ついに、セレーナに覆い被さるように、倒れてしまったのだった。


◇◆◇


 ジーンは、十年ほど前に、シュトロハイム王国からノルベルト王国へ逃れてきた難民だった。
 当時のシュトロハイム王国では、まだ王位争いも内紛も起きていなかったものの、愚王による悪政が続き、民は疲弊していた。ジーンは、母親や仲間たちに連れられ、アボット伯爵領までたどり着いたのだ。

 しかし当時、アボット伯爵領では、流行り病が猛威を振るっていた。栄養状態の悪い難民たちは、流行り病に罹ると、為す術もなくばたばたと倒れていく。
 そんな中、ジーンは病からいち早く回復した。難民たちの中でも大切にされ、栄養状態も衛生状態も良かったためだろう。
 ジーンは、苦しむ仲間たちを見て、なんとか薬を手に入れられないかと画策する。そうして取った行動が、アボット伯爵家を訪れ、難民の保護と薬の融通を依頼しようというものであった。

 だが。
 訪れたアボット伯爵家も、悲劇のただ中にあった。
 セレーナの実母である伯爵夫人が、数日前に、流行り病で命を落としたばかりだったのだ。
 夜の帳が下りようとしている中、ジーンは門番に追い返され、地べたに座り込み、自分の無力さを嘆いた。

 そんなとき。
 門番に追い返されたジーンに直接声をかけ、屋敷に招き入れてくれたのが、自分も悲しみの最中さなかにいたはずのセレーナだった。

 セレーナはジーンの話を親身になって聞き、共感し、励まし、「自分が父を説得する」と言ってくれた。
 そしてその間、ジーンを風呂に入れさせ、温かいスープを施し、夜が明けるまでベッドを貸してくれたのだ。何も持たない、ただの難民の、無力な少年に。

 結局その後、流行り病には特効薬がないということで、ジーンは一旦難民たちの元へと帰された。
 しかし、セレーナはアボット伯爵に難民の受け入れを進言してくれた。アボット伯爵は、みなの病が治り次第、伯爵家の農地を与え、住民として正式に迎えることを、ジーンに約束してくれたのだった。
 その結果、流行り病から回復した難民たちは、新たな安住の地を手に入れることとなる。

 ジーンの、セレーナに恩を返したいという気持ちは、日に日に強くなっていった。
 そしてジーンは、アボット伯爵家で使用人として雇ってもらうことを決意する。ジーンの母親も、他の難民たちも、みなジーンの背中を押してくれたのだった。

 ジーンは、後にセレーナに尋ねた。あのとき、なぜ自分と仲間たちに施しをしてくれたのか、と。
 セレーナは、優しい表情で、こう答えた。

「わたしのお母様も、何もしてあげられないまま、流行り病で亡くなったわ。だから、ジーンの境遇が他人事と思えなかった。あなたに、守りたい人を守れなくて、後悔してほしくなかったの」――と。

 ジーンは、セレーナ専属の使用人として志願した。
 彼女に主従関係を超えた友情を、そしてそれ以上の思慕を抱き始めるまで、時間はかからなかった。

 自分と、母親、そして仲間たちに生きる場所を与えてくれたセレーナには、一生を捧げても返しきれない恩がある。
 ジーンは、何があろうと、セレーナを必ず守り通すという誓いを、自身に立てた。

 そしてその誓いの炎は、人買いの商人によって隣国へ連れて行かれることになっても、決して消えることなく燃え続けていた。
 いつか自分が力を得たら、大切な人を必ず救いに行く――そのために、この争乱の世を、必ず生き延びるのだと。

 だからジーンは、歯を食いしばって、生き延びた。誓いがあったから、生き延びられた。
 ――守りたい人を守れなくて、後悔することのないように。


◇◆◇
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】ひとりで異世界は寂しかったのでペット(男)を飼い始めました

桜 ちひろ
恋愛
最近流行りの異世界転生。まさか自分がそうなるなんて… 小説やアニメで見ていた転生後はある小説の世界に飛び込んで主人公を凌駕するほどのチート級の力があったり、特殊能力が!と思っていたが、小説やアニメでもみたことがない世界。そして仮に覚えていないだけでそういう世界だったとしても「モブ中のモブ」で間違いないだろう。 この世界ではさほど珍しくない「治癒魔法」が使えるだけで、特別な魔法や魔力はなかった。 そして小さな治療院で働く普通の女性だ。 ただ普通ではなかったのは「性欲」 前世もなかなか強すぎる性欲のせいで苦労したのに転生してまで同じことに悩まされることになるとは… その強すぎる性欲のせいでこちらの世界でも25歳という年齢にもかかわらず独身。彼氏なし。 こちらの世界では16歳〜20歳で結婚するのが普通なので婚活はかなり難航している。 もう諦めてペットに癒されながら独身でいることを決意した私はペットショップで小動物を飼うはずが、自分より大きな動物…「人間のオス」を飼うことになってしまった。 特に躾はせずに番犬代わりになればいいと思っていたが、この「人間のオス」が私の全てを満たしてくれる最高のペットだったのだ。

【R18】溺愛される公爵令嬢は鈍すぎて王子の腹黒に気づかない

かぐや
恋愛
公爵令嬢シャルロットは、まだデビューしていないにも関わらず社交界で噂になる程美しいと評判の娘であった。それは子供の頃からで、本人にはその自覚は全く無いうえ、純真過ぎて幾度も簡単に拐われかけていた。幼少期からの婚約者である幼なじみのマリウス王子を始め、周りの者が シャルロットを護る為いろいろと奮闘する。そんなお話になる予定です。溺愛系えろラブコメです。 女性が少なく子を増やす為、性に寛容で一妻多夫など婚姻の形は多様。女性大事の世界で、体も中身もかなり早熟の為13歳でも16.7歳くらいの感じで、主人公以外の女子がイケイケです。全くもってえっちでけしからん世界です。 設定ゆるいです。 出来るだけ深く考えず気軽〜に読んで頂けたら助かります。コメディなんです。 ちょいR18には※を付けます。 本番R18には☆つけます。 ※直接的な表現や、ちょこっとお下品な時もあります。あとガッツリ近親相姦や、複数プレイがあります。この世界では家族でも親以外は結婚も何でもありなのです。ツッコミ禁止でお願いします。 苦手な方はお戻りください。 基本、溺愛えろコメディなので主人公が辛い事はしません。

わたしはお払い箱なのですね? でしたら好きにさせていただきます

柚木ゆず
恋愛
「聖女シュザンヌ。本日を以て聖女の任を解く」  異世界から現れた『2人目の聖女』佐々岡春奈様が、現聖女であるわたしの存在を快く思わなかったこと。アントナン王太子殿下が佐々岡様に恋をされ、2人目ではなく唯一無二の聖女になりたがった佐々岡様の味方をしたこと。  それらによってわたしは神殿を追い出され、聖女解任による悪影響――聖女の恩恵を得られなくなったことにより、家族の怒りを買って実家も追い出されることとなりました。  そうしてわたしはあっという間にあらゆるものを失ってしまいましたが、それによって得られるものもありました。  聖女の頃はできなかった、国外への移動。そちらを行い、これから3年越しの約束を果たしに行きたいと思います。  初恋の人に――今でも大好きな方に、会いに行きたいと思います。  ※体調の影響で以前のようなペースでお礼(お返事)ができないため、5月28日より一旦(体調がある程度回復するまで)感想欄を閉じさせていただきます。  申し訳ございません。

義兄に告白されて、承諾したらトロ甘な生活が待ってました。

アタナシア
恋愛
母の再婚をきっかけにできたイケメンで完璧な義兄、海斗。ひょんなことから、そんな海斗に告白をされる真名。 捨てられた子犬みたいな目で告白されたら断れないじゃん・・・!! 承諾してしまった真名に 「ーいいの・・・?ー ほんとに?ありがとう真名。大事にするね、ずっと・・・♡」熱い眼差を向けられて、そのままーーーー・・・♡。

私があなたを好きだったころ

豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」 ※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。

いくら時が戻っても

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
大切な書類を忘れ家に取りに帰ったセディク。 庭では妻フェリシアが友人二人とお茶会をしていた。 思ってもいなかった妻の言葉を聞いた時、セディクは――― 短編予定。 救いなし予定。 ひたすらムカつくかもしれません。 嫌いな方は避けてください。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

もしも○○だったら~らぶえっちシリーズ

中村 心響
恋愛
もしもシリーズと題しまして、オリジナル作品の二次創作。ファンサービスで書いた"もしも、あのキャラとこのキャラがこうだったら~"など、本編では有り得ない夢の妄想短編ストーリーの総集編となっております。 ※ 作品 「男装バレてイケメンに~」 「灼熱の砂丘」 「イケメンはずんどうぽっちゃり…」 こちらの作品を先にお読みください。 各、作品のファン様へ。 こちらの作品は、ノリと悪ふざけで作者が書き散らした、らぶえっちだらけの物語りとなっております。 故に、本作品のイメージが崩れた!とか。 あのキャラにこんなことさせないで!とか。 その他諸々の苦情は一切受け付けておりません。(。ᵕᴗᵕ。)

いいえ、望んでいません

わらびもち
恋愛
「お前を愛することはない!」 結婚初日、お決まりの台詞を吐かれ、別邸へと押し込まれた新妻ジュリエッタ。 だが彼女はそんな扱いに傷つくこともない。 なぜなら彼女は―――

処理中です...