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17 真夏のピクニック

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 七月の酷暑は増すばかりで、肌を焼くほどに痛々しい。

 427は陽の光に弱いのではないかと思ったが、どうやらそうではないらしい。楽しそうに広場を駆け回っている。

 むしろ俺の方が疲弊しているくらいだ。俺は日光が嫌いなので。


 594は今日はいない。427には外出の予定がある。

 採血した血を飲ませると、空腹感を強く感じて凶暴化するということが分かったので、直に噛ませることにしている。
 相変わらず抵抗はされるが、だんだん慣れてきたのか、当初よりは抵抗されない。いい加減に諦めもついて来たのだろうか。


 それと何故かこの馬鹿は、吸血終わりにソフトクリームでも食べて意識を逸らすと、すぐに機嫌を直す。

 ……なんで噛まれた俺じゃなくて、噛んだお前にご褒美をやらなきゃいけないんだ?


「427、もうそろそろ時間だ。行くぞ」

 今日は役所で何かをするらしい。つまり実験体としてのお仕事だ。
 この役所は言うまでもなく官吏の仕事場であり、そして我が公国の王宮たる議事堂に最も近い政府機関でもある。

 公国と名がついているだけあって、一応この国はとある公爵家を元首に据えているのだが、色々あって現在の元首は齢三歳の未就学児だ。

 故にこの国の最高権力者は実質的に彼女の後見人たる人物となっている。表向きには。


 実は、俺はその人物が官吏を前に跪いているところを見たような気がする。

 当時は幼く、その意味を理解できなかった俺は、無邪気にも官吏に「あのひとだぁれ?」などと尋ねた。

 官吏は滅多に浮かべない笑顔を浮かべ、無言だった。

 それに言いようのない恐怖を覚えた俺は、全ての記憶を抹消し、「ぜんぶわすれちゃった」的なことを言って誤魔化したような気がする。


 当時の俺の危機察知能力に拍手喝采を送りたい。


 さて、どうしてそんな官吏の勤める役所の地下に謎の実験施設があるのかなんて、俺は知る由もないが、世の中には知らない方がいいことがたくさんあると、もう若くない俺はよく知っている。

「はぁい!」

 427の返事はいつにも増して元気だった。
 どうやら、お出かけが楽しみらしい。秘密基地だと思ってんだろうな。俺もそうだったから。


 俺は427に首枷と鎖をつけて車につなぎ、後部座席に押し込めて、自分は運転席に座った。

「看守さま、運転するの?」
「そうだな」

 俺はキーを回し、サイドブレーキを外す。

「……難しい?」
「慣れれば楽だ」

 アクセルをかけてエンジンを入れ、ロックを外して。
 手順は多いが、覚えれば大したことはない。

「……」

 ルームミラーの中の427は、ガラスフィルム越しに外の景色を黙って眺めていた。
 首の枷を外してやれば良かった、と思った。


「……着いたぞ」
「ありがとうございます」

 427はぴょこっと車を飛び降りて、地下の駐車場に降り立つ。

「良く来たな」


 出迎えには官吏が現れた。孫を見るような、冷たい目をしている。
 しかし、427は嬉しそうに顔を歪ませた。

「ドクター、おはようございます」
「おはよう。さっそくだが、面接室に向かってくれるかな?」
「はい、畏まりました」

 427はやけに大人びた返事をして、それから俺を振り向いて手を振った。

 それに俺が手を振り返すと、誰に言われるでもなく、いつもの満面の笑みを浮かべて、走って行った。


「……どこに行ったんだ?」
「面接室だ。質問票に答えてもらっている。彼から得られる情報はとても貴重なものだからな」
「あぁ、そうか」

 何をされるのかは知らないが、あの小さいのがひどい拷問で虐められるような展開にならないならなんでもいい。


「君は先日、酷く噛まれたと聞いたが、体調は大丈夫なのか?」

「しばらく落ち込んでたが、慰めてやったら元気になったよ。さっきの通りだ」
「あの子じゃなく、君の方だ」
「俺が? 俺が不死身なのを、お前は知ってるだろ」


 この官吏は、幼かった俺を拾い育てる過程で、当然俺の全てを把握している。

 俺すら知らなかったものを、良くも悪くもほじくり返して開示して、見るも無残な真実を、悍ましいような現実を、有難くも突き付けてくれた。

 大変感謝している。大恩人だ。または、諸悪の根源ともいう。


「不死身とはいえ、その不死性は完全なものではないだろう。無理をしすぎるのはリスクが高い。聖水も泉の如く無限に湧くわけではない」

「血液タンクの運用コストも支払えないのか?」

「分かっている。だが彼らに非人道的な行為は容認できないと、そう言ったのは君の方だ。我々は君の意向に従っている」

「天使様だろうが悪魔様だろうが、信者のことは大事にするのが普通だよ。お前には奇特に映るか?」

「私はそれを責めているわけではない。ただ、無茶をするなと……いや、この話は止めよう」
「賢明な判断だな」

 俺は吐き捨てるように言った。


「……それよりあの子は、ずいぶん君に懐いているな」
「そうみたいだな。ああいう性格なんだろ」
「いや、そうではない」

 官吏はゆるやかに首を振り、踵を返して歩き出した。ついて来いと言いたいのだろう。


「あの子は、私たちに対してはああは甘えない。実年齢よりも遥かに大人びているように振る舞う」
「冗談だろ。精神年齢四歳くらいだと思ってたんだが?」
「四歳? ……ふっ、そうか」

 官吏は白衣のポケットに手を突っ込み、楽しそうに笑った。


「可愛いじゃないか。あの子は、君に愛されていると分かるのかもしれないな」
「愛してるつもりは毛頭ない」

 確かに餌やりは欠かさないが、独房に閉じ込めて番号で呼んでるのに、愛情を感じられても困る。

「仕事だから親切にしてやってるだけだ」
「優しいんだな」
「仕事ができるだけだ」

「そうだな、君は本当に優秀だ。実によくやっている。私も誇らしい」
「何もかも偉大な育て親のおかげだな」
「可愛い子だ」


 地下に設えられた通路は、薄暗くて冷たく、狭い。

 足音は反響し、遠くまで鳴り響いているが、他に人の気配は見当たらない。
 

「君はあの子から何か聞いたことはないか? 我々も調査を行っているが、あの子はそれほど饒舌ではない」
「あんなにお喋りなのに?」
「君に対する態度が特別なんだ。我々を信頼しているわけではないのだろう」

 とはいえ、俺が427とする話なんて、594とちゅーしたとかしないとか、ソフトクリームはアイスクリームとは違うんだとか、そういうどうでもいい話がほとんどだ。

 427は自分のことを喋らず、外界に興味を持つので、自然と427自身のことは話題に上らない。

 ……いや、あったな。
 珍しく自分から、自分自身を開示した瞬間が。


「官吏、お前は427から宝石をもらったか?」
「宝石? 聞いていない。何だそれは?」
「俺が知るか」
「君は貰ったのか。私に貰ったかどうか聞いたが」
「ああ……そうだな」

 427が話の流れで俺にくれた緋色の宝石は、今は自室に置いてある。俺にとってはどうでもいい話題だったから、今まで忘れていた。


「見せてくれないか?」
「今は持ってない。部屋に置いてある」
「ふむ……なるほど。よほど仲がいいんだな」
「俺は427から情報を搾り取ろうなんて思ってないからな。あいつもリラックスして話せるのかもしれない」

 皮肉を込めたつもりだったが、官吏は楽しそうにふっと笑った。
 俺は、面白いことを言ったつもりは全くないのに。
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