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第六章 赤

第104話 「この世こそが地獄だ」

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 炭化し真っ黒になってしまった室内の中央に立っていたのは、肩を震わせて低くわらっている男性。
 黄金の冠を戴く、その男は――

「父上……?」

 ――ヒューゴの父、ファブロ王国の国王その人だった。
 豪奢なマントに覆われた背中からは、異様なほどに禍々しい気配が溢れ出している。


「――余は、死ねぬのか。この炎は、我が身を焼いてはくれぬのか」

「父上、どうして……」

「刃なら死ねるのか? 否、余の炎は刃をも溶かす。余は、死ねぬのか……」

 ヒューゴは国王に話しかけるも、国王はこちらに背を向けたまま。
 私たちに気付いていない様子で、ぶつぶつと独り呟いている。

「毒杯をあおれば死ねるか? 毒……毒……。ヴァイオレット……愛しき余の毒花よ……何故目覚めぬ?」

 声のトーンが、更に下がる。
 炎とは真逆の冷め切った声に、濃厚な悲哀と絶望が混じってゆく。

「そうか……毒花よ。まだ足りぬのか」

 国王の言葉に、禍々しい魔力に、狂気がじわじわと折り重なっていく。
 カイとフレッドが、身構えた。
 ノラも毛を逆立てて、ふー、と威嚇している。
 セオは、私を支えながら、ゆっくり下がらせてくれる。

「世の全てを、愛しきそなたを苦しめた全てを――」

 ヒューゴは、呆然と立ち尽くしていて、一歩たりとも動かない。
 狂気が、魔力が、満ちていく。

「焼き尽くさねば――戻って来ぬのだな?」

 熱気が、高まっていく。国王の足元から、炎が噴き上がる。

「燃やす……全てを……何もかも、焼き尽くさねばならぬ……」

 ごう、と音を立てて火柱が立ち上がる。
 弾かれたように、ヒューゴが声を張り上げた。

「父上! おやめ下さい!」

「地獄の業火と言うならば、この世こそが地獄だ……全て燃えてしまうがよい……!」

「父上ーーーっっ!!」

 私たちの前に薄い盾のような結界が張られ、間一髪、炎がれていく。カイの魔法だ。

 私の水魔法はもう使えないし、セオの風魔法も燃え盛る炎とは相性が悪い。
 フレッドの地魔法なら炎を防ぐことも出来るかもしれないが、国王を傷つけてしまう可能性が高い上、屋内で使用したら建物が崩れてしまう可能性もあった。

「父上っ! どうすれば届く……っ」

「くそっ! すげえ熱気だ……! 俺の『盾』じゃあ防ぎきれねえ!」

「一旦屋外に退避するんじゃ!」

 結界を張っているカイと、動けずにいるヒューゴを残して、私たちは部屋の外へと退避する。
 カイも一歩ずつ後ろに下がっているが――

「カイ、ヒューゴ! 早く逃げるにゃ!」

 ノラが悲痛な声で叫ぶ。
 カイの魔法が消えかかっている。
 しかし、ヒューゴは動こうとしない。

「ヒューゴ殿下! 逃げて下さい! 俺の力じゃ、もう抑えられねぇっ!!」

「――ダメだ。私がやらねば誰がやるのだ。火の精霊よ、私に力を……!」

 ヒューゴは、自分の父親に両の手のひらを向ける。
 王冠を戴く、我を忘れし人の背に。
 ヒューゴがかざした手に、小さな光が集まってゆく。

「駄目にゃ! それじゃあ国王は止められないにゃ! やるなら炎をぶつけるんじゃなく、炎の制御を乗っ取るんだにゃ!」

「――分かった。やってみる……!」

 ノラの言葉に応じたヒューゴは、狙いを変えて、立ち昇る火柱に向かって手をかざす。
 大きさを増し続けていた火柱は、時が止まったように、広がるのをやめた。
 ゆっくり、少しずつだが、その大きさを減じていく。

「その調子にゃ!」

 魔法を制御するヒューゴの額には、玉のような汗が浮かんでいる。
 だが、その時。

「――余の邪魔をする者は……誰だ?」

 国王が、振り返る。
 ゆっくりと、重いマントがひるがえる。
 その瞳には、一切の光も呑み込む、昏い炎が揺らめいていた。

「父上……もう、やめて下さい……」

 ヒューゴは、首を振って、泣きそうな声で懇願する。
 だが――

「……誰だ。お前も、余をたばかるか」

 国王には、届かなかった。

「父上、私が、貴方の息子がわからぬと……?」

「余には息子などおらぬ、友などおらぬ、家臣などおらぬ。余の元に残るは、忌まわしきこの力と、目覚めぬ毒花だけ……」

 炎が、哀しげに揺らめく。
 しかしそれも一瞬のこと。

「――余の元には、もう何もないのだぁっっ!!」

 再び膨れ上がった炎は、獰猛な獣の姿を取って、ヒューゴに襲いかかった。

「くっ! 制御、出来ないっ……!!」

「た、『盾』が……!! 殿下、逃げ――」

 炎の獣はヒューゴ目がけて牙を剥く。
 カイの『盾』は炎を抑え切ることが出来ず、バリンと音を立てて砕けてしまう。
 それと同時に、カイは、糸が切れたように崩れ落ちてしまった。

 たった一瞬――

 瞬く間に、ヒューゴは炎の獣に呑み込まれてしまったのだった。

「ヒューゴっ!! カイーーーっ!!」

 ノラの悲痛な叫びが辺りに響き渡る。
 炎が、すうっと消えていく。
 炎の消えたその跡には。

 息はあるものの、意識を失い倒れている、王太子ヒューゴとカイの姿。

 そして――

 それを見つめる、闇色の瞳が一対。
 その瞳には、恐怖か、後悔か、はたまた絶望か、先程とは異なる色が浮かんでいた。
 瞳の奥の昏い炎も、禍々しい魔力も、もう消え去っている。

 国王は、ただただ自分の両の手を見つめていた。
 ――自ら傷付けた息子のヒューゴとよく似た、怜悧な表情で。
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