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第3話 ドレスの行方
しおりを挟む柔らかな朝の光が、カーテンの隙間から差し込む。
眠っている間ずっと、セレーナはどこか懐かしい香りに包まれていた。そのせいか、昔の夢を見たような気もする。
だが、夢は朝の光と入れ替わるように消えてゆき、もはやはっきりと思い出すことはできなかった。
セレーナは、長いまつげを震わせながら、ぼんやりと目を開ける。
目の前に飛び込んできたのは、同じベッドで穏やかに寝息を立てている、無防備な美男子の寝顔だった。
「…………ひぇっ!?」
セレーナは素っ頓狂な声を上げ、がばりと身を起こした。
布団がずり落ちて、セレーナは自分の姿を確認する。セレーナはいつの間にか、ドレスを脱ぎ去り、下着姿になっていた。
「……ど、ど、ドレス着てないっ? 嘘でしょう……!?」
「んん……もう朝か」
上半身裸でセレーナの隣に寝ていたシリルが、煩わしそうに眉をしかめる。セレーナの騒ぎ声で目覚めたらしい。
「どどど、どうして同じベッドに!? わたし、なんで脱いで……っ、て、そっちも上着てないのなんで!?」
「なんだよ、朝からうるさいな」
セレーナは大混乱である。
シリルはゆっくりと身体を起こすと、あくびを噛み殺して伸びをした。服を着ていた時は細身に見えたが、鍛え上げられた身体つきだ。
セレーナは目のやり場に困り、布団を引っ張って赤面する。
「ちょっとあなた! 状況を説明しなさい!」
「状況? それなら昨日森の中で話せることは話しただろうが」
「そうじゃなくて! わたしのドレス、どこへやったの!?」
「ああ、それなら俺が脱がした」
「はぁ!?」
思わずセレーナは、布団から顔を出し、シリルの方を向いた。眼鏡を外したシリルの瞳は、朝の光のせいだろうか、金色に輝いて見える。
セレーナがわたわたと布団をかき集め、自分の体に巻き付けている間に、シリルは枕元に置いてあった眼鏡をかけ、カーテンを隙間なく閉め直した。室内照明の下で見る瞳の色はやはり琥珀色で、一瞬金色に見えたのは気のせいだったかと思い直す。
シリルは悪びれもせず、自分の上着を羽織る。昨日着ていたタキシードではなく、旅人の好んで着る軽装だ。
セレーナのドレスは、見えるところには置いていなかった。クローゼットの中かもしれないと思ったが、セレーナはシリルの前で肌を晒すのが嫌で、布団の中から這い出すことができない。
「ねえ、わたしの、着るもの」
「ん? ああ、そういや、ないんだっけ」
「ドレスは?」
「宿代に変わった」
「はぁ!? 売ったの!?」
「いいだろ、どうせあんなもん着て歩けねえし。あ、先に言っとくけど、もう燃料がほとんどねえから空は飛ばねえぞ」
持ち主の許可もなくドレスを売ったのは感心しないが、たしかにシリルの言うとおりだった。シンプルとはいえ、重くて真っ白なウェディングドレスは、旅をするのに一番向かない服装だろう。
どこに向かうのか知らないが、ドレスは早めに処分しておかないと、アボット伯爵家の関係者が追ってきた場合に見つかってしまう可能性もある。家に連れ戻されるのだけは勘弁だ。
あとは、シリルの隙を突いて逃げ出すだけ……そうしたら、どこかの街の修道院にでも保護してもらって、慎ましく穏やかに生きていくのもいいかと算段をつけていた。
「……まあ、ドレスのことは、仕方ないとして。それより、あなた、わたしに何もしてないでしょうね!?」
「あぁ? あんたみたいなガキに手ぇ出すほど困ってねえよ、バーカ」
「誰がガキよ、失礼ね! これでもわたし、十八歳。成人してるのよ!」
「はは、そうだった、そういや俺の二つ下だったか。わりぃわりぃ」
ここ、ノルベルト王国では、十八歳で成人を迎える。いくら童顔でも、セレーナはもう立派な大人だった。
対するシリルは、二十歳らしい。いなくなってしまった友達、ジーンと同い年だ。
ちなみにダブの方は、孤児だったらしく、年齢は覚えていないと言っていた。
「じゃあ、俺はあんたの服と下着を調達してくる。すぐ戻るから、ここで待ってろ」
「その……調達って、お金はあるの?」
「俺を誰だと思ってる。怪盗シリルにとっちゃあ、服と下着ぐらいちょちょいのちょいだぜ」
「盗むの?」
「そうだとしたら?」
シリルは、挑戦的に目を細めた。セレーナは、盗みなんてしないでほしいと思ったが、自分が言ってもシリルは言うことを聞かないだろう。
「……わたし、他人の使った下着は、つけたくないなあ」
「ぷっ、はははは! そっちかよ」
ちゃんと正当に入手してほしいと暗に願いを込めながら、とぼけたようにセレーナが告げると、シリルは吹き出した。
「わかった。ちゃんと新しいの買ってくるから、いい子で待ってろよ」
シリルは、ひとしきり笑うと、どこか優しい表情でセレーナに告げる。セレーナは、シリルがふいに見せたその表情に、不覚にもまたどきりとしてしまった。
けれど、次の瞬間には、シリルはまた不敵な表情に戻った。
「……ああ、そうそう。逃げたり、告げ口したりしたら、あんたにとっても良くないことになるからな」
「……もし誰かに言いつけたり、逃げたりしたら?」
「あんた、下着姿で外に出るつもりか? 痴女?」
「ちじょっ……!? 失礼ね! 誰のせいだと思ってるのよ!」
シリルの失礼なツッコミに、セレーナの顔はまたのぼせ上がる。シリルはセレーナの反応を見て、再び楽しそうに笑った。
笑った顔は無邪気で、なんだか少年のような印象だ。その笑顔が記憶の中の誰かに似ていて、セレーナは毒気を抜かれ、「もう」と唇を尖らせる。
「まあ、真面目に答えると――」
シリルは笑いをおさめると、セレーナの質問に答えた。先ほどまでの鋭さも抜け、だいぶ緩んだ表情になっている。
だが、彼の話す内容は、セレーナにとっては緩くもなんともないものだった。シリルは、セレーナの前に手を出し、指を一本ぴっと立てる。
「――まず、告げ口をした場合だが、その時点であんたの身元がバレるな。この街には昨日のニュースはまだ届いてねえみたいだが、国境を越えてねえから、噂はすぐ広まる。そうなりゃ、怪盗シリルが結婚式で花嫁を盗んだというニュースが届き次第、あんたはアボット伯爵家に連れ戻される。それは御免だろ?」
「……うん」
シリルの言ったように、セレーナにとって伯爵家に連れ戻されることは、最悪に近い展開である。ならばやはり、隙をみて逃げるしか――そう思ったところで、シリルは二本目の指を立てる。
「次に、あんたが逃げた場合。俺はすぐにあんたを見つける自信がある。だから逃げるだけ無駄だ」
「なによそれ、根拠は?」
「あんたは金も持ってない、売るものも持ってない、コネもない、特別な移動手段もない。一方、俺には情報屋がついてる。つまり、あんたは怪盗シリルの目からはどうやっても逃げられない」
「そんなの、やってみなきゃわからないじゃない」
旅商人に頼んで馬車に乗せてもらうとか、どこかの民家に匿ってもらうとか、うまくすればシリルから身を隠す手段はあるのでは。
セレーナはそう考え、ふふんと笑ってシリルを見下す。まあ、実際にはベッドの中から見上げているのだが。
「おっと、妙なこと考えるのはやめとけよ。箱入りのお嬢様が下手に他人と交渉なんぞしたら、いいようにされちまうに決まってる。まあ、もしそうなったとしても、必ず俺があんたを盗み出してやるけどな」
簡単に考えを見破られてしまったセレーナは、唇を尖らせた。一方のシリルは、切れ長の目をさらに細め、壁にもたれかかって自信たっぷりに腕を組んでいる。
シリルがここまで自分にこだわるのには、やはり依頼主が関係しているのだろうか。セレーナは、再び昨日と同じ質問をした。
「……シリルはどうして、わたしをさらったの? 一体、誰の依頼なの?」
「そいつはまだ言えねえ」
「じゃあ、いつ言ってくれるの?」
シリルは、形良い眉をギュッと寄せ、少しだけ考える素振りを見せた。そして――ぽつりと、低い声で呟く。
「――それは、あんた次第だな」
「わたし次第って? わたし、どうしたらいいの?」
シリルは、呆れたように首を振って、小さくため息をついた。セレーナは、彼がなぜそんな反応をするのか、見当もつかず首を傾げる。
「まあ、とにかく俺は出かけてくっから。大人しくしてろよ」
そう言い残すと、シリルは茶髪のウィッグを手早くつけて、出入り口の扉へと向かった。
「いいな、逃げんなよ。どうせあんたは、俺からは逃げられない運命なんだからな」
シリルはドアノブに手をかけると、振り返って言い捨て、そのまま扉を開けて出ていった。
「べーっだ」
こうして密かにあかんべえをするぐらいが、今のセレーナにできる精一杯の抵抗だった。けれど、その後の静寂が虚しくて、セレーナは自分の幼さと無力さに、ちょびっとだけ悲しくなった。
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