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#3 試練

18 沈んだの

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 私は、自分の過去の話をほとんど洗いざらい、隠すことなくアインに伝えた。
 少なくとも、思い出せる限りは。

「じゃあ、アンタの家族はその、ルシファーとジャックだけなの?」

「いや、私には甥がいる。ルシファーの拾って来た子供だ。名をブロウという。ルシファーの老化速度の関係で、今のところ後継ぎが持てないからな。王権の存続を不安視する貴族共を黙らせるためだったようだ」

「跡継ぎが持てないって? なんで?」
「婚姻云々以前に、ルシファーの身体は未だ五、六歳男児程度しかない。精通が来ていない以上、子孫を残すのは生物学的に不可能だ」

「アンタの兄さん、なんでしょ? それなりに年の離れた」
「そうだな。二十年は離れている」

「ふぅん……やっぱり、悪い奴ほど、長生きするよね」
「どういう意味だ?」
「なんでもない。それで、そのブロウって子も長生きなの?」

「いや、そうではない。確か、天寿は三百年ほどだ」
「へえ」

「ブロウはとても美しい男だ。極めて見かけがいい。外見だけだが」
「中身はそうじゃないの?」

「精神病を患っている。そうでなくとも頭がおかしい。いつも幻覚に話しかけている上に、自殺未遂や自傷を繰り返していた。迷惑な奴だ」
「ふぅん」


 アインは私と話すことが好きだと、そう言っていた。

 だから彼女は狩りに行かないで、釣りばかりしているそうだ。
 自分は釣れやしないのに。


「アンタにとって、自殺未遂は迷惑なんだね」
「そうだな」
「いっそ死んでくれればいいのに、って思ってたの?」

「そうではない。ブロウはルシファーに可愛がられていたからな、アレが死んではルシファーが悲しむだろう。だから私は奴を生かすために、常に監視下に置かなければならなかった」

「……ふぅん、そう」

 話すのが好きだという割に、返事はつれない。

 特に、ルシファーの話題が嫌いなようだったが、それなのにアインは積極的にルシファーのことを知りたがる。

 彼女の真意が分からない私は、ただ求められるがままに会話するしかなかった。


「ルシファーは、アンタのことを嫌ってたんだっけ」

「嫌っていた、と思う。私のことにはあまり干渉して来なかった。期待していなかったのだろうな、昔からそうだ。とはいえ幼い頃は、少しは私を賞賛してくれることもあった。もう言ったかもしれないが」

「ああ、うん。アンタを奴隷扱いしてたって話でしょ」
「そうだ、私を……奴隷? いや、そんなことは言っていない。人聞きの悪い……私は好んでルシファーに仕えていた」

「好んでるかどうかは別として、対価もなしに奉仕してるんだから奴隷と一緒でしょ」
「まあ、言葉の意味はそうかもしれないが……」


 そもそもアインは、多分ルシファーのこと自体が好きではない。

 まさかこの世界でルシファーを嫌う人間がいるだなんて、以前の私なら想像もしていなかっただろう。

 しかし、アインは大陸に行ったことがないと言うし、ルシファーの名声が届いていないとしても、仕方のない話かもしれない。


「ルシファーは、アンタや、その息子に酷いことをする? 例えば暴力を振るったり、食事を与えなかったり」

「ルシファーは暴力を好まない。故に何かされたことはない。食事については、ブロウのことはむしろ気にかけていた。アレは痩せた子供だったからな。私の食事のことは、特に関心を示すような風はなかった。息子と弟では、やはり抱く感情も違うのだろう」

「アンタは子供の時、ちゃんと食べさせてもらってたの?」
「基本的には乳母の気分次第だったが、満足に食べていた。折檻は鞭打ちなどの体罰が多かったから、それほど食事を抜かれた覚えはない」

「……へぇ、そうなんだ。折檻とかされるんだね」
「島には子供を躾ける文化はないのか?」


 尋ねると、アインは顔を顰めて首を振った。

「鞭なんか使わない。トラウマになる」

「少しくらい痛い思いをしても、いずれはいい思い出になるものだがな。ルシファーの前を横切って、肉が裂けるまで鞭打たれたことも、当時は感染症に罹って死ぬような目に遭ったが、今では笑って話せる」
「聞いてる方は笑えない」

 昔を思い出して目を細め、思わず口元が緩んだ。
 なんであれ、ルシファーに関わる記憶は幸せなものばかりなのだ。


「アタシは、それをいい思い出だとは思えないけどね」
「お前は家族との思い出はないのか? 聞いてみたい」

 そう尋ねると、アインは少し目を伏せ、考える素振りを見せた。


「……アタシは子供の時に母さんと父さんが死んだから、それからはずっと田舎のばあちゃんとじいちゃんに育てられた。狩りはじいちゃんに、料理はばあちゃんに教えてもらった」

「祖父母に育てられたのか」
「そうだよ。まあ、それなりに楽しかった」

「そういえば、その家族はどこに行ったんだ? この島にはお前しかいないだろう?」
「大陸に渡ろうとした」

「お前はついていかなかったのか?」
「そうだね。アタシは島に残った。別に大陸に興味なかったし」

「それじゃあ、お前の家族は大陸にいるんだな」
「いないよ」
「何故だ? 渡ったんだろう」
「海を渡るのは、そんなに簡単じゃないよ」

 アインはそう言って、ゆっくりと竿を上げた。
 針先が輝いていた。

「沈んだの。全員死んだ」
「……」
「そんな顔しないでレビィ。別に平気だよ。アタシは、アンタと一緒に釣りをしてるだけで楽しい」


 そうでしょ、とアインは私にそう言った。
 私は頷く。

「アタシのことはいいよ。アンタの話を聞かせて」
「私の話はそんなに興味深いか?」
「……うん、まあ、そうだね。アンタの話は面白いよ」
「そうか。私の話はつまらないと言われがちだが」
「そいつらは見る目がないんだよ。まあ、話は聞くものなんだけど」

 そう言ってアインは、私を急かす。
 そんなに聞きたいのかと、せがまれると悪い気もしない。

 私が彼女に対して貢献できることは、極めて少ないので。


「誰の話が聞きたい? ルシファーか、ジャックか、ブロウか?」
「その他の人はいないの? 例えば、アンタの恋人とか。そう、恋人といえば、アンタに子供はいないの? いてもおかしくない年齢だと思うけど」

「私に三人以外の家族はいない。恋人もいないし、子供もいない。そんなことをしている暇はなかったからな。しかし、そうだ。恋人といえば、ブロウには恋人がいた」

「ブロウね、アンタの甥っ子か。まだ小さい子じゃなかったの?」

「いや、ブロウはもう成人している。公にされてはいないが、昔に何度か政略結婚をしていてな。その時にもうけた子供もいた。それは本人の知らないことだが」
「へぇ……上手くいかなかったの?」

「ああ。ブロウの精神病で、結婚生活は崩壊し、政治権力まで使って無理矢理離婚を成立させたんだ。法的に離婚は認められていないというのに……私とルシファーがどれだけ大変な思いをしたか」


「結婚、ね。大陸だとそういう文化もあるんだっけ」
「島にはないのか?」

「あたしの育った場所では、夫婦って関係はなかった。恋人はいたけど。夫婦は、子供に対する、両親としての存在でしかなかった。みんな家族みたいなものだった」
「そうか。いずれにせよ、私には縁のない関係だな」

「アンタは寂しくないの? アタシの聞く限り、アンタは兄弟とも仲が悪かったみたいだし、親の記憶もない。そのブロウとも別に仲良しってわけじゃないんでしょ」

「ブロウのことは嫌いだ。何故か分からないが、生理的に」
「そう。アンタは生理的だとか本能的だとか、そういうものに弱いよね」

「そういう問題ではない。ブロウに関しては、多くの者が私と同じ感情を抱くようだ。ルシファーやジャックなど、例外はあるようだが。アレが他者と友好関係を築けないのも、それが関係しているのだろうな」

「可哀想な子だね」
「だから恋愛関係も長続きしないのだが、その割に惚れっぽいので困っている。毎度毎度、本当に迷惑だ。最後には、アレは私の作った人造人間が好きだと抜かしていた」

「人造人間」

「そうだ、人造人間。正確には不良品だが、奴はそれに惚れたらしい。正直心の底から困惑したが、案外上手くやっていた」

「そう。まだ付き合ってるのかな」
「どうだろうな。私がこの島に流れ着いてから、大分経ったが」

「……四年近くになるね」
「そうか、四年か。そうなると、私を覚えている者はもういないかもしれないな」

「四年じゃ忘れないよ、家族のことは」

「お前はそうかもしれないが、私はそれほど存在感のある方ではなかったからな。ルシファーとジャックは多忙だし、ブロウは恋愛で忙しいだろうし、私のことなど忘れている」
「そう……」

 アインは私を慰めるようにして、抱きしめた。


「アタシは忘れないよ、アンタのこと」
「そうか。私も忘れないだろうな、お前のことは」

 アインは私にとって、初めての家族だ。
 初めて心を許せる、なんでも話せる存在。

 私にとって姉のような、母のような、そんな存在。


「寂しくない?」
「寂しくない。お前がいてくれれば、私はそれでいいんだ。もう大陸に未練はない」

「……アタシもそうだよ」

 そう、それだけでいい。
 ただ永遠に二人でいられたら、それで十分だ。

 それ以上でも、それ以下でもない、ただ今とイコールの状態が、永遠に続いて欲しい。


 私は強くそう願った。
 それ以外には、何も望まなかった。
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