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第10話 義妹と継母 ★アボット伯爵家side

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 使用人がほとんどいなくなってしまった、アボット伯爵家のダイニング。
 しおれ始めた花が寂しく飾られている、無駄に広いテーブルに、一人分の食事が運ばれてきた。使用人が蓋を開けると、食欲をそそるいい香りが漂ってくる。
 しかし、セレーナの義妹ドリスは、席から立ち上がり、癇癪かんしゃくを起こした。

「どういうことなのよっ! わたくしの食事に、なんでこんな粗末な物しか出てこないの!?」
「も、申し訳ございません。買い出し担当の者がセレーナお嬢様の捜索に出ているために、食材が尽きてしまいまして」
「言い訳はおよし! シェフを呼びなさい!」
「それが実は……」

 口ごもる使用人を見て、ドリスの怒りのボルテージはさらに上がっていく。

「なによ! はっきり言いなさい!」
「シェ、シェフは昨日、自分で買い出しに出かけると申していたのですが、それから戻ってこなくて……」
「まったく、どいつもこいつも無能な役立たずね……! 今日は外のレストランでいただくわ、早く支度をなさい」

 ドリスはヒールを踏みならしながら、うっすらと埃が積もり始めているダイニングを出て行った。

「……こんな粗末な物、か。それでも俺たち使用人が食ってる飯や、セレーナお嬢様にわかるように残しておいた飯なんかより、よっぽどいい物なんだがなあ」

 ダイニングに残された使用人は、ドリスの座っていた椅子に腰を下ろす。

 ドリスは知らないだろうが、厩舎ももうすっかり空っぽなのだ。今頃は馬たちも、元厩番うまやばんや元御者の実家で、のんびり草でも食んでいるだろう。
 自分の足で歩くことも知らない世間知らずのお嬢様には、街まで出かけることなんて出来やしない。使用人の男は、全く手もつけずに残っていた食事を、先程からしきりに空腹を訴えていた自身の胃に収め始める。

 男はあっという間に食事を終えると、「出遅れちまったなあ」とぼやきながら、すでにまとめておいた荷物を取りに、自分の部屋へ戻ったのだった。





 伯爵夫人アマラは、デイヴィス子爵の屋敷へと向かっていた。
 とはいえ、小憎らしい義娘セレーナの捜索のために屋敷の馬は全て出払っており、自身で乗合馬車の停車場に向かわなくてはならなかった。それもまたアマラを苛立たせている要因の一つだ。

「なぜわたくしが庶民と同じ馬車に乗らねばならぬのです。それも、わたくしの方から子爵ごときの家に向かわねばならぬなど……!」

 普段のアマラであれば、馬が出払っているなら――実際には、アマラが外出するのに馬が出払うことはあり得ないが――個人用の馬車を屋敷に呼び、目的地まで直接乗りつけることだろう。だが、あいにくアマラは現在、自由に使える金をあまり持っていない。
 金がなくなったからこそデイヴィス子爵家にセレーナを売り、結婚支度金を手に入れた。だから、その結婚がなくなった現在は、今までのように自由に金を使うことができないのだ。

「それもこれも全て、あの無能な夫が余計なことをするから……!」

 アボット伯爵は、アマラ宛に手紙を一通残して、姿を消してしまった。
 その手紙には、こう書かれていたのだ。

『セレーナの代わりにドリスを嫁がせることができないか、デイヴィス子爵に頼んでみようと思う。うまくいけば結婚支度金の返済も、慰謝料の支払いも免れるだろう。なるべく早く結婚を決めてもらえるよう、私から子爵に直接頼んでおく。それと、アボット伯爵家の金庫は、知っての通り、もはや空だ。いい加減自分の親ゴーント侯爵を頼ってみてはどうかね』

「わたくしが親を頼るですって? そんなみっともないこと、できるわけがないでしょう。お父様とお母様に、がっかりされてしまうわ」

 アマラは両親に過保護なほど溺愛されて育った。
 両親を頼り、失望されてしまうのが何よりも怖くて、手紙のやり取りをする際も、良いことしか書き記してこなかった。
 社交の場に行く際には、伯爵夫人の身分には不相応な高価なドレスやアクセサリーを身につけ、両親を安心させるようにしていた。

 それなのに、可愛い孫が、評判の悪い成金子爵家の息子なんぞに嫁いだりしたら、侯爵は失望どころか激怒してしまうだろう。

「ドリスの結婚は、絶対に阻止してみせるわ」

 ようやく到着した子爵家の少し手前で、アマラは独り言をやめ、手鏡でサッと身だしなみを整える。高貴な微笑みを顔に張り付けて、門の前まで歩み寄った。

「ごきげんよう。わたくし、アボット伯爵家のアマラよ。デイヴィス子爵に取り次ぎなさい」
「先触れをいただいておりませんが、身分を証明するものをお持ちですか」
「まあ、このわたくしを見てわからないの? この美しいわたくし自身が、わたくしがわたくしであることの証明よ! いいから早く中へ通しなさい。疲れているの」

 アマラは伯爵夫人らしく優雅に・・・門番へ話しかけ、取り次ぎを求めた。
 門番は顔をしかめ、護衛という建前の見張りをつけて、応接室へアマラを通したのだった。


 ややあって、子爵が応接室を訪れる。
 先触れがなかった割に対応が早かったのは、事前にアボット伯爵から『アマラが数日以内に訪ねてくるかもしれない』と聞いていたからだ。
 それに、アマラを長く待たせると、確実に余計な弾が飛んでくる。子爵は、それが面倒だったのだ。

「ご夫人、本日は如何されましたかな? 先触れもなくお越しになるとは――」
「デイヴィス子爵。一体どういうことですの?」
「どういう、とは」
「とぼけないで下さる? ドリスの件よ」

 アマラは、デイヴィス子爵が入室しても、ソファーから立ちあがろうともしない。それどころか、挨拶もそこそこに、子爵に噛みついてきた。
 デイヴィス子爵は、密かに息を吐いて、向かいのソファーに腰掛ける。

「……アボット伯爵から、ドリス嬢をセレーナ嬢の代わりに、うちの息子の嫁にどうかと打診をいただきました。その件でしょうか」
「ええ、そうよ。単刀直入に申し上げますわ。ドリスとの縁談は、白紙に戻していただけませんこと?」
「……あなたは、ご自身のお立場を理解なさっているのですか? こんなことを申し上げたくはないのだが、貴家は当家に借金がある状態なのですぞ?」

 デイヴィス子爵の眉間に皺が寄る。対するアマラは、表情を変えない。

「ええ、わかっているつもりですわ。セレーナが戻れば万事解決ではございませんの?」
「本当に、そう思っておいでか?」
「違いますの? そもそも、ドリスの母親はわたくしですのよ。なのに、血の繋がらない無能な夫が、勝手に縁談をまとめる権利などないでしょう?」
「……あなたがそれをおっしゃるか」

 デイヴィス子爵は、もはや隠しもせずにため息をついた。アマラは、不機嫌になって言い募る。

「あら、どういう意味かしら。わたくしが女だから、口を出す権利を持たないとでも? わたくしがどれほど努力して――」
「いや、そうではない。私は賢く誠意ある女性尊敬しているし、男か女かの話は、ここでは関係のないことだ」
「ではなんですの?」
「まだ気付かぬか。あなたの方こそセレーナ嬢と血が繋がっていないではないか。であれば、あなたにもセレーナ嬢の縁談を勝手に決める権利などないはずだが」
「いいえ」

 もはや丁寧な言葉遣いをする気もなくなったデイヴィス子爵の言葉を、アマラは自身たっぷりに否定した。

「わたくしは、伯爵家の女主人。家の全ての采配は、わたくしが決めるのよ」
「……もう結構だ。あなたと話していると、反吐が出る。アボット伯爵には悪いが、私にあなた方を救ってやる義務も義理もない。もう二度と来ないでくれ」

 デイヴィス子爵は、額に青筋を浮かべながら、応接室から出て行った。
 アマラは、可愛い娘の縁談を阻止したことに満足し、子爵家を後にしたのだった。
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