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愛と希望と『絶望のパスタ』🍝 Love, hope, and “ Spaghetti alla disperata ”

第27話 温もりを知ってしまったら

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 アデルと一夜を過ごした翌朝。

「ん……」

 身を起こそうとしても、後ろからアデルにがっちりと抱きしめられていて、身動きすることができない。
 触れ合っている素肌の感触に、昨夜のことを思い出して、身体中が熱くなってしまう。

 ――昨夜は、私から、誘ってしまった。
 はしたない女と思われていないだろうか。

 けれど、アデルは私を大切にしすぎる。
 こういうことでもなければ、この先ずっと、清いままの関係が続いていただろう。

 私もアデルも初めてのことで探り探りだったけれど――とても幸せな時間だった。

 アデルの腕にそっと触れると、彼が私を抱く力が、ほんの少しだけ弱まった。
 腕の中で身体を反転させると、愛おしそうに細まった紅い瞳と目が合う。

「……おはよう、レティ」

「アデル……起きてたの?」

「ああ」

 アデルは、私の額に優しいキスを落とす。

「……まだ、こうしていたくて、な」

 広く厚い胸に額を寄せて、「私も」と呟くと、アデルは私をそっと抱き寄せ、頭を撫でてくれたのだった。





 いくら身体が疲れていても、ずっとベッドで横になっているわけにはいかない。
 簡単な朝食を用意して、二枚のシーツを洗濯して干し終わった頃には、太陽は中天に差し掛かっていた。

「レティ……一人で大丈夫か?」

「うん、平気だよ。今日は仕込みの日だから、レストランはお休みだし」

「すまない、無理をさせた」

「ううん。ドワーフさんたちによろしくね」

「ああ。行ってくる」

 ちゅ、と柔らかな熱がふれる。
 今までは頬に交わしていた、行ってきますの挨拶が、しれっと唇を奪っていく。

「行ってらっしゃい」

 とろけるような微笑みを浮かべて、アデルは玄関から出て行った。
 ドラコとライの情報が入っていないか確認に向かうのだ。

「ふう」

 私はひと息つく。
 ちょっとだけ休んだら、少しでも部屋の片付けを進めよう。





「よし、こんなもんかな」

 雑巾をバケツの縁にかけ、腰に手を当ててぐいと伸ばす。
 アワダマに手伝ってもらってソファーの染み抜きもしたし、家具の拭き上げ、床や壁の掃除も一通り終えた。
 暖炉の薪も湿ってしまって使えそうにないが、これは一人で片付けられそうにない。

「思ったより時間かかっちゃったな。洗濯は明日ね」

 床に積まれた洗濯物の山を見て、アワダマたちが嬉しそうにくるくると舞っている。
 アワダマたちは洗濯や洗い物が大好きなのだ。

「そういえば、クローゼットとか引き出しの中は大丈夫かしら」

 私は、クローゼットの点検を終え、引き出しの中をざっと確認していく。
 この部屋は客室として利用していたらしく、引き出しの中にはほとんど何も入っていない。
 私自身も荷物を持たず、身一つでこの森に来たから、クローゼットに自分で繕った服や下着類がある他は、私物は何もなかった。

 三段ある引き出しを、上から順に開けていく。

「うん、大丈夫そうね」

 一番上の段に入っている、布や糸は濡れていない。妖精たちから、レストランのお代としてもらったものだ。
 二段目はスカスカだが、少しだけ入っていた他のお礼品も無事だった。
 三段目には、何も入れていないが、なんとなく流れで開けてみる。

「あら……これは?」

 前に開けた時には気付かなかったが、三段目の引き出しは、少し奥行きが狭い。どうやら、引き出しの奥側に、仕切りが付いているようだ。
 仕切りの向こう側には、本が一冊。

 日記か、手帳だろうか……クリーム色の装丁で、金色のふち取りがされている。中央には、朱色で何かの紋様が描かれていた。
 表紙にも、裏表紙にも、背表紙を見ても、不思議な紋様の他には題名も何も書かれていない。

「勝手に中を見たら、まずいかな……」

 もしもこれがアデルの日記で、プライベートなことが書かれていたとしたら。
 勝手に見られたら、良い気分ではないだろう。

「後でアデルに聞いてみよう」

 私はその本を、拭き上げが済んでいるテーブルの上に乗せる。
 引き出しを閉めると、バケツと雑巾を持ち、アワダマたちと一緒に一階に降りて行った。





 ひと息つきたくなって、一人分の紅茶を淹れる。
 ドワーフから貰った魔鉱石式のコンロは、アデルが不在でも、きちんと思い通りに火加減を調整することができて、困ることはない。

 ――けれど、一人だと、寂しいものだ。
 ここに来てからは、ずっとアデルかドラコがそばにいてくれた。

 傷つき倒れていた私が、この恵みの森の崖で、アデルに拾われる前。私は街とも呼べない小さな村で、細々と暮らしていた。
 母が亡くなってからは、いつもほぼ一人だった。母の遺した食堂を一人で切り盛りし、ぎりぎり自分が食べていける分を売り上げるので、精一杯。

 ――だから、ここで暮らし始めるまでは、一人でも、何ともなかったのに。
 温もりを知ってしまったら、最後。ほんの数時間でも、これだ。
 なのに、私は……アデルを一人にして、ドラコとライと一緒に、森の外へ行こうとしてしまった。

「……反省、だなぁ」

 気持ちが沈んできた。
 このままでは、いけない……アデルに心配をかけてしまう。
 もう十八歳なのに、一人でお留守番もできないなんて。どこの子供だ。

「……よし。こういう時は、お料理よね」

 私は自分に喝を入れて、残っている紅茶を飲み干す。

 もうしばらくしたらアデルも帰ってくるだろう。
 大切な人のために料理をしている間は、無心でいられる。暗い気持ちも消えてくれるだろう。

 そうは言っても、やはり酷使した身体は疲れている。
 簡単に作れて元気の出るメニューにしよう、と思いながら、サラダ用の野菜を洗い始めた。
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