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8.狐の屋敷(4)
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弥生は撫子と2人残され、気まずさを感じていた。撫子は弥生、いや、弥彦の本性が女でも構わないと言っていたが、これまで通りの弥彦のままの態度で接すればよいのかわからなくなっていたのだった。
(これまで通りでいくか、それとも昔のアタシを出した方がいいのか…………よし)
軽く悩んだ末、とりあえず夫の装いのままで接することにした。男として他と接するのが今の自分の自然体。むしろ長いこと表に出していなかった女の自分を出していく方が難しい。それで何か言われるようであれば、少しずつ戻していけばいいだけの話だ。
弥生は少し躊躇いがちに微笑んだ。
「えっと、撫子さん、で合ってるよね? こんな僕ではあるけど、よろしくお願いするよ」
「え、ええ。こちらこそよろしくお願いします……えっと、なんかすみません。色々とごたごたに巻き込んでしまって……」
「それは気にしなくていいって。それより、本当に僕なんかが君の婚約者の候補になってもいいの?」
「それはもちろん。弥彦様が嫌でなければ、是非に」
嫌だと言いたいけれど立場上それはできない。肯定の言葉も言い難かった弥生は返事の言葉は口にせず、そんな考えを悟らせないような笑みで返した。
撫子も微笑み返してくれた。けれど、どこか曇りのある笑みだ。時間を置いて冷静になり、思うところが出てきたのかもしれない。
「どうかした? さっきからずっと浮かない顔だけど、これからの事で何か心配事があるのかな?」
「あの、心配事というか、その……」
話しにくい事なのか、撫子は口を開けたり閉じたりを繰り返している。やはり弥生が婚約者候補になったという点に何かあるのかもしれない。弥生は撫子の決断を大人しく待った。
しばらくためらった後、撫子はおずおずと口を開いた。
「大和兄様が……弥彦様の事を気に入ってるのではと思いまして……」
「気に入ってる?」
ぴんとこない弥生は首を傾げた。嫌われているわけではなさそうだが、好かれてるとも思えない。都合のいい駒としては好かれているかもしれない。
撫子は再び言いにくそうにつぶやいた。
「その……恋をしている、という意味で」
「恋? 恋愛の? ははは、それはないよ。君も言っていたじゃないか。彼は恋愛に興味はないんだろう? それに僕はこんな感じだ。男に好かれる要素はないと思うな」
屋敷に来る途中、大和は撫子の事を気に掛けてはいたけれど、弥生の事は眼中にないといった雰囲気だった。おかげで弥生も護衛に集中しやすかった。
「けどっ! 弥彦様が本当の姿を見せてくださった時の大和兄様の顔、いつもと全然違いましたの。なんというのでしょう、見惚れていた、いえ、ようやく見つけたというような感じで。お兄様のあのようなお顔、初めて見ました」
撫子は焦ったような、必死の形相だ。まるで本当に大和に婚約者を取られるのではと思っているような表情だ。
けれどそれはいらぬ心配だろう。
「……だとしても、彼は僕に撫子さんの夫になるように命じた。それって、たとえ君が言うように彼が女の姿の僕を気に入ったとしても、恋仲にしたいほどじゃなかった。そういう事だろう?」
本当に恋愛感情を抱いたなら、隷属して逆らえない弥生に女の姿でいる事を強要して妾にでもすればよかった話だ。そうしなかったという事は、恋愛感情など抱いていないという事。
それでも撫子は納得できないようだった。
「だと、いいのですけど……」
「大丈夫だよ。それよりさ、さっそく屋敷の中を案内してくれないかな?」
愛だの恋だのの話から遠ざかりたかった弥生は歩き出した。けれど撫子の足は止まったままだ。
「撫子さん?」
「あの、弥彦様」
「何?」
「あなた方の本当のお名前は、何というのですか?」
「方?」
この場には弥生一人しかいないのに変な聞き方をされ、首を傾げた。
「弥彦様の本当のお名前と、亡くなられた旦那様のお名前です。差し支えなければお教えいただければと……」
「ああ」
そういう事かと納得した。
自分の名前はいいが、夫の名前は隠しておきたいという思いはある。撫子も、嫌だと言えば無理に聞き出そうとはしてこないだろう。けれどここまで一生懸命思ってくれている、婚約するかもしれない相手に秘密にしておかなければならない事でもないような気もした。そもそも一番隠したままでいたかった事は、とうの昔に知られてしまっている。
(まあ、彼女にならいいか)
弥生は伸ばした人差し指をそっと自身の口元に当てた。
(これまで通りでいくか、それとも昔のアタシを出した方がいいのか…………よし)
軽く悩んだ末、とりあえず夫の装いのままで接することにした。男として他と接するのが今の自分の自然体。むしろ長いこと表に出していなかった女の自分を出していく方が難しい。それで何か言われるようであれば、少しずつ戻していけばいいだけの話だ。
弥生は少し躊躇いがちに微笑んだ。
「えっと、撫子さん、で合ってるよね? こんな僕ではあるけど、よろしくお願いするよ」
「え、ええ。こちらこそよろしくお願いします……えっと、なんかすみません。色々とごたごたに巻き込んでしまって……」
「それは気にしなくていいって。それより、本当に僕なんかが君の婚約者の候補になってもいいの?」
「それはもちろん。弥彦様が嫌でなければ、是非に」
嫌だと言いたいけれど立場上それはできない。肯定の言葉も言い難かった弥生は返事の言葉は口にせず、そんな考えを悟らせないような笑みで返した。
撫子も微笑み返してくれた。けれど、どこか曇りのある笑みだ。時間を置いて冷静になり、思うところが出てきたのかもしれない。
「どうかした? さっきからずっと浮かない顔だけど、これからの事で何か心配事があるのかな?」
「あの、心配事というか、その……」
話しにくい事なのか、撫子は口を開けたり閉じたりを繰り返している。やはり弥生が婚約者候補になったという点に何かあるのかもしれない。弥生は撫子の決断を大人しく待った。
しばらくためらった後、撫子はおずおずと口を開いた。
「大和兄様が……弥彦様の事を気に入ってるのではと思いまして……」
「気に入ってる?」
ぴんとこない弥生は首を傾げた。嫌われているわけではなさそうだが、好かれてるとも思えない。都合のいい駒としては好かれているかもしれない。
撫子は再び言いにくそうにつぶやいた。
「その……恋をしている、という意味で」
「恋? 恋愛の? ははは、それはないよ。君も言っていたじゃないか。彼は恋愛に興味はないんだろう? それに僕はこんな感じだ。男に好かれる要素はないと思うな」
屋敷に来る途中、大和は撫子の事を気に掛けてはいたけれど、弥生の事は眼中にないといった雰囲気だった。おかげで弥生も護衛に集中しやすかった。
「けどっ! 弥彦様が本当の姿を見せてくださった時の大和兄様の顔、いつもと全然違いましたの。なんというのでしょう、見惚れていた、いえ、ようやく見つけたというような感じで。お兄様のあのようなお顔、初めて見ました」
撫子は焦ったような、必死の形相だ。まるで本当に大和に婚約者を取られるのではと思っているような表情だ。
けれどそれはいらぬ心配だろう。
「……だとしても、彼は僕に撫子さんの夫になるように命じた。それって、たとえ君が言うように彼が女の姿の僕を気に入ったとしても、恋仲にしたいほどじゃなかった。そういう事だろう?」
本当に恋愛感情を抱いたなら、隷属して逆らえない弥生に女の姿でいる事を強要して妾にでもすればよかった話だ。そうしなかったという事は、恋愛感情など抱いていないという事。
それでも撫子は納得できないようだった。
「だと、いいのですけど……」
「大丈夫だよ。それよりさ、さっそく屋敷の中を案内してくれないかな?」
愛だの恋だのの話から遠ざかりたかった弥生は歩き出した。けれど撫子の足は止まったままだ。
「撫子さん?」
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「あなた方の本当のお名前は、何というのですか?」
「方?」
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「弥彦様の本当のお名前と、亡くなられた旦那様のお名前です。差し支えなければお教えいただければと……」
「ああ」
そういう事かと納得した。
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(まあ、彼女にならいいか)
弥生は伸ばした人差し指をそっと自身の口元に当てた。
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