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第二章 青
第30話 「世界が、彩られていく」
しおりを挟む川と海の妖精たちを見送った後。
私は、セオを挟んでメーアと三人、砂浜に座っていた。
波はすっかり穏やかになっていて、先程までの荒れ模様が嘘のようだ。
フレッドとルード、騎士たち、亀の妖精きすけは、少し離れた所で私たちを見守っている。
目には入るが、会話は聞こえない距離だ。
「メーア様、お身体は大丈夫ですか?」
「ええ。魔力が切れただけで動けなくなったりはしないのよ、本当は。ただ……城に戻りたくなかっただけ」
私は、メーアと初めて会った時も、『サボり』と言って従者から逃げていたことを思い出した。
皇女ともなると、公務や勉強も忙しいだろうし、その重責に息が詰まることもあるだろう。
「あなた……パステル、だったかしら」
「はい」
「……ごめんなさい、パステル。私、あなたに嫉妬していたの」
「え……?」
私は、らしくないメーアの言葉に、耳を疑った。
美人で、皇女で、『海の神子』でもあるメーア。
私からしたら、彼女は何でも持っているように見えるのだが、そんなメーアでも嫉妬なんてすることがあるのだろうか。
それも、他でもない私に。
メーアはこちらには一切顔を向けずに、遠くの海を眺めている。
セオもメーアの方を見ていて、その表情をうかがい知ることは出来ない。
「砂浜で、あなたとセオが話している時、セオは私が見たことのない表情をしていたわ。その綺麗な虹色の髪も、飾らない笑顔も、羨ましかった」
「……羨ましい、ですか……? この髪が……? だって、あの時」
メーアは、この髪を見て、大道芸人なのか、どうやって染めたのかと言った。
あの時、私に冷たい視線を浴びせ、馬鹿にしていたではないか。
羨ましい? 綺麗?
私には、メーアの言葉の意味が全く分からなかった。
「……ええ。ついつい憎まれ口を言ってしまって、ごめんなさい。可愛くない性格なのは、自分でも分かってる。あなたがセオにとって大切な人だというのが、どうしようもなく、辛かったの」
メーアは遠くの海を見ながら、眉を下げ、顔を歪めた。
セオは、メーアから視線を外し、正面を向いてうつむいた。
強い感情を目の当たりにして、セオも戸惑っているのだろうか。
「……私は、本当は弱い人間よ。けれど、国のトップに立つ以上、それは見せられない。常に胸を張って強い女を演じていないと、すぐに足元を掬われてしまうわ。純粋で素直でいられて、好きな人の側で過ごせるあなたが……羨ましかった」
その時、私は気付いたのだった。
メーアの視線が宿していたのは、侮蔑ではなく嫉妬だったということに。
今まで私は、誰かに嫉妬されたことも、羨望を浴びせられたこともなかったから……今の今まで、わからなかった。
「あなたとセオが城に来た時、私はセオを貶めることを言った。あなたはそのことで、皇女である私に物怖じもせず、本気で怒ったわね。すごい勇気だったわ。無謀とも言えるかしら?」
「あ、あの時は、申し訳ございませんでした」
「いえ、もういいの。私ね、その時、『あ、負けたわ』って思ったのよ。私の気持ちより、あなたの気持ちの方が強かった。セオも、すぐにあなたを庇ったしね。だからその場で正式な書類を書かなかったのよ。こうなることが分かっていた……いえ、私がこうなることを望んでいたのかもしれないわ」
メーアの表情は、先程の辛そうな表情から一転して、この上なく穏やかである。
「セオ」
「……はい」
「私ね、本当にあなたのこと、好きだった。私を色眼鏡で見ない、唯一だったから」
メーアの気持ちは、なんとなく、わかる気がする。
セオは、何の先入観も持たずに相手を真っ直ぐに見て、向き合ってくれる人なのだ。
「だけど、好意を伝えても、楽しく遊んでも美味しい物を食べてもどこへ行っても、あなたは表情を崩さなかった。それで小さい頃の私は……意地悪をすればあなたの表情が変わるかも、って思ったの。それでも、あなたの表情は変わらなかった。意地悪がエスカレートしても、やめられなくなっても、あなたは私を嫌わなかった。……表面上は」
セオは、ただ沈黙し、メーアの言葉に耳を傾けている。
「あなたがパステルと一緒にいるのを見て、初めて気付いたわ。あなたは、私のこと、嫌ってたわよね。ずっと前から」
「……僕……」
「いいのよ、当然だわ。私が悪かったの。意地悪して、ごめんなさい」
「……いえ」
「だからね、セオ。婚約の話は、なかったことにしましょう。ちゃんと、水の精霊の元にも連れて行くわ」
「……はい」
セオの返答を聞いて、メーアは満足そうに頷き、立ち上がる。
憑き物が落ちたような、本当に美しい笑顔だ。
私の中では、この数時間で、メーアに対する評価ががらりと変わっていた。
第一印象は最悪だったが、彼女は責任感も強いし、きちんと謝ることもできる人のようだ。
先程、自分の力が及ばないと知った時も、自分を犠牲にして皆を逃がそうとした。
皇女として強くあろうとする気持ちがいつしか強くなりすぎて、素直になれなくなり、そのまま引き下がれなくなったのかもしれない。
メーアは、私に視線を向けると、口元を引き締めた。
目元は依然柔らかいままなので、鋭さも威圧感も感じない。
「パステル。あなたも、いい加減自分としっかり向き合いなさい。周りが何を言おうとブレない芯の強さを、あなたは持ってるはずよ。でもまだ足りないわ」
「自分と、向き合う……?」
「王族の横に並び立つのは大変よ。何度も血反吐を吐くことになるでしょうね。それでも潰れない芯を、しっかり持ちなさい」
そう言い残して、メーアは砂を払い、私たちに背を向けた。
王族の横に並び立つ……大変なのは分かっている。
それでも私は、セオと一緒にいたい。
「はい」
私は、メーアの背中に向かって、力強く頷く。
セオが、私の方を向き、目と目が合う。
「セオ、本当は聖王国の王族なんだよね。私、セオの隣にいても恥ずかしくない令嬢になる。そのために、私、頑張るよ。だから……ずっと、友達でいてほしいな」
友達でいて、と言った時に、フレッドの方へゆっくりと歩き出していたメーアが、躓いてバランスを崩すのが見えた。
私もセオも一瞬そちらを向いて首を傾げる。
……やはり本当は体力が回復していないのかもしれない。
セオはすぐに気を取り直し、少しだけ私との距離を詰めて座り直す。
「パステル。僕は、パステルのこと、恥ずかしく思ったことなんて、一度もない。僕が何者だろうと、パステルは僕の大切な人だ。ずっと、これからも」
「……! ありがとう、セオ……」
「前に言おうとしたこと、言ってもいい?」
「うん」
「僕、家に帰るより、もっと大切なこと……やりたいことができた。僕、パステルと一緒に色んな所を旅したい。精霊に関係があってもなくても、一緒に色んな景色を見て、色んなことを感じたいんだ」
「……うん」
「パステルと一緒だと、色んなことを感じる。帝都にも何回も来ているのに、今回初めて気がついたことが、たくさんあった。パステルといると、僕の世界が、彩られていく」
「セオ……」
セオの瞳には、力強い意志が宿っている。
揺らぐことのないその瞳は、どこまでも真摯だ。
「……あのね、私、前までは外に出るのが怖かったの。でも、セオと一緒なら、どこまででも行けそう」
私は、更に少しだけセオとの距離を詰める。
セオの右手をそっと取り、両手で包み込んだ。
「ねえ、セオ。これからも、一緒にいてくれる?」
セオは、空いている左手を私の手に重ねて、柔らかく微笑んだ。
「勿論」
「ふふ、ありがとう」
「お礼を言うのは、僕の方。ありがとう、パステル」
私たちは、フレッドに呼ばれるまで、肩を触れ合わせ、手を重ね合わせたまま穏やかな海を眺めていたのだった。
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