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一章

妹が欲しい

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 パソコン部屋を作ってから三ヶ月、美優希の誕生日を祝って、プレゼントには新しいモニターを追加してあげ、その日も家族でゲームを楽しみ、夜は九時半、いつものようにゲーム後の雑談をしようとした時だった。
 美優希は突然とんでもない爆弾を投下した。

「弟か妹が欲しい」

 おずおずとそう言った美優希に対して、一義と春香は呆然とした。

「なんで?」

 予想だにしていなかった美優希の言葉に、一義はようやく声を絞り出した。
 美優希が春香を受け入れたとして、三十七歳の二人は子供については諦めていた。平等に愛せる自信がなかったからである。

「あのね、輝にはお兄ちゃんがいて、野々華にはお姉ちゃんがいるの。お兄ちゃんとお姉ちゃんは無理だって分かってるから、お姉ちゃんになりたいなって」
「本当にそれだけか?」

 何かを見抜いた一義は美優希の傍によって右手を握り優しく問い詰める。春香も美優希の傍によって左手を握る。

「私には妹か弟がいるんでしょ?」
「あの日のことを覚えているんだな?」
「うん」

 一義が優里と離婚した理由は、二度目の托卵をしようとしたことが分かったからだ。
 美優希は三歳で育児放棄された。子供への態度に不信感を覚えて探偵を雇った結果、不貞行為どころか美優希が托卵だったことが発覚した。
 それでも、この時はまだ優里への愛情が冷めきっていなかった。これに気付いて五年待ったが、二度目の托卵が探偵から報告されて、ストレスの栄養失調で倒れ、入院しても見舞いに来ず、完全に冷めた。
 離婚に踏み切ったのは、美優希の誕生日に美優希に向かって妊娠報告をしたことだ。この時の美優希はこれを聞いた瞬間、優里から逃げて一義に抱き着いた。
 優里が育児放棄をしてくれたおかげで、五年間のシングルファーザー状態による、血縁関係のない子供を育てると言う実績ができ、家庭裁判所が優里を説教する程、スムーズに親権を獲得できた。
 美優希はこの時の優里の言葉を覚えているのだ。

「会ってみたい。けど、あの人に会いたくないし、一緒に暮らしたいけど、あの人と暮らしたくないし、妹か弟はあの人と暮らしたいだろうし、結婚したら子供ができるんでしょ?だから、私がその、障害になりたくないから」

 これを聞いた瞬間、春香と一義は同時に美優希を抱きしめた。
 一義の五年という選択は結果的に美優希を傷つけ、再婚と言う選択も美優希を苦しめる結果を生んでいる。
 わんわん泣く美優希と同じように涙を流す一義と春香、この時、春香はあることに気付いていた。一義が全く太っていない、ストレスが緩和されていない事だ。
 春香にとって一義と言うのはいろいろと特別な幼馴染なのだ。再開で離婚を鼻で笑ったものの、一発でそのストレスを見抜き、やつれて痩せこけ、変わり果てた姿を見ていられなかった。

「ぱぱぁ、私どうしたらいいの?みゆきはどうしたらいいの?」

 血縁関係すら理解している美優希、自身の存在が一義の負担になっている事に気付いて悩んでいた。
 今日の事も担任の先生や親友の輝や野々華と相談をしていたのである。

「美優希、ごめんな」
「やー、違うの、謝ってほしいわけじゃないの」
「美優希・・・」

 一先ず落ち着くのを待ってから、美優希を寝室に連れて行き、美優希を挟んで川の字で寝ることにした。

「美優希、お前には恵美えみと言う妹がいる」
「恵美、ちゃん?」
「そう、今年で二歳のはずだ。俺が年末に入院さえしなければ、お前はあの日に妹の存在を知ることはなかった。血の繋がった姉妹の存在を知っているのに、その仲を俺は引き裂いてしまった。今でも後悔しているよ」

 美優希は黙って一義の話を聞く。

「俺がもう少し、四年くらい我慢してれば恵美ちゃんも引き取れたかもしれない」
「それは無理よ」
「どうして?」

 耐えかねた春香は一義の言葉を否定し、美優希は疑問をぶつけた。

「パパの体が持たないわ。あの時離婚していなかったら、ストレスで死んでるはずよ」
「そうなの?」
「さっき改めて触れて思ったけど、異常な痩せ方をしてるの。触って自分と比べて見なさい」

 美優希は言われた通りに一義の胸からお腹にかけて触り自分と比べた。

「ほね、あばら骨が出てる感じがする」
「痩せてるからってそんな出方は中々しないの。離婚直後に再会してからずっとそれ、再婚しても太る兆候なし、ストレスの元凶であるはずのあの人がいないのにそれは」
「おかしい、かも」
「だから、あの離婚は正解なのよ。でもね、美優希ちゃん、恵美ちゃんに会うくらいならできるはずよ」

 美優希はきょとんとして春香を見つめた。

「そうよね?」
「たぶんできるな」
「・・・どうして?」

 これに関して美優希ではまだ理解できないかもしれない。

「美優希、清水のお祖父ちゃんと偶に遊ぶでしょ?」
「うん」
「さて、あの人、優里のお父さんは誰?」
「清水のお祖父ちゃん」
「じゃぁ、恵美のお祖父ちゃんは?」
「清水のお祖父ちゃん!」

 美優希はがばっと起き上がり、それに続くように春香も一義も体を起こした。

「清水のお祖父ちゃんに今度頼んでみようね。まだ一歳だからもう二年待たないと難しいかもだけどね」

 一義に手ひどくやられて現在無職のフリーターである優里は、親である清水夫妻の管理下にある。だからと言って、一歳の子から母親を切り離して会わせるのは、難しいと言わざるを得ない。

「今すぐだと、あの人と会わなきゃいけないんだよね」
「ああ」

 美優希は少し悩むようなしぐさを見せた後、こう言った。

「わかった。我慢する」
「えらいぞ」

 一義に頭を撫でられた後、春香にも頭を撫でられて、ようやくご満悦と言ったところだが、美優希は逃がすつもりがない。

「でも、欲しいのはほんとだよ」
「みゆき・・・」
「みゆきちゃん・・・」

 春香の方を向いた美優希はこの際だからと春香に不満をぶつける。

「ママ」
「なーに?」
「呼び捨てがいいな」
「え・・・そうね、分かったわ、美優希」
「うん」

 満足したのか横になる美優希、それを追うように一義も春香も横になった。

「一人は寂しいか?」
「うん。輝にはお兄ちゃん、野々華にはお姉ちゃんがいるの。迎えに来てもらうのいいなぁって思う時があってね。パパとママには兄弟とか姉妹はいないの?」
「俺にも春香にもいないよ。だから、お前の寂しさも分かるよ」
「ね、やっぱりだめ?」
「ダメじゃないよ。ただね、結婚したら必ず子供ができるわけじゃないのは知ってる?」

 美優希は首を横に振って答えた。

「理由はいろいろあるけどね。それについては先生に教えてもらいなさい」
「うん」
「俺はね、美優希。春香との間に子供ができた時、平等に愛することができるのか、それが怖いんだよ」

 美優希が春香の方を向くと、春香は頷いて答える。

「一人っ子のいいところは両親の愛情を一身に受けられる事、兄弟姉妹のいいところは寂しい思いをさせなくて済む事、互いにメリットとデメリットになってる。いいのか?間違いなくお前に割く時間が減るぞ」
「それは・・・」

 血が繋がっていないからこそ愛情に飢えている。そんな美優希にこれはかなりつらく残酷な宣告だ。

「でもな、美優希、お前が妹か弟の世話をちゃんとできれば、限りなくこれまで通り接することができる」
「どうして?」
「お前が世話をしてくれれば、その分、俺や春香に時間ができる。その時間をお前に使うことができる。もしくは、世話をする時間を共有することもできる。実質的にお前に時間を使っているのと同じことだよな?」
「うん」

 ようやく、美優希は安堵の表情を見せてくれた。

「美優希、必ずと言う約束はできないし、今すぐと言うわけにもいかない。それは分かってくれ」
「分かった」

 美優希は一義と春香と手をつなぎ、やがて眠りに落ちて行った。
 翌日、明るくなった美優希を送り出した二人は、リビングで頭を抱えていた。

「弟でもいいけど妹が欲しいか」
「それが本音よね」

 登校する前に、忘れないでよとでも言いたげに、そう放って学校に向かって行ったのだ。

「今すぐはあなたが死ぬから無理よ」
「医者と相談しながらジムにでも通うよ」
「運動音痴のあなたに、耐えられるのかしらね」
「返す言葉はない」

 別に一義は病気を抱えているわけではない。栄養失調で倒れてからそのままと言うだけだ。
 この日から変わった事は、毎週火曜と金曜に午後から病院とカウンセラーの所へ通い始めたことだ。
 医者にはやっと通院する気になったか、と咎められ、カウンセラーにはもっと早く、気軽に通わないとダメだ、と諭された。
 美優希が五年生となり、部活はどうするのかと気にしていると、本人に入る気はなく、学校側もやる気がないのにやらせるのはおかしい、と言って今まで通りまっすぐ帰ってきたのだった。

「パパ、筋肉付いたね」

 膝抱っこをしてあげているとそう言ってきた。

「ようやく医者からジムに通っていいって言われたからな」

 美優希の進級直前に肉が付き始めた一義、病院は食事のアドバイスと経過観察だけ、原因が分かったのはカウンセラーの方だった。
 離婚で優里はいなくなったが、清水夫妻、敏則から情報を仕入れていたことで、存在が心の中から消えずストレスがかかり続けていた。
 二ヶ月前に情報をシャットアウトするとあら不思議、体重が少しずつ戻り、一ヶ月前に病院からジムに通っていいと言われたのだ。

「どれくらい筋肉つけるの?」
「ボディビルダーみたいな付け方はしないよ。してほしい?」
「ボディビルダー?」
Coogleくーぐるで調べて見なさい」

 インターネット事業を展開する企業で、世界で最も巨大と言っていいCoogleが提供する検索サービスで調べた美優希は顔をしかめた。

「え、やだ。ママは?」
「ほどほどでいいわ。私、ボディビルダーには悪いんだけど、あれは気持ち悪く思っちゃう」
「だよねー」
「ねー」

 美優希と春香の意見は一致しているらしく、うれしくなった美優希は、今度は春香に膝抱っこしてもらう。
 いくら胃袋を掴まれているとはいえ、美優希が春香に心を許すのに半年の時間がかかっている。

「パパ、私、少し柔らかいぐらいがいい」
「分かった。健康維持程度にしておくよ」
「うん!」

 家にいる時は好きなように好きな方で自由に甘える。一義はようやく求めていた幸せが手に入り、笑顔ながらその目は潤んでいた。


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