上 下
44 / 154
第三章 黄

第43話 「ね、お母さん」

しおりを挟む
 事態が動いたのはその翌日のことだった。
 情報屋からの情報と、役場からの情報、両方が入ってきたのだ。
 私は、必ずフレッドに同伴してもらうことをセオに約束させ、エレナと共に役場へ行くことにした。

 役場に到着すると、先日のサロンに通される。
 すぐにポールが重そうな書類の束を抱えて、私たちの元にやって来たのだった。

「エレナ様、パステル様。ご足労いただき、ありがとうございます。今日はテディ様はいらっしゃらないのですか?」

「ああ、ちょっと調子が悪いみたいでねえ。宿で休んでるよ」

「左様でございましたか。発案者のお嬢様に直接お礼を申し上げたかったのですが……どうぞお大事に」

「すまないね、伝えとくよ」

「では、早速ですが……」

 ポールは、セオの提案した『参加型のイベント』『商店街の協力を仰ぐ』という案をベースに、企画を立案してきたという。
 だが、一番の問題は、やはり流通が乱れ、市場が混乱していることのようだった。

「ほぼ確実に参加してくれそうなのは、菓子店パティスリーの皆様ですね。小麦も乳製品も鶏卵も近隣の地域でとれますから、仕入れが安定しています。砂糖やカカオ等に関しては遠方からの輸入品ですので、一年に一回まとめて仕入れていて、今のところ領主様不在の影響がありません」

「なら、お菓子のコンテストがいいかもしれないね。店の名が売れれば、イベントを見た観光客に土産用の焼き菓子なんかも売れるだろうし、街の人にも祝祭用のケーキや生菓子が売れるだろう。店にとっても良いことじゃないかい?」

「ええ。その方向で考えています。企画内容ですが、各店舗の菓子職人パティシエにステージ上で大きなケーキを作っていただきます。
 簡易的な調理設備しか用意できないので、自店舗で焼いてきた土台を組み立て、クリームやトッピングで飾っていくというパフォーマンスになると思います。
 完成したケーキは見た目を審査した後、切り分けて街の住民や観光客の皆様に試食していただきます」

「予算は大丈夫なのかい? 大きいケーキだと、材料費もかなりかかるんじゃないか?」

「試食と投票の権利を、格安で販売しようと思うのです。ジンジャークッキー数枚分程度の値段で、一口ずつではありますが、パティシエたち自慢のケーキを何種類も食べ比べることができる。
 その投票権の売上を、均等に参加店舗に分配しようと思っています。それでも材料費の元を取るまでの金額にはならないでしょうが、出場するパティスリーのマーケット出店料を無料にするという特典も付けます。ステージで結果を出せば、露店での売り上げもかなり見込めることでしょう。
 さらに、コンテストに出場すること自体が広告宣伝効果になり、新規顧客の獲得と、長期的な販売促進効果が見込めます」

「なるほどねぇ」

 エレナは、しきりに相槌を打っている。

 私は、ポールの話を聞きながら、彼のプレゼン能力の高さに驚いていた。
 初めて会った時は気が弱そうなタイプに見えたが、意外と有能なようだ。
 適切に資料を開きながら、時にイメージ図や数字を利用し、上手い具合にメリットを提示している。

 パティスリーにとっては、一日単位で見ると黒字になるかどうかは怪しいが、長期的に考えれば参加するメリットが大きい。
 彼らも商売人だ、この案に乗ってくるに違いないと私は確信した。

「パステル、どうだい? あたしは、良いと思うんだけれど」

 エレナは、さりげなく私に意見を求めた。
 ポールの視線もこちらに向く。

「はい、私も良いと思います。帰ったらテディに話して、改善点がないか訊いてみましょうか?」

「ありがとうございます。そうしていただけると助かります。あとは優勝商品ですが、何かお考えがあるのですか?」

「ええ。今、依頼を出して作ってもらっている所ですから、ご安心下さい。国宝級の逸品になりますよ」

「ははは、それは頼もしいですね。では、何から何まで申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。降聖霊祭が無事終わったら、何かお礼をさせてください」

「ふふ、じゃあ考えておきます。ね、お母さん」

「……。あ! ああ、そうだね」

 エレナはお母さんというのが自分のことだと気が付かなかったようで、一瞬反応が遅れていた。
 恥ずかしそうにするエレナと、可笑しそうに笑っている私。
 その様子を見てポールは一瞬首を傾げたものの、急に何か得心したようで、穏やかな笑みを浮かべた。

「良かったですね、エレナ様。養子だとしても、パステル様はちゃんとあなたを母と慕っておいでなのですね」

「え? あ、ああ。本当によく出来た娘だよ」

 エレナは頬を掻きながら、私と目を合わせて苦笑いした。
 よく分からないが、ポールは感動的な場面にでも出くわしたかのように、うっすら涙まで浮かべて微笑んでいる。
 私たちは、それを否定することもできず、微妙に気まずい空気のまま役場を後にしたのだった。



 宿に戻る道すがら、エレナは何故か、ずっと黙っていた。
 エレナは基本的におしゃべりが好きだから、こんな風に静かにしているのは珍しい。

「エレナ、どうしたの? 何かあった?」

「あ、いいえ、お嬢様。どうかお気になさらず」

「……そう?」

 エレナは、慌てて笑顔を作る。
 努めて明るい声を出しているようだが、無理に作った笑顔はどこか寂しげだった。
 心配ではあったが、私は、それ以上踏み込むことを躊躇ってしまう。

 ――何故だろう。エレナだけではない。昨日からセオにも壁を感じる。
 変わったのは、私なのだろうか。

「あ……もしかして」

 私は、その時、あることに気が付いた。
 エレナの娘であるイザベラが、普段からエレナをメイド長・・・・と呼んでいることに。

 ――イザベラがエレナをと呼んでいるのを、私は一度も見たことがない。
 それは、イザベラがロイド子爵家に勤める使用人で、エレナが上司に当たるからだと思っていた。

 エレナは、ロイド子爵家の家令であるトマスの妻で、同じくハウスメイドであるイザベラの母親である。

 だが、イザベラの年齢は私より一回りも上だ。
 エレナは確か、私の母の侍女としてロイド子爵家について来たはず。
 その後にトマスと出会って結婚したのだから、イザベラと私がそんなに年齢が離れているのはおかしい。

「エレナ……そういうことだったのね。ごめんなさい」

「あら、もしかして、その……お気づきになりました?」

「……うん。さっきの、お母さんって言葉……イザベラのこと、よね?」

「ええ。お嬢様のご想像通りだと思いますよ」

 そう、おそらく、イザベラはトマスの連れ子だ。
 エレナにあまり似ていないことにも、ようやく合点がいった。

「私には、子が出来なかったのです」

 そう言って、エレナは寂しそうにお腹をさする。

「この街で、私は一度、別の方と結婚生活を送っておりました。ですが、私に子が出来ないことが分かり、離縁しました。
 お嬢様のお母様がこの街へは戻らず王国へ向かうと聞いたとき、私は一人で旅立とうとされていた彼の方に、自らの意思で同行させていただいたのです。……あの頃は、思い出の残るこの街に、もう帰りたくなかったものですから」

 私の前ではいつも明るく振る舞っていたエレナも、たくさんの傷と痛みを抱えて生きてきたんだ。
 当たり前のことだが、近しい人であっても、全てを知っている訳ではない。
 人の想いを推し量るのは本当に難しい。

「しんみりしてしまい、申し訳ありません。
 再婚して出来た義娘にも、母と呼ばれたことがありませんでしたからね。演技の一環であってもお嬢様に母と呼んでいただけて、動揺してしまったのです。
 それからは思い出がどんどん溢れてきてしまって……。態度に出てしまうなんて、使用人失格ですね」

「エレナ……」

 エレナは、寂しかったのだろうか。悔しかったのだろうか。それとも、怒っただろうか。諦めてしまったのだろうか。見てみぬふりをして誤魔化してきたのだろうか。
 私には、エレナがどんな気持ちだったのか、分からない。本人ではないから。

 昨日から感じていた壁の正体を、私は何となく、ぼんやりと理解した。
 上手く言葉に出来ないし、適切なことはきっと言えない。
 だが、それでもエレナに声をかけずにはいられなかった。

「……あのね、私には、お母様が三人いるのよ」

「お嬢様……?」

「私は、本当のお母様のことはほとんど覚えていないし、今のお義母様は弟や妹と一緒にいることが多いから、あまりよく分からないの。二人のお母様より、エレナと一緒だった時間の方がずっと長いわ」

 私は、想いを込めて、エレナをしっかり見つめた。
 エレナがどう思うかは分からないが、自分の気持ちだけは、伝えないといけない。

「一昨日も言ったけど、私はエレナのこと、お母様だと思ってるよ」

 慰めではない。
 むしろ、子を産めなかったエレナにはこの言葉は残酷かもしれない。
 けれど、この言葉は私の本心だ。
 本心を、誠意を込めて伝えれば、きっと――

「お嬢様……ありがとうございます」

 ――そう、伝わる。

 きらきらと輝く幸せの粒が、涙ぐむエレナの周りに溢れ出したのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

毒花令嬢の逆襲 ~良い子のふりはもうやめました~

りーさん
恋愛
 マリエンヌは淑女の鑑と呼ばれるほどの、完璧な令嬢である。  王子の婚約者である彼女は、賢く、美しく、それでいて慈悲深かった。  そんな彼女に、周りは甘い考えを抱いていた。 「マリエンヌさまはお優しいから」  マリエンヌに悪意を向ける者も、好意を向ける者も、皆が同じことを言う。 「わたくしがおとなしくしていれば、ずいぶんと調子に乗ってくれるじゃない……」  彼らは、思い違いをしていた。  決して、マリエンヌは慈悲深くなどなかったということに気づいたころには、すでに手遅れとなっていた。

異様な高校生活の始め方

猫神とび
青春
主人公たちの異様な高校生活をもの描いた日常系コメディー小説。 初投稿なので温かく見守ってください。

新 ねえ、あそぼうよ(妖精と遊んで運動)1歳前後

未来教育花恋堂
児童書・童話
1歳前後の絵本ストーリーです。

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

藤森フクロウ
ファンタジー
 相良真一(サガラシンイチ)は社畜ブラックの企業戦士だった。  悪夢のような連勤を乗り越え、漸く帰れるとバスに乗り込んだらまさかの異世界転移。  そこには土下座する幼女女神がいた。 『ごめんなさあああい!!!』  最初っからギャン泣きクライマックス。  社畜が呼び出した国からサクッと逃げ出し、自由を求めて旅立ちます。  真一からシンに名前を改め、別の国に移り住みスローライフ……と思ったら馬鹿王子の世話をする羽目になったり、狩りや採取に精を出したり、馬鹿王子に暴言を吐いたり、冒険者ランクを上げたり、女神の愚痴を聞いたり、馬鹿王子を躾けたり、社会貢献したり……  そんなまったり異世界生活がはじまる――かも?    ブックマーク30000件突破ありがとうございます!!   第13回ファンタジー小説大賞にて、特別賞を頂き書籍化しております。  ♦お知らせ♦  余りモノ異世界人の自由生活、コミックス3巻が発売しました!  漫画は村松麻由先生が担当してくださっています。  よかったらお手に取っていただければ幸いです。    書籍のイラストは万冬しま先生が担当してくださっています。  7巻は6月17日に発送です。地域によって異なりますが、早ければ当日夕方、遅くても2~3日後に書店にお届けになるかと思います。  今回は夏休み帰郷編、ちょっとバトル入りです。  コミカライズの連載は毎月第二水曜に更新となります。  漫画は村松麻由先生が担当してくださいます。  ※基本予約投稿が多いです。  たまに失敗してトチ狂ったことになっています。  原稿作業中は、不規則になったり更新が遅れる可能性があります。  現在原稿作業と、私生活のいろいろで感想にはお返事しておりません。  

大嫌いな可愛い上司

Lika
大衆娯楽
寡黙で近寄りがたい空気を纏っている上司。 報連相をも円滑に熟せない職場で、ある日起きた異変。 下唇を噛みしめながら悶え苦しむ者達が続出。一体、何が起きたのか。

うまく笑えない君へと捧ぐ

西友
BL
 本編+おまけ話、完結です。  ありがとうございました!  中学二年の夏、彰太(しょうた)は恋愛を諦めた。でも、一人でも恋は出来るから。そんな想いを秘めたまま、彰太は一翔(かずと)に片想いをする。やがて、ハグから始まった二人の恋愛は、三年で幕を閉じることになる。  一翔の左手の薬指には、微かに光る指輪がある。綺麗な奥さんと、一歳になる娘がいるという一翔。あの三年間は、幻だった。一翔はそんな風に思っているかもしれない。  ──でも。おれにとっては、確かに現実だったよ。  もう二度と交差することのない想いを秘め、彰太は遠い場所で笑う一翔に背を向けた。

非実在系弟がいる休暇

あるふれん
ライト文芸
作家である「お姉ちゃん」は、今日も仕事の疲れを「弟くん」に癒してもらっていた。 とある一点を除いてごく普通の仲良し姉弟に、創作のお話のような出来事が訪れる。

処理中です...