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31_ おんなのこ

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 小屋の中には誰もいない。開いた窓から差し込む日差しが、レースカーテン越しに部屋の中を照らしている。

 小さなベッドが一つ、大きなテーブルが一つ、大小さまざまな椅子とオブジェが数個。
 そこには人影はおろか、生物の気配がない。


「……留守、みたいですね」

 とサシャが呟く。


「そうね。住処であることは間違いないみたいだけど」

「ねえ見て! 謎のオブジェが置いてあるよ! これ、なんだろうねぇ?」
「クゥ、クゥ!」『ヤメロ! ヘンナ ハコニ、イレルナ!』

「テド、リリー、勝手に触らないで」

 楽しそうなテドとは対照的に、リスペディアは、油断なく周囲を見渡している。


 そのときだった、突然空気が冷えた。

 花園の中に佇む温かな小屋の中の空気が、痛みを感じるくらいに鋭く澄み渡る。


「……騒がしいぞ、取るに足らぬ虫けら共」


 そこには、細い枝のような角を持つ謎の生物がいた。

 まるで木みたいに硬い肌に、鹿のような顔。脚はシエルと似ているようにも見えたが、数回枝分かれしているので、足というより触手に近い。

 その両腕は天に延び、指は長く、細く、綿雲を引っ張って千切ったような無数の繊維で構成されている。


「精霊族……」


 それは人ではなく、魔物ではなく、亜人でもない。

 この世のものとも思えないその姿は、恐ろしく、惨たらしく、何よりも美しい。


「些末の屑共が、真正なる我が住いに入り込み……ハァ、なんと愚かしい」


 知らない間に、足下が濡れている。

 さっきまで確かに床だったはずの場所は、確かに濡れている。
 そこは鏡へと変化し、歪んで、沈み、浮かび上がる。


「全く、近頃の屑共は、己が身の程も弁えていない」

 ふつふつと、呟くように話す精霊は、ゆっくりと回転するようにして頭を振った。


「……ご気分を害されましたか?」
「害する気分など、虫けら共に対して? なんと、勘違いも甚だしいな。我輩は風のように、寛容ではない。単にそれが、目に入ったのだ。さては、竜の子によく似ている」

 精霊は、長い指を折りたたんでリリーを指さした。


「クゥ、クゥ」
「僕の友達だよ。リリーって言うんだ」

 と、テドがリリーを手の上に乗せて掲げて見せる。
 リリーはすっかり固まって動かず、震えながら不安げに「クゥクゥ」と鳴いていた。


「……なるほど。その行いは低俗極まるな、常世の風上にも置けぬ穢れよ。だが、その器を愛玩していたのは我輩ではない、風だ。そして風も我輩も、お前如きに興味はない。我々はそれほど狭量ではない。……さっさと要件を言え、ゴミ共」

 精霊が軽く頭を傾けると、その場所は一瞬で霧に包まれた。

 床の鏡が地平線まで広がり、花が咲き乱れる。
 小屋の壁は消え、窓と家具だけが残っている。


「……では、申し上げます」

 驚いて声も出ないサシャに対し、さすがにリスペディアは冷静だった。
 彼女は一歩前に進み出て、恐れることなく精霊を見上げる。


「呪いを、解いてほしいのです。生来から背負う咎です」


 精霊はそれを聞くと、しばらく考えるように長い指を開いたり閉じたりした。

 そしてしばらくして、その動きを止めると、呟く。

「……なるほど。そういえば近頃は、ステータスなどという意味不明なものに、縛られているのだったな。全く……なるほど、だが、それがそれほど重要ならば、良かろう。実際、呆れるほどに些細な用だ。たかがその程度のことでここまで赴き、我輩を煩わせたその労に免じて、またはその執念深き傲慢さに諦観を表し、その願いを聞き遂げてやる」

 精霊はまた軽く頭を傾げた。
 景色は再び、小屋へと戻る。


「……早急に去るがいい」

 彼は目を伏せ、全身を揺らすようにゆっくりと動いた。
 カラカラと乾いたサンゴが触れ合うような音がする。

 ゆっくりと、意識が遠のく——————





「——待つのじゃ!!」
「ジギョゥンガッ!?」

 途切れそうだった意識は、唐突に覚醒した。

 バキバキバキ、と木が折れるような音と共に、精霊が倒れた。
 
「……」
「……」
「……」
「?」

 あまりにも突然のことに、全員が唖然としてその場で立ち尽くす。
 何しろあまりにも突然過ぎて、誰も反応できなかったのだ。


「なんじゃなんじゃ、——よ、客なら客と言わぬか! 全く、このような仲間外れは許せぬ」

「うっ……! ……ンギュッ……! ……!?」


 それは幼女だった。
 幼女は精霊の上に跨り、腕を組んで胸を張っている。

 組み敷かれた精霊が、弱々しく手足をばたつかせて何かを喚く。


「なんと、竜の子じゃと。これはこれは、久しいではないか。スズネは元気にしておるか?」

 幼女はそんな精霊を気にも留めず、目を見開いてにぱっと笑った。


「……クゥ?」

 リリーは不思議そうに首を傾げる。どうやらリリーは、誰かと勘違いされているらしい。

 それに幼女の方が先に気づき、彼女はポンと手を打った。


「おっと。そういえば妾は随分長い間、海に居ったのじゃった。つまり、人違いならぬ、竜違いじゃの。ハハハ!」

 その姿に似合わず、豪快に笑う幼女。
 恐らく、彼女も精霊なのだろう。だが、その姿は人間の子供にしか見えない。


「して、わざわざここを尋ねるとは。さては妾のが欲しくてやって来たのじゃな?」

「用はもう済んだ……その塵共は、解呪を望んだのだ」

 精霊はカラカラと音を立てながら、再び立ち上がる。


「解呪とな? ふむ……世界を救いたいとか、滅ぼしたいとか、動物さんとお話したいとか、そういうんじゃなく?」

「そうだ。実に些末で、ありきたりで、無価値極まる」
「うぅむ、なるほど最近の若者は、全くもって野心がない」

 と、幼女は少し悲しそうに首を振った。

 しかし彼女は、また嬉しそうに顔を上げる。
 それはなんというか、どちらかというと子供というより母親みたいな顔だった。


「いやしかし、せっかく来たのじゃ、多忙故もてなしは出来ぬが、竜の子よ、魔眼くらい持って帰るがよい」
(そんな、ちょっとした温泉旅行の手土産みたいな……)

 気軽にもらえるものでもないのに、とサシャが思っていると、意外にもテドは勢いよく手を上げた。

「はいっ! お願いします!」
「クゥ!? クッ、クゥ!?!?」

 明らかに予想外の提案に、まごつくリリー。
 慌ててジタバタするも時すでに遅し、テドに尻尾を摘ままれている。


(すごい可哀想だな……)

 必死で鳴きながら抵抗するリリーに、サシャは同情を禁じ得なかった。


「僕、リリーと話してみたかったんだよね。魔眼って、手に入れたら人の姿になれるんでしょ? 人の姿になったら、人の言葉も話せる?」

「なんじゃ其方、詳しいの。びっくりさせようと思ったのにつまらんのう。もちろんじゃよ」

「クゥ……?」『テドニ、ツタワルノカ?』
「ならお願いします。ねっ、良いでしょリリー」

「ク、クゥ……」『オマエガ、ソコマデイウナラ シカタネーナッ! カンシャ シロヨナ!』


「ありがとう、リリー!」(あー可愛い。リリーが目玉抉られて悶絶するところが見たい)

(なんだ? 今、すごく醜くてどす黒い思考が頭を過って……気のせいか?)


「しかし、其方ら、もうここに訪れるでないぞ」
「えっ? なんでですか?」

 幼女は「うぅむ」と腕を組み、少し考えてからこう言った。


「精霊族は、人と関わることを好まぬ。妾は人の子を慈しむが、ほとんどの精霊は下界の者を好まぬ。特に人の子は嫌われておる。此度はたまたま、この深淵が其方らを見つけ、保護したから良かった。しかし、かつてとは違い、妾らはこの里にいつもいるわけではない。いないときの方が多い」

「なんで? ここに住んでるんじゃないの?」
「いいや、今は違う。ここに戻るのは、人の子の時間で言うところの、数十年に一度、くらいじゃ」

 幼女は首を振る。


「ここは元来、人の子が訪れてはならぬ地。それを忘れるでない。他に願い事があったとしても、軽率にこの場所を目指すことは勧めぬ。人は強くなった。故に、古来ほどこの地の結界は、脅威ではなくなった。しかし、越えられるからといって、容易に超えてはならぬ境があるのもまた確か。弁えよ。さもなくば、自ずから滅びを導こう」

「滅ぶとか、別にどうでもいいけどなぁ」
「ちょっとテド!」
「ハハハ。そうか、そうか。なんとも邪悪で愉快な一団じゃ。良いのじゃ良いのじゃ、故に人の子は面白い」

 幼女は楽し気に笑い、何度も頷いた。
 恐らく、彼女は本当に人間が好きらしい。


「其方の望むままにせよ、人の子らよ」


 彼女がそう言ったとき、サシャはその頬が縦に裂け、そこからギロリと幻色の瞳孔が覗いたのを確かに見た。

「人の子とはなんとも愉快で、愛おしく、そして儚いものじゃ。傷つけるも慈しむも、どちらにしても趣深い」
「あぁ、悪趣味な」

 カラカラと指を鳴らして精霊が呟く。


「妾らは気まぐれじゃ。関心に触れれば、いつでも其方らを救い、滅ぼすであろう。では、さらばじゃ」

「さよなら!」


 テドの挨拶に応えるように、幼女は颯爽と踵を返し、小屋の扉に手をかける。

 しかしそこでふと振り返り、何かを空中に投げ上げるような動作をした。


「ふむ、忘れるところじゃった。竜の子よ、最早其方は抜け殻じゃ。空虚ではあるが、しかし、自由でもある」
「クゥ?」

「其方に授けし魔眼をもってしても、全てのものはいつかは還る、その定めを変えることなど、できはせぬ。しかし妾とこうして出会ったのも何かの縁、愛すべきよ、壮健なれ。妾は其方の選択を、祝福することにしよう。楽しみにしておるぞ」

「クゥ、クゥ!?」

 リリーの体が、キラキラと輝き始める。
 それは星のような風に包まれ、大きくなる。


「人の子らよ。山の麓まで送ろうぞ。良いな、もう二度と、この地を訪れるでない。決して、訪れてはならぬ」



 その光に気を取られた隙に、周囲は再び霧に包まれた。

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