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21 グッドボーイ

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 427は機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、足をバタつかせていた。


「ふふふん、ふふん、んにゃっ、にゃーにゃにゃにゃー」
「……」

「ふんふふんっ、パクパク、おいしいっ、にゃんにゃんっ! 甘くておいしい、あまあま、とろり! んへんへ、えっへへへ」
「……」


 なんだろう。
 別に何か嫌なことがあったわけではないが、もう帰りたい。

 今日は594とボードゲームとかして遊んでいた方が、精神衛生上いいような気がして来た。

 性行為がしたいとか言わない。チェスとかでいい、何ならトランプでいい。すごく帰りたい。


「あっ、看守様だ! きゃっ、はずかしい。僕のラブソングが聞かれちゃった?」
「自作のラブソングを独房で熱唱するとか正気か?」
「んへっ」

 んへっ、じゃないが。
 悪いけどお前の歌声、向こうの通路から聞こえてたからな?


「機嫌がいいんだな」

「うん、昨日、いっぱい褒めて頂いたから! それに、ヴァンピールに直接手を下したから!」
「そう」

 やっぱり俺はこの子が好きになれない。
 たぶんこいつがこうなったのは427のせいではないのだろうが、それでもこういう部分は好きになれない。


 昨日、427は一人の幼い子を殺した。

 ヴァンピールとはいえ、平気で幼い少女を殺した。
 殺してその肉を食い、脳を啜り、心臓を貪った。

 
 悍ましい光景だった。
 
 人が死ぬのを見るのは慣れていたし、何ならもっと残虐な殺し方をいくらでもした。
 それでも、見知った427が、縛り付けられた幼女の身体を貪るのを見ているのは、それほど心地いいものではなかった。

 何の罪もない、何なら被害者ですらあるかもしれない少女は床に磔にされた。
 427はそれに馬乗りになり、必死で助けを求める少女の声が上がらなくなるまで、生きたまま、腹を引き裂き、内蔵を食み、舌を引き抜き、肺を吸い、脳を飲み干した。


 少女は最期の最後まで助けを望んでいた。


 助けて。痛い。苦しい。どうして私がこんな目に遭わなくちゃいけないの。助けてお母さん。ごめんなさい。謝るから。良い子になるから。ごめんなさい。悪い子でごめんなさい。お母さんごめんなさい。誰か助けて。誰でもいいから助けて。ごめんなさい。愛されなくてごめんなさい。助けてください。助けてください。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない。


 牙を差し込まれる度に苦悶した。
 肉を引き裂かれる度に絶叫した。
 脳を啜り出され表情が歪み手足が痙攣し呂律が回らなくなっていった。


 427はそんな彼女を喜々として殺した。
 研究員はそれをメモなど取りながら眺めていた。


「今日は、594は体調が悪いから来ない」
「そうなの?」
「明日には治る。何か食べたいものは?」
「看守様は何がいい?」
「俺? ああ……じゃあ、食堂でも行くか」
「うん!」


 別に、427を責めるつもりはない。

 本能的に貪り食ったのか、研究員に言われて食ったのか、それは俺の知るところではないが、どちらだとしても責めるつもりはない。


 俺は美味しそうにカレーライスを頬張る427を、頬杖をつきながら眺める。

「おいしい?」
「おいしい!」

 嬉しそうに頬を膨らませる427に、昨日の死臭を覚える。

 ある者は半笑いで、ある者は無表情でメモを取りながら、ある者は嫌悪感に歪んだ顔で、「やっぱりこうしてみると、化け物に違いない」なんて。

 散々利用している427を死刑囚の房にぶち込んで必要ないときは遠ざけておきたいとか、そういう身勝手さに怒りしか感じない。


「427」
「なぁに?」
「辛くないのか、お前。化け物なんて呼ばれて」

「ヴァンピールは、感情なんかないからへーきだよ!」
「感情はあるだろ」
「ないもーん!」


 ムシャムシャ嬉しそうにカレーを貪る。

 あの子のはらわたと同じように。


「……427、俺のも食え」
「ふえ?」
「食欲がない」
「えっ、看守様、大丈夫?」
「……594に風邪を移されたのかもな。食え」
「ありがとうございます!」

 427は、俺から受け取った炒飯を嬉しそうに食べ始める。


「……427、今日は俺が別の仕事で忙しいんだ。594も居ないし、図書館で本を借りて、俺の執務室で読め」
「はぁい!」


 427は物分かりの良い子供だ。
 トレイを片付け、トコトコ歩いて戻ってくる。

 そして俺はそのまま図書館に向かった。


「看守様、ゼノさんは風邪ですか?」
「あ? ゼノサン…………594か。まあ……疲れたんだろ」
「僕のせい?」

 427は少し元気がなかった。気にしてしまったらしい。

「季節の変わり目だからな、お前には関係ない」
「ゼノさん、早く元気にならないかなぁ」
「すぐに元気になる。お前は良い子だからな」
「427がいい子だと元気になるの?」
「ああ、ま、そうだろ。たぶん。だからいい子にしろ」
「はい!」

 適当なことを言ったが、どうやら騙されてくれたらしく、427はテコテコ歩いて本棚の奥の方へ行った。

 ついていくと、そこは医学書の棚だった。


「難しいぞ」
「ねね、『不死性伝染病』っていうのない?」
「お前、そんなの読むのかよ」

「途中まで読んだから続き読むの」
「はー……そうか」

 本棚の上の方から引っ掛けるようにして本を取り出す。
 落とすなよと声をかけて、それを渡す。


「看守様、読んだの?」
「ああ……少しな。一応」
「看守様、物知り?」
「じゃなきゃ看守長にはなれない」
「かんしゅちょー」
「偉いんだぞ」

 427を立たせると勝手にトコトコ歩き出す。ああ扱いやすい。

「ねえ看守様、看守様のお仕事って何するの?」
「人事査定」
「さてー?」
「そうだ。俺がこの監獄の全看守と家計を共にする人々の生活を握ってる」

「らすぼす?」
「そうだ」

 脳の表皮だけで会話しながら、俺は427を執務室に入れてやった。

「わぁ、わぁ!」
「触んな427」

 部屋中に資料の入った棚がある。
 本当に重要なのは、鍵つきのキャビネットの中に入ってはいるのだが。

「はぁい」

 427は俺の椅子の横の床にぺたんと座って本を読み始めた。

 床に座らなくてもと思ったが、そういえばこの部屋には椅子も机も俺が使うのの他にはない。

 それに、万が一を考えると俺の近くに置いておいた方がいいだろう。


 俺は自分のクッションを427に投げつけてやった。
 クッションは427の頭に当たった。

「ふえ?」
「使え」
「……ありがとございます」

 427はペコっと頭を下げて、クッションを抱きしめた。

 俺は上に座れという意味で渡したのだが。
 まあ本人がそれでいいならいい。

 大人しく読み始めたので、俺も資料を開いて仕事を始めた。


「……」

 机の上の内線が鳴る。

 俺はそれを一瞥し、取った。


「……第六監獄だ。何か?」
『看守長か?』
「……そうだが」
『貴殿のお父上が、緊急の伝令を寄越した。早急に向かいたまえ』
「どこに?」
『本部は「すぐに来い」という伝令を預かったのみだ』
「……」
『母親の危篤なら、早退届の提出をお忘れなく。オーバー』
「……感謝します。オーバー」


 昨日の今日で、何があったのか知らないが、いやにきな臭い。
 行きたくなかったが、行かないわけにもいかない。


「427、来い。悪いが用事ができた。今日は一日独房で過ごせ」
「えっ……」

 427は呼んでいた本から顔を上げて、明らかに表情を曇らせた。
 心底悲しそうに、不安そうに。

「なんで……? 僕、いい子じゃないから……?」
「お前とは関係ない。言っただろ、俺は偉いんだよ。偉い人は忙しいんだ。分かるな?」

「でも……」
「本は持って行っていいが汚すなよ」
「……ゼノさんは?」
「594は来ない。さっきも言っただろ。ほら立て」
「……やだ」
「はぁ?」

「やだ! 看守さまと一緒がいい!」
「……」
「やだやだやだ、一人にしないで、一人はいや!」

 427は本を放り出して、縋るように俺にくっつき、泣きながら服を掴んだ。


「やだよ、やだやだ、やだやだやだぁ!」
「我儘言うな! お前、自分の立場を忘れたのか! 鞭打ってやるからそこに直れ!!」

「分かりましたぁ、むち、鞭打してください、いたいのすきだから、だからいっぱい痛いことしてほしいっ、だから、だから、ひとりはやだ、やだっ」

 そういえばこのガキ、マゾだった。
 鞭打はご褒美なのかよ気持ち悪い。


 それにしても、いつもは聞き分けがいいのに、今日に限ってどういうつもりなのだろうか。

 しかし、どれだけグズられても、官吏に呼び出された以上行かないという選択肢はない。


 俺は溜め息をついて、427を抱き上げた。

「独房まで抱っこしてやるから、それで我慢しろ」
「なんで……?」
「なんでじゃない。忙しいんだよ俺は」
「……じゃあ、427も連れて行って。いい子にするから」
「駄目だ」
「やだやだやだ!」
「何が嫌なんだ、いつも一人で寝てるだろ。週末は独房にいる」
「だって、だって看守さま、こわいところにいくんでしょ?」
「……俺が?」

 別にそのつもりはなかったが、内心の緊張が伝わっていたのだろうか。
 427はそれにすっかり怯えているらしく、涙をポロポロ零して泣いている。

「やだ、やだこわい」
「……」
「ねぇ、やだよ、やだ、一人はやだ、こわい、こわいよ、ねぇ、いつ帰って来るの?」
「……」


 俺は独房に427を置いて、その頭を撫で、くっついて来ようとするのに任せて言った。

「いつ戻るかは知らないが、お前の腹が減って死ぬ前には会える。なるべく早く戻る」

「ぅっ、ぐず、ほんと……?」
「あぁ。だからいい子にしてろ。俺以外の看守に、噛みついたりするなよ?」
「……ん」

 427はあまり納得していないようだったが、俺から離れ、心配そうにしながらも、小さく手を振った。


「……良い子だ」

 俺はその手を優しく握って、踵を返し、独房を出て早足に歩き出す。
 俺だってできれば、こんな呼び出しに応じたくはない。

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