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第六章 赤
第88話 『調香の巫女』
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私たちは準備を整えて、情報屋である『調香の巫女』の元へと向かった。
情報屋の住んでいる場所は、聖王都に程近い野原にぽつんと建つ、一軒家である。
オレンジ色のとがった屋根に、手作りと思われるちょっと曲がったポスト。
外に向かって開いている丸い小窓には、白いカーテンがふりふりと揺れている。
二階の窓は閉まっていて、窓辺にはくまとうさぎのぬいぐるみが飾られていた。
拍子抜けするほど、可愛らしい家である。
家の周りにはたくさんの草花が植えられていた。
柵で区切られた花壇の中は、つやつやした花が咲いている。
どの花も生き生きとしていて、よく手入れされているようだった。
私たちは、地の神殿に入った時の衣装を身につけている。
ヴェールがついているし、髪も隠せるから都合が良い。
そして、ヴェールには心を落ち着ける作用を持つ、ラベンダーのフレグランスを含ませている。
さらに、セオが風の魔法を微弱に展開することで、私たちの位置が風下にならないように操作する予定だ。
最悪の場合、香りの効果を受けにくい妖精のししまるに、私たちの頭から水をかけて目を覚まさせるように頼んである。
セオは私とししまるに目で合図をしてから、呼び鈴の紐を引いた。
可愛らしいベルが乾いた音を鳴らし、家の中から鈴を転がすような声が聞こえてくる。
「はぁーい。どなたぁー?」
そう言いながら扉を開けたのは、キャラメル色の髪と明るい緑色の瞳を持った、可愛らしい女性だった。
女性は、ふわりとした若草色のワンピースの上に白いフリフリのエプロンを着けている。
年齢はかなり上のはずなのだが、同世代の少女のように若々しく可憐だ。
「あらぁ、セオくんじゃない! 久しぶりね! 折角の可愛いお顔をそんな布で隠したりして、勿体無いわ」
「……」
セオは、女性に話しかけられても無言だった。
「相変わらずね。あらぁ、そっちの子は? 初めましてよね? 私はフローラ、よろしくね」
私は、無言で頷いた。
首をこてん、と横に倒す仕草はとても可愛らしいのだが――何だろう、この人に弱みを見せたら駄目だ。背筋がぞわぞわする。
「まあ、愛想のない子ねぇ。そんなんじゃあ、誰にも愛してもらえないわよぉ? そこのお人形さんみたいに」
――セオのことを言っているのだろうか。
怒りが込み上げてくる。
だが、ラベンダーの香りのおかげだろうか。
以前ラスやメーアにセオを人形と評された時に比べたら、言い返さない程度には冷静でいられた。
「ふーん。怒るんだ。図星ってことかしら? それから……そこにいるのは妖精? 嫌だわ、あたし、動物も妖精も嫌いなのよね。次はそんなケモノ、連れて来ないでちょうだい」
私は出来る限り表情を動かさずにいたつもりなのだが、それでも一瞬で怒りを見抜かれてしまった。
確かに彼女は、人心を読み取ることに長けているのかもしれない。
ししまるも、言葉こそ発しないが水のボールをトゲトゲさせて、怒っている。
「あらやだ、怒ってるの? でもケモノがどう思おうと興味なんかないわ。あたしはお人形やぬいぐるみの方がずっと好きよ、嫌な匂いがしないもの。
さ、良かったら中に入ってちょうだい。あ、ケモノは入れちゃ嫌よ」
「……いえ、ここでお話しします」
「あらあらぁ、もしかして警戒されてるのかしら? ああ、もしかしてもしかして、その布って、あたしの力が届かないように対策してるつもり?」
――その瞬間、フローラの表情がごそっと抜け落ちた。
少女のようだった表情から一変し、フローラは不気味な圧を放ち始める。
声も一段低くなり、蛇のように獲物を睨みつけるその様は、まさに捕食者のよう。
「無駄よ、無駄。ラベンダーの香りじゃあ、あたしの調合した香りは無効化出来ないわよ。せいぜい、あたしに能力を使わせないように頑張ることね」
氷のように冷たく言い放つと、フローラは元通り、少女のような表情に戻った。
だが、それでも。
この一瞬で背筋を通り抜けた冷たい感触は、しばらく拭えそうになかった。
「それで? 今日は何の情報が欲しいのかしら?」
「……聖王陛下と王女殿下がファブロ王国の王都を訪問してる。その目的と、現在の状況を教えてほしい」
「まあ、その目的なら探るまでもなく、出発前に本人から聞いたわ。今の状況も、もちろん把握してるわよ。
それで? 情報の対価に、何をくれるの?」
「氷の魔石」
「……確かに魅力的だけど、要らないわ。『氷の祝子』であるノエルタウンの領主が、魔石の代わりに務めを果たしてくれているもの」
「もう一つ、ある。最近聞いた情報だけど、『傷を癒す魔女』がファブロ王国の王都にいるって噂がある」
「……『傷を癒す魔女』ですって? 揶揄うのはよして。そんなのがあの国にいるわけないじゃない」
「そう思って、ファブロ王国の国内は調べもしなかったんでしょう? けど、僕たちは二つの異なる経路からその情報を入手した。確かめる価値はあると思う。……あなたにとっては、特に」
義父からの手紙にあった、『魔女』の噂だが、フローラにとっては大切な情報だったらしい。
実はメーアも別のルートからその情報を入手していて、なんと取引の材料としてししまるに知らせていたのだ。
今朝ししまるから『魔女』の情報が対価になると聞いて、セオは驚きもせず頷き、逆に私は心底驚いたのだった。
「……そうね。確かにあの国の噂話なんて調べようとも思わなかったわ。合格よ。じゃあ、お求めの情報を話してあげましょうか。
――愛しの聖王様が王都に行ったのは、アイリスちゃんにお見合いをさせるためよ」
「……お見合い?」
「そうよ。王太子でも、宰相でも、大臣でも、高位貴族の子息でも、王の側近なら誰でもいいの。ダーリンは、アイリスちゃんの気に入った人と婚姻を結ばせて、王国に住まわせる予定よ。いずれ王国の吸収合併でも考えてるのかしらね?」
セオは、顎に手を当てて考え込んでいる。
それよりも私は、フローラが聖王のことを『ダーリン』と呼んでいることが気になった。
彼女は、聖王マクシミリアンとどういう関係なのだろうか。
「……それで、お見合いはどうなったの?」
「うーん、まだ決めかねてるんじゃないかしら。ダーリンは王都を早々に出発したみたいだけど、アイリスちゃんはまだ王都に残ってるみたいよ」
「アイリス姉様は、何を考えてるの? あの時僕を捕まえたの、アイリス姉様でしょう?」
「そうねえ、それ以上は別の対価が必要になるわよ。それでも聞きたい?」
「……いや、いい。じゃあ、最後にもう一つ。氷の魔石は渡すから、ノエルタウンの領主を解放してくれない? 領民が困ってる」
「実物を見てからね。あと、ダーリンにも確認して貰わなくちゃ。現物は今持ってるの?」
「いや、今は手元にない。用意できたら渡す。……ただし、領主の身柄と引き換えじゃないと、渡せない」
「あらぁ、あたしはノエルタウンがどうなろうと知ったことじゃないのよ? 魔石でも人間でも、氷の魔法が発動できればどっちでもいいんだから」
「……わかった」
「うふふ、物分かりがいいじゃない。さて、お話はおしまいかしら?」
セオは頷いて、踵を返そうとする。
「ああ、待って。帰る前に、その子のこと聞きたいんだけど」
フローラは、エプロンのポケットから素早く小瓶を取り出し、蓋を開けて投げるような仕草をした。
何か、香りを仕込んでいるのだろう。
その瞬間、セオは強い風を吹かせた。
小瓶はフローラの足元で割れているが、強風に吹き付けられて、こちらには何の香りも届かない。
「きゃあ! もう、何するのよぅ」
「それは、こっちのセリフ。風が吹いてる限り、その香りは届かない」
「……くそ、生意気ね。次からは、外では絶対喋らないわ。覚えておきなさい」
フローラは悪態をついて、悔しそうな表情をすると、私たちに背を向けた。
玄関の扉に手をかけた所で、フローラはふと思いついたように振り返る。
フローラは風に髪を靡かせながらも口の端に笑みを浮かべ、挑発的に言葉を発した。
「……ああ、それと。セオくん、君の感情が元に戻ったことと、後ろにいるその子が大切だってことはよくわかったわ。良い情報ね、ダーリンに伝えとくわ」
そうして、フローラは今度こそ家の中に入って行ったのだった。
情報屋の住んでいる場所は、聖王都に程近い野原にぽつんと建つ、一軒家である。
オレンジ色のとがった屋根に、手作りと思われるちょっと曲がったポスト。
外に向かって開いている丸い小窓には、白いカーテンがふりふりと揺れている。
二階の窓は閉まっていて、窓辺にはくまとうさぎのぬいぐるみが飾られていた。
拍子抜けするほど、可愛らしい家である。
家の周りにはたくさんの草花が植えられていた。
柵で区切られた花壇の中は、つやつやした花が咲いている。
どの花も生き生きとしていて、よく手入れされているようだった。
私たちは、地の神殿に入った時の衣装を身につけている。
ヴェールがついているし、髪も隠せるから都合が良い。
そして、ヴェールには心を落ち着ける作用を持つ、ラベンダーのフレグランスを含ませている。
さらに、セオが風の魔法を微弱に展開することで、私たちの位置が風下にならないように操作する予定だ。
最悪の場合、香りの効果を受けにくい妖精のししまるに、私たちの頭から水をかけて目を覚まさせるように頼んである。
セオは私とししまるに目で合図をしてから、呼び鈴の紐を引いた。
可愛らしいベルが乾いた音を鳴らし、家の中から鈴を転がすような声が聞こえてくる。
「はぁーい。どなたぁー?」
そう言いながら扉を開けたのは、キャラメル色の髪と明るい緑色の瞳を持った、可愛らしい女性だった。
女性は、ふわりとした若草色のワンピースの上に白いフリフリのエプロンを着けている。
年齢はかなり上のはずなのだが、同世代の少女のように若々しく可憐だ。
「あらぁ、セオくんじゃない! 久しぶりね! 折角の可愛いお顔をそんな布で隠したりして、勿体無いわ」
「……」
セオは、女性に話しかけられても無言だった。
「相変わらずね。あらぁ、そっちの子は? 初めましてよね? 私はフローラ、よろしくね」
私は、無言で頷いた。
首をこてん、と横に倒す仕草はとても可愛らしいのだが――何だろう、この人に弱みを見せたら駄目だ。背筋がぞわぞわする。
「まあ、愛想のない子ねぇ。そんなんじゃあ、誰にも愛してもらえないわよぉ? そこのお人形さんみたいに」
――セオのことを言っているのだろうか。
怒りが込み上げてくる。
だが、ラベンダーの香りのおかげだろうか。
以前ラスやメーアにセオを人形と評された時に比べたら、言い返さない程度には冷静でいられた。
「ふーん。怒るんだ。図星ってことかしら? それから……そこにいるのは妖精? 嫌だわ、あたし、動物も妖精も嫌いなのよね。次はそんなケモノ、連れて来ないでちょうだい」
私は出来る限り表情を動かさずにいたつもりなのだが、それでも一瞬で怒りを見抜かれてしまった。
確かに彼女は、人心を読み取ることに長けているのかもしれない。
ししまるも、言葉こそ発しないが水のボールをトゲトゲさせて、怒っている。
「あらやだ、怒ってるの? でもケモノがどう思おうと興味なんかないわ。あたしはお人形やぬいぐるみの方がずっと好きよ、嫌な匂いがしないもの。
さ、良かったら中に入ってちょうだい。あ、ケモノは入れちゃ嫌よ」
「……いえ、ここでお話しします」
「あらあらぁ、もしかして警戒されてるのかしら? ああ、もしかしてもしかして、その布って、あたしの力が届かないように対策してるつもり?」
――その瞬間、フローラの表情がごそっと抜け落ちた。
少女のようだった表情から一変し、フローラは不気味な圧を放ち始める。
声も一段低くなり、蛇のように獲物を睨みつけるその様は、まさに捕食者のよう。
「無駄よ、無駄。ラベンダーの香りじゃあ、あたしの調合した香りは無効化出来ないわよ。せいぜい、あたしに能力を使わせないように頑張ることね」
氷のように冷たく言い放つと、フローラは元通り、少女のような表情に戻った。
だが、それでも。
この一瞬で背筋を通り抜けた冷たい感触は、しばらく拭えそうになかった。
「それで? 今日は何の情報が欲しいのかしら?」
「……聖王陛下と王女殿下がファブロ王国の王都を訪問してる。その目的と、現在の状況を教えてほしい」
「まあ、その目的なら探るまでもなく、出発前に本人から聞いたわ。今の状況も、もちろん把握してるわよ。
それで? 情報の対価に、何をくれるの?」
「氷の魔石」
「……確かに魅力的だけど、要らないわ。『氷の祝子』であるノエルタウンの領主が、魔石の代わりに務めを果たしてくれているもの」
「もう一つ、ある。最近聞いた情報だけど、『傷を癒す魔女』がファブロ王国の王都にいるって噂がある」
「……『傷を癒す魔女』ですって? 揶揄うのはよして。そんなのがあの国にいるわけないじゃない」
「そう思って、ファブロ王国の国内は調べもしなかったんでしょう? けど、僕たちは二つの異なる経路からその情報を入手した。確かめる価値はあると思う。……あなたにとっては、特に」
義父からの手紙にあった、『魔女』の噂だが、フローラにとっては大切な情報だったらしい。
実はメーアも別のルートからその情報を入手していて、なんと取引の材料としてししまるに知らせていたのだ。
今朝ししまるから『魔女』の情報が対価になると聞いて、セオは驚きもせず頷き、逆に私は心底驚いたのだった。
「……そうね。確かにあの国の噂話なんて調べようとも思わなかったわ。合格よ。じゃあ、お求めの情報を話してあげましょうか。
――愛しの聖王様が王都に行ったのは、アイリスちゃんにお見合いをさせるためよ」
「……お見合い?」
「そうよ。王太子でも、宰相でも、大臣でも、高位貴族の子息でも、王の側近なら誰でもいいの。ダーリンは、アイリスちゃんの気に入った人と婚姻を結ばせて、王国に住まわせる予定よ。いずれ王国の吸収合併でも考えてるのかしらね?」
セオは、顎に手を当てて考え込んでいる。
それよりも私は、フローラが聖王のことを『ダーリン』と呼んでいることが気になった。
彼女は、聖王マクシミリアンとどういう関係なのだろうか。
「……それで、お見合いはどうなったの?」
「うーん、まだ決めかねてるんじゃないかしら。ダーリンは王都を早々に出発したみたいだけど、アイリスちゃんはまだ王都に残ってるみたいよ」
「アイリス姉様は、何を考えてるの? あの時僕を捕まえたの、アイリス姉様でしょう?」
「そうねえ、それ以上は別の対価が必要になるわよ。それでも聞きたい?」
「……いや、いい。じゃあ、最後にもう一つ。氷の魔石は渡すから、ノエルタウンの領主を解放してくれない? 領民が困ってる」
「実物を見てからね。あと、ダーリンにも確認して貰わなくちゃ。現物は今持ってるの?」
「いや、今は手元にない。用意できたら渡す。……ただし、領主の身柄と引き換えじゃないと、渡せない」
「あらぁ、あたしはノエルタウンがどうなろうと知ったことじゃないのよ? 魔石でも人間でも、氷の魔法が発動できればどっちでもいいんだから」
「……わかった」
「うふふ、物分かりがいいじゃない。さて、お話はおしまいかしら?」
セオは頷いて、踵を返そうとする。
「ああ、待って。帰る前に、その子のこと聞きたいんだけど」
フローラは、エプロンのポケットから素早く小瓶を取り出し、蓋を開けて投げるような仕草をした。
何か、香りを仕込んでいるのだろう。
その瞬間、セオは強い風を吹かせた。
小瓶はフローラの足元で割れているが、強風に吹き付けられて、こちらには何の香りも届かない。
「きゃあ! もう、何するのよぅ」
「それは、こっちのセリフ。風が吹いてる限り、その香りは届かない」
「……くそ、生意気ね。次からは、外では絶対喋らないわ。覚えておきなさい」
フローラは悪態をついて、悔しそうな表情をすると、私たちに背を向けた。
玄関の扉に手をかけた所で、フローラはふと思いついたように振り返る。
フローラは風に髪を靡かせながらも口の端に笑みを浮かべ、挑発的に言葉を発した。
「……ああ、それと。セオくん、君の感情が元に戻ったことと、後ろにいるその子が大切だってことはよくわかったわ。良い情報ね、ダーリンに伝えとくわ」
そうして、フローラは今度こそ家の中に入って行ったのだった。
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