上 下
11 / 21

第10話 義妹と継母 ★アボット伯爵家side

しおりを挟む
 使用人がほとんどいなくなってしまった、アボット伯爵家のダイニング。
 しおれ始めた花が寂しく飾られている、無駄に広いテーブルに、一人分の食事が運ばれてきた。使用人が蓋を開けると、食欲をそそるいい香りが漂ってくる。
 しかし、セレーナの義妹ドリスは、席から立ち上がり、癇癪かんしゃくを起こした。

「どういうことなのよっ! わたくしの食事に、なんでこんな粗末な物しか出てこないの!?」
「も、申し訳ございません。買い出し担当の者がセレーナお嬢様の捜索に出ているために、食材が尽きてしまいまして」
「言い訳はおよし! シェフを呼びなさい!」
「それが実は……」

 口ごもる使用人を見て、ドリスの怒りのボルテージはさらに上がっていく。

「なによ! はっきり言いなさい!」
「シェ、シェフは昨日、自分で買い出しに出かけると申していたのですが、それから戻ってこなくて……」
「まったく、どいつもこいつも無能な役立たずね……! 今日は外のレストランでいただくわ、早く支度をなさい」

 ドリスはヒールを踏みならしながら、うっすらと埃が積もり始めているダイニングを出て行った。

「……こんな粗末な物、か。それでも俺たち使用人が食ってる飯や、セレーナお嬢様にわかるように残しておいた飯なんかより、よっぽどいい物なんだがなあ」

 ダイニングに残された使用人は、ドリスの座っていた椅子に腰を下ろす。

 ドリスは知らないだろうが、厩舎ももうすっかり空っぽなのだ。今頃は馬たちも、元厩番うまやばんや元御者の実家で、のんびり草でも食んでいるだろう。
 自分の足で歩くことも知らない世間知らずのお嬢様には、街まで出かけることなんて出来やしない。使用人の男は、全く手もつけずに残っていた食事を、先程からしきりに空腹を訴えていた自身の胃に収め始める。

 男はあっという間に食事を終えると、「出遅れちまったなあ」とぼやきながら、すでにまとめておいた荷物を取りに、自分の部屋へ戻ったのだった。





 伯爵夫人アマラは、デイヴィス子爵の屋敷へと向かっていた。
 とはいえ、小憎らしい義娘セレーナの捜索のために屋敷の馬は全て出払っており、自身で乗合馬車の停車場に向かわなくてはならなかった。それもまたアマラを苛立たせている要因の一つだ。

「なぜわたくしが庶民と同じ馬車に乗らねばならぬのです。それも、わたくしの方から子爵ごときの家に向かわねばならぬなど……!」

 普段のアマラであれば、馬が出払っているなら――実際には、アマラが外出するのに馬が出払うことはあり得ないが――個人用の馬車を屋敷に呼び、目的地まで直接乗りつけることだろう。だが、あいにくアマラは現在、自由に使える金をあまり持っていない。
 金がなくなったからこそデイヴィス子爵家にセレーナを売り、結婚支度金を手に入れた。だから、その結婚がなくなった現在は、今までのように自由に金を使うことができないのだ。

「それもこれも全て、あの無能な夫が余計なことをするから……!」

 アボット伯爵は、アマラ宛に手紙を一通残して、姿を消してしまった。
 その手紙には、こう書かれていたのだ。

『セレーナの代わりにドリスを嫁がせることができないか、デイヴィス子爵に頼んでみようと思う。うまくいけば結婚支度金の返済も、慰謝料の支払いも免れるだろう。なるべく早く結婚を決めてもらえるよう、私から子爵に直接頼んでおく。それと、アボット伯爵家の金庫は、知っての通り、もはや空だ。いい加減自分の親ゴーント侯爵を頼ってみてはどうかね』

「わたくしが親を頼るですって? そんなみっともないこと、できるわけがないでしょう。お父様とお母様に、がっかりされてしまうわ」

 アマラは両親に過保護なほど溺愛されて育った。
 両親を頼り、失望されてしまうのが何よりも怖くて、手紙のやり取りをする際も、良いことしか書き記してこなかった。
 社交の場に行く際には、伯爵夫人の身分には不相応な高価なドレスやアクセサリーを身につけ、両親を安心させるようにしていた。

 それなのに、可愛い孫が、評判の悪い成金子爵家の息子なんぞに嫁いだりしたら、侯爵は失望どころか激怒してしまうだろう。

「ドリスの結婚は、絶対に阻止してみせるわ」

 ようやく到着した子爵家の少し手前で、アマラは独り言をやめ、手鏡でサッと身だしなみを整える。高貴な微笑みを顔に張り付けて、門の前まで歩み寄った。

「ごきげんよう。わたくし、アボット伯爵家のアマラよ。デイヴィス子爵に取り次ぎなさい」
「先触れをいただいておりませんが、身分を証明するものをお持ちですか」
「まあ、このわたくしを見てわからないの? この美しいわたくし自身が、わたくしがわたくしであることの証明よ! いいから早く中へ通しなさい。疲れているの」

 アマラは伯爵夫人らしく優雅に・・・門番へ話しかけ、取り次ぎを求めた。
 門番は顔をしかめ、護衛という建前の見張りをつけて、応接室へアマラを通したのだった。


 ややあって、子爵が応接室を訪れる。
 先触れがなかった割に対応が早かったのは、事前にアボット伯爵から『アマラが数日以内に訪ねてくるかもしれない』と聞いていたからだ。
 それに、アマラを長く待たせると、確実に余計な弾が飛んでくる。子爵は、それが面倒だったのだ。

「ご夫人、本日は如何されましたかな? 先触れもなくお越しになるとは――」
「デイヴィス子爵。一体どういうことですの?」
「どういう、とは」
「とぼけないで下さる? ドリスの件よ」

 アマラは、デイヴィス子爵が入室しても、ソファーから立ちあがろうともしない。それどころか、挨拶もそこそこに、子爵に噛みついてきた。
 デイヴィス子爵は、密かに息を吐いて、向かいのソファーに腰掛ける。

「……アボット伯爵から、ドリス嬢をセレーナ嬢の代わりに、うちの息子の嫁にどうかと打診をいただきました。その件でしょうか」
「ええ、そうよ。単刀直入に申し上げますわ。ドリスとの縁談は、白紙に戻していただけませんこと?」
「……あなたは、ご自身のお立場を理解なさっているのですか? こんなことを申し上げたくはないのだが、貴家は当家に借金がある状態なのですぞ?」

 デイヴィス子爵の眉間に皺が寄る。対するアマラは、表情を変えない。

「ええ、わかっているつもりですわ。セレーナが戻れば万事解決ではございませんの?」
「本当に、そう思っておいでか?」
「違いますの? そもそも、ドリスの母親はわたくしですのよ。なのに、血の繋がらない無能な夫が、勝手に縁談をまとめる権利などないでしょう?」
「……あなたがそれをおっしゃるか」

 デイヴィス子爵は、もはや隠しもせずにため息をついた。アマラは、不機嫌になって言い募る。

「あら、どういう意味かしら。わたくしが女だから、口を出す権利を持たないとでも? わたくしがどれほど努力して――」
「いや、そうではない。私は賢く誠意ある女性尊敬しているし、男か女かの話は、ここでは関係のないことだ」
「ではなんですの?」
「まだ気付かぬか。あなたの方こそセレーナ嬢と血が繋がっていないではないか。であれば、あなたにもセレーナ嬢の縁談を勝手に決める権利などないはずだが」
「いいえ」

 もはや丁寧な言葉遣いをする気もなくなったデイヴィス子爵の言葉を、アマラは自身たっぷりに否定した。

「わたくしは、伯爵家の女主人。家の全ての采配は、わたくしが決めるのよ」
「……もう結構だ。あなたと話していると、反吐が出る。アボット伯爵には悪いが、私にあなた方を救ってやる義務も義理もない。もう二度と来ないでくれ」

 デイヴィス子爵は、額に青筋を浮かべながら、応接室から出て行った。
 アマラは、可愛い娘の縁談を阻止したことに満足し、子爵家を後にしたのだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

My HERO

饕餮
恋愛
脱線事故をきっかけに恋が始まる……かも知れない。 ハイパーレスキューとの恋を改稿し、纏めたものです。 ★この物語はフィクションです。実在の人物及び団体とは一切関係ありません。

虐げられ続けてきたお嬢様、全てを踏み台に幸せになることにしました。

ラディ
恋愛
 一つ違いの姉と比べられる為に、愚かであることを強制され矯正されて育った妹。  家族からだけではなく、侍女や使用人からも虐げられ弄ばれ続けてきた。  劣悪こそが彼女と標準となっていたある日。  一人の男が現れる。  彼女の人生は彼の登場により一変する。  この機を逃さぬよう、彼女は。  幸せになることに、決めた。 ■完結しました! 現在はルビ振りを調整中です! ■第14回恋愛小説大賞99位でした! 応援ありがとうございました! ■感想や御要望などお気軽にどうぞ! ■エールやいいねも励みになります! ■こちらの他にいくつか話を書いてますのでよろしければ、登録コンテンツから是非に。 ※一部サブタイトルが文字化けで表示されているのは演出上の仕様です。お使いの端末、表示されているページは正常です。

分厚いメガネを外した令嬢は美人?

しゃーりん
恋愛
極度の近視で分厚いメガネをかけている子爵令嬢のミーシャは家族から嫌われている。 学園にも行かせてもらえず、居場所がないミーシャは教会と孤児院に通うようになる。 そこで知り合ったおじいさんと仲良くなって、話をするのが楽しみになっていた。 しかし、おじいさんが急に来なくなって心配していたところにミーシャの縁談話がきた。 会えないまま嫁いだ先にいたのは病に倒れたおじいさんで…介護要員としての縁談だった? この結婚をきっかけに、将来やりたいことを考え始める。 一人で寂しかったミーシャに、いつの間にか大切な人ができていくお話です。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

【完結】この地獄のような楽園に祝福を

おもち。
恋愛
いらないわたしは、決して物語に出てくるようなお姫様にはなれない。 だって知っているから。わたしは生まれるべき存在ではなかったのだと…… 「必ず迎えに来るよ」 そんなわたしに、唯一親切にしてくれた彼が紡いだ……たった一つの幸せな嘘。 でもその幸せな夢さえあれば、どんな辛い事にも耐えられると思ってた。 ねぇ、フィル……わたし貴方に会いたい。 フィル、貴方と共に生きたいの。 ※子どもに手を上げる大人が出てきます。読まれる際はご注意下さい、無理な方はブラウザバックでお願いします。 ※この作品は作者独自の設定が出てきますので何卒ご了承ください。 ※本編+おまけ数話。

婚約者を友人に奪われて~婚約破棄後の公爵令嬢~

tartan321
恋愛
成績優秀な公爵令嬢ソフィアは、婚約相手である王子のカリエスの面倒を見ていた。 ある日、級友であるリリーがソフィアの元を訪れて……。

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~

瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)  ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。  3歳年下のティーノ様だ。  本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。  行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。  なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。  もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。  そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。  全7話の短編です 完結確約です。

処理中です...