ダイヤと秘密-R15ver-

皆中明

文字の大きさ
上 下
18 / 29
ままならない日々

サトルの存在2

しおりを挟む
「サトルー、お前ちょっと何やってんの。昨日意識が戻ったばっかりなんだろ? まだ休んでないとダメじゃないか」

 警察が来ると思っていたであろうサトルは、予想外に間の抜けた声が耳に届いた事に驚き、その動きをぴたりと止めた。
 ふと入り口へと目をやると、そこには呆れた顔でサトルを見ている葵の姿があった。小言の多い葵に仕事をしていることがバレてしまったことでバツが悪くなったのか、サトルはやや表情を強張らせた。

「な、なんだ葵か。もう面会時間も終わるし、今日はもう来ないのかと思ってたぞ。店が忙しかったのか?」

 サトルは、枕に半分埋もれるようにして起こしていた体を、ゆっくりと捻ろうとしていた。しかし、まだ安静にしていなければならないような状態だ。当たり前だが、まだ顔色もそう良くなっておらず、体も重だるそうにしている。

「おい、向き変えるな。俺がそっちに行くから」

 葵はそう言うと急いでベッドのそばへと向かった。そして、置いてあった丸椅子に腰掛けると、こんな状態でも続ける仕事はなんなのだろうかと思い、チラリとディスプレイを覗き見た。
 するとそこには、「氏名 佐藤優希」との記載があった。

「なんだ、優希のデータチェックをしてたのか。そりゃお前がやるしかないか」

「ああ。今日は調子がいいみたいで問題なく過ごしている。俺と会っていなくても安定するという事は、俺への依存も減少傾向にあるってことだろうから、経過は良好だな。少し寂しくはあるけれど、安心もしている」

 そう言うと、眩しそうに目を細めた。その姿を見るだけで、サトルがどれほど優希を大切に思っているのかが良くわかる。葵はそれを受けて、満足気に胸を張った。

「……なんだよ」

 訝しげにサトルが尋ねると、

「え? 二人を引き合わせた俺ってすごいなって思って、一人で浸ってた」

 と葵は笑う。それを聞いたサトルは、破顔しながら

「ははっ、……いてっ。笑わせるなよ、まだ痛むんだぞ」

 と呻いた。
 そして、今度は違うタブを開く。そこにはリアルタイムで優希の位置情報が示されていた。彼の左足にあるアンクレットからの情報だ。

 彼は犯罪者予備軍リストに名が載っているため、位置情報を常に把握されている。カーソルは駅へ向かってゆっくりと動いて行っており、どうやらもう帰宅するようだとわかる。

「お、今日はもう帰るんだな。面会時間はもう終わったから、ここには来ないだろうけれど……。いつも帰りが遅いから、たまにはゆっくり休まないとな」

「そうだな。疲れると楽な方に流れたくなるのが人の性だから、出来るだけ心身ともに余裕を持つようにとは言ってあるんだけどな……。まあ、あの仕事だとそうはいってられないだろう」

「いやいや、パートナーが刺されて倒れるほど心身ともに疲弊することなんてねーよ」

 無遠慮に痛いところをついてくる葵に、サトルは軽い怒りを覚えたようだ。ムッとして葵を睨みつけている。それでも、悪びれずに笑っている顔を見ていると絆されてしまうのか、諦めたように深いため息を吐いた。

「本当にお前は……。もう少しデリカシーを持てよ、葵」

 やや不機嫌そうな表情を見せたサトルに、葵は

「ごめんごめん。俺だって忙しかったけど頑張ってここに来たんだから、許してよ」

 と詫びた。しかし、舌の根も乾かぬうちにとはよく言ったもので、直ぐに

「しかし、女性に刺されるなんて迷惑なことだったよなあ。せめて色男だったら良かったのにね」

 と葵が茶化して言うと、サトルは眉を吊り上げ、比較的自由の効く左手で葵の腕を思い切り抓りあげた。

「痛って!」

「お前なあ、今のは聞き捨てならねーぞ。相手が男だろうが女だろうが、刺されりゃ痛いんだ。何考えてそんなことを言うんだその口は。出来るならこの痛みと傷を全部お前に移してやりたいわ。本当にデリカシーを持てよ、葵」

 サトルはそう言ってもうひと抓りすると、降参する葵にUSBメモリを投げつけた。葵は涙目になりながらも、しっかりとそれをキャッチする。

「あーごめんなさい。もう言いません……。で、俺はこれを持っていればいいわけ? 警察に渡す分はちゃんと別に用意してあるか?」

 葵の問いに、サトルはすぐにいつもの表情に戻っていった。刺されたという事実は、ふとした瞬間に恐怖心を膨らませていく。
 葵がそれを理解していてこんな言動をとっているのかどうかは定かではないが、この飄々とした軽さに救われるのは、今日が初めてではない。

 失礼でデリカシーに欠ける発言をするのも、サトルが本気で怒ったり傷ついたりすることではないと理解した上でのことだ。敢えて自分が悪い方に回ることでその場が和むのであれば、それを選ぶのが葵だとサトルにはわかっていた。

「いや、警察には研究所に行ってもらえばいいだろ。そもそもこれは研究所のデータだからな。俺も今は親しくもない人間への対応を何度もしていられるほど元気なわけじゃ無いし、病院にも迷惑をかけるから、出来ればここにはあまり頻繁に尋ねて来ないで欲しいんだ。それは今から俺がちゃんと伝えるけどな。警察も来てただろ?」

 警察は、サトルを恨んでいる者を犯人とみて捜査をしていく事になっているらしい。その可能性のある人物をリストアップしていて欲しいと言われたサトルは、自分を恨んでいる人間には皆目見当もつかないため、治験に関わった人の全てをリストアップする事にした。
 それを作成するために病床から研究所内のシステムにアクセスし、出来上がったものを今日警察に渡す事になっている。
 そして、そのコピーを葵に渡すために来てもらっている。
 
 データが悪用されれば何かしらの犯罪に結びつく可能性があり、彼はそのことを恐れていた。同僚にも信頼のおける者はいないこともないが、最も信用のある人物に預ける事にしたいのだと言う。

「内容が内容だけに、漏洩するのは御法度だもんな。名前を上げれば、どう関わったかも書かないといけないし、そうなるとその人が何の治療をしようとしてたかわかるもんな。それで、このデータは警察と俺しか持ってなくて、他のところに出回っていたら持ち主はアウトだって証明したいんだよな? そして、それをする人が優希じゃダメだから俺に頼むってことであってるか?」

「まあ、そういうことだ。犯罪者予備軍リストに名前が載っていれば、それだけで信用に値しないと思われる。それはあいつもわかってることだから。お前に頼むって言ったら、安心してたよ」

「そうか、それなら安心した」

 優希が落ち込んでいたらと心配していた葵は、サトルの言葉にほっと胸を撫で下ろした。サトルはその葵の姿を見て、目を細める。

「相手は警察だからな。この保険も本来なら必要の無いんだろうとは思う。でも、万が一これに優希を巻き込んでその証言が必要になった時、あいつが警察から白い目で見られるのは出来れば避けたい。俺が耐えられない。だから、葵に頼みたいと思ってるとは伝えた。だから、心配することは無いぞ」

 葵は、サトルが窮地に立たされているのに、自分の病気のせいで彼を助けることが出来ないことを受け止めている優希のことを思うと、どうにもやるせ無い気持ちになっていた。
 そして、それを承知の上でその役割を自分へ託してくれたのだと考えると、この責務を全うしてあげなければと思わずにはいられなかった。

「そうか。わかった」

 ちょうどその時、ポコンと音がした。タブレットに優希が帰宅したという通知が届いている。サトルはそれを見て、小さく頷いた。

 葵は病室を横切って窓側へと向かう。濃藍色の空の下、優希が帰ったマンションの方角へと目をやった。
 毎日忙しく働いている彼は、あの家でサトルを待っている。早く事件が解決して、二人が穏やかな日々を得る事が出来たなら、祝宴をあらためて催さなくてはならないなと考えていた。

 そして、ふとあることが頭を過った。あまり気の進まない思いがあるけれども、念の為に確認しておかなくてはならいだろうと思い、サトルへ問いかけた。

「なあサトル、あれからずっとペドフィリア被害者の会の方々とはうまくいってるよな? あちらに恨まれて刺されたなんてことは無いよな?」

 サトルは葵の問いかけに、一瞬緊張の色を見せた。しかし、直ぐにそれを緩めると、目を伏せたまま小さく答える。

「ああ。俺が知る限りはだけどな」

 そう答えたサトルの目には、かつての追い詰められた日々が直ぐそこに見えているようだ。

 サトルは、優希と知り合う二年ほど前から、ペドフィリア治療の研究をしていた。その仕事を選んだのには、彼の人生にそれまでとは異なる大きな変化があったからだった。

 多様性の叫ばれるようになった昨今では、同性愛者であるサトルにさえ非難の目を向ける人は減少傾向にある。それでも全くいないわけでは無いが、他人にどう思われようと気にしていないタイプのサトルにとっては、今のレベルであればそれは無いものと同じだという。

 十年ほど前であれば、それは酷く罵られ、蔑まれ、たくさんのことを奪われた。今となっては、そんなことをする人間がいれば、そちらが批判されるだろう。いい時代になったものだと言って、よく笑っている。

 しかし、その頃から彼には一つ気になることが出来ていた。それは、自分が楽になって来たからこそ、ふとぶつかった疑問だった。
 それは、いくら時代が変わろうとも、許されない性嗜好の人というのは一定数いる。その人たちは、これからもずっとあの苦しみを味わっていかなければならないのだろうかというものだった。

 好きだと言うことさえ許されない、言ってはならない辛さ。報われることがなく、体に溜まり続ける熱、それに伴う痛み。それが死ぬまで続く。自分がそれを望んで生まれて来たわけではないのにも関わらず、その中に囚われて生きていくしか選択肢が無い人生。きっとそれは生き地獄だろうなと、彼は考えていた。

 その疑問が生まれたときから、サトルはペドフィリアの治療を研究をしているチームに関わらせてもらっている。これまでにも治療法はいくつかあったらしいのだが、完治したという証明が出来ていないと聞いているからだ。

——『何を持ってそれとしたらいいのかが定まっていない。それならば、自分が研究の中心に入って答えを探そうと思う』

 全く同じとは言えないにしろ、似たような苦しみを知っているサトルとしては、治療に挑もうとする気持ちのある人を蔑ろにすることが出来ず、労りながら治療を進めていった。

 毎日自分の限界へ挑み続けなければならない治療は、被験者に多大な負担を強いる。それでも犯罪者になりたく無いという思いを抱いて研究所の門を叩く人々を、彼はどうしても無碍に出来なかった。

 ただし、サトルのその態度はペドフィリアに寄り添い過ぎていると思われてしまい、被害者の会から執拗な嫌がらせを受けるようになってしまった。

——『なぜ、加害者を守ろうとするのか。被害者の事はないがしろにするつもりか!』

 そう言われ続けた。

 そこで当時弁護士だった葵が間に入り、話し合いを持つ事になった。とても複雑で繊細な問題を孕んでいたため、数年かかる長い話し合いとなったが、その話し合いの後からは嫌がらせを受けることはなくなったと聞いている。

 今はまた揉めることが無いように、定期的に報告会をさせてもらって、良好な関係を築いているはずだ。

——『知らないと人は攻撃したがるのだから、自分を相手に知ってもらう努力をしろ』

 それが、葵からサトルへ一番力を入れて伝えられていったことだった。

「あの時の嫌がらせはそんなに酷くなかったしな。生ごみをブチまけられる、無言電話と夜中の突撃、研究所への抗議の電話くらいだったな。ただ、夜中の突撃の頻度がすごかったから、寝不足で事故に遭って死にかけたのは参ったけれど……。その程度の嫌がらせしかしていなかった人たちが、暗がりで突然背後から一突きするなんて、考えられないだろう?」

 葵に向かっておどけたように両手を開くと、そう言って同意を求める。サトルは普段はそんなお調子者では無いので、この行動は葵への気遣いのつもりなのだろう。

「しかも刺した犯人は、声から判断すると中年の女性だった。俺が対応した関係者の中に、中年の女性はおそらくいない。しかもあの女、ナイフを引き抜いて行ったんだ。ナイフを抜けば、大量出血するのは大体予想がつくだろう? それが分からなかったとしても、普通はわざわざ抜かないはずだ。かなりの力が必要だからな。深く刺し、勢い良く抜いている。明確な殺意があったとしか考えられない」

 サトルは痛みを堪えるように頬を引き攣らせていた。話しながら、刺された痛みを思い出したのだろう。その姿が弱っているように見えて、葵は胸が痛んだ。どれほど強がっていても暗がりで刺されたという事実は、言いようの無い恐怖として、ベッタリとサトルの心にこびりついている。

 今はまた、夜を迎える時刻になる。このまま葵が帰ってしまっては、サトルにとって不安な時間を過ごす事になりかねない。そうならないようにと思い、葵はややおどけた調子で言った。

「しっかし、そんな深く刺されて凶器引き抜かれて、よく助かったよな。すげえ生命力」

 葵は病衣の隙間から見えているサラシのような包帯を指さして、ニヤリと笑いながら言った。
 サトルはそんな葵の悪戯っぽい視線に緊張を解され、思わず頬を緩める。

「まあな。普通なら、あっという間に死んでただろうな。俺もちょっと覚悟はしたんだぞ」

 そう言って苦笑いをしつつ、左手の指輪を無意識に触っていた。

「でも、俺ももう一人じゃ無いからな。帰りを待ってくれてる人がいるんだから、諦めちゃいけないなと思い直した。あいつがいてくれて良かったよ」

 その声と同じような優しさで指輪に触れながら、優希へと思いを馳せる。すると、指輪がそれに応えるように、キラリとダイヤが光った。
 それはまるで、サトルの声に答える優希の笑顔のように甘やかで、二人の繋がりの深さを物語っているような、眩しいほどの輝きだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...