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終章 虹

第139話 「永遠の絆」

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 それから数日が経ち、私の『色』も元通りに回復した。
 あれからセオは、風の魔法を活用しつつ、文字通り忙しそうに飛び回っている。
 メーアも、アシカの妖精ししまるや部下たちを動かして、忙しそうに働いていた。

 一方、私とティエラはすっかり賓客ひんきゃく扱いだ。
 何か手伝おうとしても止められ、城下町に出ようにも護衛の騎士が付いてくるので、結局サロンや部屋でのんびりすることが多くなった。

 デビュタント・ボールに向けてダンスの練習を始めてみたり、ティエラに読み書きや計算を教えたり、一緒に遊んだり。

 色が回復してからは、文字以外の刺繍ししゅうにも挑戦してみたり、ティエラと一緒に宝石やアクセサリーの名前を覚えたりもしている。
 けれどルビーとスピネルの違いとか、サファイアとタンザナイトの違いとか、いまだによくわからない。
 宝石は奥が深い……などと悠長にしている場合ではなくて、今後社交に必要なことなので、わりと必死である。


 ティエラは、以前と違って人間らしくなってきたというか――眠そうな目はキラキラと輝き、よく笑ったり、話をしてくれるようになった。
 相変わらず睡眠時間は多いが、眠っている時に寝言で「ソフィア」とか「アリサ」とか呼んでいることがある。
 もしかしたら、ティエラの中に繋ぎ留められている四人の魂と、何か喋ったりしているのかもしれない。


「虹のねえね。きょうだいって、親子って、いいな」

 ティエラはある日突然、そんなことを言った。

「あたい、きょうだいも、親子も、知らない。師匠たち、ぶっきらぼうだった。食べ物、水、くれたけど、こうやって人と遊んだことなかった」

 ティエラは私と遊んだり、皇城の使用人と話したりするのがとにかく楽しいようだった。
 地底人ドワーフの坑道に生まれ落ちてから初めて、子供らしく過ごしているのだ。

「ねえね。『天空樹』が何とかなったら、あたい、ととがほしい。かかがほしい。友達がいっぱいほしい」

「ふふ、そうね。全て終わったら、ヒューゴ殿下に相談してみようか」

 ティエラは、このままなら『天空樹』のそば、ファブロ王国の国内に留まることになる。
 殿下の伝手で、養子をもらってくれる家を――あたたかい家庭を、探してもらうのがいいだろう。
 もしどうしても難しければ、義父母に頼んでみてもいい。

「虹のねえね。あたいがどこかの家の子になっても、虹のねえねと、空のにいには、ずっと、あたいのきょうだいでいてくれる?」

「もちろんだよ」

 私はティエラの頭を撫でて、思い切り抱きしめたのだった。
 この子も、絶対に無事でいてもらわなくてはならない――。


 ティエラがどういう経緯で『調香の巫女』を引き継いだのかも聞いた。
 私には、フローラがすんなり他人に力を継承するなんて、到底思えなかったのだ。
 その予想は半分正解だった。
 どうやらティエラは、フローラと取引をしたらしい。

 ティエラが『因果』の能力でフローラの身体の傷を癒す代わりに、『調香』の能力を引き継がせたのだそうだ。
 フローラの身体の傷が癒えると同時に、氷漬けの棺桶は砂になって消えてしまったという。
 フローラは憑き物が落ちたかのように清々しい表情で、それ以降、聖王国に護送されるまで、すっかり大人しい模範囚となったそうだ。


 聖王国の方はどうなっているかというと、やはり国の要人たちが突如姿を消したとあって、大騒ぎになっているようだ。
 王族唯一の神子として世界樹に多くの魔力を注いでいたセオ、巫女として世界樹のみならず様々な神事に携わっていた王妃ハルモニア。
 二人の損失は大きく、聖王国は大々的にセオと私、ティエラ、さらには姿を隠しているフレッドの情報も募りはじめたとのことである。

 ただ、ハルモニアとアルバートについては、聖王国は沈黙を貫いている。

 二人からは、後日直筆の手紙がメーアの元に届けられた。メーアの自室に、エルフの森に住む鳥の妖精が届けに来てくれたのだそうだ。
 封筒には二通の手紙が入っていて、一通はそのまま聖王国へ送るように書かれていたらしい。

 二人の失踪が聖王国でどういう風に処理されたのかは不明だが、これまで大々的に発表されることもなく、特に変わった動きも見えないとのことだ。

 また、ファブロ王国で捕らえられた罪人二人だが、やはり聖王家の関係者ということで、かなり甘い裁定が下ったようである。
 フローラは、牢からはもう出され、聖王城内なら自由に動ける許可を得たようだ。
 ただし、『調香の巫女』としての力を失った彼女は外部への連絡手段も失い、さらに自宅へ帰ることも含め、聖王城の外へ出るのを禁止されている。

 アイリスはフローラより少しだけ重い処分で、聖王城内の自室に半永久的に軟禁されることになった。
 彼女は部屋の外へ出るのも基本的には禁止、客人との面会も制限中らしい。
 アイリスは他国の王城で国防に関わる罪を犯したため、証拠不十分のフローラと同じように自由にさせるというのは、対外的に厳しかったのだろう。



 ちなみに、聖王国が必死で探しているフレッドだが――

「うむ、やっぱり帝都の海鮮料理はうまいのう。ワシ、ここに住みたい、ゆっくりしたい」

「お祖父様、わがまま言わないの。ほら、食事が終わったら次の街に行くよ」

「うう、孫がスパルタじゃ……」

 セオと一緒に、帝国や聖王国の色んな土地を巡っている。
 『天空樹』に注ぐ『魔力』を集めるためらしい。
 こうして時折帝都に戻ってきては、私やメーアと食事をしたり仮眠を取ったりして、すぐにまた出掛けてしまうのだ。
 ひとつの場所に長く留まらないのと、マクシミリアンよりも人望がある(本人談)ため、聖王国に行っても捕まるようなヘマはしないらしい。



 そんなある日、セオが一日だけ私のために時間を空けてくれた。
 『天空樹』のところへ行く前に、何か思い出を作りたいのだそうだ。

 手を繋いで、のんびりと帝都を歩く。
 海を見下ろす美しい街並みは、水の精霊を求めて来た時と同様、屋台や露店で賑わっていた。

 思う存分買い物や食事を楽しんだ後。

 私たちは海の見える公園で、沈んでいく夕日を眺めていた。
 昼間は青く煌めいていた海も、白い雲をふわふわと浮かべていた空も、今は全てがオレンジ色に染まっている。

 水平線に溶けていく夕日を見ながら、隣に座るセオの肩に頭を預けると、セオはそっと肩を抱き寄せてくれた。
 くすぐったくて切なくて――ずっとこの時間が続けばいいのにと願う。

 けれど時間は待ってはくれない。
 オレンジ色の空は、徐々に紫や藍色に侵食されていく。

「パステル、目を閉じて」

 甘く囁くその言葉に、私は素直に目を瞑る。
 セオは私の正面から、首の後ろへ腕を回す。
 そのまま抱きしめられるかと思ったが、セオはあっさりと腕をほどいた。

「もういいよ」

 目を開けた私の首元には、黄金色の宝石が嵌め込まれた、細いチェーンのネックレスが輝いている。

「綺麗……」

 柔らかく微笑むセオの瞳と、同じ色の宝石。

「イエローダイヤモンド?」

「そう。この石が象徴するのは――」

「――永遠の絆」

 セオは笑みを深めて、頷いた。

「嬉しい……ありがとう、セオ」

 そして、今度こそ――
 甘く、優しく、唇が重なり合った。




 そうこうしているうちに季節は巡る。
 帝都を訪れてからもう半月――まもなく新緑の月となる頃に、全ての準備が整った。

 ついに、私たちが『天空樹』へと向かう日が訪れたのだ。




 モック渓谷。
 崖山クリフ・マウンテンの中腹に位置するその渓谷は、雲の中に隠れるように存在する。
 人間の世界と、精霊の世界を繋ぐ、特別な地。

 崖の途中に小さな穴が何箇所も開いていて、幾筋もの細い水が流れている。
 絹糸の如き水は、雲の妖精モックの涙。
 涙が集まり滝となり、下界へと流れてやがて川へと姿を変えるのだ。

 生命が巡り、そして還ってくる、この特別な地。
 この地の中央に、それ・・そびえていた。

 前回私が気付かなかったのも、無理はないだろう。
 なぜなら、それはすっかり枯れ果て、崖山クリフ・マウンテンを構成する岩のような姿に変わっていたのだから――


「これが、『天空樹』……」

 巫女が山を離れて、数十年。
 打ち捨てられた天空の樹は、すっかり濁り切った茶色に染まっていたのだった。
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