夜影の蛍火

黒野ユウマ

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第二.五章 夏休み編

第四話 二人旅

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 ガタン、ゴトン……と規則正しいリズムで揺れる、電車の中。
普段であれば会社勤めの大人や学校へ向かう学生で電車内が溢れかえるであろうこの時間も、この時期は少しだけ人が減っていた。
スーツ姿の大人の姿は変わらずあるものの、学生服の人たちがいないだけ少し席に余裕ができている。

「運良く座れて良かったですね、影人さん」
「うん……ちょっと寝ていい……? 眠い……」
「ん、……いいですよ、まだ少し目的地まで余裕がありますしね」

 学校に行く日と同じ時間に起きたからか、影人さんの体はまだ眠りを求めているようだった。
各駅停車するこの電車だと、目的地まではまだ一時間ほどかかるだろう。「いいですよ」と一言ボクが返事をするなり、影人さんは目を閉じて眠りの体勢に入った。



◇ ◇ ◇



 ── 時は遡ること数時間、街灯がスポットライトのように暗がりを照らす夜。男子高校生二人でスーパーの袋を下げて歩いていた時、前方から小さな人影がこちらに向かって手を振りながら歩いてきたのをよく覚えている。
その正体は、影人さん曰く「普段はこっちで見かけることは全然ない」らしい、ボクもよく知る人物で──

「不破君に黒崎君じゃん、こんなとこで会うなんてね」

 ──なぜか最近よく絡むことのある女子、窓雪さんだった。
手には服屋のものであろう、オシャレな手提げの紙袋。涼しげな白いブラウスが入っているのがちらりと目に入る、新しい夏服でも買っていたのだろうか。

「窓雪さん、こんな時間にお買い物帰りです?」
「うん、私の好きなモデルさんがプロデュースした服がどうしても欲しくて、あっちこっち渡り歩いてたの。ちょっと歩いたとこのショッピングモールでギリギリ一着ゲットしたんだ!」
「へぇ、人気なんですねぇ」

 夜に女子が一人歩きなんて、と言いたいところだったが。太陽が輝くようにというのか、花が咲いたようにというのか……窓雪さんがあまりにも嬉しそうに話すもので、水を差すようなことが言えなかった。
ちらりと隣を見れば影人さんはまるで話に入る気がないようで、赤色をした二つの眼はボクにだけ視線を向けている。
そんな影人さんに一瞬だけ目を向けながらも、窓雪さんは何事もないかのように「あ、そうだ」と持っていたカバンの中を漁る。ぱっと輝くような笑顔を浮かべながら紙切れを二枚取り出し、

「これ、二人で使ってよ」

 と、ボクの手を取って握らせた。紙切れの内容は──「『月光の湯』一日無料体験ペアチケット」。
 女子の手を触ってしまった、否、女子に手を触られてしまった!! ──などと小恥ずかしい気持ちと情けないくらいの緊張で、顔に熱が集中してしまっているボクなどお構いなしに、窓雪さんは話を続ける。

「服買ったら福引き券もらってね、帰りに回したら当たっちゃったの。二等賞。ペアだし、二人にどうかなって」
「でも、窓雪さんだって友達……」
「私だと一人余っちゃうの、モモとリカと私の三人だから喧嘩になっちゃいそう。それにほら、前言ってたでしょ? 夏休みの予定、特に無いって」

 それに私としては二人がもっと仲良くなってくれれば……と、なぜか爛々と輝く目で語る。窓雪さん、ここのところ何故かボクらを気にかけてくれている気がするけれど、何故だろう……。
なんとなく、「断る」という選択肢が無いような気がしたボクは一言礼を述べ、一旦受け取ることにした。

「え、と……ありがとうございます」
「どういたしまして。来年になったら受験で忙しくなっちゃうんだから、今のうちに何か満喫しておいた方がいいぞ~!」

 それじゃあね! と片手を上げ、今まで見たことのないハイテンションっぷりと軽やかな足取りを見せてボクらの元を去った。
嵐が過ぎ去ったかのような静寂がボクらに訪れる。今日の窓雪さんには、随分と勢いがあったようだ。

「……窓雪さん、ボクらのこと気にかけてくれてる気がするんですけど、何ででしょう」
「……さぁ。ファンなんじゃない?」

 知らないけどね、と一言付け加えた影人さん。視線の先には、角へと消えて行く窓雪さんの姿があった。



◇ ◇ ◇



 ──そしてその翌日、電車に揺られて二人旅。県境を跨いでの移動は、高校生にとっては大移動だ。
胎動と同じリズムだという電車の音と揺れのリラックス効果がよく効いているようで、隣の銀髪イケメンの意識は既に眠りの中。
ボクも睡魔に襲われかけたが、ボクまで寝てしまったら乗り過ごしてしまう。今回の目的地は、途中の駅近辺にあるのだ。

 売店で買ったフルーツ味のグミを口に放り、咀嚼しながら眠気覚ましを試みる。ほどよい噛みごたえと口に広がる甘みがボクを現実に引き戻していく。

 そうして揺られること数十分、車内のアナウンスが響く。ボクらが降りる目的地の駅に近づいているそうだ。
寝入ってしまっている銀髪王子の肩を叩き、「次で降りますよ」と声をかける。相当眠いようで、「んー……」と、唸りにも似た返事しかない。

「影人さん、起きてください。もう近づいてます」
「……あと五分」
「それが通用するのは休日のお家だけです、さっさと起きてください」

 あと五分、なんてお決まりすぎる。呆れ半分、焦り半分のボクはペットボトル入りの天然水を影人さんの首筋に当てた。
特に声をあげることなく、体を震わせ目を開けた影人さん、どうやら眠りの国のゲートは一瞬で閉じられたようだった。

「……何すんの、変態」
「人聞き悪いこというな! アナタですよ同じこと前にもやってきたの!」

 夏休み前の一学期、ボクの首筋に冷えた缶ジュースを当ててきたのはどこのどいつだ。ようやくその時の仕返しができたと内心ガッツポーズをしたのは内緒。
 電車がホームに止まる頃には影人さんもようやくハッキリと目が覚めたようで、バッグを持ってゆっくりと電車を降りた。ボクも続いて降り、スマホで地図を確認しながら目的の温泉へと向かう。

 駅を出た先で見えたのは、今時の一戸建てより少し古めかしい昭和レトロ風の民家や小さな店が立ち並ぶ、静かな街並み。ボクらの住む店にあるような、大きなショッピングモールやバカでかいパチンコ店は無さそうな田舎の風景だ。
 コンクリート造りの道路は軽自動車三台分は通れそうなくらい幅広く造られてはいるが、歩行者天国同然にたくさんの人が歩いている。時々旅館のバスや軽トラが通るけれど、スピードを落とし恐る恐るといった様子で前進していて少し通りづらそうだ。
周りを見渡せば、外国人や浴衣姿の人もちらほらと視界に入る。流石温泉街、と言ったところだろう。

「……ここかぁ、月光の湯」

 『目的地に近づきました』というスマホの音声案内終了ボイスが鳴り、目の前に見えた建物に目を向ける。
茶と白基調のナチュラルな色合いをした和風モダンな外観に、建物の周囲を彩る向日葵。『天然温泉 月光の湯』と書かれた壁の下を、オレンジ色のライトが温かく照らしている。

 受付を済ませて中を進むと、すぐ横に見える食堂では高齢者や親子連れ、カップルまで幅広い層の人々が憩いのひと時を過ごしていた。

「流石夏休み時期ですね、人が多い…」
「うるさい……あいつら全員目潰ししていい?」
「ダメです、こんな見知らぬ土地で暴れないでくださいよ。だったらさっさと……お風呂行きましょうよ」

 放っておいたら本気で暴れそうな気がなんとなくしたボクは影人さんの手を掴み、早足で風呂場へ向かった。
道中すれ違う女性がちらほらと熱を帯びた視線でこちらを見ていた気がするが、多分ターゲットはボクではなく影人さんだろう。イケメンはどこに行っても女性の視線から逃れられないようだ。

 昼間から廊下のパチンコに勤しむおじさんたちの横を通りすぎて歩みを進め、男湯の暖簾をくぐった。広々とした脱衣所の中には意外とそこまで人がおらず、各ロッカーに一人か二人いるくらいだった。大体の人は入浴を終えて食堂で和気あいあいとしているのだろう。
 どこ行きますか、なんて影人さんに尋ねてみれば「あっち……」と、隅のロッカーへと向かった。

(…………)

 七分袖のシャツを脱いだ影人さんの上半身に残された、痛々しい傷跡。肌が白いゆえに、よく目立つ。
影人さんとはきちんと話をしてこの温泉には来たのだけれど。本当に良かったのだろうか、と今更ながら考えてしまう。
 そんなボクの考えを読み取ったのか否か、影人さんは突然人差し指でドスドスとボクの頬を突き、

「……何か変なこと考えてる?」

 と、いつもの変わらない無表情でボクを見る。

「あ、……いえ、すみません。ボク、なんかそんな風に見えてました?」
「うん、すごく」

 顔に出やすい、とは何度も言われたことはあるけれど。
それにしたって、影人さんは察しが良すぎるんじゃないだろうか……。



 ―― 最初はそれこそ躊躇ったものだ。
影人さんは学校でも人前で着替えはしないし、体育だって必要に迫られた時以外はずっと見学で。不特定多数の他人には見せたくないのだろうと、ボクは考えていた。
 だって、ボクだったらきっとできない。どんな風に見られるのか怖くて、それは何だと聞かれたらどう答えたらいいのかわからなくて、ずっと隠し通そうとしていただろう。

 窓雪さんにもらった日帰り温泉の無料券。ボクとしては遠出も楽しそうだと思ったけれど、温泉となると肌を見せなければならない。
 どうしようか、一応聞くだけ聞いてみれば良いだろうか。……なんて、ちらっと視線を送っただけだったのだが。

「行きたいの?」

 ボクが送った視線に返す形で、影人さんがじぃ……と、こちらに目を向けてくる。

「あ、まぁ……ボク、温泉割と好きですし。……友達と一緒に旅なんて、楽しそうだなと思って。……で、でも、温泉なんてほら、服脱がなきゃですか「別にいいけど」……え?」

 ボクの言葉を遮る形で出てきた、思わぬ返事だった。絶対、外出たくないとか嫌だとか言うかと思ったのに。

「……傷跡コレの事なら気にしなくていいよ、こんなの昔のことだし。気にされるの、俺も嫌だし」
「え、……でも、ボク以外の他の人も見るかもしれませんよ? 事情を知らない人たちが、何を言うか……」
「その時はそいつらの目を潰せばいいよ」
「バイオレンスな対処方法をさらっと言うのやめてくれません?」

 いつもと変わらない、平常運転の影人さんに平手で突っ込みを入れる。この人は、油断をすると度肝を抜かれるようなことをよく言ってくるものだ。

「……コレ、場所見るに県境跨ぐでしょ? 見られたところで知らない奴ばっかだろうし、どうってことないよ」
「そうですか……じゃ、明日行きましょう明日!」




 ……そんな風に話したっけな、と、服を脱ぎながら昨夜のことを回想をする。
そこでようやく、ボク自身の気持ちも改める。

 影人さんは言っていたじゃないか、気にされる方が嫌なのだと。── 思い出したくもない過去のことだから、と。
 見方を変えれば、今の影人さんは忌々しい過去を蹴り飛ばして前へ進もうとしているのだ。
それを、傍にいるボクが過去の証を気にしているようでは──彼の歩みの邪魔となる。

「……すみません、確かにちょっと変なこと考えちゃってましたね。以後気をつけます」
「あ、やっぱり? ……変態」
「は?」

 ……とりあえず、何があってもいつも通りにしてれば問題ないだろう。多分。



◇ ◇ ◇



 湯気の立つ、ぼんやりと温かい浴場。何人もの人が入れる大浴場にはあまり人がおらず、どちらかというと外の露天風呂に集中しているようだった。
洗いを済ませたボクと影人さんは、浴場内の大風呂に入った。窓から少し見下ろせる街並みをぼーっと眺めながら、一息をつく。

「……静かな街ですね、車もあんま通らないし」
「うん」

 マンガとかドラマであれば、かぽーん……なんて効果音が流れそうな光景だ。
ボクは大理石の窓枠に肘をついて外を見て、影人さんは窓枠に背を預けて寄りかかっている。

 ぼーっと窓の外を見るボクの頭の中に、ふと、影人さんの言葉が蘇る。

『……コレ、場所見るに県境跨ぐでしょ? 見られたところで知らない奴ばっかだろうし、どうってことないよ』

(……知らない奴ばっか、か)

 電車で一時間はかかる温泉街。ここまで来れば、確かに知り合いに会うこともない。
ここに来るまでに、ボクの知り合いを見かけることもなかった。……ボクの「家族」も。

 叔母さんたちもクラスメイトもいないここなら、話を聞かれたとて差し支えはないだろう。
ボクは、窓の外から影人さんに目を向けた。

「……ねぇ、影人さん。影人さんって、将来どうするとか、考えたことあります?」
「将来の話? ……何も考えてない」
「何も? 一学期の進路希望調査は……?」
「出してない。提出しろって先生に怒られたけど、書きようがないからね」

 今を生きるので精一杯――影人さんはぼそりと、そんな言葉を口にした。
前のボクであれば、多分「もっときちんと考えろ」なんて言ったのかもしれないけれど。影人さんのことを少し知ることが出来たボクには、それが何よりの本音であるとすんなり納得していた。
 ベースが弾ける事を理由に音楽関係の道はと尋ねれば、返ってきた答えは「あれは趣味程度だから」と。将来に繋げるほどの熱は、無いようだ。

「影人さんなら顔いいし、モデルなんてイケそうですけどね」
「そう? まぁ……何も決まらなかったら、それも視野には入れるかもね。そう言うお前は、なんか考えてんの?」
「……具体的には、あんまり。一人暮らしをする、ってことしか決めてないんですよ。進路希望調査票だって、まだ「未定」しか書けない」

 恥ずかしい話だけれど、今ここにいるボクの知り合いは影人さんだけだ。
彼にしか聞かれないのであれば、と。ボクも遠慮なしに語り始める。

「一人暮らしの先輩の影人さん、こういう温泉街って住むにはどう思います?」
「……あんまり大きい店とか無さそうだからね。観光にはいいけど、住むとなると今みたいな便利なとこが恋しくなると思うよ。俺はだけど」
「なるほど。……ま、それも一理あるかもしれませんね」

 観光にはいいが生活には向かないかもしれない──ということだろうか。確かに、この地域だと今ボクらの周りにあるような、当たり前にある娯楽施設や大型設備などはなさそうで。
 いずれその不便さに対する不満を訴える日も来るのかもしれない。この意見は参考にしておこう。

「……ボク、こういう……ボクのことを誰も知らない人ばかりの世界に一人で住んで、何もかもやり直そうかな……なんて、考えちゃってたりして。ボクも今決まってるの、その程度なんですよ。影人さんみたいに、趣味も特にないですし」

 恥ずかしい話なんですけど、と付け加えて。我ながら人生設計の浅さに自嘲しか出てこない。
影人さんは、黙って聞いている。否定も肯定もせず、ただ、じっとどこかに視線を向けながら「そう」とだけ。

「……でも」
「何?」

 ……あぁ、けれどなんということか。
べらべらと話すこの口は、今まで考えたこともなかったことまで、話してしまう。

「……こうして旅をするまで仲良くなった友達と離れるのは……ちょっと、寂しいというか。影人さんとのことは、無かったことにしたくないというか……」
「…………」
「……あー……すみません、ちょっとサウナ行ってきます」

 間に流れた微妙な空気になんとなくいたたまれなさを感じたボクは、逃げるようにサウナへと向かった。
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