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第六章 赤

第93話 「傷を癒す魔女」

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「エーデルシュタイン聖王国の王女アイリスは、どうやらファブロ王国の王太子ヒューゴのことが気に入ったみたいだにゃー」

 ノラのその言葉に、セオは深いため息をついた。

「ねえ、セオ。アイリス王女って、何者なの? セオを罠にかけて牢に囚えたのもその人なんでしょう?」

「えっ、牢に? セオドア殿下、また嫌がらせされたんですか!?」

「え? また?」

 カイは私の質問に驚き、私はカイが言った『また』という言葉に驚く。
 そういえばセオは、私と会う前に何度か危ない目に遭ったり騙されたりしている様子だった。
 というか、誰かを痛い目に遭わせるのは、嫌がらせの範疇を超えているような気がするのだが。

「ねえ、セオ……」

 私はセオのことが心配になり、眉を下げる。
 セオは苦笑して、私を安心させるように頭を撫でた。

「大丈夫だよ。ハルモニア様の手引きで聖王国を出てから、アイリス姉様が関わってたのは、その一回――パステルとラスが助けに来てくれた時だけ。カイの言ってるのは、もっと前の話だし、本当に小さな嫌がらせだから」

「うーん……。そのアイリス王女って、どうしてセオに酷いことをするの?」

「……分からない。ただ、僕は慣れてるからいいけど、パステルには会わせたくないな」

 セオは頭を撫でる手を止めた。
 金色の瞳は、心配そうに揺らいでいる。

 慣れてるだなんて言っても、嫌なものは嫌だろう。セオにこれ以上そんな思いはさせたくない。
 私は膝の上で手をきゅっと握った。

「にゃうー、それにしても、どうするかにゃー。アイリスはカイの顔も知ってるから近寄れにゃいし。ミーが城に潜入して、ヒューゴに伝言をして……隙を見て城の外に出てきてもらうしかないかにゃ」

「まあ、考えても仕方ねえ。何とかなるだろ」

「……はぁぁ。確かにカイが考えてもどうにもならない気がするにゃー」

 向かいの席でノラとカイが相談しているが、カイは頭脳労働を放棄しているようだ。
 ノラの苦労が透けて見える。

「セオ、パステル。とにかく、その件はこっちで引き取るけど、ちょっと時間をもらうにゃー」

「うん。ノラちゃん、お願いね」

 セオも頷いている。
 ついでにカイも満面の笑みでノラに向かって頷き、ノラはジト目でカイを見たのだった。




「じゃあ、また来るね」

「ええ、お待ちしてます。アイリス殿下が王都に滞在してる間は休暇を取ってるんで、いつでもここにいますから」

「待ってるにゃー」

「じゃあね、ノラちゃん。カイさんも、また」

 そうして私たちはカイの家を後にし、乗り合い馬車の通る、大きな道を目指して歩き始めたのだった。

 平民街である十一番地は、夜間は少々治安が悪い。
 一方、日が出ている間は、活気があると言えるほどではないがそこそこ人通りもあり、のんびりした空気が流れている。
 
 普段だったら、穏やかなはずの昼下がり。
 だが、今日は何か事件でもあったのか、人が一箇所に集まって騒いでいるのが見えた。

「何かしら?」

「うーん……人が多くて見えないな」

 その時、群衆が一際大きくどよめいた。
 それと同時に、眩い光が群衆の中央から溢れてきて、視界を真っ白に染める。
 私とセオは思わず腕を上げて目を守り――光が収まると、群衆の歓声が聞こえてきたのだった。

「見たか、今の! 奇跡だ!」

「さすが魔女様だ! あんな深い傷を一瞬で!」

 皆興奮して、口々に褒め称えている。

「――魔女様? 今の光の出所は、噂の『魔女』?」

 セオがそう呟くと、群衆を割って、とんがり帽子を目深に被り、真っ黒なローブを着た小柄な人物が歩き去ろうとするのが見えた。
 成人男性の三分の二程度の背丈しかなく、帽子からは長くウェーブのかかった髪が覗いている。
 帽子と髪で隠されていて、その顔を見ることは叶わない。

「待って下さい、魔女様。何かお礼を」

 群衆の中から、男性が一人が出てきて、ローブの人物を呼び止める。
 『魔女様』と呼ばれたローブの人物は、一瞬立ち止まると、少し悩むような素振りを見せたが、結局大きくかぶりを振った。
 魔女はその後、振り返ることなく、ゆったりとした足取りで歩き去ってしまったのだった。

「……セオ、今の、魔法だよね?」

 私はセオの耳元で、囁く。

「うん、間違いない」

 先程魔女を呼び止めた男性は、どこかのレストランのウェイターだろうか。
 その服の腹部には大きな穴が開いていて、その部分から血痕と思われる染みが広がっていた。
 しかし、本人はいたってピンピンしているし、破れた部分から覗く肌には傷ひとつ残っていない。

「傷を癒す魔女……本当だったんだ」

 セオも驚いているようだ。
 情報としては噂レベルだったし、実際に見るまで信じられなかったのだろう。

「……もしかしたら、七番目の精霊の手がかりになるかもしれない」

「街の人に聞いて、詳しく調べてみる?」

「いや、今は積極的に深入りはしたくない。フローラが嗅ぎ回ってるかもしれないから」

「そっか。そうだったね」

 情報屋フローラは、魔女の情報を欲しがっている。
 確かに今私たちが動きまわるのは危険だ。

「じゃあ、帰りましょうか」

 私たちはゆっくりと、無言で馬車乗り場を目指して歩き出す。
 通りがかる街の人たちの噂話に耳を傾けながら、ロイド子爵家の近くまで行く馬車へ乗り込んだのだった。


 帰り道や乗り合い馬車で聞こえてきた噂話によると、魔女に傷を癒してもらった男性は、予想通りあの近辺のレストランで働くウェイターだったらしい。
 食い逃げ犯を捕まえようと追いかけて揉み合いになり、犯人が持っていたナイフで腹部を刺されたのだとか。
 犯人はナイフを持ったまますぐにその場から逃亡し、行方をくらませた。
 当然その場は騒然となって、やれ医者を呼べ、やれ衛兵を呼べ、とパニックになっていたそうだ。
 そこに通りがかったのが噂の魔女で、あとは私たちの見た通りである。

「ナイフを持った食い逃げ犯だなんて、怖いね。この辺り、夜は治安が悪いと聞いているのだけど、昼間も気をつけないといけないのね」

「そうだね。犯人はまだ捕まってないみたいだし……パステルも一人で歩いたりしないようにね」

「うん」



 それからしばらくして。

 ウェイターを刺した食い逃げ犯が、腹部に刺し傷のある状態で路地に倒れているのを発見された、というニュースが街中を駆け巡ることになるのだった。
 しかも、被害者の衣服に乱れも破損もなく、刺されたすぐ後に服を着せられたかのような不思議な状態だったという噂が、まことしやかに囁かれているらしい。

 この事件は犯人も目撃者もおらず、刺されて重傷を負っていた被害者も記憶が混濁しているようで、事件は迷宮入り状態なのだとか。
 十一番地の住民たちは、不安な日々を過ごしている。
 私たちも数日の間、義父から外出許可が下りず、カイの家への訪問を控えることになったのだった。

********

 次回から三話、フレッド視点のお話が入ります。
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