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第四章 藍
第57話 「来たこと、ある」
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「――明日になって、もし熱が出てしまったら、残念ながら彼はもう目覚めることはないでしょう」
「……え……?」
私は、乙姫の言葉を理解することが出来なかった。
私を守って傷を負ったセオ。
やっとの思いで、もう少しで魔の森を抜けられる所まで来たのに、セオが……助からないかもしれない……?
信じたくないが、精霊が嘘をつくとは思えない。乙姫の言葉は真実なのだろう。
「……そん、な……。何とかする方法は、ないのですか……?」
「闇の精霊か、第七の精霊ならば彼を救える可能性があります。闇の精霊の方が、まだ希望が持てますね。
――川を遡った先、墓碑をお調べなさい。闇の精霊に会えるかもしれません。
ですが、その対価は、妾たちとは比べ物にならないほど大きなものです。
熱が出ないことを祈りますが……よく考えて、判断するのですよ」
「……わかりました。教えて下さり、ありがとうございます」
「……其方たちの無事を祈っています。では、パステル。加護を授けましょう」
乙姫が扇を振るうと、辺りにはたくさんの青い泡がぷくぷくと現れる。
「虹の巫女よ、汝、総ての水たる妾に、何を望む?」
「――大切な人を守りながら、川を遡る力を……お貸し下さい」
「よろしい。妾、水の乙の名の下に、激流にも負けぬ、水の導きを授けましょう」
その言葉と共に、私は一際大きな泡に包まれ、虹の橋から魔の森の川へと戻っていったのだった。
「ふぅ、流石に化石樹も水の中までは追ってこないわね。良かった……」
私は、水の神殿に行った時のような人魚の姿……ではなく、大きな気泡に包まれて水中を移動していた。
海と違って、川には障害物が多い。人魚の姿では怪我をしていただろう。
気泡には弾力があり、川底や岩、砂礫、浮遊物などにぶつかっても、ぽよんと跳ねるだけで割れることはない。
私はセオを膝枕して座っている。
ただ気泡が川を遡っていくのを見守っているだけでいい。
時折気泡が大きく跳ねて浮遊感が襲ってくるが、慣れてくればむしろ癖になりそうな楽しさがあった。
あれから、どれほどの時間が経ったのかもわからないが、辺りはすっかり真っ暗だ。
冬の夜は長く、夜の屋外を歩いた経験の少ない私では、時間を測るのも難しい。
今は青以外の色を再び失ってしまった。
しかし、月が日によって白く輝いたり黄色が強くなったりすることも。
星が青や白、黄色など、少しずつ違う色を持って瞬くことも。
風にそよぐ木々の緑が一枚一枚異なることも。
何もかも、私は今まで知らなかった。
今までは灰色だった昼の蒼穹のように、夜空の黒にも色があるのだろうか。
しばらくそうしていると、気泡は開けた場所に出た。
どうやら、大きな湖のようだ。
私たちの通って来た川以外にも、何本もの川がこの湖を起点として流れ出している。
本流と思われる川の近くには、暗くてよく見えないが、なにやら大規模な工事をしたような跡があって、周りに囲いが造られている。
気泡の向かった先は、工事の跡とは反対側、穏やかな野原が広がっている場所だった。
気泡はぷかぷかと漂い、私たちを優しく湖畔に下ろすと、パチンと音を立てて割れてしまった。
「ここ……来たこと、ある」
私は、この場所に見覚えがあった。
「別荘が、あった場所だ……」
――精霊が見せてくれた、幼い頃の記憶。花冠を編んだ野原だ。間違いない。
この場所から見える湖の景色が、工事現場付近を除いて、あの頃と殆ど一緒である。
澄んだ水を湛える大きな湖は、今は暗くぽっかりと闇に沈んでいる。
湖面は鏡のように穏やかに凪いでいて、月の光も星の光も、ただ静かに写していた。
私は湖に背を向け、自分たちのいる野原を見渡す。精霊の見せてくれた記憶と比べて、森の形が少し変わっている気がする。
また、記憶にある野原よりも、背の高い雑草が増えていた。手入れをする者がいなくなったためだろうか。
森の中の小道を進めば、私たちの滞在していた別荘があるかもしれない。
だが、先程魔の森で化石樹に襲われたことを思い出し、私は身震いした。
夜の間は、森を歩きたくない。
どうにか休める所はないかと、目を凝らして観察を続けていると、背の高い雑草の奥に、何やら屋根のような物が見えた。
森にも入らないで済むし、幸い、ここからそんなに遠くもない。
私は再び気力を振り絞って、セオを背中に凭れさせると、建物らしき物に向かって進んでいった。
そこは、打ち捨てられた四阿だった。
もう、何年も手入れされていない。
だが、ここには屋根があり、雨を防げる。
そして、セオは結局汚れた服のまま着替えていない――つまり、セオの服のポケットには、魔法の家が入っているはずなのだ。
「セオ、ごめんね。ポッケの中、ちょっと探させてね」
セオは相変わらず穏やかに眠っていて、こんな時に不謹慎だが、何だか少しいけないことをしているような気分になる。
仕方ないのよと自分に言い聞かせて、落ち着いてセオの服のポケットを探った。
目的の、魔法の家はすぐに見つかった。
「確か、これを設置したい場所に置いて、手を翳して、魔力を……虹を呼ぶ時の感覚でいいのかしら……えいっ」
魔法の家は光を放ちながら、問題なく大きなサイズになった。
これで、ひとまず眠る所を確保できて、一安心だ。
私はセオを抱えて家に入り、ベッドに降ろす。
クローゼットからタオルやセオの着替えを見つけて、取り出そうとした所で、私は気が付いた。
――これ、私が着替えさせるんだよね。
一気に顔に血が上る。やっぱり無理だ。
結局、濡れてしまっている足元だけ、申し訳ないけれどハサミを入れて生地を取り除く。
高級そうな生地だが、どのみちあちこち破れてしまっているし、仕方ないだろう。
ここまで身体を酷使したせいか、私ももう限界だった。
身体が鉛のように重い。
セオに布団をかけ、「おやすみ」と声をかける。
私はソファに身を横たえると、あっという間に眠りに落ちてしまったのだった。
「……え……?」
私は、乙姫の言葉を理解することが出来なかった。
私を守って傷を負ったセオ。
やっとの思いで、もう少しで魔の森を抜けられる所まで来たのに、セオが……助からないかもしれない……?
信じたくないが、精霊が嘘をつくとは思えない。乙姫の言葉は真実なのだろう。
「……そん、な……。何とかする方法は、ないのですか……?」
「闇の精霊か、第七の精霊ならば彼を救える可能性があります。闇の精霊の方が、まだ希望が持てますね。
――川を遡った先、墓碑をお調べなさい。闇の精霊に会えるかもしれません。
ですが、その対価は、妾たちとは比べ物にならないほど大きなものです。
熱が出ないことを祈りますが……よく考えて、判断するのですよ」
「……わかりました。教えて下さり、ありがとうございます」
「……其方たちの無事を祈っています。では、パステル。加護を授けましょう」
乙姫が扇を振るうと、辺りにはたくさんの青い泡がぷくぷくと現れる。
「虹の巫女よ、汝、総ての水たる妾に、何を望む?」
「――大切な人を守りながら、川を遡る力を……お貸し下さい」
「よろしい。妾、水の乙の名の下に、激流にも負けぬ、水の導きを授けましょう」
その言葉と共に、私は一際大きな泡に包まれ、虹の橋から魔の森の川へと戻っていったのだった。
「ふぅ、流石に化石樹も水の中までは追ってこないわね。良かった……」
私は、水の神殿に行った時のような人魚の姿……ではなく、大きな気泡に包まれて水中を移動していた。
海と違って、川には障害物が多い。人魚の姿では怪我をしていただろう。
気泡には弾力があり、川底や岩、砂礫、浮遊物などにぶつかっても、ぽよんと跳ねるだけで割れることはない。
私はセオを膝枕して座っている。
ただ気泡が川を遡っていくのを見守っているだけでいい。
時折気泡が大きく跳ねて浮遊感が襲ってくるが、慣れてくればむしろ癖になりそうな楽しさがあった。
あれから、どれほどの時間が経ったのかもわからないが、辺りはすっかり真っ暗だ。
冬の夜は長く、夜の屋外を歩いた経験の少ない私では、時間を測るのも難しい。
今は青以外の色を再び失ってしまった。
しかし、月が日によって白く輝いたり黄色が強くなったりすることも。
星が青や白、黄色など、少しずつ違う色を持って瞬くことも。
風にそよぐ木々の緑が一枚一枚異なることも。
何もかも、私は今まで知らなかった。
今までは灰色だった昼の蒼穹のように、夜空の黒にも色があるのだろうか。
しばらくそうしていると、気泡は開けた場所に出た。
どうやら、大きな湖のようだ。
私たちの通って来た川以外にも、何本もの川がこの湖を起点として流れ出している。
本流と思われる川の近くには、暗くてよく見えないが、なにやら大規模な工事をしたような跡があって、周りに囲いが造られている。
気泡の向かった先は、工事の跡とは反対側、穏やかな野原が広がっている場所だった。
気泡はぷかぷかと漂い、私たちを優しく湖畔に下ろすと、パチンと音を立てて割れてしまった。
「ここ……来たこと、ある」
私は、この場所に見覚えがあった。
「別荘が、あった場所だ……」
――精霊が見せてくれた、幼い頃の記憶。花冠を編んだ野原だ。間違いない。
この場所から見える湖の景色が、工事現場付近を除いて、あの頃と殆ど一緒である。
澄んだ水を湛える大きな湖は、今は暗くぽっかりと闇に沈んでいる。
湖面は鏡のように穏やかに凪いでいて、月の光も星の光も、ただ静かに写していた。
私は湖に背を向け、自分たちのいる野原を見渡す。精霊の見せてくれた記憶と比べて、森の形が少し変わっている気がする。
また、記憶にある野原よりも、背の高い雑草が増えていた。手入れをする者がいなくなったためだろうか。
森の中の小道を進めば、私たちの滞在していた別荘があるかもしれない。
だが、先程魔の森で化石樹に襲われたことを思い出し、私は身震いした。
夜の間は、森を歩きたくない。
どうにか休める所はないかと、目を凝らして観察を続けていると、背の高い雑草の奥に、何やら屋根のような物が見えた。
森にも入らないで済むし、幸い、ここからそんなに遠くもない。
私は再び気力を振り絞って、セオを背中に凭れさせると、建物らしき物に向かって進んでいった。
そこは、打ち捨てられた四阿だった。
もう、何年も手入れされていない。
だが、ここには屋根があり、雨を防げる。
そして、セオは結局汚れた服のまま着替えていない――つまり、セオの服のポケットには、魔法の家が入っているはずなのだ。
「セオ、ごめんね。ポッケの中、ちょっと探させてね」
セオは相変わらず穏やかに眠っていて、こんな時に不謹慎だが、何だか少しいけないことをしているような気分になる。
仕方ないのよと自分に言い聞かせて、落ち着いてセオの服のポケットを探った。
目的の、魔法の家はすぐに見つかった。
「確か、これを設置したい場所に置いて、手を翳して、魔力を……虹を呼ぶ時の感覚でいいのかしら……えいっ」
魔法の家は光を放ちながら、問題なく大きなサイズになった。
これで、ひとまず眠る所を確保できて、一安心だ。
私はセオを抱えて家に入り、ベッドに降ろす。
クローゼットからタオルやセオの着替えを見つけて、取り出そうとした所で、私は気が付いた。
――これ、私が着替えさせるんだよね。
一気に顔に血が上る。やっぱり無理だ。
結局、濡れてしまっている足元だけ、申し訳ないけれどハサミを入れて生地を取り除く。
高級そうな生地だが、どのみちあちこち破れてしまっているし、仕方ないだろう。
ここまで身体を酷使したせいか、私ももう限界だった。
身体が鉛のように重い。
セオに布団をかけ、「おやすみ」と声をかける。
私はソファに身を横たえると、あっという間に眠りに落ちてしまったのだった。
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