賢者の転生実験

東国不動

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「手紙見ないの?」
レオがなかなか部屋を出ようとしないので、ルナは仕方なく話題を変えた。
「見ない」
手紙はルドルフの友人であり、出入り商人のヴァスコが届けてくれたものだった。
差出人はレオの妹、マリー・ヴァンテェンブルク。
ヴァンテェンブルクとはレオの母、クリスティーナの旧姓であり、ベルン王室の家名でもある。彼女は〝あの事件〟の後、マリーを連れて実家に帰ったのだ。
行儀見習の名目で大国ランドル王国へ行き、実質的に人質の身でありながらルドルフと駆け落ち同然で飛び出したクリスティーナ。外交摩擦まさつを招いた彼女が、再びベルン王室に帰るとなると、これはもう事件である。余程ベルンの父王から可愛がられていなければ、母娘ともども罪に問われ、刑に処されていてもおかしくない。
しかし、こうして手紙が届くということはルドルフの血が入っているマリーも処刑されずに済んだということだ。ベルン王はルドルフのみを悪として、クリスティーナとマリーは罪に問わなかった。だが、これによってルドルフの悪名はさらに上がってしまった。
「マリーはベルンの王宮で貴族として楽しく過ごしているだろう。俺に関わる必要なんてないよ」
ルナにはレオの声がどこか寂しそうに聞こえた。
彼は自分と関わる人間は不幸になると思い込んでいるのだ。ルナにはそれが分かっていた。
というのも、レオは身に危険が迫ったり激しい感情にさらされたりすると、衛星軌道上に浮かぶアーティファクトからの自動攻撃で、本人の意思とは無関係に相手を傷つけてしまうことがある。
レオはこの十年の間にも『裁きの日』よりも規模は小さいが、衛星次元魔法を何度か発動させていた。たとえば、ルナのような獣人の少女を行商に来た奴隷どれい商を反射的に光の槍で貫いたこともあった。
レオはその度に後悔し、己の力に恐怖し、次第に人から遠ざかっていったのだ。彼が暗い地下室に引きこもるようになってしまった原因のひとつでもある。
今やレオはルナ以外とは誰とも接触しない。ルドルフとの会話もほとんどなかった。
「レオ。手紙を見ないって言うなら、私開けちゃうよ」
「どうぞ。どうせ貴族の生活は楽しいとか社交界がどうだとか、そんなことばかり書いてあるんだろう」
実際、マリーの手紙はそういった内容のものばかりだった。しかし、本当にそれが楽しいのであれば、わざわざヴァスコに頼んで縁が途切れた兄に手紙を送るだろうかとルナは思う。
レオが手紙を読まないことには、彼なりの理由があった。
マリーの手紙を見れば、きっと会いたくなるに決まっている。
しかし、今のレオは六歳の頃のレオとは違う。衛星次元魔法以外にも現代知識を応用した魔法群=兵器魔法ウェポン・マジックの数々を習得していた。その数や威力は巷にある魔法とは一線を画しているのだ。相変わらず威力のコントロールができずに、常に全力ぶっ放しという問題は残っていたが、その気になればベルン王宮に乗り込んでマリーと会うことも不可能ではない。
しかし、そんなことをすれば、超危険な魔法犯罪者として各国から指名手配されることは必至だ。仮に無事に逃げおおせても、彼がこの十年間心血を注いでいる魔法研究に割ける時間は一切なくなるだろう。それは彼の本意ではない。
それに、レオはルナと違って、マリーの手紙に書かれていた貴族社会や王宮生活が楽しいという言葉を額面通りに受け取っていた。「あいつには本物の令嬢としての華美かびな暮らしがある。俺なんかに関わらないほうが良い」と本気で考えていたのである。
「……え?」
手紙を読み始めたルナが驚きの声をあげる。
その声にレオも反応した。
「どうした? 何が書いてあった?」
やはり彼も本心では手紙の内容が気になっているのだ。
「マリーちゃんがここに来るって。しかも来るのは、今日……?」
「は……!?」
レオにはルナの言っていることがうまく咀嚼そしゃくできなかった。
冗談だろう。マリーはベルン王宮で文字通り深窓しんそうの令嬢をしているはずだ。こんなところに来るはずがない。
そう思いながらもレオは期待を隠せない。かつてあれほど仲が良かった妹なのだから。
マリーとレオはいつも一緒にいた。転生者のレオからすれば、胎内の時から一緒にいた記憶も少しある。
だが『裁きの日』以来、一度も会っていない。
十年の歳月で一体どんな女の子になっているのだろうか。レオは幼いマリーが自分に見せていた笑顔を思い出して、思わず目に涙を浮かべる。
しかしまだ、手紙はやはりたちの悪い冗談だろうと疑っていた。
来るわけがない。
喜ばせた上でそれを失望させることは残酷な仕打ちではあるが、あの時レオが家族ではなくミラを取ったことを思えば、それくらいのことをされても仕方がなかった。
カツカツカツッ……
梯子階段を伝い、誰かが地下室に下りてくる音が聞こえる。
レオとルナは顔を見合わせた。
変だ。ここにレオとルナ以外の人間が来ることはない。ルドルフなら入室方法を知っているが、彼の研究室は北の地下室。研究に関する重要な用件でもなければ、ルドルフが自ら南の地下室に入ってくるようなことはない。
部屋の外からくぐもった声が聞える。
「お父様、レオはこの中にいるの?」
「うん、多分ね。ルナちゃんといるんじゃないかな?」
まさか、まさか、まさか……
これは忘れもしないマリーの声だ。いや、あのマリーの可愛らしい声が、十年成長したらきっとこんな声になるだろうと思わせる美しい声。
心なしかルドルフの声にも、かつて家族がいた時のような陽気さが戻っている気がする。
マリーが会いに来るという話は、レオの考えとは逆の方向に裏切られることになった。
ルナも目をうるませている。レオに至ってはそれどころではすまなかった。涙を見せてはいけないと思うが、どうしても止められない。
扉がそっと開く。そこには十年前と変わらぬ愛嬌あいきょうのある少女――マリーが、成長した乙女の可憐かれんさをも備えて立っていた。
「お久しぶり。レオ」
「マリー……本当にマリーか。よく来てくれたな」
レオが顔を見せると、マリーも笑顔で迎えた。その居振いふる舞いは完全に貴族のものだった。ベルン王宮で十年過ごせば、そうなるのも当然だ。
思わずレオが近づくと、マリーも両手を広げて迎える。
ああ、この胸にまた飛び込める日が来たのか。いや違うな、あの時は俺とマリーの身長は同じだった。今は俺のほうが二十センチぐらい高いから、俺が抱きしめてやるんだ。
レオはそんなことを考えていた。しかし――
「こんなジメジメとした地下室で何やってるのよ! この馬鹿ばか弟!」
「え……?」
レオは不意に息苦しさを感じた。
マリーの広げた手はレオを受け止めるのではなく、襟首えりくびつかむためのものだったらしい。レオはそのまま地下室の外へズリズリと引っ張られていく。
レオは筋力には自信はなかったが、身長や体格は十分にある。それでもマリーの手を引きがすことができずにいた。マリーはそのレオを片腕で掴んだまま、梯子階段までも上っていく。階段があと少し長ければ、レオは窒息ちっそく死していたかもしれない。
「太陽を浴びなさい! 太陽を!」
「げほっごほっ! お、おい……マリー! それだけは駄目だめだ。このまま俺の首を絞めたまま外に出たら、衛星アーティファクトがお前を勝手に攻撃するぞ」
ドレスから、まばゆい光を放っているかのような白い脚が露出されている。美しく成長したマリーの脚。だがあろうことか、その足はライオネット家の玄関のドアを派手に蹴破けやぶっていた。
レオは本気でマリーの手を引き剥がそうとするが、ビクともしない。魔法攻撃をしてでも外に出るのをめるべきではあったが、それすらも忘れるほど拘束を解こうと必死になっていた。
マリーはそのままズカズカと家の外に出る。
――駄目だ、マリーはライトジャベリンで死ぬ。
レオの左目が星の世界からマリーの頭上に照準を合わせる。
目を閉じるレオ。
何かが一瞬きらめいた。
終わった。レオが目を開けば、マリーは頭から噴き出る血に染まっているに違いない。
しかし……レオはいまだに息苦しさを感じている。
どういうことだ? 恐る恐る目を開けると……
マリーはピンと胸を張っていた。生きている。
レオが原因を探るために辺りを見回すと、周囲に黒い障壁が展開されていた。
「ダークバリア!? ライトジャベリンと相性の良い防御魔法か!」
とてつもなく高度な魔法である。それをマリーが? レオはにわかには信じられなかった。

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エラー、エラー、ライトジャベリンが有効でない【enemy】(敵)と判定。
離れてください。対象との距離が近いため、これ以上強力な魔法が使用できません。
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レオはあわててポケットの中の〝ある物〟を握った。それは獣人の子供達にもらった星のアーティファクト。彼の宝物である。【enemy】対象を【ally】(味方)に切り替えるためには、しばらくこのアーティファクトの力を借りて精神集中することが必要なのだ。

=============
ロックオン強制解除……
=============

レオは緊張が解けたことで立つ力さえ失い、糸が切れた操り人形のように、マリーの腕に支えられていた。
しばらくして、彼はマリーの顔を見て叫んだ。
「もうダメかと思ったぞ!! 馬鹿!!」
しかし怒鳴られた方のマリーは、ちらりともレオと視線を合わせなかった。彼女は遠くを見ている。
それは、美しいけれども悲しい横顔だった。
レオは彼女がどこを見ているのかすぐ分かった。十年前を見ていたのだ。
「レオ、陽の光はどう?」
マリーの横顔からは、陽光をうけてキラキラと輝くしずくが流れ落ちていた。
「悪くはないよ、襟首を掴まれていなければ」
マリーが手を放したので、レオはそのまま芝生しばふの上に倒れ込んだ。
マリーはすかさず覆い被さるように抱きつく。
「レオが手紙を返してくれないから、代わりに返信してくれていたルナちゃんから聞いたの。あれからずっと地下室で魔法研究ばかりしているって」
「そうだったのか。なんていうか……ありがとな……」
そのままレオはマリーを抱き寄せる。一瞬マリーは驚いて固まったが、受け入れるように静かに目を閉じて――
ふと、ルドルフとルナが地下室から上がってくる音が聞こえた。
レオとマリーは慌てて芝生の上に体育座りをする。
「この辺は景色がいいだろう?」
「そうね。お父さんは自然が多いところが昔から好きだったよね」
そんな会話をする二人を見たルドルフとルナも、笑って芝生の上に腰を下ろした。
きっと他人が見たら仲の良い、ごく当たり前の家族に見えたことだろう。

◆◆◆

ライオネット家の食事はルナが作る。
普段、彼女はその食事を別々の地下室に持って行くのだが、今日は違う。突然の来客によって、いつにもまして遅い朝食になったが、地上階の食堂には四人の男女がそろっていた。
ライオネット家の住まう洋館は、一言で言えば豪邸である。今は玄関のドアが吹き飛んでいてパッとしないが。
食卓に並ぶメニューは、パンにチーズにスープ、そして……お刺身もあった。
「これ何? 食べたことないけど」
マリーが見慣れない食べ物にツッコミを入れる。
「魚のお刺身だよ。レオが教えてくれたの。美味おいしいよ?」
アングレ村の近くには川があって、こいのような魚が生きたままで買える。
この魚に関しては生で食べても寄生虫の心配はないので、時々刺身として食卓に並ぶ。魚の刺身はルナの中で嬉しい時に食べる料理に位置づけられていた。
しかし、起きて間もないレオとルドルフの胃袋に刺身は辛かった。
特にレオはなおさらである。何せ、前世ではパンと刺身を一緒に食べる習慣などなかったのだから。
「美味し~」
「ね。ね。そうでしょう?」
マリーは獣人のルナとパクパクとお刺身を食べている。
たくましく育ったものだとレオは思う。昔からアクティブな女の子だったけど、ここまでになるとは。
レオには色々聞きたいことがあった。
先ほど見せた腕力はともかく、ダークバリアはかなり高名な魔法使いでも使いこなせない魔法だ。マリーが相当魔法を学んでいる証左しょうさである。
さらに、最大の謎はマリーがどうして今ここに来ることができたのかということだ。マリーはベルン王宮で貴族として生活しているはずで、そう簡単に一人で外出できるような身分でもない。
「マリー。色々聞きたいんだけど」
「なぁに愚弟ぐてい?」
マリーは妙に冷たい視線で答えた。
その豹変ひょうへんぶりに、レオはつい突っ込みたくなったが、自重じちょうして続ける。
「……マリーはベルン王宮を抜けてきたのか? こっちの場所はヴァスコさんに聞いていたんだろうけど」
「逃げ出してきたわけじゃないわよ? ちゃんと騒ぎにならないようにして来てるよ」
レオは首をかしげる。ベルンはランドル王国に従属国扱いをされるような小国だが、それでも王女の娘が城を抜け出せば騒ぎにならないはずがない。
しかし、ルドルフは何やら納得顔である。
「ひょっとしてオルレアン高等魔導学院かい?」
「流石お父様。私は新学期から魔導学院の生徒になるの」
自分は愚弟なのにルドルフにはお父様って……。レオは心中で肩を落とす。
オルレアン高等魔導学院。その名前はレオも聞いたことがあった。
マリーが優れた魔法使いに成長しているのも、それが理由だ。
アングレ村からも近いバッカド国の首都オルレアンにある、この国唯一の魔法教育機関、それがオルレアン高等魔導学院である。
魔法技術で成り立っているこの世界では、魔法を専門に教えている教育機関は多々あるが、オルレアン高等魔導学院はその中でも特別だった。
各国の熱心なナリア教の魔法使いが教師として集められていて、そのレベルは高等学院としては世界一と言われている。ここには魔法のエリートが集まっていて、各国の貴族の子弟も多く通っていた。敵国同士の貴族の子弟も同じ学び舎で魔法を学んでいるのだが、それはこのバッカド国に世界的宗教のナリア教の総本山があることに起因する。この世界の二大強国として覇権を争うランドル王国、イグロス帝国といえど、表向きはこのバッカド国に恭順しているのだ。
魔道学院の入学試験は難しく、貴族でも相当な魔法の実力がなければ入れない。それでも、魔法に熱心な貴族の家はこの魔導学院に子供を入れたがるのだ。
このオルレアン高等魔導学院は貴族の子弟に対しては問題が起きないように寮制をとっていて、寮生達は厳しい管理下に置かれるはずだ。通称『貴族領』と呼ばれていることをレオは思い出す。
「ベルン王国で騒がれていなくても、魔導学院では騒がれているんじゃないの?」
「だから騒がれてないって言っているでしょ、愚弟! 教師を抱き込んでいるの!」
「オルレアン高等魔導学院に通う貴族はバッカド国が各国から預かっているようなものなんだから、貴族寮の寮生に無断外出の手引きなんてしたら教師だって首になる……」
レオの言葉をさえぎるようにして、マリーがルドルフに目配めくばせした。
「じゃあ、そろそろ入ってもらいましょうか? お父様、いいよね?」
「うん。まあ来てもらったほうが早いからね。僕も驚いたよ。久しぶりだからと遠慮してくださったけど、家族団欒だんらんはこのくらいでいいだろう」
マリーが声をかけると二人の人物が入って来た。
「ヴァスコさん?」
一人はライオネット家……いやコートネイ家の出入りの商人のヴァスコだ。昔からレオやルドルフのアーティファクトを買い取ってくれている。しかし、マリーの学校生活とヴァスコにどのような関係があるのか、レオには分からなかった。
だとすると、もう一人の人物が魔導学院の教師ということになるはず。
そのもう一人は、まだ若い女性だ。歳は二十代半ばといったところだろうか。教師が若いことはそれほど特別ではない。熱心なナリア教の信者で才能さえあれば、若かろうが年寄りだろうが魔導学院の教師になれる。
しかしこの美しさはなんだろう。レオは思わず見惚みとれてしまった。
単純な顔の造形だけ見ればマリーやルナには及ばないかもしれない。だが彼女には何がしかの強い意志を感じる。その強大な意志の力が彼女に美を与えているのだ。どこか死ぬ間際のミラに似ている気がする。それは壮烈そうれつな決意をした者が持つ美しさだった。
目が合うと、その女性はレオにニッコリと優しく微笑ほほえみかけた。
「ずっとレオ様にお会いしたかった」
レオは首を捻る。こんな美人の知り合いはいない。
マリーもルドルフも笑っている。ルナはまた新しい女と仲良くなっている、という冷たい目でレオを見た。
「あのどちら様でしょう?」
「あ、大変失礼をいたしました。わたくし、魔導学院で教師をしているソフィアと申します」
やはり知らない人だ。どうして自分に会いたかったんだろうとレオはいぶかしむ。
でもソフィアという名前はどこかで聞いたような……あっ!
「もう私の弟なのに恥ずかしいよ。やっと気がついたの?」
「あなたはひょっとして反乱軍の……いやソフィア王女殿下?」
「嫌ですわ、王女殿下だなんて。イグロス帝国にほろぼされた国の義勇兵の一人です。けれど、レオ様とお父様の援助には本当に助けられました」
十年前、レオ達コートネイ家はこのソフィアが率いる反乱軍に資金援助をしていたのだ。
それにしても、まさかイグロス帝国を苦しめた反乱軍のリーダーが魔導学院の教師とは。
確かに、バッカド国はランドルやイグロスで失脚した者が逃げ込む先にもなっている。それに、反乱軍を指揮していたほどの実力なら、魔法にも造詣ぞうけいが深いことも考えられるから、その知識を活かして魔導学院の教師になっていてもおかしくはない。
しかしだからと言って、こんな偶然があり得るのだろうかとレオは思う。
「私が手引きしたんですよ」
ヴァスコが笑顔で名乗り出た。
「そういうことでしたか」
レオはようやく納得する。
ヴァスコはソフィアの反乱でイグロス帝国と反乱軍双方に物資を売りさばき、一番もうけた男だ。そして、この大商人はレオ達に並んでソフィア王女に投資していた最大のスポンサーでもある。
ヴァスコは、反乱軍がイグロス帝国に敗れた際に密かにソフィアを逃したのだ。大商人はソフィアにまだ投資価値が十分にあると判断したのだろう。
「貴族は入学する前にも色々オリエンテーションがあるの。教師とバッカド国の街を見るって奴ね。で、先生にルートを変更してもらったわけ」
「レオ様に頂いた投資に、いつか御恩返しをしたかったのです。これで少しは返せたでしょうか?」
ソフィアへの投資のお礼は、マリーとの再会だったのだ。
「ありがとうございます。あの時投資したお金じゃ全然足りないくらい、価値がありますよ」
そう言ってレオは言葉を詰まらせる。同じくソフィアに投資をしていたルドルフも同じ思いだっただろう。

思いがけぬヴァスコとソフィアの登場によって、どこかぎこちなかったコートネイ家の食卓にも完全になごんだ空気が流れた。
ただ、残念なことにマリーにはあまり時間がなかったらしい。
オルレアン高等魔導学院の貴族寮の寮生も、ある意味で人質だった。バッカド国が他国の有力貴族の子弟を預かって魔法を学ばせるのは、国の影響力を増大する狙いがある。さらに有事の際は、これらの貴族の子弟を拘束することで交渉材料にもできるため、安全保障の意味合いもあるのだ。イグロス帝国とランドル王国という二つの大国の間を渡り歩く、バッカド国なりの知恵だった。
オルレアンとアングレ村は近いと言っても、馬車で二~三時間はかかるため、マリーはそろそろ帰らなければならないようだ。
それまで楽しそうにしていたマリーが、ふと真剣な表情になった。
「最近私、色々と〝計画〟していることがあってね……。お父様やルナちゃん、それから愚弟にも相談したいんだけど、今はあまり時間がないの。またなんとか時間作って来るから、詳しい話はヴァスコさんから聞いて」
「俺に相談?」
「そ、レオの力も借りたいの」
「俺の力……まさか兵器魔法か!?」
マリーは小さくうなずく。
兵器魔法は一国の軍事力にも匹敵する。そしてマリーの〝計画〟とやらには、家族だけでなく商人として幅広い人脈と影響力を持つヴァスコも加わっているようだ。
具体的な話は聞いていないが、レオにはマリーが言いたいことがなんとなく分かった気がした。
ここにいるメンツはそれぞれにいわくつきだ。皆、帝国をはじめとする大きな国家に翻弄ほんろうされた生き方をしている。
ソフィアは帝国に祖国を亡ぼされた元王女。旧国の仲間とともに義勇兵を組織したが、壊滅させられた。
ルナの両親は帝国による獣人迫害で行方不明になり、獣人の仲間とも離散させられている。
レオ、ルドルフ、マリーの事情は少し複雑だが、最終的には帝国の侵攻によって家族の絆にくさびを打たれてしまった。
大商人のヴァスコだけは因縁いんねんがないようにも思えるが、これほどソフィアに肩入れするということは、帝国に誰よりも深い恨みがあるのかもしれない。
マリーは何か大それたことを考えているのではないか。彼女の言う『話はヴァスコに聞け』とはそういった話なのではないのか。
ライオネット邸の前に停めてある馬車までマリーを送りながら、レオは漠然ばくぜんとそんなことを考えていた。
「ルナちゃん……今ままでウチの愚弟とお父様を見捨てず面倒をみてくれて、本当にありがとう」
別れ際、マリーはルナの手を取って感謝を告げた。
「そんな……マリーちゃん。私はずっと楽しかったよ」
二人は十年ぶりの再会が終わり、間もなく訪れる別れに涙を流していた。マリーが名残なごり惜しそうにルナの手を放して馬車に乗り込む。
美しい光景だった。……レオが愚弟呼ばわりされている以外は。
レオが感傷に浸っていると、マリーは馬車の中から腕を出して人差し指でチョイチョイと人を呼ぶ仕草をした。
「なにやってるのよ愚弟。早く馬車に乗りなさいよ」
「へ? 馬車に乗れって、俺?」
「そうよ。当たり前でしょ。か弱いレディーをオルレアンまで送ってよ」
身長百八十センチを超えたレオを片腕で持ち運ぶレディーが、〝か弱い〟かどうかはさておき。
レオはやはり、もう少しマリーと話したいと思って馬車に乗り込んだ。
それを待って、マリーが出発の合図を御者ぎょしゃに伝える。
「それでは先生、御者などをお願いして申し訳ないですけど」
どうやら御者台に乗るのはソフィアのようだ。
レオも申し訳ないなと思いながら、マリーと二人でゆっくり話せることに感謝した。
しかし、今のマリーは遠い記憶とは大きく異なっている。当時から活発な女の子ではあったが、レオを片手で持ち上げながら玄関のドアを蹴破って外に引きずり出すなどというのは、活発の域を大分超えていた。
それに愚弟愚弟と……ひどい言いようである。
レオはマリーの横顔を見る。大人しくしていれば、どう見ても貴族の令嬢だった。
母親譲りの金髪がとても美しい。レオは思わず指先で触れそうになったが、慌てて手を引っ込めた。
先ほどの態度を見る限り、下手に触れたら容赦ようしゃなく殴られそうだ。おかしな素振そぶりを見せただけでも、きっとひどい目にうだろうとレオは身構える。
マリーは少し首を傾げて、斜め下から恨めしそうにレオをにらむ。
「続きしないの?」
ん? 罵倒か攻撃が来るかと思ったが……続きとは何のことだろう。まさか衛星次元魔法の攻撃のことじゃないよな、などと思わず思考が飛躍ひやくしてしまうレオである。
確かにマリーと抱き合って芝生に転がった時も、なんだかいい雰囲気だった。
でも予想が外れていたら……。怯えながらマリーを見るレオ。
「もう……言わせないでよ。馬鹿お兄……」
え? なんだこれは。先ほどは恨めしそうに睨まれたかと思ったが、よく見ると頬を紅潮こうちょうさせて切なそうにこっちを見ている……といった風にも見えなくない。
愚弟愚弟と俺を罵っていたあの態度はなんだったんだろうかと、レオは思う。
マリーはレオの首に手を回して顔と顔を近づける。
「私、お兄ちゃんが昔していたことずっと忘れてないよ……」
まさか……ソッチの方なのか?
レオは子供時代に、マリーに色々やらかしてしまっているのは認めざるを得ない。しかし今は二人とも成長して十六歳。冗談では済まされない。
脅迫きょうはくなのか、求められているのか、レオにはよく分からなかった。
「お、おい。御者台にはソフィア先生もいるんだぜ。振り返ったら見られるぞ」
この馬車は乗車スペースが箱形で、御者台とは隔離されている。しかしながら小窓はついていて、もしソフィアが振り返れば中の様子は見える仕組みになっていた。
「なら見られないウチにしてよ……早く……」
馬車にはまだ乗ったばかりだ。オルレアンに着くまでには後二時間はあるだろう。
昔はずっと一緒にいた自分の分身が数センチの距離から甘えてくる、そんな状況にレオは――
「レオ様~乗り心地はいかがでしょう~?」
不意に、ソフィアが振り返らずにいた。
だがその瞬間、馬車は大きくぐらついた。
ソフィアは馬車の揺れた原因が客室であることを察知して、レオとマリーに声をかけた。
「ど、どうされました!?」
レオはマリーに突き飛ばされて客室のドアに激突。その勢いでドアが開き、あわや振り落とされるかという状況になっていた。
マリーは慌てて叫ぶ。
「だ、大丈夫です。馬鹿な弟がはしゃいで頭を打ったようで。なんでもないので、そのまま行ってください。先生」
「そ、そうですか? すごい音がしましたけど」
馬車から落ちそうになりながらも何とか開いたドアに掴まっていたレオは、マリーが伸ばした手を握ってい上がり、ドアを閉める。
レオが席に戻るのを待って、マリーはボソボソと小さい声で謝罪した。
「ご、ごめん……〝お兄ちゃん〟」
「な、何すんだよ!」
「ソフィア先生がいきなり声かけて来たからつい。本当にごめんね。痛かった?」
物凄く痛かったに決まっている。一体、マリーのこの態度の落差は何なんだろうかとレオは思う。
マリーはレオが打った後頭部を優しく撫でた。
次の瞬間、マリーの右手が緑色に光に包まれる。光る手に触れられると、患部の痛みが引いていく。
「ヒールライト!? さっきのダークバリアといい……マリーは凄い魔法使いに成長していたんだな」
「お兄ちゃんほどじゃないよ」
確かにレオはどちらの魔法も使えるが……一般的に考えて、この二つの魔法を実用レベルで使える者は、高名な魔法使いにも多くはないはずだ。
「でも、衛星次元魔法を防ぐとは思わなかったよ」
「衛星次元魔法には弱点があるでしょ?」
マリーの言う通り、蓄積した太陽エネルギーを使って遥か天空から一方的に強力な魔法攻撃ができる衛星次元魔法にも弱点がある。
まず屋内では使えない。何故なら人工衛星アーティファクトから攻撃目標の発見や識別ができないからだ。
次に、広範囲に影響を及ぼすような強力な魔法は、本人と攻撃目標が近すぎると使用できない。何故なら術者まで致命的なダメージを負ってしまうからだ。そのため、効果範囲が狭いライトジャベリンなどの魔法が使用される。この場合はダークバリアで防げることはマリーが実証したばかりだ。
「そこまで知っているのか……まあ防いでくれて本当によかったけど」
「うん。私には六歳の時の記憶があったから、対策を研究していたの」
知っていたとしても、ダークバリアやヒールライトが使えるようになったのは、マリーの努力の賜物たまものだろう。
「でも、これだけの魔法を使えるようになるのは並大抵じゃなかっただろう?」
「私はお兄ちゃんの妹だよ。使えて当然じゃん」
この言葉には、優秀な兄の妹であるならば高度な魔法でも当然使えるというニュアンスが含まれているようだ。ならば先ほどはどうして「愚弟、愚弟」と連呼したのか。
まさか、他人の前ではああいう態度になるのだろうか。
レオにも思い当たるフシはあった。
ということは、二人だけの今なら昔のマリーのように……
レオはビクつきながらマリーの手を握ってみた。するとマリーもレオの手に指を絡め、恥ずかしそうに顔を赤らめている。
……そういうことか、とレオは納得した。
ひょっとするとマリーは子供の時分、ベルン王宮でレオのことを無邪気に話して周囲から冷たい目で見られたのかもしれない。
その度に、優しいマリーは心ない言葉に反抗したのだろう。しかし、そんな彼女の態度がクリスティーナへの風当たりを強めることを知って、いつしか周囲に合わせてレオへの態度を変えたのかもしれない。
「手紙に王宮や社交界が楽しいって書いてあったでしょ?」
「ああ。あったな」
「……本当にそうだと思う?」
マリーはレオの胸に顔をうずめて小さな声で泣き出した。
「うっ……ひっく……」
「え?」
レオが十年の歳月を暗い地下室で過ごしたのと同様に、この十年の間マリーも同じように傷ついたのだ。
レオは研究に没頭するあまり、今の今までそのことに思い至らなかった自分を恥じた。
「ごめんな、返事を出さなくて」
マリーの涙を目の当たりにして、レオは今まで避けてきた重要な話題に触れる勇気が出てきた。それは彼が手紙を返すのを恐れていた理由の一つでもある。
「俺、実は転生者なんだよ」
レオの胸に埋まっていたマリーの顔が、少し持ち上がる。
だがレオは彼女の顔を見る勇気が出ず、視線をそらした。
「ルドルフは転生実験を行い、こことは別の世界で死にかけていた俺の魂をこの体に――赤ん坊だった自分の息子の体に移したんだ。……つまり俺は、本来この世界に存在するはずのない魂で……本当のレオ・コートネイなのかどうか、自分でもよく分からない……」
レオは震える声をなんとか絞り出した。
母クリスティーナは事実を知ってルドルフと別れ、衛星次元魔法で帝国兵を皆殺しにし、血に染まったレオを化け物と呼んだ。
腹を痛めて産んだ子供が夫の怪しげな実験材料だったのだ。レオにはクリスティーナを責める気にはならなかったが、ただただ悲しかった。
事実を知ったマリーも、やはり母と同じようにレオを避けるのだろうか。
長い沈黙の後にマリーは静かに一言。
「……知ってたよ」
「え?」
意外な返事に驚いたレオは、思わずマリーの顔を見る。
そこには、少し悲しそうだが、優しい笑顔があった。
「お母さんに聞いて、ずっと考えてた……。でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。子供の頃からずっと一緒だったんだから――」
マリーはレオの頬に軽くキスをした。レオを受け入れるという意思表示だったのだろう。
いつの間にか、レオの目からも涙があふれていた。
コートネイ家はそれぞれに暗い十年を過ごしてきた。でも今、レオの目の前にはマリーがいて、照れくさそうにはにかんでいる。いつかきっと、皆笑顔になれる――そんな希望がレオの胸にも芽生めばえた。
「私、家族を取り戻したいの。お父さんとお母さんがいて、ルナちゃんがいて、そして私を愛してくれるお兄ちゃんがいるの」
果たして、その愛は兄妹の愛の枠内なのだろうかとレオは思うが……
「うーん。家族を取り戻すか……難しいな」
「できるよ。最強のお兄ちゃんがいるんだから」
衛星次元魔法をはじめとする兵器魔法ウェポン・マジックを使えるレオならば、軍隊も軽く蹴散らす。最強という言葉も言い過ぎではないだろうと本人も思っている。
だからと言って……
「確かに俺は最強かもしれないけど、どうしてそれで家族を取り戻せるってことになるんだよ?」
「私、方法を考えたの。ランドル王国やベルン王国も、私達家族の邪魔をしている奴らは皆黙らせちゃえばいいのよ。もちろん帝国もね」
「えええええ!? なんだって!? それって俺達で国をるとか、そういうレベルの話か!?」
何か大変なことを考えているとある程度予想していたとはいえ、マリーの話の規模の大きさにレオは驚いた。一方で、その考えを完全に否定することもできなかった。
そもそもコートネイ家が世間から逃げ隠れるように生きてきたのは、ランドル王国とベルン王国に睨まれたがゆえだ。クリスティーナがベルン王家の血を引いている以上、どこに行っても隠遁いんとん生活は避けられない。
ならばいっそ堂々と表舞台に出て、何者にも手出しされない立場になってしまえば……というわけだ。あまりに大それた考えだが、王宮や貴族社会でまれてきたマリーが考え抜いた末の結論なのだろう。
「でも、周りを黙らせたって、母さんはどうする……?」
クリスティーナは、ルドルフが自分の子供にわけのわからない異世界の魂を入れて、魔法実験をしたという事実が受け入れられなかった。
そしてその息子が軍隊を撃滅したと知り、ルドルフのもとから去ったのだ。その選択は国家や権力に強制されたわけではなく、クリスティーナの意志である。
「お母さんは時たまお父さんの悪口を言っているわ。お兄ちゃんのこともたまに……」
「やっぱりそうか……」
レオの胸がちくりと痛む。
「でもお母さんの本心は、お父さんとお兄ちゃんを愛しているわ。愛憎相半あいぞうあいなかばなのよ」
「それはお前が勝手にそう思っているだけじゃないのか?」
「違うよ。お母さん美人でしょう? あれからだって良縁は何度もあったけど、全て断っているのよ」
マリーの話を聞いて、レオも母親の複雑な胸中を想像した。
「だけど、それなら尚更なおさら素直になれないかもしれない」
「そう。お母さんもきっと自分で自分を傷つけているの。地下室に十年篭ったお兄ちゃんと一緒ね。だから私達がベルン王宮に篭っているお母さんを引きずり出して、お父さんのところに連れて行ってあげるのよ。ちゃんとそのためのお膳立てもしてね」
「お前……凄い奴に……いや立派になったな……」
レオは兄として妹の成長に感動した。王女を王宮から無理やり引きずり出してルドルフに引きあわせようとか、考え方がワイルドすぎてちょっと戦国武将みたいではあるが。
そしてレオも、今まさにマリーに日の当たるところに引っ張り出されようとしている。たとえそれが血で血を洗う道であったとしても……
「でも、それはベルン王国どころか世界中を敵に回すことになる」
「だから、世界を相手に戦うのよ。家族が一緒にいることを世界が許さないなら、戦うの。ヴァスコさんやソフィア先生や、お父さんだって賛成してくれてるんだから」
マジかよ……とレオは思う。
神をもおそれぬ魔法研究者ルドルフ。帝国相手に一人で戦いを始めた亡国の王女ソフィア。反乱軍や帝国に物資を売りさばいて裏から戦局を左右した大商人ヴァスコ。
本当に国家を倒せるかはともかく、確かにこのメンツならば、どんな目標にも恐れをなさずに突き進むだろう。マリーもそんな女の子に成長している。
しかし、レオはまだ尻込みしていた。彼は転生以来、特殊な家庭環境で育ったが、そんな彼でも、大きな挑戦やそれに伴うリスクを恐れるという、人間誰もが抱く感情を持っていた。
「いくらなんでも、俺達だけで国家を相手にするなんて……」
「別に、今すぐ戦争を始めようなんて言ってないわ。だからオルレアン魔導学院に通うのよ。貴族の子弟も魔法エリートの卵も沢山通ってるのよ」
五~六人で革命しようという話ではなく、各国の有力者の若手を味方につけて世界を変革しようというのが、マリーの話の主旨だ。それなら可能かもしれない、とレオも思う。
「じゃあ、マリーは味方を増やすために魔導学院に通うのか」
「あら、お兄ちゃんも一緒に通うのよ? 社会常識も身につけられるだろうし、十年も引き篭っていたんだから、ちょうどいいでしょう?」
「お、俺も学校に通うのか? 俺の歳は今十六歳で、前世も十六歳だったから、精神年齢三十二歳だぞ」
「そんなのいいじゃない。私お兄ちゃんと一緒に学校行きたいの!」
世界の構造を変えようという話から、大分小さな話になってしまった。
「お前……ただ俺と一緒に学校に行きたいだけなんじゃないのか?」
「それもあるかな」
悪戯いたずらっぽく微笑むマリーの顔を見ていると、彼女の本当の目的がどちらなのか分からなくなるレオだった。

◆◆◆

心地よく揺れながら、馬車はオルレアンに向かっていた。
マリーはレオの肩に頭をもたれかけて、静かに寝息を立てている。
ごく当たり前の、兄妹の仲睦なかむつまじい姿。だがそんな二人の関係をこの世界は邪魔している。
レオとマリーの逢瀬おうせの時間は、馬車がオルレアンに入る手前までだろう。
王家に連なる貴族の令嬢と地方貴族の男が、街中で一緒の馬車に乗ることはできない。
そろそろ別れの時間だ。
マリーはコートネイ家を再び一つにするために、国家を相手にしても戦うと言う。
レオはまだ決めかねていたが、そんなマリーの気持ちは嬉しかった。
だが、レオが地下で夢見ていたミラを探し出すという目的からは遠ざかる。
彼は内心では分かっていた。ミラを探し出すことは、この先も家族を犠牲にする道であることを。今ここで自分の肩に頭を預ける少女と、妄執の中に生きる女性のどちらが大事なのか、それは考える必要性もないほどに明らかだった。それでも……

オルレアンの街の門が近づいてきて、ソフィアが馬車を停めた。
「レオ様、マリー様、そろそろ……」
十年ぶりの再会だったレオとマリーの別れに気をつかったのか、ソフィアは馬車から少し離れた場所で待っていた。
「マリー、俺にはまだ決められないよ」
もうほとんど忘れかけているミラの声や顔や感触が、レオの頭をよぎっていく。
「ミラさんのことでしょう?」
「……え?」
どうしてマリーが知っているのかと、レオは驚きを隠せない。
「ルナちゃんの手紙に書いてあったの」
考えてみれば一緒に生活しているルナになら、気づかれていても当然だと、レオは赤面する。
「レオが国を乗っ取って皇帝か王様かになれば、ミラさんを探すのも簡単だよ。九歳ぐらいの女の子で獣人の村の記憶がある奴は俺が結婚してやる、とかお触れを出せばいいんだから」
「そ、そんな手もあったのか……もしかしてとっくに研究を終わらせていてもよかったんじゃないか!?」
マリーの言葉を真に受けて愕然がくぜんとするレオを横目に、マリーはあきれ顔で続けた。
「まあ、ロリコン皇帝って歴史に残るだろうけどね」
「……やめてくれよ」
「妹のことも忘れないでね。さあ……先生を呼んできて」
そう言って、マリーはレオからプイと顔をそむけた。
レオは馬車を降りてソフィアのもとへ向かう。
「先生、ありがとうございました」
「レオ様。オルレアンからアングレ村まではかなり距離があります。明日私が送りますので、今日はオルレアンの宿にお泊りになると良いでしょう」
これもマリーやソフィアの計画のうちなのだろうと思いながらも、レオは提案に乗る。確かに、今から歩いて帰るのは大変だ。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせてもらいます」
「ではオルレアンの中央通りの四番目……の白鹿亭はどうでしょう? 明日の昼にお迎えにあがります。お金の持ち合わせはありますか?」
マリーの急な要求で馬車に飛び乗ったため、金などなかったが、レオは歩く高級アーティファクトだ。オルレアンに入れば、身に着けている物を売るなり何なりして、金の工面くめんはできるだろう。
「それは大丈夫です」
レオはそう答えた。
「分かりました。それでは」
ソフィアは馬車の御者台に乗り込むと、オルレアンの門のほうへ馬を走らせた。
先ほどは顔を背けたマリーも、馬車から身を乗り出して、名残惜しそうにレオの名を叫んでいた。
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