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第二.五章 夏休み編
第二話 初体験(※)
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夏は暑いもの。古来より、日本人の口から飽きるほど言われてきた言葉の一つ。
なぜ夏は暑いのか、理由は分からずともそういうものなのだとイメージづけをさせるくらいには、夏は暑いものというのが当たり前のようになっている。
ボクもその理屈はわかる。生まれて17年、暑くなかった夏など記憶に全くない。夏は暑いものなのだと、嫌でもこの脳と体には記憶されている。
……理屈だけなら分かる。分かるのだ。
「......いやほんと、クソ暑」
ただし、どれだけ理屈では理解しようとも、体は每年不平不満を訴えていた。知識としての理解だけで乗り越えられるほど、暴力的な日差しに耐えられる強靭な肉体は持ち合わせていない。
紫外線にはカルシウムのバランスを整える、骨の健康を保つのに必要な栄養素である「ビタミンD」が含まれていると言われているけれど、ここまで暑すぎると逆に骨まで溶かされるのでは? と錯覚するくらいだ。
そんな紫外線の暴力に耐えながら向かう先は、唯一の友人である影人さんの家。
両肩にリュックサック、片手でキャリーバッグをゴロゴロと引きずりながら歩くボクの額には、すっかり汗が滴っていた。
影人さんの家は、ボクの家から学校に行くまでと大して変わらない距離だけれども。真夏の炎天下の中歩いて行くには、少し堪えるものがあった。
歩いた方が健康に良いからなんて理由で断ってしまったが、叔父さんに車で送ってもらった方が良かったかもしれない。
いつも登校前で待ち合わせをするコンビニで麦茶を買い、水分を補給しながらひたすら歩く。 流れる汗を拭いながら足を進めること数分、ようやく影人さんの家に辿り着いた。
インターホンを押して、影人さんの登場を待つ。合鍵を持ってはいるが、一応礼儀としてだ。
「……合鍵持ってるでしょ、そのまま入って来ればいいのに」
「人の家にお邪魔するんですから、来たことを知らせる意味合いも込めてですよ。いきなり入るのは失礼かと思いましてね」
素晴らしいほどのローテーションぶりというのか。まだ目が覚めきれていないような、だるい雰囲気を醸し出したまま影人さんは姿を現した。
首元まで伸びている髪を結い、少し前の開いたシャツ姿。男のボクでも分かる、コレは多分ファンが見たら正気を失って世界の中心で発狂する乱心レベルの美術品だ。
テレビはこういうイケメンの姿をセクシーだなんだと取り上げてチヤホヤするのだ。影人さん、芸能人じゃなくて良かったですねと心の中で呟いておいた。
影人さんに言われるままに上がり、部屋へ入る。太陽のオンステージである外と違い、部屋の中は クーラーが効いていてかなり快適だった。
まさに人間が作り上げた、人間のための世界だ。
「……何か飲む? モン○ナしかないけど」
「いらないですよカフェインの集合体なんて……大丈夫です、麦茶ありますから。アナタの分も買っておくべきでしたね」
「え、俺コーラがいい……」
「糖分の塊とカフェインの集合体しか飲まないんですか? 麦茶は良いですよ、大麦が体を冷ましてくれますし、脱水症状対策に有効なミネラルもあります。真夏の孤独死対策にもなりますのでぜひ」
「蛍って何か俺のこと孤独死させたがってない?」
何となく不服そうな目を向けてくる影人さん。不健康男子高校生の一人暮らしだ、それくらいの心配は大袈裟ではない……と、思いたい。
そんな影人さんをスルーしつつ、ボクはリュックサックから筆箱と教科書、プリントを取り出し机にずらりと並べる。せっかくクーラーの効いた部屋にいるのだ、こういうものを片付けるにはもってこいの状況である。
影人さんの部屋には テレビもゲームも漫画も無い。誘惑が殆ど無いこの空間、宿題を片付けるにはおあつらえ向きだ。
「さ、やりましょう影人さん、こういうのは、ちゃっちゃとやるのが良いんですよ」
「ええ……面倒くさい、蛍全部やって」
「勉強は学生の本分じゃ!! 働け男子高校生!!」
なんか違う気がするが、とりあえず日本古来から伝わる言葉を投げつけておいた。
◇ ◇ ◇
宿題タイムから数時間。何やかんやと言い合いながらも、四分の一は終わらせることができた。
時間は22:00。夕飯やら風呂やらを済ませた後は一緒に動画を見たり、影人さんの弾くベースを聴かせてもらったり、のんびりと過ごしていた。
普段はここまで長く一緒に過ごすことが無いから、すごく新鮮だ。
クラスメイトはきっと、友達同士でこんなことを当然のようにしているのだろう。少し、羨ましい。
カーテンの外を見れば、太陽の天下が終わった空の色。黒に限りなく近い紺色の空に輝く月は、太陽より控えめで自己主張のない、淡い光を放っていた。
スマホをいじりながらぼーっとベッドの横に座る影人さんの横に、ボクも座り込む。
テレビもラジオもない、静寂。何かを話したい気はするけれど、何を話したらいいのだろう。
友達の家に泊まるということ自体、初めての経験なのだ。そわそわ、緊張に似た落ち着かなさ感じては目線をあちこちに向けてしまう。
こういう時、他の人はどうしているんだろう。カードとか、ボードゲームとかやってたりするのだろうか。
娯楽品の一つ、買っておくんだった……と、僅かな後悔が過ぎった。
「……ねぇ、蛍」
「はい?」
影人さんがボクに声をかけてきた。「見て」と言いながら、おもむろにスマホの画面を向けてくる。
言われるままに目を向けると、そこに映っていたのは──
「っ、は!? ちょ、ちょっと!!!」
──裸の男女が絡みあっている、例の動画だった。
「いきなり何かと思えば……や、やめてくださいよ!!」
「本当、蛍は純粋だね。……けど、知識くらいは知っておかないと将来困るかもよ?」
「困りません!! ボクは女子とそういうことするつもりないし……したい、なんていう人だっているわけないじゃないですか……」
影人さんみたいな美男子ならまだしも、そんな言葉を飲み込んで、ボクは動画から目を逸らす。
触れ合う男女の声を聞くだけで、どうかしてしまいそうだ。熱い何かが、じわじわと体の芯から湧き上がるような、そんな気がして。
以前もこの感覚を感じたことがあるけれど、正直──とても怖かった。
自分の中にある、自分の知らない、自分じゃない何かが湧いてきてしまうような、未知の感覚が。
この間のように、逃げ出してしまいたい。
そう思った時には、遅かった。
「……分かんないよ、そんなの。女の好みなんて色々だからさ。蛍みたいな可愛い男が良いって、狙う奴もいるかも」
――気付いたら、逃げられなくなっていた。
背に応じる温もり、がっちりとホールドするように後ろから肩へ回された腕、異様に近くに感じる低音ボイス。
にわか信じがたいけれど、理解してしまった。
――今、ボクは影人さんに後ろから抱きしめられている。
何をどう考えたらこんなことになるのか、頭をフル回転させても全く追いつかない。この体勢に至った理由が理解できない。
「何のつもりですか、影人さん」
「前、言ったよね。知識だけでも教えてあげようかって」
「言いましたね、言いましたよ! タチの悪い冗談だと思ってスルーしてましたけど!!」
「割とマジでね、知っておかないと泣くのは蛍だよ」
卑劣な女も時々いるからさ、と言いながら、影人さんの手がボクの下腹部に伸びる。
そのままするりとズボンの中に忍ばせようとしたところでとっさにその手首を掴み、ボクは声を上げた。
「……タチの悪い冗談ならやめてください、影人さん」
今まで以上に至近距にあるであろう、影人さんの顔がある方を振り向く。
わざとなのか、ボクの顔を覗き込むように影人さんが顔を近付けてきた。
吐息がかかりそうな距離に、何となく恥ずかしさが込み上がる。相手は同性で友達だが、こうも距離が近いと少しばかり照れが生じてしまう。
……何せ、相手は美術品同等のイケメンなのだ。
「何、蛍。恥ずかしいの?」
「恥ずかしいに決まってるじゃないですか!! どこに手ェ突っ込もうとしてんだこのド変態!!」
「ド変態はちょっと酷いんだけど……。全部教えるのは無理だけど、せめて抜き方だけは教えとこうと思って。性欲処理の仕方くらい、知ってて損はないよ」
「余計なお世話だって言って「知ってる? 定期的に抜くと前立腺がんになる確立が減るんだって」
――今、何て?
異を唱えようとしたボクの言葉を遮り、語りかけられたのは思わぬ健康情報だった。
ガンと言えば、別名「悪性新生物」。日本人の死因ランキングの中で、毎年五本指の中に数えられるほどに厄介な病だ。
それに、確か前立腺がんはいつだったかの罹患数を調べたもので、男性部門第一位だった
はずだ。
その確立が低くなるというのは、魅力的な情報ではある……が。
やろうとしていることはよくわからないが、こんな手段で本当に良いのか? と言葉が止まってしまう。
「大丈夫だよ、みんなやってる。……俺らの年頃が、一番盛んだからね」
迷うボクの耳に響く影人さんの声。興味、好奇心すら抱いてしまいそうなその言葉は、今のボクにとっては悪魔の囁き同然だった。
体が熱い、頭の中まで全て蝕むような未知の感情はボクの中から「拒否」と「抵抗」を奪い取っていった。
「……デマだったら承知しませんよ」
「後で調べてみれば」
掴んでいた手首を解放し、両腕をだらりと床へ落とした。
自由になった影人さんの手が衣服の中へ進入し、誰にも触れさせたことのない部位に指を滑らせる。
一部分に触れられてるだけなのに、体全体に変な感覚が伝わるような、不思議な感じがする。
影人さんの指が根元や先端に触れるだけで、ボクの体は痙攣のようにびくびくと震えた。
「んっ、あ、……っ、んんっ」
「大丈夫だよ、無理に声我慢しなくても。ここ、防音だから」
「そういう、問題じゃ、は、ぁっ」
意図せず漏れ出る声。ボク自身、出したくて出してる訳じゃない。恥ずかしさで顔を覆いたいくらいなのだが、そこまで手が届かない。唇を噛みしめるのが精々だった。
風邪とはまた違う熱に浸されて、脳髄まで蕩けてしまいそうな感覚に、ただただ身を委ねるしかできない。
下半身に触れる影人さんの手つきも、緩やかだったのが段々と激しさを増して。 擦るように
手を上下させていくその動きにボクの陽物もびくびくと反応し、熱がそこに集中していくような、変な感覚に襲われていく。
「やっ、かげひ、さっ、何、出ちゃ、あっ」
「…… あぁ、出して良いよ。普通のことだから、安心してイッて」
「イクって、な、っ、あっ、あっ、……――!!!」
込み上がる熱、訳の分からない感覚に耐えた末。
頭の中が真っ白になるような、思考回路を全て奪われたような「何か」に堕ちていった――。
◇ ◇ ◇
「未だに変な感じなんですけど……」
「そんなに気持ち良かった? ……まぁ、初めてだし仕方ないよね」
「あれ、気持ち良いっていうんですか? 何がなんだか訳わかんないって感じでしたけど」
ひたすら下半身をいじくられて、意識が飛ぶような感覚がした瞬間から数分後。
入浴後の着替えが汚れてしまったボクは泣く泣くズボンやパンツを履き替え、本格的に寝る準備を始める。
影人さんはというと、しれっとベッドに潜ってまたスマホをいじり始めていた。
「そういえは、影人さん。さっきの、みんなやってるって言ってましたけど」
「あぁ、うん。俺も例外じゃないよ。純粋なお前と違ってね」
「明日の朝になったら覚えてろコンチクショウが」
まぁ、言ってる本人がやってない訳ないか。少しため息を吐きつつ、いざ寝ようと周りを見渡す。
……そういえば、泊まりに来ると言って来たのは良いものの。ボクはどこで寝れば良いのだろう?
影人さんの部屋には、シングルベッドが一つだけ。もしかして、ボクは雑魚寝か?
どうしたものかと悩むボクに、影人さんがじっと目線を向けながら口を開いた。
「……隣。うち、敷き布団とか余分にないし」
「え? ……でも、一人用でしょう? 狭くなっちゃいますよ」
「……良いよ、別に」
ほら、と一人分のスペースを空けて横になる影人さん。まさか共寝になるとは……と思いつつ、静かに隣に入り込む。
肩と肩が触れ合う距離に、少しだけ緊張する。誰かと一緒に寝るなんて、数年ぶりなのだ。何だか慣れないことのように感じて落ち着かない。
……眠れるだろうか。
そんなボクに追い打ちをかけるかのように、隣からぎゅっと引き寄せられた。
これまでとない至近距離にある影人さんのイケメンフェイス、抱き枕を抱くかのように回された腕。体を包みこむ温かなぬくもりに、少しだけ心臓が早くなる。
こんな風に抱きしめられたことさえ、本当に――いつぶりなのか。しかも相手は恋人でなく友達だ、なぜこんなことになったのかは分からない、が……悪くも、なかった。
「あの、コレはどういうおつもりで……」
「……別に」
それ以上は何も語ろうとしない。そんな雰囲気を感じ取ったボクは、深追いをしないことにした。
彼も家族や女性絡みで色々あった人なのだ。何か考えがあってのことだと思いたい。
……そんなボクも、このぬくもりには思うところがあるのだけれど。
(……温かい)
今となっては、いつのことだか思い出せない。最後にこうして抱きしめられたのは、いつなのか。
ボクの体を包む感触とぬくもりに、僅かながらじわりと目頭が熱くなるような気さえしていた。
無意識に、ボクの腕も彼の背に回してしまいそうになる。
(……いや、気まぐれ、かもしれない)
そう考えては腕を戻して、ボクは眠りについた。
――少しだけこのぬくもりに浸って、現実を忘れていたい気がしていた。
なぜ夏は暑いのか、理由は分からずともそういうものなのだとイメージづけをさせるくらいには、夏は暑いものというのが当たり前のようになっている。
ボクもその理屈はわかる。生まれて17年、暑くなかった夏など記憶に全くない。夏は暑いものなのだと、嫌でもこの脳と体には記憶されている。
……理屈だけなら分かる。分かるのだ。
「......いやほんと、クソ暑」
ただし、どれだけ理屈では理解しようとも、体は每年不平不満を訴えていた。知識としての理解だけで乗り越えられるほど、暴力的な日差しに耐えられる強靭な肉体は持ち合わせていない。
紫外線にはカルシウムのバランスを整える、骨の健康を保つのに必要な栄養素である「ビタミンD」が含まれていると言われているけれど、ここまで暑すぎると逆に骨まで溶かされるのでは? と錯覚するくらいだ。
そんな紫外線の暴力に耐えながら向かう先は、唯一の友人である影人さんの家。
両肩にリュックサック、片手でキャリーバッグをゴロゴロと引きずりながら歩くボクの額には、すっかり汗が滴っていた。
影人さんの家は、ボクの家から学校に行くまでと大して変わらない距離だけれども。真夏の炎天下の中歩いて行くには、少し堪えるものがあった。
歩いた方が健康に良いからなんて理由で断ってしまったが、叔父さんに車で送ってもらった方が良かったかもしれない。
いつも登校前で待ち合わせをするコンビニで麦茶を買い、水分を補給しながらひたすら歩く。 流れる汗を拭いながら足を進めること数分、ようやく影人さんの家に辿り着いた。
インターホンを押して、影人さんの登場を待つ。合鍵を持ってはいるが、一応礼儀としてだ。
「……合鍵持ってるでしょ、そのまま入って来ればいいのに」
「人の家にお邪魔するんですから、来たことを知らせる意味合いも込めてですよ。いきなり入るのは失礼かと思いましてね」
素晴らしいほどのローテーションぶりというのか。まだ目が覚めきれていないような、だるい雰囲気を醸し出したまま影人さんは姿を現した。
首元まで伸びている髪を結い、少し前の開いたシャツ姿。男のボクでも分かる、コレは多分ファンが見たら正気を失って世界の中心で発狂する乱心レベルの美術品だ。
テレビはこういうイケメンの姿をセクシーだなんだと取り上げてチヤホヤするのだ。影人さん、芸能人じゃなくて良かったですねと心の中で呟いておいた。
影人さんに言われるままに上がり、部屋へ入る。太陽のオンステージである外と違い、部屋の中は クーラーが効いていてかなり快適だった。
まさに人間が作り上げた、人間のための世界だ。
「……何か飲む? モン○ナしかないけど」
「いらないですよカフェインの集合体なんて……大丈夫です、麦茶ありますから。アナタの分も買っておくべきでしたね」
「え、俺コーラがいい……」
「糖分の塊とカフェインの集合体しか飲まないんですか? 麦茶は良いですよ、大麦が体を冷ましてくれますし、脱水症状対策に有効なミネラルもあります。真夏の孤独死対策にもなりますのでぜひ」
「蛍って何か俺のこと孤独死させたがってない?」
何となく不服そうな目を向けてくる影人さん。不健康男子高校生の一人暮らしだ、それくらいの心配は大袈裟ではない……と、思いたい。
そんな影人さんをスルーしつつ、ボクはリュックサックから筆箱と教科書、プリントを取り出し机にずらりと並べる。せっかくクーラーの効いた部屋にいるのだ、こういうものを片付けるにはもってこいの状況である。
影人さんの部屋には テレビもゲームも漫画も無い。誘惑が殆ど無いこの空間、宿題を片付けるにはおあつらえ向きだ。
「さ、やりましょう影人さん、こういうのは、ちゃっちゃとやるのが良いんですよ」
「ええ……面倒くさい、蛍全部やって」
「勉強は学生の本分じゃ!! 働け男子高校生!!」
なんか違う気がするが、とりあえず日本古来から伝わる言葉を投げつけておいた。
◇ ◇ ◇
宿題タイムから数時間。何やかんやと言い合いながらも、四分の一は終わらせることができた。
時間は22:00。夕飯やら風呂やらを済ませた後は一緒に動画を見たり、影人さんの弾くベースを聴かせてもらったり、のんびりと過ごしていた。
普段はここまで長く一緒に過ごすことが無いから、すごく新鮮だ。
クラスメイトはきっと、友達同士でこんなことを当然のようにしているのだろう。少し、羨ましい。
カーテンの外を見れば、太陽の天下が終わった空の色。黒に限りなく近い紺色の空に輝く月は、太陽より控えめで自己主張のない、淡い光を放っていた。
スマホをいじりながらぼーっとベッドの横に座る影人さんの横に、ボクも座り込む。
テレビもラジオもない、静寂。何かを話したい気はするけれど、何を話したらいいのだろう。
友達の家に泊まるということ自体、初めての経験なのだ。そわそわ、緊張に似た落ち着かなさ感じては目線をあちこちに向けてしまう。
こういう時、他の人はどうしているんだろう。カードとか、ボードゲームとかやってたりするのだろうか。
娯楽品の一つ、買っておくんだった……と、僅かな後悔が過ぎった。
「……ねぇ、蛍」
「はい?」
影人さんがボクに声をかけてきた。「見て」と言いながら、おもむろにスマホの画面を向けてくる。
言われるままに目を向けると、そこに映っていたのは──
「っ、は!? ちょ、ちょっと!!!」
──裸の男女が絡みあっている、例の動画だった。
「いきなり何かと思えば……や、やめてくださいよ!!」
「本当、蛍は純粋だね。……けど、知識くらいは知っておかないと将来困るかもよ?」
「困りません!! ボクは女子とそういうことするつもりないし……したい、なんていう人だっているわけないじゃないですか……」
影人さんみたいな美男子ならまだしも、そんな言葉を飲み込んで、ボクは動画から目を逸らす。
触れ合う男女の声を聞くだけで、どうかしてしまいそうだ。熱い何かが、じわじわと体の芯から湧き上がるような、そんな気がして。
以前もこの感覚を感じたことがあるけれど、正直──とても怖かった。
自分の中にある、自分の知らない、自分じゃない何かが湧いてきてしまうような、未知の感覚が。
この間のように、逃げ出してしまいたい。
そう思った時には、遅かった。
「……分かんないよ、そんなの。女の好みなんて色々だからさ。蛍みたいな可愛い男が良いって、狙う奴もいるかも」
――気付いたら、逃げられなくなっていた。
背に応じる温もり、がっちりとホールドするように後ろから肩へ回された腕、異様に近くに感じる低音ボイス。
にわか信じがたいけれど、理解してしまった。
――今、ボクは影人さんに後ろから抱きしめられている。
何をどう考えたらこんなことになるのか、頭をフル回転させても全く追いつかない。この体勢に至った理由が理解できない。
「何のつもりですか、影人さん」
「前、言ったよね。知識だけでも教えてあげようかって」
「言いましたね、言いましたよ! タチの悪い冗談だと思ってスルーしてましたけど!!」
「割とマジでね、知っておかないと泣くのは蛍だよ」
卑劣な女も時々いるからさ、と言いながら、影人さんの手がボクの下腹部に伸びる。
そのままするりとズボンの中に忍ばせようとしたところでとっさにその手首を掴み、ボクは声を上げた。
「……タチの悪い冗談ならやめてください、影人さん」
今まで以上に至近距にあるであろう、影人さんの顔がある方を振り向く。
わざとなのか、ボクの顔を覗き込むように影人さんが顔を近付けてきた。
吐息がかかりそうな距離に、何となく恥ずかしさが込み上がる。相手は同性で友達だが、こうも距離が近いと少しばかり照れが生じてしまう。
……何せ、相手は美術品同等のイケメンなのだ。
「何、蛍。恥ずかしいの?」
「恥ずかしいに決まってるじゃないですか!! どこに手ェ突っ込もうとしてんだこのド変態!!」
「ド変態はちょっと酷いんだけど……。全部教えるのは無理だけど、せめて抜き方だけは教えとこうと思って。性欲処理の仕方くらい、知ってて損はないよ」
「余計なお世話だって言って「知ってる? 定期的に抜くと前立腺がんになる確立が減るんだって」
――今、何て?
異を唱えようとしたボクの言葉を遮り、語りかけられたのは思わぬ健康情報だった。
ガンと言えば、別名「悪性新生物」。日本人の死因ランキングの中で、毎年五本指の中に数えられるほどに厄介な病だ。
それに、確か前立腺がんはいつだったかの罹患数を調べたもので、男性部門第一位だった
はずだ。
その確立が低くなるというのは、魅力的な情報ではある……が。
やろうとしていることはよくわからないが、こんな手段で本当に良いのか? と言葉が止まってしまう。
「大丈夫だよ、みんなやってる。……俺らの年頃が、一番盛んだからね」
迷うボクの耳に響く影人さんの声。興味、好奇心すら抱いてしまいそうなその言葉は、今のボクにとっては悪魔の囁き同然だった。
体が熱い、頭の中まで全て蝕むような未知の感情はボクの中から「拒否」と「抵抗」を奪い取っていった。
「……デマだったら承知しませんよ」
「後で調べてみれば」
掴んでいた手首を解放し、両腕をだらりと床へ落とした。
自由になった影人さんの手が衣服の中へ進入し、誰にも触れさせたことのない部位に指を滑らせる。
一部分に触れられてるだけなのに、体全体に変な感覚が伝わるような、不思議な感じがする。
影人さんの指が根元や先端に触れるだけで、ボクの体は痙攣のようにびくびくと震えた。
「んっ、あ、……っ、んんっ」
「大丈夫だよ、無理に声我慢しなくても。ここ、防音だから」
「そういう、問題じゃ、は、ぁっ」
意図せず漏れ出る声。ボク自身、出したくて出してる訳じゃない。恥ずかしさで顔を覆いたいくらいなのだが、そこまで手が届かない。唇を噛みしめるのが精々だった。
風邪とはまた違う熱に浸されて、脳髄まで蕩けてしまいそうな感覚に、ただただ身を委ねるしかできない。
下半身に触れる影人さんの手つきも、緩やかだったのが段々と激しさを増して。 擦るように
手を上下させていくその動きにボクの陽物もびくびくと反応し、熱がそこに集中していくような、変な感覚に襲われていく。
「やっ、かげひ、さっ、何、出ちゃ、あっ」
「…… あぁ、出して良いよ。普通のことだから、安心してイッて」
「イクって、な、っ、あっ、あっ、……――!!!」
込み上がる熱、訳の分からない感覚に耐えた末。
頭の中が真っ白になるような、思考回路を全て奪われたような「何か」に堕ちていった――。
◇ ◇ ◇
「未だに変な感じなんですけど……」
「そんなに気持ち良かった? ……まぁ、初めてだし仕方ないよね」
「あれ、気持ち良いっていうんですか? 何がなんだか訳わかんないって感じでしたけど」
ひたすら下半身をいじくられて、意識が飛ぶような感覚がした瞬間から数分後。
入浴後の着替えが汚れてしまったボクは泣く泣くズボンやパンツを履き替え、本格的に寝る準備を始める。
影人さんはというと、しれっとベッドに潜ってまたスマホをいじり始めていた。
「そういえは、影人さん。さっきの、みんなやってるって言ってましたけど」
「あぁ、うん。俺も例外じゃないよ。純粋なお前と違ってね」
「明日の朝になったら覚えてろコンチクショウが」
まぁ、言ってる本人がやってない訳ないか。少しため息を吐きつつ、いざ寝ようと周りを見渡す。
……そういえば、泊まりに来ると言って来たのは良いものの。ボクはどこで寝れば良いのだろう?
影人さんの部屋には、シングルベッドが一つだけ。もしかして、ボクは雑魚寝か?
どうしたものかと悩むボクに、影人さんがじっと目線を向けながら口を開いた。
「……隣。うち、敷き布団とか余分にないし」
「え? ……でも、一人用でしょう? 狭くなっちゃいますよ」
「……良いよ、別に」
ほら、と一人分のスペースを空けて横になる影人さん。まさか共寝になるとは……と思いつつ、静かに隣に入り込む。
肩と肩が触れ合う距離に、少しだけ緊張する。誰かと一緒に寝るなんて、数年ぶりなのだ。何だか慣れないことのように感じて落ち着かない。
……眠れるだろうか。
そんなボクに追い打ちをかけるかのように、隣からぎゅっと引き寄せられた。
これまでとない至近距離にある影人さんのイケメンフェイス、抱き枕を抱くかのように回された腕。体を包みこむ温かなぬくもりに、少しだけ心臓が早くなる。
こんな風に抱きしめられたことさえ、本当に――いつぶりなのか。しかも相手は恋人でなく友達だ、なぜこんなことになったのかは分からない、が……悪くも、なかった。
「あの、コレはどういうおつもりで……」
「……別に」
それ以上は何も語ろうとしない。そんな雰囲気を感じ取ったボクは、深追いをしないことにした。
彼も家族や女性絡みで色々あった人なのだ。何か考えがあってのことだと思いたい。
……そんなボクも、このぬくもりには思うところがあるのだけれど。
(……温かい)
今となっては、いつのことだか思い出せない。最後にこうして抱きしめられたのは、いつなのか。
ボクの体を包む感触とぬくもりに、僅かながらじわりと目頭が熱くなるような気さえしていた。
無意識に、ボクの腕も彼の背に回してしまいそうになる。
(……いや、気まぐれ、かもしれない)
そう考えては腕を戻して、ボクは眠りについた。
――少しだけこのぬくもりに浸って、現実を忘れていたい気がしていた。
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