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第七章 紫

第113話 「わたくしはただ普通に」

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 ~第七章 紫~

 ひとり王城の中庭で休んでいた私は、何かの薬を嗅がされ、気が付けば冷たい石の牢に囚われていたのだった。

 ――この場所には、以前来たことがある。

 以前はセオが繋がれていた壁の鎖に、今は私が繋がれている。
 ガチャガチャと鎖を引っ張ってみるが、外れる気配は全くない。

「一体誰が……どうして……?」

 呟いたところで、答えが返ってくるはずもない。
 私は、一旦深呼吸をして、考えを巡らせる。


 ここは、前にセオが捕まっていた場所。

 その時セオを捕らえたのは、恐らくアイリス王女だとセオは言っていた。
 セオが捕まった時には、情報屋フローラも一枚噛んでいた。

 ファブロ王国の王城で会ったアイリスは、訳の分からないことを言って、セオを目の敵にしていた。
 その時に「虹の巫女をついに見つけて、わたくしの元へ連れてきた」などと言っていた気がする。

 アイリスは、『虹の巫女』に何か思うところがあるのだろうか?


 それだけではない。
 可能性は、もう一つある。
 魔女だ。

 情報屋でもある『調香の巫女』フローラは、魔女を探している。
 私がセオにとって大切な人だと気が付いたようだったし、私を人質として利用することを考えたとしても、おかしくない。
 ただ……今の私が、セオにとって、助ける価値のある人間なのかどうかは分からないが。


 一つだけ幸いなのは、今の私は六大精霊の力を全て使うことが出来るということだ。
 城に戻るために空を翔ける風の力が必要になるかもしれないから、それだけ残しておけばいい。

 気になるのは、ラスと一緒にセオを助けに来た時、牢屋を守っていた存在――老いた暗黒龍ダークドラゴンは、今もここにいるのだろうか。
 もしドラゴンがいるとしたら、果たして自分一人で逃げ切れるのか。


 脱出の方法に考えを巡らせていると、廊下をカツ、カツ、と近付いてくる足音が聞こえてきた。
 冷たく硬い足音は、この部屋の前で止まる。
 ギィ、と音を立てて木戸が開く。
 手にしたランタンが映し出すその姿は――

「虹の巫女。起きたのね」

 冷たい金色の瞳をこちらに向け、歪んだ微笑みを浮かべる、銀髪の女性。
 聖王国の王女、アイリスだった。

「やはり、あなたが私をさらったのね。目的は?」

「ふん、目的ですって? あなたの方が知っているんじゃないの?」

「……どういうこと?」

「しらばっくれるつもりね。さすがは疫病神が連れて来た女ね。何もかも気に食わないわ!」

「いや、本当に分からないのだけど……」

 全く心当たりのない私は、当惑してしまう。

「そんなはず……っ! ……ああ、分かったわ、あの疫病神、あなたに何も話してないのね!? いいわ、全部話してあげるわ。それで絶望すればいいんだわ」

 アイリスは、一人で納得したようにまくし立てる。
 続く言葉は、あまりにも自己中心的で、的外れな話だった。

「あの疫病神はね、小さい頃からずーっとわたくしに気があるのよ、間違いないわ! だって、目を逸らしもしないでいつもわたくしを見るのよ、気持ち悪い。
 何を言っても表情が変わらないから、何考えてるのか全く分からないし――いくら近寄らないでって言っても、数時間もしたら忘れて、平気で城の行事に出てくるのよ?
 嫌がらせしたら出て行くかと思ったのに、そんな気配も全くないし!」

「……いや、それは」

 セオの感情が失われていたのだから、その反応は当然だ。
 それにセオだって王族なのだから、アイリスの一存で行事を休んだり城を出て行ったりする訳がない。
 まさかアイリスがセオの事情を知らなかったなんてことはないと思うのだが――この性格を目の当たりにしたら、その可能性が皆無とも言えない気がする。

「ようやく城から出て行くって言うから安心したら、『虹の巫女』を連れて戻ってくるって言うじゃない!
 わたくしは知ってるのよ、お父様はわたくしに『虹の巫女』を継がせるつもりなんだわ。それでわたくしはあの疫病神と結婚させられて、お母様みたいに自由を奪われて城で一生を過ごすことになるのよ。
 わたくし、お母様みたいにはなりたくないわ……」

 城に幽閉され、人との会話も自由も失ったハルモニア王妃。
 アイリスはその姿を見て、育ったのだ。
 巫女になどなりたくないと思ったとしても、不思議ではない。

 アイリスの父マクシミリアンは、やはりアイリスに『虹』を継承させるつもりだったのだろうか。
 『旋律の巫女』ハルモニアを妃として囲い込み、『調香の巫女』フローラとも懇意にしているようだし……一体何の目的があって巫女を集めているのだろう。

「わたくしはただ普通に暮らしたいだけなの」

 アイリスは、うたうように語り始める。

「わたくしは普通に街を歩いて、おしゃれをして、お友達とおしゃべりをして、可愛いものに囲まれて過ごしたいの。
 普通に恋をして、好きな人とカフェでお茶をしたり、話題の演劇を見に行ったり、舞踏会でダンスをしたり」

 夢見るように語る彼女の頬が、突如、ふにゃりと緩む。

「わたくし、たくさんの人に好かれているけれど、恋をしたことがなかったの。王都に来て、ヒューゴに出会って……生まれて初めて自分から人を好きになったのよ」

 こうしていると、ごく普通の、恋する乙女のようだ。

「――だからね」

 だが、夢見るような表情は、ふっと消えてしまう。
 ゆらゆらと揺れるランタンの火に照らされ、口元が不気味な弧を描いていく。

「あの疫病神は、邪魔なのよ」

 ――嫌な予感がする。背中を悪寒が這っていく。

「まさか王都まで追ってくるなんて――しかも『虹の巫女』を連れて」

 カツ、カツ、と音を立てながら、アイリスは一歩ずつ、ゆっくりと距離を詰めてくる。

「あなたを消してしまったら、『アイリス』の名を持つわたくしは『虹』の力を継いでしまう。だから、ここに繋ぎ止めて――わたくしが、一生、飼ってあげる」

 私の目の前に、アイリスの顔が迫ってくる。
 ランタンに揺れるその瞳は、その言葉が本気なのだと物語っていた。

「そうそう、助けは来ないわ。わたくしね、ヴァイオレット王妃が、毒茸トードストゥールの小瓶を残していたのを見つけたの」

「……毒……? まさか……」

 石の牢の中は寒いぐらいなのに、汗が背中をつう、と伝っていく。

「そうよぉ、そのまさかかもね? あは、安心して。人が死ぬ程の量はなかったから。ああ、でも体調が悪かったり精神的に弱ってたりしたら、目を覚まさなくなるぐらいのことはあるかもね」

「――! なんてこと……!」

「ちょうど今頃ね。疫病神も、死んだと思ってたのに急に出てきた大おじ様も、大おじ様の侍女も、それから黒猫の騎士も――みんなまとめて、美味しい毒入り茶を飲んでいる頃だわ」

「……だめ……やめて」

「あはははは」

 声が掠れる。身体が震える――
 私の反応を見て、アイリスは高らかに笑った。

「あはは、良かったわねえ、あなただけは助かって。それだけはその『虹』の力に感謝するのね」

「どうして……? どうして、そんなことするの……?」

「どうして? みーんなわたくしの前をうろうろして、邪魔だからよ。それ以外に理由が必要?」

「――そんなの、人に毒を盛る理由にならないっ!」

 真っ暗だった視界が、ちかちかと染まり始める。
 覆しようのない理不尽に触れて、絶望が、怒りに置き換わっていく。

「何言ってるの? そもそもヴァイオレット王妃だって、邪魔な人にポンポン毒盛ってたわよ?」

「だから毒の精霊は魔物化したのよ! どうしてそんなことが許されると思ったの!?
 そのせいで私たちの両親も、火の精霊も、みんなの心も体も傷付いた……!」

「そんなの結果論よ。ヴァイオレット王妃は、自分に正直に生きただけ」

「たくさんの人を傷つけて、たくさんの人に迷惑をかけて、そんなの許されるはずない……!」

「じゃあ聞くけど、人の自由を奪おうとするのは、許されることなの? 人の自由を奪おうとする人を遠ざけようとするのは、悪いことなの?
 わたくしにとっては、あいつらが邪魔なの、迷惑なの。わたくしは、ただ自由でありたいだけなのに、邪魔をするのはあいつらなのよ?」

 あまりにも自己中心的なその言に、私の怒りは徐々にヒートアップしていく。
 自由を奪われるどころか、そもそも『自由』なんて知らない人間だっているというのに。

「自由が欲しいなら、他にもやり方があったでしょう! ちゃんと腹を割って話し合ったことはあるの? 自分から外に飛び出そうとは思わなかったの!?」

「無駄よ、あの疫病神に何を言ったって。嫌いなものは嫌いなの。邪魔なものは邪魔なのよ。それに、お城から出たら、自分でお金を稼いだりしなくちゃならないじゃない。せっかく生まれ持った地位があるのに、そんなの面倒だわ」

「なんて身勝手なの……! そんなことで、そんな風に人に危害を加えて……っ、私、私……あなたを許さないっ!」

 私の怒りが閾値いきちを超える、そして。
 
 ――七色の光が、ほとばしる。
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