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第六章 赤

第87話 「魔女の噂」

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 家令のトマスから、私宛ての手紙が届いていると知らされたのは、ロイド子爵家に到着した日の夕食の席でのことだった。

「一週間以上前に届いていたのですが、お嬢様がご不在でしたので、お預かりしておりました。旦那様へは、返事が遅れるとの旨だけ伝えてございます」

「ありがとう」

 ロイド子爵家現当主である、私の義父からの手紙である。

 聖王国へ出かける前に、私は義父に「婚約を結びたい人がいるから、近々王都を訪問する」という旨の手紙を送っていたのだ。
 トマスが渡してくれた手紙は、その返事だろう。

 ペーパーナイフを滑らせて封筒を開封すると、中の便箋に記されていた内容に、目を通していく。
 テーブルの側に控えるトマスも、向かいに座るセオも、私の方を注視している。

「トマス、後でお返事を書くから、取りに来てくれる?」

「かしこまりました」

 トマスは恭しく礼をして、ダイニングから出ていった。
 ちなみにししまるは食事が不要らしく、庭の家庭菜園の近くにある水場で、のんびり過ごしているようだ。
 私は手紙を封筒の中に戻し、横によけてあった紅茶を手に取ると、喉を潤す。

「手紙、何て書いてあったの?」

「大したことは書いてなかったよ。まず、婚約の件だけど、直接話をしたいから、タウンハウスに来てほしいって。あとは近況報告とか、王都で持ちきりになってる魔女の噂とか、取り留めもないことが書いてあったわ」

「魔女?」

 予想外の単語が飛び出したからか、セオは紅茶のカップを口元に運ぼうとして、途中でやめた。

「うん。なんか、王都で最近話題になってるみたいね。傷を即座に癒したり、触れずに物を動かしたり……不思議な力を持つ神出鬼没な人物がいるって噂よ。とにかく気分屋で、いい人なのか、悪い人なのかもよく分からないんだって」

「へぇ……不思議だね。傷を即座に癒すなんて、六大精霊でも無理なんじゃない?」

「まあ、あくまで噂だし、お義父様たちも実際に見たわけじゃないから半信半疑みたい。そもそも王国は魔法とか精霊とか信じられてないし、ししまるも言っていたけど、火の精霊以外の精霊は住んでいないんでしょう?」

「うん、そうだね」

「なら、きっとただの噂よ。王都の人たちは、噂話が好きらしいから」

「うーん、そうかな……」

 何か気になることでもあるのか、セオは首を捻って考えている。

「まあ、どちらにせよ王都には行かなきゃならないし、噂が気になるならその時に調べてみましょう」

「そうだね」

 いまだに実感はわかないが、王都には、私たちの両親を手にかけた、ファブロ王国の王族がいる。
 一方で味方側には、ハルモニア王妃の命で潜入しているカイとノラ、協力関係にあるらしい王太子。
 こちらにはししまるがいるから、いつでも聖王国にいるハルモニア王妃やフレッド、メーアと連携が取れるが、充分気をつけて行動しなくてはならない。



 その翌日。
 私たちは、情報屋の元へと出かけることになったのだった。
 情報屋で何の情報を入手すればいいのか、また、その対価に何を渡せばいいのかは、事前にししまるから聞いている。

「パステルは情報屋と接触するのは初めてだね。……もう一度聞くけど、本当に一緒に来るんだね?」

「うん。危ないかもしれないのに、セオを一人で行かせられないわ」

「パステル……ありがとう。けど、情報屋は、話が巧みで観察眼も鋭い。色んな方法で情報を引き出そうとしてくるから、充分気をつけて」

「わかったわ。情報屋さんは、『巫女』でもあるのよね?」

「そう。『調香の巫女』だ。わかっている能力は三つ」

 セオは指を一本ぴっと立てる。

「一つ目は、精霊たちと香りを通じて交信する能力。パステルやハルモニア様と同じ」

 私は、セオの言葉に頷いた。
 私は虹の橋を架ければ、精霊たちと会うことも力を借りることも出来る。
 魔の森では光の精霊クロースの側から呼びかけられたこともあった。
 他の巫女も同様に、精霊たちと相互に呼び合うことが出来るのだろう。

 セオは続いて、二本目の指を立てる。

「二つ目は、特定の香りを思い描いた場所まで届ける能力。主に、情報が入ったとか、緊急事態とか、そういう連絡に使われる。僕がパステルの前から突然いなくなっちゃった時――あの時は、SOSの香りが届いたんだ」

「そっか、それで急いでいなくなっちゃったのね」

「うん。騙されてるとも知らずに。……あの時は、心配かけて、本当にごめん」

 あの時、セオが突然マナーハウスから出て行ってしまって、次に再会した時、セオは石造りの牢に繋がれていた。
 風の精霊ラスの協力でセオを助けることが出来たが、あの時は肝が冷えた。

「ううん。心配したけど、無事で良かった。あの時セオを捕まえたのは、その情報屋さん自身じゃないのよね? 誰の仕業だったの?」

「証拠はないから、恐らく、なんだけど……アイリス姉様。マクシミリアン陛下の娘で、アルバート兄様の妹」

「聖王国の、王女様? どうして?」

「うーん、僕にもよくわからないんだ。アイリス姉様は、僕が『虹の巫女』を探しに行くことを快く思ってなかったみたい」

「そっか……」

「それで、話を戻すけど、三つ目。これが一番厄介な能力なんだけど……」

 セオは三本目の指を立てた。

「香りを操って、近くにいる人間の精神に作用を及ぼす」

「精神に作用……?」

「アロマセラピーって聞いたことある? 香りによってリラックスしたり、安眠を誘ったり、頭をすっきりさせたりする、心理療法セラピーの一種」

「うん」

「『調香の巫女』の能力は、香りの持つ効果を最大限に引き出す力だ。本来セラピーに使われる良い効果の香りだけじゃなく、『調香の巫女』は不安を誘う香り、イライラする香り、相手を魅了する香り……多彩な香りを操って、自分に有利な行動を取るように促す」

「……ちょっと、怖いね」

「まあ、でも香りを嗅いでいる間だけしか効果はないし、完全に狙いすました効果を発揮できるわけじゃない。効果時間もごく僅かだし、他の『巫女』と同じく、一度力を使うと代償が必要になって、しばらく力を使えなくなるんだ。
 それから、お祖父様のように精神的に強い人間とか、以前の僕みたいに感情の希薄な人間には効果がない。だけど、今回は対策をしていかないとね」

「対策、何かあるの?」

「うん。今考えてるのは――」


 セオの提案に従い、私たちは各々準備を始めた。
 そうして万全の態勢を整えて、私たちは情報屋の元へと向かったのだった。
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